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「ラヴクラフトの遺産」の解説で書き忘れたことがあったので、ここに記しておく。
F・ポール・ウィルスンの「荒地」において、登場人物の一人クレイトンは、ジャージー・デビルを調査している、と言っていた。このジャージー・デビルとはニュージャージー州南部に古くから伝わるフォークロアである。話の起こりは1735年まで遡る。同州パインバレンズに住んでいたリード夫人は、とある嵐の夜、赤ん坊を抱えながら、近所の主婦たちと魔術の真似事にふけっていた。
と、突然、彼女の抱えていた赤子が姿を変え始めた。体は巨大に、顔は馬のように長く、足には蹄が、背には蝙蝠の羽が生えてきた。手には鉤爪、尻からは太い尻尾、と信じられない怪物に変身したのである。そして、怪物はその場にいた人々を食うと、翼を羽ばたかせ、いずこともなく去っていったという。
それ以来、パインバレンズでは、怪物が定期的に出現し、住人はこれをジャージーデビルと呼んで恐れるようになったと言うのだ。
1740年には、牧師がパインバレンズを訪れ、悪魔払いを敢行。お陰で、以後100年間、同地には何事も起こらなかった。
ところが、1840年、怪物は再び出現。ニワトリやヒツジが襲われた。
1859年にはパインバレンズから離れたハドンフィールドでも怪物が目撃された。
1909年1月にはニュージャージーの300以上の町にデビルが出現。目撃者は数千人に及んだ。このため、学校や工場が閉鎖されるという事態に至った。
さらにデビルはペンシルバニア、デラウェア、ネリーランド、カリフォルニア、カナダにまで出現したが、1月22日を境にプッツリと姿を見せなくなったのである。
しかし、1925年に、「ウッドバリー・デイリー・タイムズ」は、ある人物が射殺した奇獣のイラストを掲載。これぞジャージーデビルの正体とぶちあげた。
だが、その後も1951年、1952年、1980年にもデビルは出現。足跡や叫び声を残し、ヒツジやニワトリを食い殺してパインバレンズの住民を不安がらせている。
この怪物に1920~30年代に注目したのが、奇現象研究家のチャールズ・フォートであった。彼はその著「見よ!
Lo!」(1931)で、ジャージーデビルを詳しく紹介している。
ところで、ラヴクラフトはフォートの著作ではこの「見よ!」と「呪われた者の書 The
Book of the Damned」に接しており、「呪われた者の書」のほうが面白かった、と述べている。
そして彼は「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」のなかで、こんな悪戯をしているのだ。
…ゲーベルの「探求の書」などと共に並べられている怪しげな書物の一冊「断罪の書
Liber Damnatus」…。(ウィルスン作品では「罪の書」と訳されている)
これは「呪われた者の書 Book of the
Damned」のラテン語訳にすぎない。どこでも手に入れられる本をラテン語に訳し、実在の魔術書や錬金術書とならべる。この種の悪戯はラヴクラフトが好んだものである。
で、この点を勘案すれば、「荒地」のクレイトンがミスカトニック大学から盗んだ本が、どうして「死霊秘法」でなくて、「罪の書」だったのかも、分かろうというものだろう。
ジャージーデビル→チャールズ・フォート→「見よ!」→「呪われた者の書」→「罪の書」、という極めてマニアックな観念連合を、ウィルスンって奴は持っていた訳だ。
ちぇっ、いけすかない筈だよなあ。
(あああ、また、どうでもいい事に時間を費やしてしまった。締め切りが、締め切りが……)