日記代わりの随想

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2004年3月中旬の日記

風雲千早城(80)
今日も農耕的に仕事をした。

●本日は「春分の日」である。古えの暦では、一年はここから始まる。
 
 あけましておめでとうございます。

 こちらも新年らしく心を入れ替え、そろそろ胆石のダメージから立ち直り、仕事に全精力を傾注しなければならない。今回、「真田」シリーズの完結編ということもあり、ちょっとリキが入りすぎているようだ。肩の力を抜いて、色んなことに向かおう。

●それは兎も角、この何日か、ウィルス・メールが届き続けている。どうやらウチとアクセスしている誰かのパソコンが、ウィルスに冒されているらしい。ウチは入る片端からノートンで検疫と永久削除を繰り返して遊んでるからいいが、もしお気づきでなかったら、どうかウィルス・スキャンをして頂きたい。以上は業務報告でした。

●実は竹岡氏よりは、以前にも「ラヴクラフトと天文学」について、とても興味津々たるメールを頂いている。わたし一人で独占していても、世のラヴクラフト研究に役立たないので、ここにご紹介しておきたい。ただし、プライベートな箇所は全てカットしているし、若干、わたしが編集していることだけは、お断りしておきたい。

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「HPLの幻視(み)た“星“」
 竹岡 啓

 今から5年前、エドワード=リプセット氏や私が所属しているクトゥルーMLで「『魔女屋敷で見た夢』で主人公ギルマンを引き寄せる『海蛇座とアルゴ座の間にある一点』とは何か?」という疑問が出ました。当時クトゥルーMLはその話題で盛り上がりましたが、肝心の問題の答は得られませんでした。
 ところが、最近、私はネット上で「かま猫」なる人物と知り合いました。(とりあえず本名は伏せさせていただきます。なお「かま猫」というハンドル名は宮沢賢治の「猫の事務所」に因んだものだそうです)かま猫氏は天文学のプロで、かつラヴクラフトの愛好家でした。私が例の問題について尋ねてみたところ、その記述が実在の天体を指すものだとすれば「らしんばん座T」(学名T Pyx)だろうという回答が即座に返ってきました。
 かま猫氏によると、T Pyxは「反復新星」と呼ばれる天体のひとつだそうです。反復新星は繰り返し爆発して増光する珍しい新星で、T Pyxは1902年5月に発見されました。1920年に再び増光し、新星の仲間であることがそのとき確認されたということです。
 米国の神話ファンもこの問題で頭を悩ませていることを私は知っておりましたので、米国の著名な神話研究家であるダニエル=ハームズ氏にメールで知らせてみたところ、答が見つかるのは世界初だとのことでした。
 その後、かま猫氏は京都大学の加藤太一博士などの協力を得て調査を行いましたが、今日においてもT Pyxは謎めいた天体であり、その神秘的な印象からラヴクラフトが創作のヒントを得たことは大いに考えられるそうです。

 「眠りの壁を越えて」にはペルセウス座の新星すなわち「ペルセウス座GK」への言及がありますが、さらに「ヒュプノス」ではかんむり座からの光が主人公の友人を引き寄せます。人間が天体に誘引されるというのが「ヒュプノス」と「魔女屋敷で見た夢」の共通点であることは前述のハームズ氏によって指摘されていますが、ギリシア神話の眠りの神とかんむり座には何の関係もなく、ラヴクラフトが「ヒュプノス」でかんむり座を持ち出した理由は不明でした。
 かま猫氏によると、かんむり座には「かんむり座R」(R CrB)という非常に有名な変光星があるそうです。ラヴクラフトは熱心な天文愛好家で、地元紙に天文学のコラムを連載するほどでしたが、「ヒュプノス」「眠りの壁を越えて」「魔女屋敷で見た夢」などの作品には彼の変光星への興味が反映されているのではないかとかま猫氏は推測しています。
 かま猫氏の仮説は確証こそまだ得られておりませんが、たいへん説得力に富んでいるように思われます。(日本のクトゥルー神話研究がここまで発展してきたことは朝松先生の御仕事の成果であろうと思い、まことに不躾ながらメールをさし上げさせていただきました)
 実在の変光星がラヴクラフトの作中で巧妙に利用されていることは彼の星空への愛情の表れであるだけでなく、HPLがきわめて緻密に物語を構築していたことの証左でもあるだろうというかま猫氏の言葉に私は感銘を受けました。チャンスがあったら日本人の「神話評論集」のようなものも企画していきたい、と朝松先生は以前おっしゃっておられましたが、その企画が実現するのであれば、「ラヴクラフトと天文学」という重要なテーマの担当者として私はかま猫氏を推薦させていただきます。

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●日本人研究家による「クトゥルー神話研究論文集」は必ず実現したい企画の一つです。まだまだ乗り越えなければならないハードルは多く、幾多の困難がありそうですが、日本人作家のオリジナル・クトゥルー神話小説集が三冊も実現したのだから、きっと、死ぬまでには実現させたい、と思っています。(これは、クトゥルー神話と34年関わってきたわたしの執念かもしれませんね)そして、それが実現した時には、竹岡氏やかま猫氏、原田実氏や久留氏、笹川氏といった人たちの研究論文・リスト・批評・ビブリオグラフィーを網羅して、「S.T.ヨシ氏に捧ぐ」とフロント・ページに入れたいと思います。(それまでは、せいぜい、痙攣発作や胆石や左手足の麻痺と戦い続けましょう)

●「眠りの壁を超えて」は、わたしも大好きな作品である。この、思念が光速を超え、宇宙を駆け巡るイメージと、邪悪の星の禍々しさ。その危険を訴えようとした超知性が、野卑な人間としか同調できず、その男は単に残虐な殺人を犯しただけだった、という絶望。これらは、のちの「銀の鍵の門を超えて」「超時間の影」などにも通底するモチーフである。そして、共通しているのはラヴクラフトの絶望。「宇宙的な絶望」だ、と感じてしまうのは、わたしだけであろうか。

●妻と長男は吉祥寺に墓参り。長女は早朝よりバイト。二女は午後からダンスの練習である。ウチに一人でいて、ぼんやりとしていた。本も読まず、ビデオも見ず、ネットを少し回ってみても土曜ゆえ何もないようだ。
 たまには、こんなのんびりした日があってもいいと思う。

●外はそぼ降る雨。寒い。低気圧のせいか、憂鬱である。
2004年3月20日(土)  No.255

風雲千早城(79)
今日も農耕的に仕事をした。

●本日は内科診断の日。先日の超音波検査を見て、今日、胆石の治療法を…と思っていたが、まだまだ。次はMRIが待っていた。しかも、予約はびっしりで、四月の十六日だってよ。それまでは「痛み止め」「胆石溶かし」「胃液セーブ」の三種のクスリを飲み続けることと決まった。しょうがねえなあ、と諦める。膵臓・肝臓、異常なし。ただ、ちょっぴり肝臓に脂肪がつきはじめていたが、これは運動不足と、胆石によるものらしい。ストレスと運動不足はとってもコワイと感じた。

●帰宅後、昼食。光文社からゲラが届いた。異形コレクション、「夜の遊園地」収録作品のゲラである。一気に朱を入れて、昼寝。

●さて。これから、一仕事である。……おっと。その前に「ケイトさん通信」をどうぞ。今回は、昔わたしが大好きだったけど、今は手が出せない、ある珍しいモノのお話です。では、ケイトさん、どうぞ。

「友だちの家のバー・カウンターで見つけた品です。
メキシコ産のお酒〈OLMECA〉。ラベルには顔巨石のイラスト、説明書きには「TEQUILA BLANCO/Alc.38%」とありました。
……ハパイ・カンも、このお酒を飲んだのでしょうか。だとすると、やっぱり仮面ごしに…? それとも、その時だけ外すとか…き、気になる…!!」

●うーん。テキーラ・ブランコか。……どんな味なのかな。昔、行きつけのラテン音楽のスナックで良く飲んだのは「マリアッチ」というテキーラで、こいつを三杯、小さなグラスでやったら、意識不明になったものでしたが。
2004年3月19日(金)  No.254

風雲千早城(78)
今日も農耕的に仕事をした。

●まずは、「ケイトさん通信」をどうぞ。昨日、うどんを食べたケイトさんは、それから何を目撃したのでしょうか。では、ケイトさん、どうぞ。

「そして、アレな写真でシメ。高瀬町(善通寺市の隣にある田舎町です)で見つけた看板より。名前通り歳月を示す輪が刻まれてはいるものの、やっぱり、やっぱり…。
一緒にいた友だちみんなとも「パクリだよなあ!」「だよね〜」と、15秒だけ話題になりました。

 こっちは肉うどんを食べた店のワンコくんです。友だちみんなとも、「かわええなぁ〜」「だよねぇ〜…」と言い合いながら、しばしうっとりと眺めてしまいました(笑)。」

ワンコが可愛いですねえ。最近、わたし、イヌ好きになったものでして。……で、それはそれとして、お約束の「今日のボーナス」です。

●以下にご紹介するのは、ラヴクラフトが15歳の時に、世界的な科学専門誌「サイエンティフィック・アメリカン」1906年8月25日付に投稿した投書の全訳である。勿論、本邦初訳。わたしもこの文章のことは前から知っていたので、「闇に輝くもの」という短編の小道具に使ったが、実物に接するは初めてである。「闇に〜」を書いた時は「小論文」と、何人かの翻訳家・研究家に紹介されていたので、そう書いてしまったが、正確には「投書」であった。なお、ラヴクラフトと天文学に関する真摯な研究(『魔女屋敷の悪夢』に言及される謎の星の正体は、などなど)は、目下、「かま猫」氏やアメリカの神話研究家ダニエル・ハームズ氏らによってなされているので、今後も機会があったら概略を紹介していきたい。なお、今回の翻訳は竹岡啓氏。竹岡氏は「かま猫」氏の研究に触発されて、この文章を訳したのであった。なお、文章のタイトルは朝松が便宜上つけたものである。また、竹岡氏は文章の訳者名より、「ラヴクラフトと天文学」の研究を続ける「かま猫」氏の名を、とおっしゃっていたが、著作権に携わる人間として、訳者の権利については明確化しなくてはならない、と考え、竹岡氏の名を明記した。これは朝松の独断によるものであるとお断りしておきたい。

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 「海王星の向こうに」
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト                (竹岡 啓 訳)                                          
                     
 望遠鏡が巨大化し、天文学の手法が近代化した昨今、現在のところは太陽系の最果てにあると見なされている海王星の軌道の外側の惑星を見つけるための熱心な努力がなされていないのは奇異なことに思われる。約100天文単位(93億マイル)の距離で太陽の周囲を回っている惑星の軌道に対応する一点に遠日点がある彗星が七つあることが判明しているのである。

 そのような惑星が存在し、彗星を引力で引きつけているのだと今や数名の人が唱えている。木星などの惑星も多くの彗星の遠日点となっているのだから、これはあり得ることである。50天文単位のところに無数の彗星が密集していることに筆者は気づいたが、そこには巨大な天体が旋回していたのかもしれない。今日の偉大な数学者がこれらの遠日点から軌道を計算しようとしても、成功はおぼつかないように思われる。しかし、天文写真を撮るためのカメラが備わっている天文台がすべて団結し、小惑星帯の研究においてなされたように黄道の写真を1分おきに撮れば、くだんの天体が写真に写るかもしれない。たとえ何も見つからなかったとしても、精密な天文写真は時間と労力に見合うものだろう。
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(竹岡・註)要するに、太陽系の第9惑星を発見するために各天文台は奮闘するべきであるという投書です。これもかま猫さんから教えてもらったことですが、無数の彗星が密集しているとラヴクラフトがこの投書で指摘している50〜100天文単位の領域は、短周期の彗星の供給源と考えられている「エッジワース・カイパーベルト」とぴったり重なるそうです。
 エッジワース・カイパーベルトの発見は1951年のことであり、15歳のラヴクラフトは一流の天文学者に匹敵する学問的嗅覚を備えていたのだとかま猫さんは感動していました。

●奇しくも第10番惑星「セドナ」が発見され、話題になっている今、この文章の意味はとても興味深いと言えるだろう。また、この文章に関する竹岡氏からのメールと同時に、青カラス氏よりの「セドナの占星術上の意味と象徴」に関するメールも届いた。不思議な偶然を感じる。ことによると、ユゴス星からラヴクラフトが「悪戯電波」を送ってきたのかもしれない。

(「日記」の続きは六時間後)

●日中は19度もあったのに、昼過ぎから急に暗くて寒くなってきた。気圧が急変している。そのため、意気あがらず。昼寝する。ひょっとすると胆石の痛み止めの副作用かも…。

●夢のなかで会社員をしていた。上役が訳の分からないことを言っていた。どうせ昼寝の夢ならば、楽しかった大学時代の夢でも見られればいいのになあ。いつも会社時代か高校時代だ。

●さて。ぼちぼち「闘・真田神妖伝」の続きを書き始めよう。

2004年3月18日(木)  No.253

風雲千早城(77)
今日も農耕的に仕事をした。

●昨日は病院の検査と、打ち合わせで疲れたか、いつもより早く寝た。それにしても昨日のアクセス数は平日より1.6倍(当社比)も多かった。わたしは「バーロウ小伝」を読みにきたのだろう、と思うのだが。「みんな、あんたが胆石と知って面白がって覗きに来たんでしょう」とは妻の意見。まあ、「他人の不幸は鴨の味がする」(芥川龍之介)とも言うからなあ……。

●それでも、昨日も、コツコツと農耕的に執筆して、12枚書いたのであった。ワタシはなんと地道なのだろう。

●3月11日に「日記」に書いた卒業式における「日の丸」「君が代」だが、遂に都教委は起立しなかった生徒の多いクラスの担任に罰則を課す暴挙に出た。つまり、「お前たちのせいで担任はこんな目に遭うのだ」という訳である。また、これによって担任が「オレのクビが懸かっているから頼むから君が代・日の丸に従ってくれ」と懇願するように仕向ける目論みだ。さながら、江戸時代、百姓に「一揆などいたせば庄屋一家は磔であるぞ」と脅した代官所そのままの発想ではないか。しかし、こうした暴挙に対してマスコミの反応は、と見れば、

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20040317/mng_____sya_____009.shtml

http://www.asahi.com/national/update/0317/008.html

 ちなみに「東京」の記事に言及されている都立板橋高校の今年度新卒生の一人こそウチの長女である。かつて吉本ばなな・井上雅彦・永井豪が卒業し、柴咲コウも中退した「自由」な校風の都立板橋も遂に屈してしまうのであろうか。
 卒業式当日にはTBSが取材に来ていたそうだ。混乱を予想したのか。それとも誰かが通報したのだろうか。
(なんとなく当局の人間が「騒ぎ」を予期して呼んだような気配を感じる)
 当然、テレビは式の中には入れなかったので、式の会場で何があったのか、客観的な記録はない。
 だから、起こったことは当事者の証言をまつしかない。
 が、娘の話を聞く限り、会場では「混乱」などなかったということであった。くだんの教師は騒ぐことは無かったし、大きな混乱もなかったらしい。しかし、校長は「威力業務妨害」で訴えたくなるほどの「混乱」と感じた訳だ。(この辺が怪しい、とわたしは感じるが、言うまい)
 まあ、実際に「混乱」があろうとなかろうと、そんなことは関係ないのだ。問題は「教師の一部に日の丸・君が代に反対する不逞の輩がいた」という事実であり、その事実が『これは日教組をはじめとするアカどものせいで、元凶は米国に押し付けられた憲法のせいだ。』という論調にとって都合がいい、ということである。間もなく、この[論]に沿って、これからの「生徒指導」は日の丸・君が代を尊ばない人間が現われないように組み立てられていくのである。さらに言えば、日の丸・君が代は拡大解釈され、いずれ児童の家庭の思想・信条を調査するモノサシに使われることだろう。キリシタン弾圧の昔、社会主義者撲滅の昔から、行なわれる方法は変わらない。
「踏み絵を拒む人間は罰する」──これだ。素晴らしき哉、大日本帝国!!
 しかし、まさか「時代の悪意」が、こんな形で自分の目の前にぶら下がってくるとはね。…ひょっとして、これは「思想信条の自由が欲しければ、公立高校なんかに子供を進学させるな」ということを「お上」はのたもうているのだろうか。つまり、「日の丸や君が代が嫌いなら私立の自由主義の高校にやれ。そんな金もないのなら、黙って、日の丸には敬意を示せ。君が代は心をこめて歌え」というコトなのか。すでに「自由な思想・信条」は昭和初期の選挙権よろしく、高額納税者のみが享受し得る「特権」なのだ、と。
 どうも納得いかないが、こうした話題を話したくても、子供のいる同業者など周囲にはいない。編集者は独身ないしはDINKSばかりである。…なんとなく、胆石の原因となったストレスは仕事のせいなんかではなくて、目下の日本の流れ、握りしめた砂もさながらに「自由」が失われていく目下の状況のせいではないか、という気がしてきた。くそっ、一介の伝奇ホラー作家がどうして、こんなに社会のことに苛立たなければならないんだ。「週刊文春」の発売禁止といい、絶対、現在進行形で、この国はおかしな方向に捻じ曲がっているのに。どうしてみんな、平気でいられるんだろう?

●……ハラのたつ時は「ケイトさん通信」で落ち着こう。

「「香川へ来たならうどんを食わなきゃ帰さないぜ!!」
――って事で、食べてきました(笑)。ざるうどんです。
ここで「見た目よりもなめらかな舌ざわり」「流水のような喉ごし」なんていっぱしの口がきければいいのですが、私にそんな事出来るはずもなく……。
「美味しかったー。ごちそうさまでした」
……イエ、本当に美味しかったですよ?(汗)
やっぱり美味しい料理は、評するものじゃなくて、素直に味わって食べるものですよね!(←世の評論家の先生方、ごめんなさい…)

もう1枚、こちらは別のお店で頼んだ肉うどんです。お好みでネギやショウガ、ゴマをトッピングして、どうぞめしあがれ。
中の半熟タマゴをつぶして、黄身を麺にからめて食べれば絶品。まじウマです♪ 黄身がお出汁に混ざりきらない内に食べるのがポイント。」

●美味そうですね。むむむ、腹が立つのは空腹のせいかもしれんな。わたしも昼食にしよう。では、では。

●何時間か経った。どうも胆石の痛み止めのせいか、体がだるくて意気があがらない。しょうがないので、トーマさんにずっと前に貰ったサンプル・ビデオ、「シークレット・ルーム」を見た。ドイツ製のサスペンス映画。「羊たちの沈黙」におけるワイルド・ビルが、「コピー・キャット」に出てきた女性犯罪学者を監禁して、「ミザリー」したらどうなるか、というストーリー。途中、「えっ。こんな簡単に終わりなの」と思わせておいて、ひっくり返す技が面白かった。

●それから、伝奇活劇の参考に「風雲」の第一巻を見た。コミック原作の香港テレビ・アクション。なかなか面白い。このスタッフとキャストで作った「岳飛伝」が見たいと思ったりして。

●竹岡啓氏の「バーロウ小伝」が好評なので、明日か明後日には、ラヴクラフトが少年時代に科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」に発表した小論文の全訳を、この「日記」で掲載します。同じく好評連載中の「ケイトさん通信」ともども、お楽しみに。
2004年3月17日(水)  No.252

風雲千早城(76)
今日も農耕的に仕事をした。

●本日は午前九時より胆石の検査。若い超音波検査技師だったもので、最初は「肝臓と膵臓の検査をしますよ。……悪いところはありませんねえ」なんて寝惚けたことを言い始める。とうとう見かねて「胆石の検査に来たんですが」と言ってしまう。しかし、それでもなかなか見つからない。とうとう上司(推定五十代初め)がやって来て、「ここだよ、ほら」と背中から照射。ようやく胆嚢下部に浮かんでいる石と、ストレスで溜まった泥状のものを発見。しっかり撮影した。これで金曜の診察のテーマは「石と泥をどうするか」ということに決定した。「石持ち」だってさ。……参ったなあ。

●それでも本日は夕刻より祥伝社のI野氏と打ち合わせ。「闘・真田神妖伝」を急がなくてはならないのだが。……うーむ。わたしはどうなってしまうのであろうか。とりあえず、頑張ろう。

●今月の「オヅヌ」は34ページ、ちゃんと掲載されるもよう。良かったあ。

●今夜は長男と二人だけの夕食の予定。男同士でラーメンでも啜ろう。

●しかし、今日はオニのように疲れたなあ。…ん!? オニ? オニといえば、高松。高松といえば、おなじみ、「ケイトさん通信」の時間です。ケイトさん、どうぞ。

「だごん様こんばんは、ケイトです。
先日、高松市に行ってきました。「またかよ」と言われそうですが、ふふふ、今回は違いますよ〜(笑)。〈MCS〉もモチロン行ってきたのですが、コレはいいかげんおなじみなネタですから…!
まずはこちら、高松駅にある鬼の石像です。下部に掘られた「やさしいあおおに」のタイトルを見れば判る通り、あの童話よりの作品。……この笑顔、大好きなんです。
今回高松へは、友だちのところへ遊びに行ったのですが、行くたびにいろんな所へ連れて行ってくれます。
この写真は、行った先の商店街で撮ったものです。爪と脚、ちゃんと動いてました(笑)。」

●有難うございました、「ケイトさん通信」はまた明日。

(何時間たったであろうか)

●祥伝社・I野氏との打ち合わせ、終わり。四月六日までに原稿を全て入れないと五月の「祥伝社・徳間合同フェア」には到底間に合わない。しかし、こちらは胆石と確定。これは、「今回、あんまり無理させては、作品も朝松さんもダメになってしまいますから」と、発売を延期。六月締め切りの、八月二十日見本に繰り下げることに決定。まあ、健康のためには良かったのかもしれない。それでは、その旨を各社に連絡しなければ。



2004年3月16日(火)  No.251

風雲千早城(75)
今日も農耕的に仕事をした。

●掲示板にも書いたけど、本日、3月15日はH.P.ラヴクラフトの命日である。命日を記念して何か、面白いサイトでも紹介できないかな、と思ったけど、そういうことはワタシより皆さんのほうが詳しそうだ。

●そこで「真ク・リトル・リトル神話大系」「定本ラヴクラフト全集」の企画・編集者として、また「ウィアード・テールズ」「アーカム叢書」の企画者として何か思い出でも…と考えたが、それは多すぎて、とても書ききれない。困ったものである。

●で、まあ、色々と検討してみましたが、ここでは「ケイトさん通信」も連載(?)していることでもあるし、構わないだろうとアバウトに思いまして、
ここに若きラヴクラフト学徒・竹岡啓氏の書かれた小論文「ロバート・H・バーロウ小伝」をご紹介することにした。(ラヴクラフトの詩も同時掲載した。この詩は「定本」全集に収録されていない“本邦初訳“である)
 ちなみにバーロウとは誰か、なんとラヴクラフトの知的遺産の全てを生前譲られた正式な「著作権代理人」なのである。「えっ、ダーレスではなかったの!?」と今、驚いたあなた、すぐに以下の竹岡論文をお読みなさい。そして、お友だちのラヴクラフティアンに、この論文のことを教えておあげなさい。「目ウロコ」がいっぱいです。では、「ラヴクラフト命日記念」にこの小論を──謹んで宇宙の虚無へと回帰せる我等がグランパに捧げます。

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ロバート=H=バーロウ小伝
竹岡啓

 1918年5月18日、ロバート=ヘイワード=バーロウはカンザス州レヴンワースで
エヴェレット=D=バーロウとバーニス=バーロウの間に生まれた。彼の父エヴェレット
は米国陸軍の中佐で、一家は何度か引っ越しをしてジョージア・フロリダ・ワシントンな
どに住んだらしい。
 バーロウがラヴクラフトと文通を始めたのは1931年のことである。1932年には
オーガスト=ダーレスとの文通が始まった。1934年、ラヴクラフトはフロリダを訪問
してバーロウと対面し、彼がまだ15歳にすぎないことを知って驚いた。ラヴクラフトの
滞在中にバーロウは16歳の誕生日を迎えた。CthulhuはKoot-u-lewと発音するのが正し
いとバーロウはラヴクラフトから教わったそうである。ラヴクラフトはCthulhuをクトゥ
ルーと発音していたとダーレスが断言したのは、バーロウの証言を信用したからに他なら
ない。
 ラヴクラフトと彼の友人たちは1935年の新年をニューヨークで共に迎えたが、この
集いにはバーロウも参加した。ラヴクラフトはエリザベス=トールドリッジ宛の1934
年12月29日付の手紙で次のように述べている。「バーロウはクリスマスの日に到着し
ました。かなり豪華な102番街のホテルをロングが彼のために見つけてあげたので、そ
こに泊まっています。あの子は宿の好みがとても贅沢なので、私のような安上がりな旅行
はできないのです! 私の予想通りバーロウとロングは意気投合しています」
 ラヴクラフトとバーロウはフランク=ベルナップ=ロングのアパートで1934年の大
晦日を一緒に過ごし、バーロウが自分で作った「ウルタールの猫」の私家版をラヴクラフ
トはそこで受け取った。二人は午前3時まで滞在し、「海悉く涸れて」を合作した。この
題名はロバート=バーンズの詩「我が恋人は赤き薔薇」の一節を借用したものではないか
とダニエル=ハームズは指摘している。1935年の夏、ラヴクラフトはフロリダを再訪
して2カ月間バーロウ家に滞在し、バーロウと一緒に小屋を建てるなどして楽しんだ。ラ
ヴクラフトによると、バーロウは射撃の名手でもあったという。
 1936年7月28日、今度はバーロウがプロヴィデンスを訪れた。家庭内のいざこざ
を逃れてきたのだという。8月5日、妻の遺骨を散骨しにボストンへ行った帰りのアドル
フェ=デ=カストロがプロヴィデンスに立ち寄り、ラヴクラフト・バーロウ・デ=カスト
ロの3人は聖ヨハネ教会の墓地を共に散策した。この時ラヴクラフトは一編の詩を作った
が、その詩は折句になっており、行頭の文字を拾っていくとEdgar Allan Poeが現れるよ
うになっている。かつてエドガー=アラン=ポーが聖ヨハネ教会の墓地を散策したという
故事にちなんだものである(註1)。バーロウはそれから2カ月ばかりラヴクラフトのも
とに滞在し、二人は「夜の海」を合作した。これはラヴクラフトの生涯最後の作品となっ
たが、どちらかといえばバーロウの作品と見なすべきものである。ラヴクラフトは「夜の
海」が気に入ったらしく、「私が今までに出会った中でもっとも芸術的な作品のひとつ」
と賞賛している。常に謙虚だったラヴクラフトが自分自身の作品をこんな風に褒めること
はあり得ない。ラヴクラフトにとっても「夜の海」はバーロウの小説だったのだろう。
 最晩年のラヴクラフトは社会主義的な傾向を強めていたが、バーロウもまた社会主義者
だった。彼はクラーク=アシュトン=スミス宛の手紙で社会主義を宣伝したが、アナーキ
ストを自認していたスミスはソビエト連邦に不信の念を抱いており、「資本主義・ファシ
ズム・共産主義──どんな方式をとるにしても、人間の貪欲さと権力欲のせいで同じ不正
が世にはびこり、同じ悪事と悪習が生まれることでしょう。そうでなかったら、悪の形態
がちょっと違ったものになるだけです」と述べてバーロウに反駁した。
 1937年3月15日にラヴクラフトは世を去った。彼の遺著管理者に指名されたのは
バーロウだった。ラヴクラフトの叔母であるアニ=ギャムウェルはその指示に従い、3月
26日にバーロウは正式にラヴクラフトの遺著管理者となった。彼はラヴクラフトの書簡
を集めてブラウン大学のジョン=ヘイ図書館に寄贈し、それらの書簡を図書館に保管させ
ることに成功した。
 晩年のラヴクラフトともっとも親しくしていたのはバーロウだったといわれる。しかし
ラヴクラフトが死んだとき、バーロウはまだ18歳に過ぎなかった。彼を自分の遺著管理
者に指名したラヴクラフトの意図は定かでない。バーロウはラヴクラフトの愛人だったの
ではないかと憶測する人もいる。バーロウが同性愛者だったことは事実だが、ラヴクラフ
トとバーロウが恋愛関係にあったことを証拠立てるものは何も残っていない。クラーク=
アシュトン=スミスはドナルド=ワンドレイ宛の手紙で次のように述べている。「HPL
が原稿の管理人としてバーロウを選んだ理由ですが、このことはきわめて容易に説明でき
ると僕は信じています。自分の作品が商業出版の世界で日の目を見る見通しがあるとはH
PLは考えていなかったに違いありません。ですから、ロングやラヴマンといった旧友た
ちに原稿を任せようものなら、厄介な重荷を押しつけてしまうことになると感じたことで
しょう。でも出版業に乗り気なバーロウならば、自分の作品を本にできる地位まで上り詰
めてくれる日があるかもしれないと感じたのでしょう。この考え方は理にかなっているよ
うに思えます」
 一方オーガスト=ダーレスとドナルド=ワンドレイはアーカムハウスを創設した。バー
ロウがラヴクラフトの遺著管理者に指名されていたことを知らなかったワンドレイは、彼
がラヴクラフトの原稿や書簡を不当に私物化しようとしていると誤解し、それらの文書を
バーロウから奪い返すための行動を起こした。ダーレスは二人の和解を望んだが、とりあ
えず原稿を確保しておこうというワンドレイの考えに賛成し、弁護士を派遣することに同
意した。その弁護士は調査を行い、バーロウの行為に不正な点は見あたらないという結論
を出した。しかしワンドレイは納得せず、弟のハワード=ワンドレイと二人でバーロウを
非難して回った。バーロウはワンドレイとサミュエル=ラヴマンを訴えることまで考えた
が、ロバート=ローンダスとドナルト=ウォルハイムに説得されて止めたという。
 ワンドレイの作戦は功を奏し、クラーク=アシュトン=スミスがバーロウの敵に回って
しまった。「もう手紙をよこさないでください。どんな方法であろうと、僕と連絡をとろ
うとはしないでください。愛する親友の遺産のことで君があんな振舞をした後では、君の
言葉なんて一言も聞きたくないんです」という手紙をスミスはバーロウに送りつけ、これ
はバーロウを打ちのめした。「この手紙の他にも同様の痛撃があった。敵愾心を燃やして
いる一知半解のワンドレイ兄弟が元凶で、何年も続いた。それらがなかったら、新たな進
路には進まなかっただろう。はらわたを肉切り包丁で寸断されるような苦しみだったが、
結果的には私を益するものだったのかもしれない。今日なお私の傷は癒えていないが」と
バーロウは後に回想している(註2)。
 バーロウはカンザスシティ芸術大学とカリフォルニア短期大学で学んだ後、メキシコに
旅行したことによってメシカ文化(註3)の研究に関心を抱いた。彼はカリフォルニア大
学バークレー校の人類学科を1941年に卒業し、さらに博士号を取得した。当時バーロ
ウと一緒に研究を行っていた人物にアルフレッド=クローバーがいる。メシカ帝国の版図
を正確に特定したことはバーロウの功績だが、これはメシカ文明の通史を書くという壮大
の計画の第一歩となるものだった。バーロウはラヴクラフトの本の出版をダーレスに任せ
てメキシコに行き、若くしてメキシコ国立自治大学の教授となったが、ダーレスはアーカ
ムハウスの経営方針についてバーロウに意見を求め続けた。なおワンドレイは1942年
に出征し、それ以後はアーカムハウスの事業に関与しなくなった。所詮バーロウはダーレ
スほどの器ではなかったのだと酷評する人もいるが、それでも彼がラヴクラフトの遺産を
守ろうと真摯な努力をしたことには疑念の余地がない。S.T.ヨシは次のように述べて
いる。「バーロウこそは本物の神童であり、個性的な人間だった。彼は怪奇小説を熱心に
蒐集していたが、出版されたものだろうと原稿のままだろうと、その真価を見抜いていた
のである。ラヴクラフトのような無名のパルプ作家の原稿をバーロウがしきりに欲しがる
ので、ラヴクラフトはいつもバーロウをからかっていた。だが、この子供っぽいといって
もよい好みの背後に、もっと成熟した意識があることをラヴクラフトは感じとっていたの
かもしれない。何ら値打ちがないように見えようと、文学作品を保存することの重要性に
バーロウは気づいていたのだ。そして、とりわけラヴクラフトの論文をバーロウが用心深
く自分の手許に置いていたことは少しも不当ではない。今日のラヴクラフト研究の多くは
まさしくR.H.バーロウの努力のおかげである」
 バーロウはメキシコ国立自治大学からメキシコ市立大学(註4)に移籍して人類学科の
主任教授となり、ロックフェラー財団・グッゲンハイム財団・カーネギー研究所の資金援
助を受けながら研究を進めた。メキシコ市立大学でバーロウから教えを受けた人物にウィ
リアム=バロウズがいる。しかし、バーロウは1951年1月2日に大量の睡眠薬を服用
して自殺した。まだ32歳だった。彼が同性愛者であることを種にした脅迫に耐えかねた
のだといわれている。息子は森が好きだったから、森の中で眠らせてやってほしいとバー
ニス=バーロウにいわれた同僚たちはバーロウの遺灰をデシエルト=デ=ロス=レオネス
国立公園の森に埋めて土と枯葉をかぶせた。バーロウと親しかったダーレスは「ルルイエ
の印」にラヴクラフト・ロバート=E=ハワードと並べて彼の名を記し、卓越した詩人と
してバーロウのことを称えた。ダーレスはバーロウの死の間際まで彼と文通していたが、
バーロウの没後は彼の母バーニスと手紙を交わし続けたという。メキシコでは1980年
代後半から90年代前半にかけて、メキシコ国立自治大学とラス=アメリカス大学が合同
でバーロウの著作集(全7巻)を刊行した。

〈註1〉この詩は国書刊行会の定本ラヴクラフト全集にも収録されていないので、ここで
    紹介しておく意義があるだろう。

 Where Once Poe Walked

     Eternal brood the shadows on this ground,
     Dreaming of centuries that have gone before;
     Great elms rise solemnly by slab and mound,
     Arched high above a hidden world of yore.
     Round all the scene a light of memory plays,
     And dead leaves whisper of departed days,
     Longing for sights and sounds that are no more.

     Lonely and sad, a specter glides along
     Aisles where of old his living footsteps fell;
     No common glance discerns him, though his song
     Peals down through time with a mysterious spell.
     Only the few who sorcery's secret know,
     Espy amidst these tombs the shade of Poe.

     この地を永久に覆うのは影
     過去の世紀を夢見る影
     墳墓の傍ら 楡の巨木は厳かに聳え
     過去の秘められし世界の上 高々と穹窿を成す
     あらゆる景色の周り 記憶なる光明が揺蕩い
     枯葉は囁く 過ぎ去りし日々のことを
     逝きて帰らざる音と景色を思う

     独り物悲しく 亡霊は逍遙す
     かつて生きたる彼が足跡を印せし路を
     凡庸の人は彼を眼にも留めぬ 彼の歌は
     神秘なる魅力と共に時を経て鳴り響きたれども
     ただ僅かに魔法の秘密を知る者のみが
     墓石の直中にポーの影を認む

〈註2〉こう書くと、ワンドレイは陰険な策士だったように思われるかもしれない。しか
    しワンドレイのしたことは悪意ではなく誤解に基づくものであり、ラヴクラフト
    の遺産を守ろうという彼の動機は純粋なものであったように思われる。晩年のワ
    ンドレイはアーカムハウスを訴え、この不可解な行為によって孤立した。しかし
    高名なクトゥルー神話研究家であるスコット=コナーズによると、ワンドレイの
    本当の目的はダーレスの子供たちを悪徳弁護士から守ることだったそうである。
    彼の正義感と使命感もまた称賛に値するものだろう。
〈註3〉普通はアステカ文化と呼ばれるが、バーロウはこの言い方を好まず、メシカ文化
    という用語を代わりに用いた。
〈註4〉現在のラス=アメリカス大学。

参考サイト

http://biblio.pue.udlap.mx/servicios/Porfirio_Diaz/barlow.html

http://members.fortunecity.com/moderan/nonfic/20thgothic.html

http://geography.berkeley.edu/ProjectsResources/Glyphs/Homepage/Project.html

http://www.brown.edu/Facilities/University_Library/publications/Bibliofile/Biblio24/time.html

       ─────────────────

●どうだ、読んでしまったか(マルC 夢野久作)…驚いたでしょう。
 まずは竹岡さん、有難うございました。今後も竹岡さんのワンダーで農耕的かつ地道な研究成果は、この「日記」か、「クトゥルーな話」にアップして参りますのでお楽しみに。(↓のページが「クトゥルーな話」よ)
  
http://www.uncle-dagon.com/sub1.htm

●どうやら、胆石というのは日本の成人の二割くらいが持っていて、ストレスに晒され続け、坐りっぱなしの生活してれば、みんな罹ってしまうものらしい。コワイなあ。…しかし、そんなこと言うなら、ワタシなんかより先に他の××さんや△△先生のほうが先に胆石っている筈なのになあ。あああふ。明日はいよいよ超音波検査でごんす。嫌だよう。

2004年3月15日(月)  No.250

風雲千早城(74)
今日も農耕的に仕事をした。

●今週は火曜に午前九時から超音波検査。金曜日に血液・尿・超音波の検査結果を聞きに行く。病気はいやだ。

●火曜日の夕方には祥伝社のI野氏と打ち合わせもある。何か、「闘・真田神妖伝」の表紙デザインに使えそうな図案を提供してくれ、と言うのだが、そうそう図案にいい資料なんてあるものではない。困ったものである。

●最近、幼児虐待や少女殺害の話ばかりが聞こえてきます。オトナに成りきれない成人が本当の子供たちに嫉妬して暴力を振るっているのでしょうか。
そんな思いでネット世界を回っていたら、暗ぁ〜い気持ちになってくる英語の数え歌を見つけました。アダムスみたいな絵と、「そして誰もいなくなった」な歌詞がとても沁みてきます。アタマにhをつけて御覧ください。

ttp://www.wishville.co.uk/gorey/

●なかなか仕事が乗ってこないので、トーマさんに感謝しつつ、またサンプル・ビデオを見た。こんどは「ノイズ」という香港ホラー。都市伝説っぽいノリに、なんか政府の謀略と、怨霊談がないまぜになっていく。途中までは結構、怖い。だけど、収拾つかなくなって「ブレア・ウィッチ」に持っていき、プツンと終わらせた感じ。1999年〜2001年くらいにかけて猫も杓子もホラー小説を書いた頃に、こんな作品があったような気がする。全体としては、子供の頃に読んだ貸本怪奇劇画の世界に最も近い。でもまあ、楽しめたから、いいや。次はいよいよ「ブロセリアンドの魔物」と「デッド・エンド」というフランス・ドイツ怪奇競作の世界に向かおう。

2004年3月14日(日)  No.249

風雲千早城(73)
今日も農耕的に仕事をした。

●昨日は長女の高校卒業式だった。この「日記」を読まれる方の圧倒的多数は子供はおろか結婚もしていないだろうし、よしんば結婚したとて子供なんていうモノは作る気もないだろう。だから現在の教育現場がどうなろうと知ったことではあるまい。しかし、現在、権力側による子供への管理・強制がどこまできているのか、知っておいても損はないだろう。以下の記事に目を通していただきたい。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040313/mng_____tokuho__000.shtml

国旗の立て方・壇の位置・受け取る側の動き。こんなものまで石原慎太郎の号令のもと、東京都教育委員会は、児童に強制しはじめているのだ。

次は何をさせる気であろう。
 皇居に向かっての万歳三唱か。それとも在郷軍人会の老兵の訓示か。教育勅語の暗唱を教師に強制するのか。
「君が代」「日の丸」は国民の義務だ、という意見がある。 だが、自由主義社会においてはそれを行なわない自由も存在する筈ではないのか。
 現場においては「見張り」に来た都教委の人間も、校長も、教頭も、いやいやながらに監視している。なぜ、いやいやなのか。誰もがやりたくないからだ。一部のナショナリスト・レイシストの自己満足のために、どうしてやりたくもないものをやらなくてはならないのか。
 きっとこの強制は東京から日本全国に波及するだろう。そして、摩擦は必ず生ずるであろう。その後に何がくるのか。校長や教頭に自殺者が出る。それから、彼等に監視を任せてはおけない、という論議が起こる。次いでプロの監視に任せよう、という話が起こってくるだろう。気がつけば、あらゆるセレモニーで「日の丸」「君が代」が強制され、それを行なっているか否か官憲が監視しはじめる。これは自明の流れではないか。
 何度も言うが、わたしはマルクス主義者ではない。共産党員でもない。
 わたしは自由主義者である。
 アレイスター・クロウリーの主張した「人間の絶対的自由」を信奉する者である。
 自由に語り、歌い、愛し合う権利が天下万民にある、と信じる者である。
 その自由主義者の立場から批判する。今回の東京都と都教委の管理・監視は勃興期のナチスが行なったことと全く同一のものである。こんな暴挙を絶対に見逃してはならない。
 ともに戦おう、などとは言わない。
 ただ、わたしは忘れないだけだ。2003年から2004年にかけて日本国がどのようにして自由と平等を放棄していったか、けっして忘れないだけである。そして、わが子に、わが孫に語り伝えよう。かつて、この国では卒業式において、校歌と蛍の光しか歌う必要がなかったことを。少なくとも、「教員も歌わなくても良い自由」のあったことを。どこにも監視の目など存在しなかったことを。ましてや罰則もなかったことを。国民のすべてが、そんな「ちゃらんぽらんな卒業式」こそ尊いと感じていたことを。
 
●自由とは、それを持つ者が守り続けなければ、いつしか失われてしまうものである。
 そんなところは夢や希望とそっくりだが、夢や希望と違うのは、少なくとも、今のわたしたちは自由を確かに持っていることである。
 どうか、それを忘れないでもらいたい。
 …わたしの友だけは。
2004年3月13日(土)  No.248

風雲千早城(72)
今日も農耕的に仕事をした。

●行ってきました、日大病院。いつもは脳外科とリハビリ科なのだが、本日は第三内科。いやあ、待った、待った。結局、12時過ぎに順番がきて診て貰ったが、どうやら本当に胆石っぽい。やむなく血液採取。来週の朝に超音波で調べて、金曜に結果を教えてもらうこととなった。

●病院へ行くまでの間、クルマの中で、「大体、あなたはストレスとかプレッシャーに弱いんだから」と叱られた。クスン。でも、今回、2月末〜3月アタマの怒涛の三大ピンチ(『一休』『異形』『五右衛門』)はキレイに片付けたのだ。「今度はきっと反動でイイコトあるさ」と応えたが、奥さんはあんまり信じていないようである。

●帰ってきて昼食。なんだか疲れたので、香港・タイ合作のホラー「THE EYE アイ」を見る。これもトーマさんに貰ったサンプル・ビデオ。面白かった。かなり映像がキレイで、ストーリーも首尾一貫していた。ラストの爆発直前に沢山の人間の霊が流れていくところなんて既視感さえ覚えてしまいました。次は「ノイズ」を見よう。アジアンなホラー、アジアンなSFが面白くて堪らない。あと、フランス・ドイツ・スペインのホラーやSFもやめられない。カナダも面白くなってきた。…ハリウッドは独裁政権下になってから急激にクソになっている。人心の荒廃と文化の衰退の関係ってのは一目で分かるものなのね。ということは日本映画も今年下半期あたりから急にクソになっていくであろう。ああ、やだ、やだ。

2004年3月12日(金)  No.247

風雲千早城(71)
今日も農耕的に仕事をした。

●月曜の深夜、まず胃が痛くなった。鳩尾の右あたりで、腹から背中に突き通されるような痛みである。仕方なく火曜の打ち合わせをお断りして、休みながら仕事をしたのだ。火曜の夜は用心のためニフランと胃薬を飲んで寝た。痛くなかった。で、水曜は光文社のK林氏と会って打ち合わせが出来た。ところが、水曜の深夜──というより、木曜の夜明けに、またぞろ痛くなってきた。痛いのなんの、まるで腹に杭を打ち込まれたようだ。仕方なく五時頃に起きて、胃薬とニフランを飲んだら、痛みは消えた。そして、木曜の昼まで眠っていたのであった。当然、祥伝社のI野氏との打ち合わせはキャンセル。今は小康を保っているが、なんとなく、また痛くなってくるような気配がする。夕方、ウチから歩いて17分ほどのところにある「木村医院」に行こう。木村先生は、わたしの脳膿瘍にとても早期に気づいて、「大至急、血液検査しなさい。あんた、脳疾患だよ」と忠告してくれた名医なのである。ウチの子供たちはゼロ歳の時から木村先生に診てもらっているのだ。やはり医師は信頼のおける人でないとダメだなあ。……きっと作家も読者にそう言われているのだろうな。

●短編はあと少し。なんだか下手なミステリーみたいになってきた。体調の悪い時は作品もダメだな。

●自分がダメだ、とめげてる時は「ケイトさん通信」で癒されてください。

「最後のオマケは、コチラです。
原作のエピソードは好きだし犬は大好きなので、この映画は楽しみにしていたのですが、まあまあよろしかったのではないかと(中盤、展開がちょっと急すぎる気がしたので…)。でも最後は、やっぱり感動してしまいました。イチにものび太くんにも。眼が、熱い…。
あ、あと、パーマンもとってもよかったです。渡辺監督…! このノリとテンポで、是非テレビでもやっていただきタイ…!!

やっぱりF先生の作品はいいなぁ…と、私もアグたんも揃って想ったのでした。
…アグたん、プレゼントもらえたしパンフも買ったしと、ご満足のようです。歌までうたっちゃって(笑)。
アグ「♪明日ぁまたぁ〜 しあわーせで〜 あーるよにぃ〜」 

●夕方、木村医院に行ってきた。色んな症状から「胆石が疑わしいねえ」と言われてしまった。た、胆石ぃ!? そういうの、すっかり縁が切れていたと思っていたのですが。……そんな訳で、ワタシ、明日は日大病院へ検査に行って参ります。とほほほ。
2004年3月11日(木)  No.246

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