日記代わりの随想
2002年上半期

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農耕的作家日記(その2)

 23:13 02/06/27
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ伝」、本日はゲラのチェック。校正。午前十時から午後三時四十五分までビッシリやっていた。流石に疲れた。午後四時、サンデーサンでソノラマのI井編集長と待ち合わせ。原稿とゲラを渡した。ついでに新之介の紙焼きも渡した。さらば、新之介。こうして、ぼくの「業」が、またひとつ、解消された。
 なんとか秋前に本が出ますように。I井さん、どうか頑張って下さい。
 カムイよ、お力を貸したまえ。
 午後五時半ころ家に帰る。少しハイになっていた。危ない。こういう時に発作が出やすいのだ。あちこち必要な連絡をした後、寝る。午後八時から午後九時半まで、泥のように眠っていた。やはり疲れていたのだ。
「旋風伝」が、まだ「ノーザン・トレイル」として〈獅子王〉に連載中だった頃、お世話になった編集BLACK氏に連絡。
 ぼく「やあ。『ノーザン・トレイル』、完結したよ」
 B氏「お、おめでとうございます。でも何処で連載していたんですか」
 ぼく「書き下ろしだよ」
 B氏「わあ。それはお疲れ様でしたあ」
 ぼく「本が出たら、当時の仲間で『新之介を送る会』を開こうよ」
 B氏「絶対にやりましょう」
 ……って。君は現在、「賞とるマガジン」(白夜書房)の編集だろう。会って話すヒマなんてあるのか。ウチに帰るヒマもないって噂を聞いてるぞ。

 ともあれ、次は「一休虚月行」である。
 その前に「秘神界」のアレコレである。
 それと並行して「十勇士」のナニもある。
 いやいや、次の次の「一休」のソレもある。
 自由業者としては仕事が詰まっているとはありがたや。ありがたや。
 
 せいぜい長く長く長く…長く(!!)……できれば太く、この仕事を続けていきたいものである。
 今年の八月でデビュー満十六年目。
 まだまだ中堅以前。頑張ろう。

農耕的作家日記(その1)

 23:13 02/06/27
 今日も農耕的に仕事をした。
 「レラ=シウ伝」、本日はゲラのチェック。校正。「発端」から「第4章」まで。原稿と付け合せたり、色々と辻褄を合わせたりで手間がかかる。
 そろそろ手書きを本格的にやめようか、と真剣に考える。ワープロにすると圧倒的に執筆速度が遅くなるから嫌なのだが、ワープロのオペレーターが少なくなっているのと、彼らが日本語を理解できなくなっている(つまり外国人が増えているのだ)ため、誤植が多くなったり、せっかく校正や校閲で直しても最後の作業を誤り初期化してしまって、本になった時には誤植だらけの初校に戻っているという事故が多発しているからである。 
 午前中、東京創元社の牧原氏より連絡。「秘神界」の山田章博氏担当のイラストが出来たという。のちにファックスで送ってもらった。傑作。「序文」の続きを急がなくては、と焦る。
 友だちに貰ったビデオ「死刑執行人もまた死す」を見た。1943年のアメリカ映画。亡命したフリッツ・ラングが監督・製作・原案、原案にはブレヒトも加わっていた。(製作中にラングと喧嘩して降りてしまったらしいが)ナチス侵攻下のチェコを舞台にしたもの。チェコ総督ハイドリッヒ暗殺犯を巡って、人々が次第に素顔を表していく。反ナチのプロパガンダ映画なのだが、ぼくには群集劇が興味深かった。暗殺犯を匿ったばかりに、悲劇に巻き込まれる若い女性。女性と彼女の家族を見て自首をしようかと悩む医師。医師との仲を疑う女性の婚約者。愛国者の描写も単一ではない。「犠牲はやむを得ない」と言う組織のリーダー。進んで死んで行くタクシー運転手。詩人。大学教授(女性の父親)。ラジオで投降を呼びかけるチェコの軍人。…悪役もいい。特にチェコ人の警部と、組織に潜伏して情報をナチに流しているビール業者がいい。後半には「M」を連想させるシーンもあった。それはともかく、これはチェコを舞台にしているが、紛れも無くナチス政権下のドイツを描いている。ラングのナチに対する憎しみがストレートに伝わってきた。
 午後、仕事続行。
 と、藤原ヨウコウ氏より電話。今、東京にいらしているという。「一休」の和紙に筆で描いた下絵が出来たとのこと。その他、雑談。電話を切って間もなく、光文社のW辺氏より電話。コーフンした声で「藤原先生の下絵が入りました。データ化して送ります」とのこと。早速、パソコンを立ち上げる。
 がーん。…
 傑作である。
 今日は山田先生の作品と、藤原先生の作品と、二つも大傑作に接してしまった。なんという大吉日。お二人に感謝。
 少し疲れてきたので、角川春樹事務所のS藤氏に電話。七月に打ち合わせしよう、と約束。(彼は疲れているのか。それとも俺が何か悪いことを言ってしまったのか)と、漠然と感じる。時々こんな感じに襲われる。多分、気のせいだろう。前は自分が日本のホラー界にとって最早、不要な人間ではないか、という気分に取り付かれて、七,八日、憂鬱だった。
 ゲラをを読むうちに、疲れてきたので、寝る。
 午後三時〜八時まで眠っていた。
 夕食。
 のち、ゲラのチェックと校正。明日はソノラマのI井編集長に、いよいよ「旋風(レラ=シウ)伝」を原稿・ゲラ、共に渡す。記念的な日である。
 八月〜九月に刊行予定。
 九月には「秘深界」も出る。「一休虚月行」も出る。
 友成名人が何日か前に電話をくれて、「九月に『秘神界』刊行記念のイベントをやらないか。やれば、オレも口実が出来て上京出来るんだけどな」と言っていた。記念イベントか。関わった人たちと、読者の交流イベントみたいにしたら、集まってもらえるだろうか。などと考える。

 なんて言ってるうちに「明日」になってしまった。 

レラ=シウ日記(その13)

 0:22 02/06/27   
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ伝」、本日はゲラのチェック。校正。
「秘神界」(現代篇)の「序文」の下書き。
 昨日・一昨日の忙しさがウソのように今日は静かだった。
 お陰で貰った「グラディエーター」の冒頭部。ローマ帝国対ゲルマニアの戦闘シーンが見られた。何度見てもスゴイ迫力である。
 昼寝もできた。
 ブック・オフにも行けた。「夕陽のガンマン」のワイド・スクリーン版を千円以下で入手できた。早速チェック。で、イントロにリー・バン・クリーフが汽車を止めるシーンがあったのだが、これは昔からあったのだろうか。僕が過去に見たバージョンには無かったのだが。今度、調べてみよう。
 
 妻に完成した「旋風(レラ=シウ)伝」を読んでもらう。合格点。良かったあ。金曜にI井編集長に渡すのが楽しみになってきた。
  
 土曜には「一休虚月行」のゲラがでる。月曜には「十勇士」の打ち合わせ。火曜までに「秘神界」の「序文」を渡すこと。

 以上三つがうまくいけば、スムーズに、今年下半期の執筆に流れていくことができる。
 
「十勇士」はかつて書いたもののリメイクや書き直しではなく、完全に新しいものになる予定。但し、一部のキャラクターは「妖戦」と重なるものになりそうだ。各巻で違う構成にならないかと考えている。それから、東洋オカルトを隠し味にしたい。詳しくは未定。しばらく伝奇時代劇が続きそうである。
 明日から、ここのタイトルも「伝奇な日記」と名を改めようかな。

レラ=シウ日記(その12)

 0:23 02/06/26   
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ伝」、本日は推敲とか。書き足しとか。ポストローグとか(茶太郎さんの真似)。

 午後三時四十五分頃、完全に手を離れる。本当に完成。涙が出た。
 のち、大急ぎで、サンデーサンへ。「秘神界」打ち合わせ。

 そういえば、今日は、光文社カッパノベルスのW辺氏より電話。
「藤原ヨウコウ先生から『一休』のカバーのラフが届きました。かなりスゴイです」
 と興奮した調子であった。さっそく送って貰い、添付ファイルを見て、じーんとなってしまった。げ、芸術だ。お礼を言わなくては。その前にW辺さん、ありがとう。

 井上氏と電話で話した。電話を切った途端に電話。函館の大叔母が亡くなったとのこと。享年七十七歳であった。合掌。
 その直後、金沢の友人より荷物。中身はビデオ。「ヘブリービキニ」というボリス・カーロフのホラー・コメディとか。「放射能X」とか。「死刑執行人もまた死す」とか。でも、一番嬉しかったのは「グラディエーター」であった。中世モノの資料に買おうか、どうしょうか、迷っていたところだったのて゛滅茶苦茶嬉しかった。渡辺健一郎先生、ありがとう。

 ひどく疲れたので、今日は、みんなに感謝しつつ寝ます。 

レラ=シウ日記(その11)

 0:35 02/06/25
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ伝」、本日、完成。
 明日と明後日の二日かけて原稿の推敲・書き直し・ゲラの校正に入り、28日にソノラマのI井編集長に渡す予定。
 今日まずやったのは、会って打ち合わせる約束だった祥伝社のI野編集長に電話。生憎と留守。暫くしてから向こうから電話をくれた。事情を話すと、
「あ。そういうことなら、ひとつ、思い残すことがないくらい書いてください。良いものを書いてくださいよ。ウチは来週にしましょう」
 ううう…。最近、無礼な編集・世間知らずな編集・ゲラをくれない編集・こっちを無視する編集・てめえ何様な編集などがはびこるなか、流石に若い頃から修羅場で苦労してきたI野さん。有り難くて涙が出てきた。I野さん、面白くて売れる作品を書くから、もう少し待っていてね。
 それから、ずっと執筆。
 昼食前に十枚に達する。
 午後は軽い昼寝。
 のち、友だち何人かから電話。まるで昨日の「日記代わりの随想」を読んだようだった。みんな、大好きだよ。
 そうしながら、ずっと執筆。

 夕方すぎ、新之介と仙頭の納沙布岬の決闘に入った。

 完成が見えてきたのでソノラマのI井編集長に電話。喜んでくれる。
「今回の書き足し分は約三週間で三百枚ですね。朝松さん、昔のペース(『私闘学園』を連載しながら書き下ろししていた頃)に戻ったのでは?」
「いや。なに。この『旋風伝』が書きたかったからですよ。カンラカラ」
 などと豪傑笑いをしてみる。
 本当は結構しんどかった……と、ここでは白状しておこう。
 
 §

 こないだイヌに噛まれた息子が今日は「俺のお菓子が、姉ちゃんに食べられた」と泣いていた。さらに学校で野球のボールが顔面とタ×キ×に当たったという。「俺は不幸だ」と嘆いていた。我が子ながら、情けない。これで中一とは。人類は確実に幼稚に、バカになっているのではないだろうか。
「うっきー」とか言ってる近所の高校生を見て、「韓国勝ったぞ、たりらりらーん」な大学生を見ていると、真剣に地球爆破計画や太陽系破壊作戦に参加したくなってくる。一体、ショッカーやギャラクシーやミステリアンやペダン星人は何をしているのか。

            §

 書き終えたら、きっと泣くだろうと思っていた。
 しかし、泣いたのは、違うシーンだった。
 北海道開拓判官、松本十郎が、濃霧の彼方へ駆けていく新之介に、
「生きろよ、生きつづけろよ、レラ=シウ」
 と呼びかけるところである。書いていて、一瞬、ぼくも明治二年十一月の納沙布岬に立ち会っていた。

 とまれ、ここに「ノーザン・トレイル」改め「旋風(レラ=シウ)伝」は完結いたしました。作者はまた一つ、業が落ちた思いです。
 次は「妖戦十勇士」の完全改稿版に向かいます。
 これからも宜しく応援してください。 

レラ=シウ日記(その10)

 0:01 02/06/24
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ伝」、本日のストーリー展開。
 運上船より降りてきた兵隊の銃撃を逃れて、新之介は犬橇を進めた。そして霧の中、二時間あまり走り続ける。やがて、行く手の大地が途切れた。その先にはオホーツクの海が荒い波を立てている。納沙布岬だ。この国で一番「明日に近い」場所であった。感極まって新之介は大地に跪く。そして、この半年の旅の間に死に別れていった者たちに呼びかけた。
「俺は来たぞ。ここまでやって来た」
 そして、ふと星景十郎の刀を、持ってこようと思った時、背後より銃声が発せられた。八発。橇の犬の数だけの銃声だ。振り返った新之介の前には、三人の手下を従えた仙頭左馬之介の姿があった。銃を取って、仙頭を撃とうとした。だが、スペンサー・カービンは吼えない。根室半島の寒さが小銃の可動部を凍らせていたのだった。ならば、と彼は剣に手を掛けた。仙頭の部下の兵隊2人をまず斬ろうとした。気合もろとも駆け寄った時、賀来がさけんだ。
「そいつらは五稜郭の残党、お前の元戦友だ」
「なにっ…」
 と。そこで、新之介の手が止まった。
 代わって賀来の声が響く。
「三百両首、もらったあ!!」
 ヘンリー小銃が火を噴いた。新之介は眼をつぶった。そして、待った。
 己れの胸を貫く痛みを。
 あるいは、死を──。

 以上、本日書いた分。計二十五枚なり。
 疲れた。けど、本当に先が見えてきたぞ。
 一両日中には完成だ。間違いない。
 十年かけて、一度は、絶対に完結できない。と諦めた作品である。
 多分、完成の瞬間には、泣いてしまうだろう。それくらい思い入れがあるのに、今は、淡々としている。不思議だ。

          §

 完成が近づけば、自然に落ち着かなくなってくる。
 とてもそわそわしてきて、友だちに電話した。いずれも留守。仕方ないから一人で、テレビを見ていた。チクソー。今後、同業者から「頼みがある」とか、「ちょっと聞いてくれ」とか、「お元気ですか」とか電話がきたら、「頼みなんか聞きたくない」「ちょっと聞くのなんていやだ」「ぼくは元気かも知れないが、おまへの友だちなんかじゃない」と断ろう。
 と、これは冗談だが。

         §

 不思議と「間の悪い日」というのは、確かに存在するものである。何処に電話を掛けてもつながらない。訪ねていってたら留守ばかり。本屋に行けば欲しいモノは買われた後。待ち合わせをしたら、すれ違い。仕方なくウチに帰ったら、宅配が来たのに、留守なので帰っていた。…なんてね。
 ゴッホが耳を切ったり、川端康成がお手伝いさんにフラれたり、神経が追い詰められていた人が自殺してしまうのは、きっとそんな日なのだろう。
 こちらは人間が話を聞いてくれないのなら、と、神社へ行ってきた。半年間貯めてきた大量の五円玉をお賽銭箱に入れ(ほとんど流し込み)、「夜の果ての街がもっと売れますように。一休が評判になりますように。レラ=シウが早く完成しますように。ウチのサイトに来る人全てが幸せになりますように」と纏めて願い事をする。なんの手ごたえもなし。「なんでえ。人間どころか、神様にまで降られちまったい」と参道を降りていった。で、鳥居を潜ったところで、何の気なしに、身を返した。すると、なんたる偶然。何時の間にか、拝殿の扉が大きく開かれていたではないか。しかも、ぼくと拝殿の奥の間には誰もいない。神主もいない。(これは願いが通った)と感じ、思わず、深々と頭を下げてしまった。そうか。今までの「空振り」はこれの伏線であったか。と、気分良くウチに帰ってきたのだった。
 あなたにも、幸せのおすそ分けをいたします。
 ほいっ。

レラ=シウ日記(その9)

 0:01 02/06/23
 今日も農耕的に執筆。「秘神界」第一巻の「序文」を十一枚書いた。そのためにラヴクラフトの作品や書簡、ダーク・モジックのHPL評論などを読み返す。昼寝なし。疲れた。考えてみると「真ク・リトル・リトル神話大系」の第二期に「評論編」を二巻も入れるというのは、かなり危険な冒険だった筈である。なぜなら読者が読みたいのは、あくまでも、恐怖度の高い小説であり、評論を受け入れるとしたって、それはリン・カーターの「邪神辞典」「魔道書辞典」のようなモノだったからだ。ところが、ここに収めた二巻はHPL自身の思想・文学的背景・時代がどのように彼を受け入れたか(あるいは受け入れなかったか)。オモシロ読み物として「オカルト・ラヴクラフト」が付いているが、内容はかなり学際的である。それも無理はない。原本はオハイオ大学出版局から出された、れっきとした学術書だったのだ。それを訳してみたら、一巻本にしては厚過ぎたので慌てて二巻にして「オカルト・ラヴクラフト」を付けたのである。
 二期に評論を入れよう、オハイオ大学の本をやろう。と主張したのは宮壁定雄(阿部正記)氏であった。どうせラヴクラフト論集なんて、こんな機会でもなければ二度と日本で出すことは出来ない。ええい、やっちまえ。そんな気持ちだったのである。ぼくも「売れなきゃ責任とりゃ良いだけですから。やっちまいましょう」とヤケクソで賛成した。…この予感は正しかった。『真ク・リトル・リトル神話大系』の中で、評論編だけは、まだ初版のまま在庫が残っているのである。ホラーファンがある作家の背景に興味を持ち、作家を語った論文集を読みたがる時代は、まだ当分来そうに無い。南條氏や風間賢二氏の活躍を待つしかあるまい。(と書いてたら、あの頃──今から二十年前、十九年前のことが思い出されてきた。これらについては、また、いずれ語るとしよう)

           §

 そんな訳で「レラ=シウ」に取り掛かったのは夕方すぎ。それでも八枚書けたから、良しとしよう。
 今日はストーリーの進展はほとんどなし。シカのカムイに別れを告げて、新之介は、沼の北へ進む。朽木が倒れて自然の橋が作られている上を、犬たちと共に渡る。向こうは濃霧。オホーツク海の荒い波音。流木がぶつかる音。ロシアから吹く風。犬たちは怯えている。何かが近づいている。…船の影。だが、それはアイヌの御目見得船のものではない。黒田清隆と五十名の兵を載せた運上船「七重(ななえ)丸」であった。船はじりじりと根室港に入ってくる。

 以上。本日の執筆分。

 さあ、またしても、新之介の危機である。しかも、後方からは、仙頭たちの馬四頭も近づいてくる。ようやく最も書きたいシーンが書けそうだ。明日から二日三日は掛かるだろう。そのため、他の仕事を先に進めておいたのであった。楽しみだね。早く書きたいね。読者の「早く読みたい」という声が聞こえてきたね。これが聞こえてきたら、書いてる作品はきっと成功する。今までのジンクスなのだ。

レラ=シウ日記(その8)

 23:47 02/06/21
 今日も農耕的に執筆。八枚書いて、夕方、高円寺にライブを聞きに行ってきた。
 本日のストーリー進行。
 釧路平野を犬橇で横断した新之介は、シカのカムイの導きで、さらに進んでいく。エゾシカたちの歌。シラカバの原生林が左右に分かれ、犬橇は、走りつづける。厚岸湾を越えて、内陸の困難な道をシカのカムイに先導されて、犬橇は飛ぶように懸けて行く。あとを追う仙頭は鉄の鬼神・硫黄と蒸気の魔物たちの声に従って進む。やがて、両者は、オンネトーの湖まで達していった。ここより納沙布まではあと僅かに二十数キロ。東の果ての岬の対決はいよいよ迫る。

 実は↑の五分の四まで書いたトコロで出かける時間になってしまった。
 あとは、また、明日。土・日でなんとかカタをつけたいものである。
 無理かな。いや、後がつかえている。頑張らなくては。

         §

 朝イチにて藤原ヨウコウ氏よりメールを貰う。「一休虚月行」がとても面白かったと、やや興奮気味のメールだった。のちに電話まで頂いた。面白かったと直に誉められる。これで読んだヒト全員(担当・カミさん・イラストレーター・その奥さん)に「面白い」と誉められた。はっきり言って嬉しい。
(今度は前回以上の手ごたえが期待できるかも)
 と思うと、少し疲れが癒えた。

         §

 一昨日、松殿理央氏と電話で話していて「男の更年期」の話になった。最近の研究によると男にも更年期があり、それは五十代前半から始まるとのこと。しかし、ぼくは三十代後半でも大病したせいで一般より早く来ているのでは、と指摘される。そういえば疲れ易いし、トイレも近い。物忘れも酷い。平気でウソをつく。人前で平気でエッチな話をする。よく他人を苛立たせるような言葉を発する。新しいことに興味が……と言いかけて、見たいビデオ・読んでない本・ほしい資料・書きたい作品・完成しなくてはいけない未完作のことなどが閃いた。
 良かったあ。
 まだ大丈夫みたいだ。
 まだまだ頑張れるぞっと。

レラ=シウ日記(その7)

 23:47 02/06/20
 今日も農耕的に執筆。
 新之介は釧路平野を横断、根室に向かう。途中、邪悪な白いウサギ(イセポ=テレケ)が彼を脅かそうとする。波しぶき・風・雪などがイセポ=テレケの影を帯びて現われる。追跡するのは仙頭・賀来・2人の少年兵。犬橇で逃げる新之介。馬で追う4人。厚岸で橇が崖から落ちそうになる。雪多し。地面は泥炭と凍った雪。橇も、馬も、足場が悪い。タンチョウが飛んでいる。夜にはガスが立ちこめてくる。厳しい天候である。
 という処で十四枚。明日は根室を通過して納沙布に到着する予定。
 とはいえ、道路も無く、釧路・根室間を船で航行していた明治二年を、犬橇と馬でチェイスする描写はしんどい。妻は「さっさと納沙布に行って終わらせなさい。ダラダラ続く小説なんて読みたくない」と言うのだが、陸路が気に掛かるので、とりあえず描いてみているのだ。困った。疲労と焦りはどんどん募ってくる。
 なんとか進めて、納沙布岬の決闘に持っていこう。
 何を書いても、何を言っても、砂のようにこぼれていってしまう感覚に付き纏われている。疲れているのか。 

レラ=シウ日記(その6)

 0:16 02/06/20
 今日も農耕的に執筆。
本日書き進んだストーリー。
 釧路の港番所にある馬小屋で、アイヌの御目見得船の船長(ふなおさ)と遭えた新之介は、函館からこれまでの長く血まみれな道程(トレイル)を語る。その頃、仙頭は五稜郭くずれの少年兵と、賀来邦継を従えて、陸路、釧路に向かっていた。
 夜明け前、桟橋から船に乗ろうとした新之介に、とうとう追いついた仙頭一味の凶弾が放たれた。愛銃スペンサー・カービンで応戦する新之介。シケムとシクプイだけを船に乗せて、彼は叫んだ。
「納沙布で……明日に一番近い場所で待っててくれ」
 シクプイは彼に自分の髪を纏めていた布を渡す。それを己の頭に巻いて、新之介は、反撃に出た。少年兵二人を倒した。十二歳の少年兵はその場より逃げようとして賀来に射殺された。
 犬橇を奪って、新之介は、つむじ風のごとく走り出す。東へ。納沙布へ。日本で最も「明日」に近い場所に向かって。

 志波新之介の傷だらけの轍は赤く血を引きながら、いよいよ終わろうとしている。

 §

 明日から最終章です。
 長い道程(トレイル)でした。
 この十年、わたしの周囲の環境も随分変わりました。
 変わらないのは、今もなお、新之介のトレイルを心待ちにしてくれる人たちが、まだ沢山いてくれることです。有難う。けっして無様な旅の終わりにはさせません。十年待った甲斐があったと、そう言ってもらえるラストを用意しています。

          §

 リハビリから帰って、昼寝の後、午後三時頃から気分が高揚してきました。そして、ラストにいたるいろんなシーンが立て続けに閃いてきました。この高揚、十年振りの完結を目前にしている喜びを誰かに伝えたくてたまりませんでした。それで、多分、一緒に喜んでくれるであろう貴方に話すことにしました。読んでくれて有難う。明日も続きを聞いて下さい。お願いします。
 では、また。

レラ=シウ日記(その5)

 0:12 02/06/17
 今日も農耕的に執筆。
本日書き進んだストーリー。
 根室経由で北方諸島への脱出を目論み、丸木舟で進んだ新之介とシケムとシクプイであったが、舟が転覆しそうになってきた。ようやく接近した白糠(マサルカ)には、仙頭一行を乗せた運上船が先回りして、新之介たちが来るのを今や遅しと待ち伏せていた。浜辺に待ち受ける兵隊に気づいたシクプイは一計を案じ、さらに舟を進ませて釧路に向かう。五時間近い航行。疲労困憊した三人はようやく釧路に辿りついた。だが、浜辺に上がったところで、イセポ=テレケ(邪悪なウサギの姿をした白波の精)に舟を奪われてしまう。舟はそのまま釧路へ。
 シクプイは「ウルップ島まで送って」と北方諸島アイヌに懇願する。しかし、それは「御目見得船」(アイヌの交易帆船)の船長(ふなおさ)の許しがなければならない。新之介はシクプイと共に港の番小屋にむかった。
 その頃、仙頭は白糠まで流れてきた丸太舟を見つける。水夫の「これは釧路方面から来たのだな」という言葉に、ついに立ち上がった。五稜郭くずれの少年兵五名。賞金稼ぎの賀来邦継を従えて、八頭立ての犬橇を仕立てる。そして、午後九時四十分、白糠をたった。
 犬橇は凄まじい勢いで釧路に向かう。
 釧路の新之介とシクプイは、そうとも知らずに、番小屋の前で船長を待ち続けるのであった。
 
 ──ふう。
 あと少しだ。
 これで、全てのキャラクターが根室に集まれば、予定のクライマックス、黒田清隆と松本十郎を立会いにした、志波新之介V.S.仙頭左馬之介の「納沙布岬の決闘」が実現する。
 およそ、のこり四十枚というところか。
 
 考えてみれば、シリーズ中断から、ちょうど十年目の完結である。
「魔術戦士」も完結した。「妖戦十勇士」も改稿決定版が年末に出る。
 かつて諸般の事情で中断した作品は一つ、また一つと、このように片付いているのである。こんなに律儀な作家がほかにいるだろうか。中絶作品のことでかつて、わたしのことをアレコレ言った人間(一部ひとでなしアリ)は、全員反省してもらいたい。反省の証として、「夜の果ての街」文庫版を二セット買うべきである。

 冗談はともかく、今年はなんと、我が初編集本「真ク・リトル・リトル神話大系」一巻・二巻の発行から数えて、二十年目。
 なかなか節目の年であったのだ。

 そんな年に、「秘神界」全二巻が出る。
「ノーザン・トレイル」あらため「旋風(レラ=シウ)伝」も出る。
「十勇士」も出る。
 これもひとえに大病後七年間、コツコツと、地道に部数を伸ばし各社で実績を積んできたお陰だろう。
 普通、とても、こんなふうに何作も完結できるものじゃない。
 ここまで来れたのも、(月並みだけど大切なことだが)読者の皆さんのご支持あればこそ、である。

 間もなく、志波新之介の物語は、完結します。
 完結したら、その時は、ソノラマの井編集長をはじめ、雑誌連載時に担当してくれたBLACK君(現・白夜書房)や、りょんさんと共に──出来たら山田章博さんにもいて欲しいけど無理かな──静かに「レラ=シウの壮行会」をしたいと思います。
 最後まで、頑張るぞ。

レラ=シウ日記(その4)

 0:44 02/06/14
 今日も農耕的に執筆。残りは(予定枚数よりの逆算)二十六枚である。
 とうとう新之介はシクプイと結ばれ、シケムと共に、板つづれ舟で十勝川から太平洋にでる。そのまま、白糠まで進み、北方アイヌと合流しようと企んだ。しかし、時おそく白糠には、すでに明治政府の兵の手が伸びていた。やむなく水の漏れ始めた舟を漕いで釧路に向かう三人。だが、釧路には、かつて新之介が五稜郭で共に戦った少年兵を手勢と使う、仙頭左馬之介と、賀来那継が待ち受けていた。
 じつは、上記のあらすじの三分の二までしか行っていない。
 この後に、かつての仲間との戦い、賀来との戦い、そしてクライマックスの黒田清隆立会いのもとでの、仙頭との決闘まで。さらに、エピローグまで、書かなければならない。
 二十六枚で仕上げるのは、キッパリ諦めた。あとは約束の日までに、完成させることに、全神経を傾注したい。十年振りの完結、ふふ、伝奇ホラー作家の意地を見せてやろうじゃないか。

            §

 今日、長男が、「痛えよお」と言いつつ帰ってきた。どうしたのか、と尋ねれば、学校の帰りに犬に噛まれたという。それも、話を良く聞いてみれば、ミニダックスフントだというのだ。
「そんなの、カバンをぶつけるか、蹴っ飛ばせばよかったのに」と、妻と姉が言えば、
「オレがそんなことしたら、犬が死んじまうじゃないか」
 と息子は答えた。
 うーむ。ハトの首をちょん切ったり、子猫や子犬の、耳や足を切り取ったりするガキが多いというのに、驚くべき心掛けではないか。(本当に、これが編集者を苛めている作家の息子であろうか)と思ってしまった。なんていい奴なんだろう。病院に行かせ、破傷風のワクチンを打ってもらい、消毒してもらった。そのあいだ、ぼくは、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
 願わくば、こいつが、ずっとこの優しさを持ち続けられますように。そして、いつまでも、この社会がこんな優しさを持つ男の子を大事な宝だと認めていますように。

            §

 「ノーザン・トレイル」改め「旋風(レラ=シウ)伝」は、こんな気持ちのうちに大団円に向かっている。 

レラ=シウ日記(その3)

 0:24 02/06/12
 今日も農耕的に執筆。十五枚(書き直し含む)進んだ。残りは五十五枚くらいか。新之助と、シクプイの結ばれるシーンに差し掛かったが、上手く書けずに何度も書き直す。わたしは殺し合いや憎み合いは楽に書けるのだが、愛し合うシーンは昔から苦手だった。これも愛を知らなくて育った所為なのだろう。(なんちゃって。ウソ。実は照れくさいからです)
 とりあえず、ソノラマのI井編集長には、20日頃に完成原稿を渡すと伝えておいた。向こうからは、今まで渡した分がゲラになったので、12日に着くよう送ったとのこと。いよいよ、「旋風(レラ=シウ)」の最期の戦いが迫ってきた。
 十年越しの戦いだ。
 自分に決着をつけるため、最後の最後まで息を抜かずに戦い続けなければ。
 
 午前中は快調だったが、昼食前後から、気持ちが悪くなる。手足の緊張。むかつき。発作の前兆に似た感覚。慌てて電気を消して寝た。悪夢。ナイフで人を刺したり切ったりする夢。約三時間の睡眠。目覚めたら気分は治っていた。

 外に出たら、雲が、ビルの屋上すれすれに流れていた。蒸し暑い。町を歩く人たちもイライラしているふう。コーヒーを買い、すぐに帰る。
 
 夕方から執筆続ける。
 農耕的に。
 
 本日の嬉しかったこと。
 東京創元社から電話。「秘神界」に頼もしい助っ人現る。(海外より)
 佐野史郎氏の作品・決定版を読む。傑作。
 朝日ソノラマのI井さんと電話で打ち合わせ。楽しい。
 祥伝社のI野さんより電話。打ち合わせ。ためになるアドバイスもらう。
 感謝。
  
 ずっと農耕的に仕事を続ける。

レラ=シウ日記(その2)

 0:02 02/06/03
 昨日(六月一日)は書き直しを含めて三十枚。本日は十二枚書き進んだ。残りは百三十枚。〆切(建前)は六月十二日。あと十日である。
 驚くべきことに、今回、執筆にあたってまったく無理をしていない。いつものように朝七時三十分前後に起床。昼は十二時三十分頃。午後一時〜二時の間に昼寝を始め、二時間ほどで目を覚ます。そして執筆。午後十時近くまで書き進み、夕食、また書き進む。そして午前一時までに寝る。──この繰り返しである。それでも、あと百三十枚で完成だ。
 ひょっとすると、ぼくはこの作品が、本当は書きたくて書きたくてたまらなかったのかもしれない。しかし、無理矢理に中断させられて、何もかも嫌になっていたのだろう。正直、ソノラマから、中断を命じられた時、ぼくは怒りにまかせて、第三部にいたるまでの創作メモを全て破棄してしまった。
 だから、今回は、構想から全て一新しての執筆である。
 テーマは「神話の終焉」。
 明治二年、五稜郭の陥落と同時に、「ますらお」の神話は終わった。さらに蝦夷の奥地に鉄路が延びるにつれ、アイヌの神話が死んでいった。二つの「神話」の終焉。ファンタジーの死。自然と共存する、ひとつのユートピアの死。

              §

 ぼくの実家は藻岩山を裏手から見上げる位置にある。藻岩山は世界的に同緯度にある山の中で最も植物の種類が多い。自然の恵みそのもののような山であった。それゆえアイヌはふるくからこの山を神聖視してきたのである。
 ぼくは子どもの時から、藻岩山を彩る草花の四季の移り変わりを身近なものとして暮らしてきた。
 幼い頃にはエゾウサギやエゾリスはもちろん、エゾキツネやヒグマの気配さえ山にはあった。家で寝る時にはフクロウの声が間近に聞こえたし、昼はトンビやタカの影が──時にはエゾワシさえ?──見えたものである。
 だが、一九八五年に、久しぶりに訪れた時、藻岩山の裏は目を覆いたくなるような変貌を遂げていた。原生林にはアスファルト道が走り、原色の屋根を持った建売住宅が、奇怪なキノコのように山の斜面にたかっていたのである。
「なんてこった」
 と呟いて、藻岩山の変貌を嘆いても、両親は話にも乗ってこなかった。友人もタクシーの運転手もしかり。札幌人にとっては、藻岩山の自然環境などより森林伐採や道路工事や住宅建築による経済効果のほうが重要だったのである。
「こんなことしてたら、きっと、しっぺ返しを食らうぞ」
 そんなぼくの言葉に賛成してくれたのは妻だけだった。
「凶獣幻野」のイメージはこの時に生まれた。
 それはともかく、「ノーザン・トレイル」を連載しているあいだ、ぼくのアタマにあったのは、切り崩され、テカテカの合成建材で彩られた藻岩山の無残な姿であった。
 人は自然に囲まれている時には、そのぬくもりもありがたみも自覚し得ないのだろうか。
 当時ぼくは、そんな怒りに取りつかれて書いていた。
 怒りは「カムイ・ウタラ(神々)の砦」で最高潮に達した。
 ちなみにこの物語の舞台に選んだ場所は実在の地である。
 アイヌの古い聖地であった場所だった。
 だった、と過去形で記したのは他でもない。現在は存在しないからだ。
 広島選出の警察官僚上がりの政治家が建設大臣だった時に、ダムに沈めてしまったのである。
 完成したダムが実は何の役にも立っていないことを、半年前の東京新聞で知って、ぼくは思った。
(いくらアイヌのカムイが寛大で、祟りなんて為さないとは言っても、これでは《天》が許すまい)
 今、ぼくは、怒りとは遠い感情で「ノーザン・トレイル」の完結に向かっている。その感情とは、「祈り」。いつまでも、ぼくたちが、「自由」を持ち続けられ、「希望」を持ち続けられるよう──。
 そんな「祈り」である。 

レラ=シウ日記(第一回)

 23:49 02/05/28
 この一週間、「一休虚月行」を仕上げた反動で、ボーッとしていたが、これではいけない。このままでは人間が堕落すると、一念発起、一週間のうちに書いてた断片を破棄して、最初から書き直す。とりあえず十一枚。ただし、このうち三分の一は明日また書き直すことになるだろう。「ノーザン・トレイル」(旧題)はそれくらい思い入れも怒りも強いのだ。
 思い入れは、ぼくのマカロニ・ウェスタンに対する思い入れ。故郷に対する思い入れ。アイヌ系だった親友への思い入れ。そして、故国仙台を追われて僻遠の大地たる蝦夷に流れてきた、我が先祖たちへの思い入れである。
 僕は四代目の道産子である。四代前の先祖は戊辰戦争に負けて、領地を失い、主人たる片倉の殿様に付いて北海道までやって来た。仙台よりの武士入植団が開拓した土地は、現在、伊達町という名を残している。
 ソノラマの「獅子王」から執筆依頼を受けた時、ぼくは、伊達町の高校生の少年が祖父から昔語りを聞く、という構成を考えていた。その話が「魔の犬を倒した五稜郭くずれの少年兵」だったというものである。聞き終わった主人公は曽祖父のアルバムから古ぼけた写真を見つけるのだ。それがライフルを構えた少年兵だった…というふうにしようと考えていた。
 最初はイラストを誰が描いてくれるかさえ決まってはいなかった。
 山田章博氏に決まった、と聞いた時には、(菊地先生の『ウェスタン武芸帖』と間違えられないか)とそればかりを気にしていた。ぼくはなんて小心な男だろう。
 掲載された絵を見て、全ては杞憂であった、と自己批判した。
 そして、志波新之介というキャラが大好きになった。
 主人公の名は「まん真中」を意味する(彼は官軍のど真ん中にいるからだ)アイヌ語〈シンノシケ〉から取った。「南部藩の出身だから、新之介という名も訛っているわよね」と妻が笑ったものである。
 苗字の「志波」は南部の古い姓に、「波を志す」──彼の足掻きとか希望とか願いとかの意味をこめた。
 たしか、井上雅彦氏が初対面の時(富士見書房のパーティーで)、「シンドバッドのもじりですか」と聞いてきたことを覚えている。なるほど蝦夷を異国に見立ててのシンドバッドか。それも面白い。
                   
               §

 翌年、「獅子王」のホラー特集で、新之介は復活した。今度は蝦夷地のより深い所に移って、悪徳商人や水妖と出会う話だった。ホラーというより伝奇色・ファンタジー色がずっと増していった。
 雑誌の人気が高かったので、連載が決まった。シリーズ・タイトルを、という編集からの依頼に、ぼくは迷うことなく「ノーザン・トレイル」と答えた。
 北に果てしなく続く新之介の足跡(トレイル)のイメージが出来ていたからであった。そして、不定期な集中連載が始まった。書き進めるにつれて、作品はファンタジーの色が濃くなっていった。だが、この作品をファンタジーだと喝破した人物は妻だけである。その外にはただの一人もいなかった。ファンタジーといえば、カタカナ名前のキャラが中世風俗の中でゲームもどきの冒険をするもの。そんな固定観念に誰もが縛られていた時代であった。
 物語の進行につれて人気はいよいよ高まった。
「神々の砦」のエピソードに至って、読者の人気投票は、ついに夢枕獏氏の「キマイラ」の次まで迫ったのだった。
 ノベルス版の第一巻もすこぶる好調。
 「私闘学園」も絶好調と、ぼくは得意の絶頂にいた。

 しかし、好事魔多し、の諺通り──。
「ノーザン・トレイル」はこの直後、「魔術戦士」以上に過酷な運命を辿ることとなる。
 すなわち、バブル崩壊による出版社の必要以上の引き締め、版元の希望部数に満たない作家のリストラ、それに伴うシリーズの強制終了。
 ……見事にこれに巻き込まれたのだが、世間はぼくが我儘を言って「ノーザン・トレイル」を放り出したと勘違いしたらしい。的外れな非難がぼくに浴びせられた。
 と。──これ以上は書きたくない。
 一気に怒りが爆発して、あらぬことを記してしまいそうだからである。

 なにはともあれ、ぼくは「ノーザン・トレイル」の完結に向けて、秒読みに入った。最終章は百八十枚の予定だ。
 5月28日現在、残りは、百六十九枚。

 本日より不定期的ではあるが、志波新之介とぼくのトレイルを書き記していくことにしよう。
 ただ、怒りのためでなく、読者のみなさんのために。新之介を愛してくれるあなたのために。

わたしの足跡

 0:11 02/05/27
 昨日(5・25)のことだ。
 いつもの「ちゃんこ屋」で外薗昌也氏と話していて気がついたことがある。
 いや、そんなに大したことではない。ただ、自分の歩いた跡には不思議な偶然が転がっていたような…いなかったような…そんなハナシである。
 1993年頃、わたしは急性膵炎で××大の付属病院に運ばれたのだが、ここのICUというのが、先日、運ばれたマル暴の組長が殺し屋に射殺された場所であった。次に運ばれた目白の病院にはしばらく入院していたが、ここには後に(同じ階の隣の病室に)AV女優の黒木香が入院。さらに非常階段から自殺未遂をすることになる。二つとも自分の良く知っていた場所で、しかも「死」の匂う話題だっただけに、妙な気分がする。
 「死」の匂いで思い出すのは、高校時代の古典の教師カハタ先生のことである。カハタ先生は60近いおばあさん先生で、高校3年の時に教わった。ある時、何かの話から授業が脱線して、「オバケ」の話になった。ある夜のこと(と言っても話してくれた時からすれば一週間ほど前のことである)、カハタ先生は夜、目が覚めた。トイレに行こうと、アパートの自室を出て廊下に出る。何かの気配がした。気にかけず、用をたして、廊下にでたら、人影があった。黒いモノがアパートの玄関あたりに立っていた。先生は、(これは『お迎え』だ)と直感した。そして、小さな声で言ったという。「わたしは行きませんからね。何処かへお行きなさい」影がうなずいたような気がした。カハタ先生は部屋に戻って布団に入った。隣から「どうした」とご主人が言った。見れば、布団に潜り込み、こちらに背を向けていた。先生は「お迎えが来たけど追い払ったわ」と答えた。ご主人は答えない。どうやら眠ったらしい、と思い、自分も眠った。
 次の朝、目覚めるや否や、先生は小さく叫んだ。
「そんなこと、あり得ないわ」
 さして、飛び起きると、隣を見てみた。ご主人の布団はおろか、その姿も消えていた。
 当たり前である。
 カハタ先生のご主人は、もう十年も前に亡くなっていたからだ。
 話はこれだけでは終わらない。
 卒業した翌年、わたしは、札幌の町で高校の同級生に会った。そして、彼から聞いたのだ。
「カハタ先生さ、俺たちが卒業した年の冬に亡くなったって」
「どうして」
「学校の帰りにバスの乗降ドアにコートの裾を挟まれて、そのまま何十メートルか引きずられたそうだよ。バスが止まった時には、もう亡くなっていたそうだ」
(お迎えに捕まったのか)と思うと同時に、背中に冷たいものが走った。
 
 「死」の匂いとは少し離れるが、「お試し」は一部で続いていた。
 飯野文彦氏は「秘神界」の作品を書いてるうちに、背中に、脂肪の塊が出来て、切開して摘出したという。
 平山夢明氏は、25日に夕方、電話で語ってくれた。
「結局、パソコンは駄目になりましたよ。ウイルス・スキャンをいくらやっても28パーセントで止まっちまうんです。買い換えるっきゃないですね」
 お二人とも「お試し」が終わったから、これからはツキにツキまくるだろう。

ある陰謀論者の死

 0:13 02/05/23
 ウィリアム・クーパーが死んだ。
 2001年11月5日のことである。場所はアリゾナ州イーガー。死因は射殺。撃ったのはアリゾナ州アパッチ郡の保安官事務所と、イーガー警察署の警官17名であった。
 クーパーといったところで貴方は知らないだろう。
 それが当然である。普通の一般市民には何の関わりもない世界で生きていた人物だ。
 しかし「X-ファイル」といえば、ご存知だろう。クーパーは、その「X-ファイル」の世界の住人だった。ただし、テレビシリーズのスタッフでもなければキャストでもない。当然、原作者などでもない。しかし、彼はまごうかたなく「X-ファイル」の世界の住人だった。──UFОと国家的謀略の関連を研究し、その実在を世界中に訴え続けていたのである。
 そう。彼こそは、1980年代後半から1990年代前半に、全世界を驚愕させたかの「MJ-12」問題を白日のもとに晒した張本人だった。つまり、宇宙人とアメリカ政府の間で密約がなされている、という奇怪きわまりない話を「暴露」した人物なのである。
 先日届いた「UFO information」(日本宇宙現象研究会・発行)2002年第65号収載の記事「黙示録のMJ-12 ウィリアム・クーパーの死」(磯辺剛喜)より要約する。
 彼は墜落したUFОが米国に捕獲され、その秘密を管理するための秘密組織「マジェスティック-12」が存在し、陰でそれらを操るのはロックフェラーだと主張した。
 まさしくこれこそ「X-ファイル」の裏設定そのものである。
 「X-ファイル」のスタッフはクーパーの主張にテレビ受けするような派手なデコレーションを施してドラマに仕立てたのである。
 一方、クーパーは、アメリカの極右組織(民間軍事組織)ミリシアのスポークスマンとなって、「新世界秩序=ニュー・ワールド・オーダー」の確立を目論む「影の政府」の存在を糾弾、UFОもこの「影の政府」の陰謀だと主張していた。
 と、こう書くと、クーパーの死自体、なにやら陰謀の匂いがしてくるように感じるかもしれない。
 しかし、事実はそんな神秘的なものではなかった。
 連邦政府に異常な敵愾心を燃やすクーパーは1998年から納税を拒否、さらに連邦追徴金を滞納し、地方裁判所への出廷を拒否した。
 アメリカではこうした行為は逮捕の対象となる。かくして17名の警官がクーパーの逮捕に向かった。対してクーパーは、これに拳銃で応戦。保安官補が射殺されるに及んで、クーパーを射殺した。
 脱税・裁判所への出廷拒否・追徴金の滞納……。
 なんというセコさだろう。なんという矮小な最期なのだろう。
 これが日本のオカルト雑誌を震撼させ、何冊もの新書UFО本を出版させ、陰謀書を氾濫させ、テレビドラマシリーズさえ生んだ男の最期だったのだ。
 クーパーの死の無意味さは、陰謀論の無意味さである。
 そして彼のブキミさは、その死さえ、そのナンセンスな死さえ「思い込み」によってはキリストの受難となってしまうことであろう。

 陰謀論者も、また死す。
 たが、陰謀論は死なない。
 おそらく、永久に。

農耕的日常

23:52 02/05/20
 本日午後四時過ぎ、「一休虚月行」、完成。大体、予定よりも三週間遅れ。枚数は百三十枚ほどオーバーしてしまった。内容は室町ファンタジーのアラビアンナイト風コスミック・ホラー添え。五代将軍義量(よしかず)が「存在」の消滅する、という妖術をかけられたため、一休宗純は、四代将軍義持のたっての頼みで義量を若狭の国は小浜へ送り届けることになる。同行者はお馴染み蜷川親右衛門その他の公儀目付人・少年印地使い野浦伊亜丸・ペルシア人のシェ・『唐人座』の男女。追うのは、南朝復活に燃える北畠伊勢守と、その手下の刺客ツレ衆、さらに北畠に力を貸す謎の妖術師『悪巣』(さかしまという意味のペルシア語)。また、将軍家の危機に乗じて暗躍する立川流の怪僧と巫女。かくして京から一行は鯖街道を下り、小浜に向かう。
 以上で六百三十枚。
 スピーディーな展開と、手に汗握るアクション、「そんな馬鹿な」という時代考証。特に、クライマックスの恐怖シーンには自信がある。
 ただひとつの心配は、「応永十五年のあのこと」をネタにした伝奇時代小説がかつて有ったかどうか。
 「このネタは山田風太郎先生もご存知あるまい」
 というモノなので、過去にやった人がいたら、自信も半減してしまうだろう。そうでなくても完成時には「やった。オレは天才だ」という思いだったのが、時間が経つにつれ、「あああ…オレはもうお終いだ。こんなモノしか書けないのか」に変わっていくのだ。
 
 今回、誇れるのは、実に「農耕的」に執筆し続けたことであろう。
 基本的に一日7〜12枚。それ以上は書かない。必ず昼寝をする。この二点をおよそ三ヶ月実行した。最後は流石に、25枚とか、35枚とか書いてしまった日もあったが、「農耕的」かつ「着実」な執筆ペースは守り通せた。
 今後もずっとこの「農耕」性を大切にしよう。
 パーッと書いてパーッと出してパーッと儲ける…なんて真似はもう出来る歳でも体でも無くなっているのだから。

新展開に向けて

 0:12 02/05/14
 昨日・今日となんだか目まぐるしいほど忙しかった。
 二女は修学旅行から帰ってくるし、長男は西武球場でオリックスの応援団にスカウトされるし、こっちはそんな話を聞きながら「一休虚月行」を書き、「夜の果ての街」のゲラをチェックして、資料まで読んでいた。(『足利義満』『東山文化』『毒草を食べてみた』『蘇る秘宝』など)
 おまけに13日は内装屋がトイレの壁の修理に来た。しばらくトイレが使えないので、サンデーサンへ避難する。コーヒー飲みながらゲラのチェック。なんとかゲラが終わり、やれやれとトイレに行ったら、用を足しているところに妻よりケータイ連絡。「内装、終わったよ」安心してウチに帰る。午後8時まで仕事。それから1時間弱、仮眠。夕食。仕事。
 今度の一休は、室町時代の国際性がテーマである。
 だから、登場人物も、日本人は当たり前として、明の商人、朝鮮の高僧、ペルシャの刺客、モロッコ人の魔術師、それから日本・ペルシャ混血の政商などが揃っている。しかも、これ、基本的に少しもウソやでっち上げがないのだ。二年前から暖めていたアイデアを一気に書いたもので、去年のテロ事件に便乗したインチキ・イスラムものとは一線を画しているのである。
 すでに予定枚数も約束の〆切も、ドンッとオーバーしてしまったが、なに、構うものか。こちとら、どうせ、大して長生きできない身だ。今のうちに悔いのない作品を一作でも多く残してやる。そのためには多少、担当には泣いてもらおう。
 良い作品のためには犠牲が憑き物もとい付き物なのである。
 明日は光文社の担当二人(ひょっとすると三名)と会って打ち合わせの予定。これで無事に、6月は文庫版「夜の果ての街」が、秋にはノベルスで「一休虚月行」が出る。
 今週、「虚月」が完成し次第、「ノーザン・トレイル」改題「旋風伝」に取り掛かる。去年すでに大部分書いてるので、残りは180枚以下。完結したら、全二千枚近い超大作になるだろう。……本当に出るのだろうか。ソノラマ、頑張ってくれっ。I井編集長、元気でいておくれよ。
 しかも、それが終わり次第、今度はS社のノベルスに入るのだった。
 えええーい、こうなったら、わたしは誰の挑戦でも受けよう。
 ラッシャー木村は打たれ強いっ!!!

秘神の夜に…

 23:28 02/05/03
 クトゥルーの神々は、作家も編集者も版元も選ぶ。これは間違いのない事実である。
 そして、クトゥルー神話に挑戦した者は、きっと一度は「災難」に遭う。これも紛れもない事実である。
 さらにこの「災難」を乗り切った者には必ず「大幸運」が訪れる。
 こうした現象は、神道や民間信仰の世界では、「お試し」と呼ばれるものである。
 わたしが国書で『真ク・リトル・リトル神話大系』を編集した時は骨折した。中野に原稿をもらいに行った時だ。当時、フリーライターだった松村光生氏(当時は三生)からブロックの「妖蛆の秘密」の原稿をもらい、一緒に酒を飲んだ。そして、駅の階段を降りるところで、踏み外してしまったのである。酔っているので大したことはないと思った。ところが、翌日、痛くて動けなかった。接骨院で診てもらったら、右足小指の複雑骨折だった。
 全治三ヶ月だった。
 後になって、「クトゥルー・オペラ」の風見潤氏も、「魔界水滸伝」の栗本薫氏も、原因不明の熱で苦しんだ、と聞いてゾッとした。
 しかし、熱が引いた後のお二方の活躍はよく知る通りである。
 わたしも骨折が全治して本が発売になった後は、ツキにツキまくった。

               §

 前回のクトゥルー・アンソロジー『秘神』でも、別の意味で骨が折れた。
 だが、「お試し」を乗り越えたら、「幸い」が待っていた。突然、角川春樹氏から連絡があり、「『秘神』を見た。君のしていることを高く評価する」と言ってきたのである。
 かくして、わたしは、完結を諦めていた『魔術戦士』を完結させることが出来たのであった。

               §

 今回はさしたる「お試し」はないだろう、と高をくくっていた。
 しかし、「お試し」は、次々とわたしと担当編集者を襲ったのであった。
 絶対にお願いしたかった作家がつかまらない、イラストを依頼した漫画家に断られる、そんなのは序の口であった。二人は公私ともに打ちのめされ、一時は再起不能にまで陥った。わたし個人のレベルでは、例えば、我が家のトイレの壁紙が天井から剥がれだした。札幌の母のペースメーカーの調子が急に悪くなってきた。忘年会の席上で発作に襲われた。カギを掛けてマンションの自転車置き場に駐輪していた娘の自転車が盗まれた。(これはカギのかかったまま、池袋で発見されるという不思議な現象がオマケとなった)無言電話が続いてケータイが原因不明の故障を起こした。
 それでも、原稿が入り始めて、もう大丈夫、とわたしたちは安堵した。
 ところが「お試し」は続いていたのだ。
 平山夢明氏のパソコンが突然動かなくなった。さてはウイルスかとウイルススキャンしてみると、一日掛かり、しかも終わったかと調べたら、全然働いていない、そんなことが何度も続いた。彼は語っている。「こんなにヘンな現象は『超怖い話』以来ですよ」と。
 一方、既に「お試し」の済んでいる人には、信じられない「幸運」がやってきた。例えば飯野文彦氏である。彼は前回は体調の不調に悩んだが、今回は、ほしい資料が「向こうからやって来る」という現象を何度となく体験した。極めつけは、作品の舞台となった1982年(奇しくも『真ク・リトル・リトル』の出た年である)の大火事の資料を探していた時である。なんと、その大火の「検証番組」がNHKで特番として放映されたのである。
 確認したのはこの二人だけである。
 実は恐ろしくて、確認できなかったのだ。
 それでも勇気を奮って、福岡の友成純一氏にお電話した。しかし、電話に出られたのは氏の母上であった。母上はこう言われたのだ。
 「ずっとポリネシアに、取材に行ってるんですが。…連休前には帰ってくる筈だったのですが。なんですか、海底におかしな物を見つけたとかで。どこかの大学の先生と、向こうの政府に足止めされて、帰れないらしいんですよ」

 ──わたしは、友成氏が単に珍しいサンゴ礁を発見して、現地の人たちに足止めを食っているのだ、と信じたい。真相を知ってしまえば、脱力するようなつまらない事情なのだと思いたいのだ。
 何故かって?
 自分の友人からクトゥルー神話の主人公など、出したくはないからである。 まして自分が神話作品の脇役になるなんて願い下げだからだ。
 想像してくれたまえ。
 ある日、ポリネシアから国際電話が入って、親友がロボットみたいな虚ろな声で、こんなふうに呼びかけてきたら、どんな気分がするかを。

「こっちにおいでよ。この島は素晴らしいところだぜ。海はいつだって美しくて、海底の遥か底まで見えるんだ。あのキレイな神殿跡を君にも見せてあげたいよ。夜になったら、星が降るようでさ。遠い世界の神々とも交信できそうな気がしてくる。ぼくは『霊交』という言葉がこの歳になってやっと理解できたなあ」

 そして、友成氏が話す間中、甲高くて金属的な声が妙なノイズと共にペチャクチャと聞こえていたとしたら、どんなに戦慄してしまうかを。
 そんな目にあっても、なお、あなたはクトゥルー神話のファンでいられるであろうか? 

ほひほひ日記

 0:44 02/04/19
 午前七時三十分起床。朝食。子どもを送り出した後、原稿のコピー。コーヒー。後に大急ぎで、サンデーサンへ。光文社のW辺氏にコピーを渡す。打ち合わせ。「一休」シリーズの発売日等いろいろ。
 帰宅後、昼食。
 昼寝。死んだ父が五千円くれる夢を見た。変なの。
 午後四時四十分に眼が覚めた。
 コーヒーを飲んで机に向かうが意気が上がらない。ぼんやりと資料を見つつ一、二枚書く。
 夕方、光文社のM川氏より電話。異形に書いた「荒墟(あれつか)」のゲラが出てきたとのこと。なるほど、これの予感がしていたから、原稿が進まなかったのか。と、納得する。バイク便でゲラが届く。
 午後七時二十分から午後十時までかけて校正・書き直しを終わらせる。
 今日は、もう寝よう。

いま書いてること・書きたいこと

 23:57 02/04/17  
「一休虚月行」はついに290枚に達した。今日は、午後四時から六時まで、某京某元社の某原氏と打ち合わせ。帰宅後、アイスクリームを食べながら、午後十時まで頑張った。四時間で10枚。良い調子である。まったく、抗痙攣剤を服用している半病人とは思えない。健康だった時より調子が良いくらいだ。
 今度の一休は、五代将軍義量を、若狭まで送る旅である。将軍は、ある恐ろしい病気に冒されている。そして病気を平癒するため、朝鮮の高僧が持ってきた「大般若経」が必要なのである。しかし、そうはさせじと、二種の敵が襲い来る。武術と妖術と。守る一休に同道するのは蜷川親右衛門、謎の少年剣士、目付人たち、そして『唐人座』の一行である。
 昨年思いつき、一年間暖めていたアイデアだ。最後には、どんな伝奇ファンも「あっ」と驚く、かつてないオチを用意している。
 風呂に入ってたら、急に思いついて、書き直した。トイレでも、散歩の途中でも、突然アイデアがやってくる。それで慌てて帰宅して、前に書いてたところを書き直す。まるでお腹を下した人のようで、誠に落ち着かない。が、しかし、心の底から楽しい。
(次はどんな手で読者をビックリさせ、ハラハラさせ、楽しませてやろうか)
 そればかり考えている。

 昨日はフェリーニの「道」を観た。
 実は初めて最初から最後まで通して観たのだ。ブック・オフで何日か前にビデオを格安で見つけ、
(今を逃したら俺は一生この映画を見ないだろう)
 と、そんな気がしたせいである。
 良かった。改めて自分がイタリア映画が好きなことを自覚した。今までは「鉄道員」がベストだったが、「道」に替わった。ジュリエッタ・マシーナが良い。小学生の頃にマカロニ・ウェスタン・ブームがあったせいか、ぼくらが高校の頃まで、よくイタリア映画は劇場にかかっていたのだが、気がつけばスパゲッティ・ホラーと残酷ポルノだけになり、それもいつしか見られなくなっていた。もっとイタリアの普通の映画、ネオ・リアリズモに立脚した、庶民の日常をテーマにした映画が見たい。

 一休の外伝が書きたい。
 タイトルは決まっている「一休外伝/夷(えびす)」というのである。舞台は風雲急を告げる房総にはじまる。六代将軍足利義教は関東制圧のため、五万の軍勢を鎌倉に投入。鎌倉公方とその子二人は惨殺された。しかし、鎌倉公方には今一人の子があった。南総の土豪の娘との間に生まれた庶子・三郎丸である。総州の支配権を餌に、この母子を裏切った何某によって、母は斬首。三郎丸も竹に両足縛り付けられ股先に殺される。だが、処刑直前に三郎丸は関東土着の神に「もし復讐できるなら、この魂を汝に捧げる」と誓う。処刑。そして、彼の死体は海に捨てられる。…やがて、紀の国の浜に一人の青年が流れ着く。その名は「夷三郎」。海よりやって来た破壊神であった。…というもの。このストーリーに四十代の一休が絡む。また、足利義教の忌まわしい秘密が絡む。三人の人物が運命の悪意に操られて、「業」の曼荼羅を描くのだ。
 ただし、書くなら二千枚は必要だろう。
 目下のぼくには、それをやる余裕がない。
 その前に書かなければならない物語が多すぎるからである。
 
 まずは健康を保つようにしなければね。

柁金(だごん)亭日乗

 0:38 02/04/16
 今日は朝7時30分に起床。朝食。子どもたちを見送ったのち、コーヒーをのんでいたら、金沢の島野拓氏から荷物が届けられた。ビデオが3本。「事件記者コルチャック」が二本と、「邪神伝説 デビルゾンビ」なるゲテモノ。「コルチャック」は、「凍結細胞から生まれた北極原人・地獄をさまよう悪霊ラクシャサ」の巻と「闇に牙をむく女吸血鬼・永遠の宝石を創る魔術師」の巻。このうち、菊地秀行氏から頂いたテープと神野オキナ君からのテープに入ってないエピソードが三本もあって、嬉しかった。どうやら「Xファイル」ブームの頃に便乗して出されたものらしいが、テレビ放映時のタイトルの、まあ酷いことヒドイこと。昔、ルーシー・ショーで、ルーシーがホラー映画を見に行って悪夢に魘されるというエピソードがあったが、その、彼女の見た映画のタイトルそっくりではないか。ちなみに、ギャグとして言及されてた映画のタイトルは「フィラデルフィアを食べた茄子の化け物」!!?? であった。
 昼食。午後の資料読み。昼寝。散歩がてらブックオフへ行く。「武士の棟梁の条件」100円。どうでもいいけど、ブックオフでいちゃいちゃするのは、とても見苦しいと思う。いや、そういうカップルがいたのだが。……そういえば、わたしは本屋の海外文学とか詩集とか幻想小説なんかが置いてる棚の前で、女を傍らに立たせて、「塚本がネ、セリーヌがネ、タルホがネ」とか知ったようなことぬかしてる馬鹿野郎が大嫌いだった。塚本邦雄やセリーヌや稲垣足穂にこっそり「あんたのことを呼び捨てにしている、てんで分かってない知ったかぶりのバカがいますよ」と電話してやりたくなったのも一度や二度ではない。残念ながら彼らの電話番号を知らなかったのでやらなかっただけの話で、機会があれば、四十七人くらい集めて、ひとりのバカを糾弾したいものである。……いかん。いかん。また本屋で妄想にひたっていた。慌ててコーヒーを買って帰ってくる。
 夕方。仕事。ただし、全然辛くない。友達の書いた傑作ホラーを素読みするのが仕事だなんて世間に申し訳ないくらいだ。大傑作。ウキウキした気分。やはりぼくはホラーが好きなのだな、と実感。いい気分で執筆始める。
 楽しい。
 残念ながら、時間がなくて今日は6枚しか書けなかった。
 ひょっとしたら、ぼくは、いま運勢も仕事も好調なのかもしれない。
 明日は十枚以上書き進めよう。

誕生日の夜は更けて

 0:02 02/04/11
 午前中はコーヒーを飲んで、本を読んで、ちょぴっと仕事した。
 ぼーっとしていたら光文社から荷物。頼んでいた「一休闇物語」十冊。M川さん、有難う。と、速やかな処理に感謝する。
 で、一冊、サインを入れて送る。(読んでくれるかな)
 昼食は長女がバイト先から貰ってきた刺身二パック。妻と(本日休みの)長女と三人で食べる。昼間から刺身とは。なんか凄い贅沢をしているような気分。背徳的ですらある。しかし、こんな程度で「背徳的」な気分になっているのだから世話はない。(絶対オレは出世できないな)と思った。
 久し振りのブックオフで「ぼくは琵琶湖の漁師さん」と「小氷河期と近代文明」あと一冊を買う。いずれも一休のための資料。どう使うかは、吾のみぞ知る。
 しかし、可笑しな資料ばかり貯まってきた。これでぼくが急死でもしたら、朝松健研究家は絶対にナニを書こうとしていたのか、理解出来ないだろうな。
「バルカン・クリーゲ」とか「日本の甲冑」とか「江口・神埼」あたりならまだ漠然と分かるかもしれないけど。「有翼日輪の秘密」とか「木綿」とか「イノセント・ラブ」なんか、まったく脈絡がない。これが室町モノの資料になるとはお釈迦様も豊島区もご存知あるめエである。
 妻が「お誕生日に食べたい物は」と尋ねたので、キッパリ、「サーロイン・ステーキ」と答える。妻は買出しに出かける。
 こちらは昼寝。夢は見ず。午後五時頃、目覚める。二時間の睡眠。
 長男が東急ハンズでプレゼントを買って帰る。「ニンジャ・リング」。沢山の輪が付いたり離れたりする手品の道具だった。
 長男と二女がそれで手品を見せてくれた。ジーン。……
 夕食は妻が味付けしたサーロイン・ステーキとサラダとスープ。ジンジャーエールで乾杯。そっと、ジーンとする。
 みんな、ありがとう。
 仕事さらに少し。継続は力なり。とうとう半分まで出来た。今月末までに完成させるぞ。
 夜遅く、サイトの掲示板を見たら、みんなが「おめでとう」と書き込んでいてくれた。ジーン。
 皆さん有難うございます。
 明日から、さらに農耕的に仕事を進めよう。
 なんとか七月か八月までは発作無しで暮らしたい。おとなしく頑張ろう。
 なにしろ四十六歳。もう無理できないもんね。

山椒太夫を見た

 0:38 02/04/10
 今日は長男の中学入学式。必死でネクタイの締め方を覚えて、緊張して中学へ出かけていった。早い。わたしが退院した頃は小学一年生だったのに。感慨無量である。
 それはそれとして、今の中学生はアイアイかニホンザルか。群れをなして、「ウッキー」とか言って騒いでいる。(高校生も変わらないが)
 長男と妻が留守のうちに、先日買った「山椒太夫」のビデオを見る。1954年・大映作品。監督・溝口健二 主演・田中絹代、香川京子。モノクロ126分。
 いつ頃、売られたのだろう。「定価40000円」とある。4000円の間違いではない。ビデオ・ソフトが超高級品だった時代(といっても20年足らず前なのだが)のシナモノである。
 内容は、まず映像の美しさに息を呑んだ。それから、時代考証の確かさ。さらに役者の演技と存在感。そうだ。この作品では、下人・遊女にまで、監督の眼が行き届いている。そのため、下人は卑屈かつ怯えており、遊女は投げ遣りな生活をしており、貴族は尊大という以前に、武士や百姓とは別の生物のようである。さらに僧侶。時代劇の僧侶はえてして抹香臭くてハナにつくのだが、ここでは毅然としている。(その癖、無法な暴力には右往左往するあたりもリアルであった)
 森鴎外の原作とも、説教節の「さんせう太夫」とも違い、厨子王は丹後の守となって、奴婢の解放を命じる。もちろん、荘園制度の中で許される筈もなく彼は山椒太夫と郎党を追放したのち、辞職する。そして、佐渡に渡り、別れていた母と再会するのである。
 中世的な感性で生きているわたしが、こんな生ぬるいラストで納得する筈がない。梅原猛氏も「中世小説」でおんなじことを言っていたが、やはり、ここは安寿の惨殺シーンと、厨子王の怒り、そして彼の復讐。とりわけ、山椒太夫を鋸引きの刑にする説教節オリジナルの場面はいれて欲しかった。
 しかし、そうすると、社会派溝口の作品ではなくなっただろうな。
 セルジオ・コルブッチ版の「山椒太夫」なら、きっと安寿は鞭打ち・焼き鏝・水責めなどで嬲りころされ、厨子王も両手を潰され、それでも丹後の守になった彼は兵を集めて山椒屋敷に殴りこみ、郎党皆殺しの後、命乞いする太夫の手足に矢を射ち込んで、しかるのち、下人たちに鋸引きをさせるだろうな。
 ブライアン・デ・パルマやティム・バートンの「山椒太夫」はどんなのだろう。
 などと妄想を逞しくするうちに、四月十日、四十六歳の誕生日になってしまった。ちぇっ。息子以上に成長しないオヤヂだなあ。

今日の出来事

 0:26 02/04/03
 午前十一時、サンデーサンで、光文社のW辺氏に「一休」の出来た処まで渡す。一時間ほど打ち合わせ。のち、ウチに帰って午後一時ころ昼食。
 昼寝。
 午後三時四十分頃、目がさめる。夢は記憶になし。起きて、とりあえず接骨院へ行く。肘の治療。新しい保険証(カード式)を出す。カードで思い出したが、わたしの「日本推理作家協会」の会員証の名前が、「浅松健」になっているのに、約一年目にして気がついた。なんてこった。なんとなく、自分の推協におけるポジション(←けっして高くない)を思い知らされたような気がした。今更、訂正を求める気もしないので、記念に手元に置いておこう。
 治療の後、ブックオフへ行く。嫌いな女子店員がいた。こいつは客に「ありがとうございます」を言うのもさて置いて男の店員とダベっている奴だ。たまたま目が合う。(客を睨むなんてサービス業やめちまえ)と思う。今から12年ほど前のバブル末期には、喫茶店で客の仕事を覗き込むウェイターとか、「早く出て行け」といわんばかりの応対をするウェイトレスが山のようにいた。現在のブックオフでは誰が現場の最高責任者か分からないので、文句の持っていきようがない。いや、ことはブックオフだけではない。たとえば、雑誌である。雑誌としての統一見解がないから、ページごと・コラムごと・ライターごとに言いたい放題、矛盾と齟齬に満ち溢れ、整合性もへったくれもない。それで、「我々は誌面を提供しているだけです」なんて済ましている。同人誌じゃあるまいし、それでよく何がしかの金を取って販売しているものである。新聞さえもが、そうなりつつある。やがて、新聞は、記事は広告出している企業のチョーチン記事か、広告なのか記事なのか分からない駄文ばかり。コラムときたら、大学サークルの先輩後輩とか、パーティーで知り合った顔見知りとか、おんなじ同人誌の仲間同士が、泥縄で寄稿依頼するものばかりとなるだろう。そして、全体のトーンは政府広報か不自由金権党のPRばかりになってしまうのだ。
 ……ブックオフの嫌な店員を見ているうちに、そんなところまで考えは広がっていた。いかん。いかん。妄想を収めて、ビデオ「山椒大夫」全二巻(溝口健二監督)を買う。時代小説の資料なり。本来の定価を見たら40000円とあった。昔はビデオが高かったんだなあ。今はブックオフで1950円。レーザーディスクなどは投売りである。
 午後六時から執筆開始。面白い。書きながら、何度も呟く。午後十時前に筆を置く。本日は約十五枚書き進んでいた。なんだか、「作品に書かされている」ような感じである。こういう時は小説の神様が降りてきてくれているのだ。
 
「一休虚月行」、四月末、完成予定。
 やるぞ。

明日から四月

 23:44 02/03/31
 今日一日ひどい頭痛に苦しんだが、夕方、台湾付近で大きな地震があり、宮古島では津波の危険があったという。頭痛と関係あるのだろうか。
 かつて頭の骨が入っていない時期(手術で切除された頭蓋骨の一部のことだが)には、満月の日とか、気圧変化のひどい日には、痙攣が起きやすかったり、激しい頭痛あるいは全体的な不調などに苦しんだものである。
 重力が皮一枚で剥き出しになった脳髄に、深甚な影響を与えたものと思われる。
 これはオカルトではない。自然と生体バランスの問題である。
 思い出せば、かの阪神大震災の時には、周りで(東京の)女性が生理周期の異常を訴えたり、男性が「訳もなくイライラする。おかしな夢で眠りが浅い」といった異常を訴えていた。大きな自然現象の異変に対して、生体としての人体が何かを訴えるのに相違ない。
 ここだけの話だが、頭蓋骨の欠損していた時には、リアルな夢のみならず、軽い予知能力が発揮された。といっても、それはあくまでも(明日、××が見舞いにくるな)といった程度のものに過ぎなかったが、かなりの精度で的中したのもである。
 頭蓋骨はアンテナの一種だ、という説がある。あるいは只のヘルメットにすぎない、という説もある。いずれの説も、実際、頭蓋骨を失ったことのある身にとっては、まったく意味をなさない仮説だ。アンテナにしては、ないほうが色んなものが見えたり聞こえたりするし、ただのヘルメットにしては、ない時の痙攣発作の発生回数は半端ではない。
 しかし、頭蓋骨に穴をあけて超能力を得ようとすることだけはやめたほうが良い。(実際、こういう奇説を唱えたり実践したりしているカルトや変人学者が海外には実在するのだ)硬膜と頭皮だけで守られた脳髄の頼りなさは筆舌に尽くし難いのである。そこに物がぶつかった時のショックは睾丸にボールの直撃を受けた衝撃の比ではない。わたしはハンガーに吊り下げたハンドバッグの角にぶつけたことがある。
 「死ぬかと思った」
 これが偽らざる実感であった。
 …と、調子の悪いせいか、それとも大災害の予感に促されてか、辛い時代のことをふと思い出してしまった。
 明日から四月。新年度である。長女の誕生日もあるし、わたしの誕生日もある。(わたしは遂に四十六歳である)さらに「一休」の発売もあるし、締め切り(一休のノベルズ版)もある。また、下旬には「アンクルだごんテンプル」のオフ怪もある。そうそう体調をくずしてもいられないのである。
 健康第一。健全な肉体と、健全な家庭を保たなければ、面白くてぶっ飛んだ作品は書けない。(定歌も馬琴もそう言ってるではないか)頑張ろう。

渡辺啓助先生さようなら

 23:37 02/03/30
 三月三十日。午後三時より、東京會舘十一階シルバーの間にて「渡辺啓助先生お別れの会」へ松尾未来と行ってきた。
 流石に人徳ある渡辺先生だけあって、出版界のみならず、画壇やファッション界あるいは詩壇から多彩な人々が集まっていた。
 詩人の粟津則雄氏の献辞で幕を開ける。
 こちらは、知り合いが全く見当たらず、なお且つご挨拶したい渡辺東先生には中々話し掛けるタイミングがなく、最初の三十分くらいは(俺、ここにいていいのかな)という感じで、「渡辺啓助百一年譜」をぼんやり読んでいた。
 やがて、評論家・権田萬冶氏や石川喬司氏などをお見かけして、ようやく(知り合いがいてくれた…)とホッとする。
 何時の間にかスピーチ台に(髭を剃った)日下三蔵氏が現われ、リラックスし始めた。「久しぶり、日下くぅん」と声を掛けた。日下氏、ギョッとする。
 東京創元社会長・戸川氏にご挨拶して、さらに返す刀で、渡辺東先生にもご挨拶できた。
 そして、「コミック・モーニング」担当部長・渡辺協氏や、ひかわ玲子さんのお母様──お母様は啓助先生の娘さんの喧嘩友達であった──にご挨拶。
 さらに、遅れて現われたひかわ氏とも、何年振りかで会うことが出来た。会場の端っこで知り合いが集まり楽しく歓談。もう他人のスピーチなんて耳にはいらない。松尾とひかわ氏と渡辺氏は「指輪物語」の話題で盛り上がっていた。
 ぼくは文壇的な付き合いが嫌いなので、パーティーには滅多に行かない。仲間や友達との宴会と、パーティーは別なのだ。何と言ったって疲れ方が違う。何年か前に廣済堂のパーティーに行った時はへろへろに疲れて、次の日に痙攣発作を起こしてしまった。
 その点、今回は、後半からとても楽しめた。ここから何か新しい動きが生まれそうな気がする。それこそ、百一歳の天寿をまっとうされた渡辺啓助先生の御意志だったに違いない。
 よし。今年は、ひとつ、でっかいことをするぞ。

たらたら帖(平凡な日常の巻)

 23:31 02/03/28
 昨日書いたところを読み返して驚いた。
 ブックオフの「妖臣蔵」の話は以前に書いたことの蒸し返しではないか。
 どうも三十五を過ぎた頃から、執筆に熱中してくると、色んな事が「落ちてくる」癖が付いてきたのだが、これもそのうちか。酷い時には仕事中、妻から内線電話をもらったら、「あわわ、あわわわわ」としか言えないことがあった。書き言葉から話し言葉への切り替えが上手くいってなかったのである。(←しかし、これは何だか脳梗塞の初期症状のようにも思われるな。まあ、病気で倒れる前だから、危なかったのかもしれないが)
 それで思い出したのだが、主治医の患者には、シナリオ作家もいて、この人は初期の脳梗塞なのだが、そうなった原因というのが、「ほとんど出歩くことなく家に閉じこもり、ずっと執筆し続けて、食事は不規則おまけに高カロリーで、睡眠も不規則で徹夜と十時間以上もの睡眠を交互に繰り返す。さらにヘビースモーカーで、大酒飲み」だというのだ。以上に思い当たる人は一度脳外科の診断を受けたほうがいい。
 幸い、現在のわたしには、まったく関係ないライフ・スタイルである。
 よかった。本当に酒・煙草・不規則な生活と縁が切れて良かった。
 
 本日は「本当にあった怖い話」がソノラマから送られてきた。
 高橋葉介先生の「カミさんの怖い話」に木原浩勝氏と、I先生こと飯野氏が特別出演していた。良く似ていた。あんまり良く描けていたので、飯野氏に電話して教えてあげた。
 ブックオフで「シザーハンズ」のビデオを550円で見つけ、速攻で買い求めた。(ここんとこネコ七さん風に)ティム・バートンの作品は大好きなのだ。

 午後ずっと仕事。
 今日は188枚まで進んだ。成果は11枚。なんとか今月中に220枚〜240枚まではいきたいものである。もうすぐ妖術シーン。わくわく。

たらたら帖(たまには一人で、の巻)

 0:13 02/03/28
 今日は朝から雨。しかも寒かった。午前七時二十七分起床。朝食。コーヒーの後、接骨院へ。たった二分の道なのに、ひどく寒かった。肘の治療。
 昼食。家族で雑談。のち、未来と長女は、蜷川演出「身毒丸」を観劇に出かける。二女は友達と、お台場の屋内遊園地へ。長男はゲーム仲間のウチに行ってしまう。
 一人で留守番。執筆。ビデオの気になるシーンを確かめる。
 午後三時近くに突然停電。最近、電気・ガス・水道とまとめて工事があって、おまけにすぐ前の山手通りでは地下高速の工事中なので、その所為だろう。
 停電は復旧し、また消えた。しばらく真っ暗。何年か前の自衛隊機墜落による大停電を思い出す。大型ライトを手にウロウロする。やがて復旧。
「なんだかな」とか言いつつ、また執筆。159枚から書き直したお陰か、スイスイ進む。
 二時間昼寝。午後五時すぎ、妻と長女が帰宅。こちらはドトールへコーヒーを買いに行く。アメリカン・コーヒーを飲みながら、執筆再開。スイスイ進む。結局、九時半の夕食時には177枚まで進んでいた。快調、快調。食後、原稿を読み返す。めっちゃ、面白い。「一休」物になると、どうしてこんなに調子がいいのだろう。
 藤原ヨウコウ氏にも言ったが、一休宗純は、ぼくのライフワークである。そして、「ぼくの一休」は、藤原氏の絵でなければならないのである。ちょうど生頼氏の犬神明や、天野氏のDや、末弥氏の白凰坊のように、「ぼくの一休」はもはや藤原氏以外考られないのだ。
 
 三田主水氏のサイトの書き込みを見てて、永井路子の「悪霊列伝」を思い出した。悪霊としての楠木正成。これは、「太平記」に出てくるエピソードである。正成は七度も変化として出現するのだ。それも、大森彦七の名刀を奪うために。
 じつは、悪霊「正成」の設定は、今夏に執筆する「陀★鬼★弐」の為に用意していただけに、びっくりした。流石は伝奇時代劇の鬼。あなどれぬ着眼点である。

 えとう乱星氏の「総司還らず」を仕事の傍ら読み出した。滅法面白い。えとう氏と、三田主水氏のサイトを通じて、お友達になれた。
 なんだか、とても嬉しい。これから新しい世界が広がると、よりいっそう嬉しいのだが。

たらたら帖(翔竜の章)

 0:04 02/03/26
 昨日はずっと探していた水上勉の「はぐれ公方 足利義昭」を入手。夕方、なんとなく(鮭が食べたいなあ)と思ってたら、今日は札幌の母から鮭の粕漬けとトバ(鮭の燻製)、鮭ハム、トバチップ、鮭チーズ等々…鮭づくしが送られてきた。こんなふうに(ほしい)と思ったものが簡単に手に入るのなら、とりあえず言っておこう。
「たくさんのお金が欲しい」
 しめしめ。うまくいけば、明日には一千万円くらい、どこからか振り込まれているだろう。(←能天気を通り越して、もはや狂気の域だぞ、コラ)
 このあいだも書いたような気がするのだが、とりあえず書いておく。
 ブック・オフに行ったら、ぼくの「妖臣蔵」が1000円で売っていた。元値は1050円である。なんの間違いであろう。初版ではなくて3版だった。いっそう(????)となってしまった。
 しかし、最近、要町のブック・オフの店員は(特に女店員は)コワいので、下手なことを言ったら、
「はああ?」
 なんてでっかい声で問い返されそうだから、
「どうしてこんな値段なの」
 とは尋ねられなかった。
 なんか悔しいぞ、オレは。

たらたら帖 長男卒業前夜の巻

 0:19 02/03/25
 明日(3・25)は長男・走馬の小学校の卒業式である。彼は平成元年、消費税施行と同年に生まれた。出産費用やベビー用品ことごとくに消費税が加算され、(未来の納税者を一人増やしてやったのに消費税をとるなんて何事か。こんな舐めた真似をする政党なんか永久に呪われろ。消費税に賛成した奴らは永遠にゲヘナの炎に焼かれるが良い)とヨス=トラゴンに祈ったものである。さらにこんなことを考えた。(走馬は消費税の年の子だからなあ。こいつが高校に入るころには、きっと高校入学制度はガタガタになっているに違いない。そして、二十歳になる頃には、徴兵制が復活し、さらに低額納税者と女性は選挙権が剥奪されていて、特高と憲兵が幅を利かせていて、日本はアメリカと戦争しているに違いない。そしたら、「幻獣戦記」のような小説を書いてたオレなんかとっくに拷問で殺されていて、兵隊に取られた息子は上官になっていた右傾評論家の某に『お前が朝松の息子か』なんて言われて、苛められるのだろうな。しかし、こいつもオレの子だから、表向きはボコボコにされても、こっそり、上官の食事に×××を混ぜるくらいのことはするかもしれないな。そうだ、やっちまえ、息子よ。上官にうしろ弾食らわせてやれ。水木しげる先生は上官の食べる飯の釜でウンコのついた靴を洗ってから、その水で米をといだっていうし。池波正太郎先生は助手席の上官を殺すつもりでクルマを塀にぶつけようとしたというではないか)
「くそっ、やっちまえ」
 と叫んだところで、妻に、
「あなた。目が据わっているけど大丈夫?」
 なんて声を掛けられ、我に返ったのであった。
 そんな心配をよそに息子はすくすく育ち、日本はどんどんビンボになっていった。あれから12年である。今から12年の後には世界はどうなっているのだろうか。
 こないだ、「日野富子の死の約七十年後、信長は上洛した」という一文に出会った。応仁の乱末から信長上洛まで七十年。なんという短さだろうか。そしてなんという世界の変容であろう。信長は意識の上では未だ室町時代の人間だったのである。秀吉も、家康も、そうなのだ。
 今から七十年前というと、1932年。ラヴクラフトもハメットもばりばりの現役作家時代だ。ナチスもドイツの台頭勢力でしかなかった時代。吉川英治が「宮本武蔵」を連載し始める頃ではないのか。当時の人は、まさか12年後には東京が焼け野原になるなどと、誰も予想しなかっただろう。
 なんだか、コワい考えに陥りそうだ。
 この辺でやめて、とりあえず明日は息子の卒業を祝ってあげよう。

たらたら帖 ヘンな日

 0:11 02/03/22
 春分の日。朝から風強し。今日が休みであることを忘れた妻に、午前七時、叩き起こされる。寝なおすと、おかしな夢を見た。つげ義春のマンガみたいな夢。午前十時、起床。まだ寝ている子どもたちを置いて、夫婦で朝食。みんな慌てて起きてきた。
 長男は友達に誘われて西武ドームへ。
 長女・二女は家で勉強したりゴロゴロしたり。
 こちらは散歩がてらに長崎神社へ行ってくる。約十二分。ほぼ池袋へ行くのと同じ時間。途中、なんとなく頭がいたくなってくる。かまわず、神社へ。「一休」の成功を祈る。その後、不思議な体験をする。が、これは偶然か錯覚かもしれないので書かずにおこう。
 のち、葉桜を見ながら、古本屋へ。収穫なし。仕方ないので「アルス・主婦の店」に寄り、カップ焼きそばを4人分買ってくる。アルス近くの「中国物産店」で、中国直輸入・字幕なしのビデオを売っていた。向こうの人が買うのだろうか。
 ウチに帰ると、頭痛は、もう少し酷くなっていた。昼寝する。おかしな夢を見た。つげ義春のマンガみたいな夢。
 帰宅した長男の声で目がさめる。頭痛続いていた。
 バイトから帰った長女によれば、今日は、職場でもみんな不調を訴えていた。二女は前歯の痛み、ぼくは頭痛、妻も長女も調子が悪いとのこと。
「地震でも近いのかしら」
 とは妻のことば。
 この町に住む人が全て「自分の急所」の不調を覚える…というのはホラー小説のイントロに使えそうだ。たとえば脳手術した人間は頭痛を、前歯を折って差し歯にしている者は歯痛を。胃弱の者は腹痛を。…と。さて、この後はどんな展開にするべきだろうか。全員一斉に弱い所が劇的に悪化するか。そうして誰もいなくなった要町に強い風が吹く。どうも弱いな。やはり思いつきは思いつきでしかない。

 今日は頭痛を覚えながらも、少し休めた。
 明日から、また、長編「一休」を再開させよう。

「たらたら帖」(朝からゲラの受け渡しは疲れるの巻)

 0:14 02/03/19
 午前十一時、サンデーサンにて光文社のM川氏と会う。「一休闇物語」のゲラの受け渡し。資料をM川氏に渡したのち、世間話。驚愕すること、いくつか。読者の皆さんにカラーでお見せできないのが残念です。
 M川氏と別れて、一度、帰宅。ドッと疲れた。昼食のカツどん弁当も、心なしか重たげであった。(←何言ってるんだ、オレは)
 昼寝をしようとしたが、寝られず。仕方なく、起きて散歩へ。ブック・オフでヘップバーンの「戦争と平和」全2巻1900円を見つける。迷って、やめる。
 本は良い物なし。謎がひとつ。「妖臣蔵」が千円で売っていた。ほぼ定価ではないか。こんな値段で誰が買うというのか。何のためのブック・オフ、何のための価格破壊、何のための出版界の蛸の足か。ぷんぷん。「裏モノマガジン」が450円で売られていた時くらい腹が立つ。結局、本も買わずに店を出た。
 ヤマザキでアイスを買い、歩いていると、向こうから黒服の群れ。マル暴だった。葬式か法事に行くところらしい。声高な関西弁。要町が一瞬、大阪のミナミになったような錯覚。怖い。怖い。
 家に帰り、二女とアイスを食べた後、昼寝。
 午後六時に目覚めた。この間、国書の中でチラシを整理するというリアルな夢を見ていた。働く夢は吉夢というが、国書時代の夢はやっぱり疲れる。
 コーヒーを飲んで、仕事。
 短編はようやく五十枚目に達した。明日か明後日、完成だろう。
 足利義教の悪魔的告白。痛みと恐怖を求める道程。……こういう手法はぼくに向いていないようだ。これで止めにしよう。
 明日は午前中に、電話で、打ち合わせの予定。
 早く短編を仕上げて、一休の長編の執筆を再開したい。

たらたら帖「旅の仲間の章」

 23:52 02/03/15
 白状する。
 これまで、ぼくは「指輪物語」が読めなかった。いや、本は持っていた。評論社版のハードカバー全六巻も、「ホビットの冒険」も持っていたのだ。しかし、読めなかった。何回挑戦してもダメだった。どうやら『児童文学』とか『ファンタジー』とかいう言葉にアレルギーがあったらしいのだ。(どうしてアレルギーを持ってしまったか。それなりに理由はあるのだが、これは、そのうち書くことにしよう)高校・浪人・大学と、何度も挑戦しては挫折してきた。
 だが、どうやら、そんな記録にもピリオドが打てそうだ。
 なんといっても「ロード・オブ・ザ・リング」を見てしまったからである。
 はっきり言って、これほど素晴らしい[世界]とは思わなかった。どうして今まで読まなかったのか、悔やまれてならなかった。が、同時に、これから読む幸せは確実にぼくのものである。
 なんといっても、モルドール帝国が気に入った。
 ジョン・マーチンの黙示的絵画を思わせる造形であった。かの「スポーン」でほんの一瞬、しかもボケボケだった地獄絵図が、細部までくっきりと描き出されていた。
 それから「指輪」の魔力に魅了された者の変容が見事に描かれていた。どんな者も「善」であり続けるのはとてつもなく難しい。人(いや、ホビットも魔法使いもエルフも)はとても弱く、常に揺らぎつづけているからだ。そして、その弱い部分を指輪は直撃し、酸のように冒す。ビルボ・バギンスが「その指輪をよこせ」と一瞬、悪鬼のごとき形相に変わった。この描写を見た時、ぼくは「悪」や「魔」に対する自分の理論が、まったく正しかったと再認識した。
 今日では、ぼくの(比良坂の?)「逆宇宙理論」は形を変え、言い回しを変えてアニメや漫画やジュヴィナイル小説に引用されている。「憎しみ」「妬み」「怒り」といったマイナスの感情こそ「魔」の糧であり、「魔」を呼ぶものなのだ、という「理屈付け」がそれである。だが、同じことを五十年以上前にトールキン教授が、「サウロンの指輪」という象徴で描いていたとは知らなかった。
 
 闇は闇なるがゆえに吾らをひきつける。これは真理である。
 
 いつか、ぼくはSFマガジンのインタビューで、ヒトラーとラヴクラフトとクロウリーとは同じ座標軸で語るべき存在であると指摘した。彼らは「十九世紀的ロマン主義の闇」を具現しているのだ、と。だから、現代アメリカのポップ・カルチャーは彼らなしには語れない、と。
 ファンタジーに詳しい妻に聞いてみると、トールキンが「指輪物語」の草稿をしたためたのは1930〜40年代であったという。トールキンもまた、ヒトラー・ラヴクラフト・クロウリーらと同じ時代、同じ空気のもとに生きていたのだ。そして、彼もまた、「ロマン主義の闇」の下で作品を描いたのだ。
 光の部分・ファンタジーの部分からの支持があついトールキンであるが、ぼくは彼の作品に、まごうかたなき「闇」の文学、まごうかたなき「オカルティズム」の匂いをかぎとった。そして、「闇」あるからこそ、ぼくは、今、トールキンに惹かれていると断言しておきたい。

日々の藻屑

 0:03 02/03/15

  1. 三月十二日、えとう乱星先生より「総司還らず」「切柄又十郎(鬼火の巻)」「切柄又十郎(忘八の巻)」頂く。感謝。感謝。お礼にこちらも新刊を、と思ったが、出るのは四月であった。ちょっぴり待って頂こう。
  2.  三月十三日、「一休闇物語」のゲラ、チェック終了。今度の藤原ヨウコウ先生の表紙は凄い。なんといってもヒーリング効果とはっぴー効果があるのだ。表紙を見てわたしは花粉症が治り、描きあげた日に藤原先生のウチのあかりちゃんは、二百倍もの難関を突破して保育園に入れたのであった。
  3.  十二日は二女の十三回目の誕生日であった。ただし、塾があるため、誕生祝いは十三日に変更。この夜はドミノ・ピザを頼んで前夜祭とした。(参ったな。ピザは太るんだよな)
  4.  十三日、二女のため、西池袋の純喫茶「インコ」へ行く。「インコ」の手作りケーキは上品な甘さと優しい香りで、地元では評判なのだ。『あんずのタルト』『りんごとナッツのケーキ』を買う。途中、要町交差点を渡ると、覆面パトカーが「ゲオ」前に止まり、マル暴の事務所の前に防弾チョッキを着た機動隊員が立っていた。まだ警戒継続中なのだ。
  5.   谷弘児氏より絵葉書を頂く。(児の字がうまく出せない。おのれ)神野オキナ君からも電話をもらう。こちらは沖縄より。色んな話(仕事・映画・漫画・オタクな話題・ディープなオタク話題──みやびつづるはいやらしいが、山本鋼鉄郎もいやらしい等々)神野君と話していると次第に自分の化けの皮がはがれていくような気がする。
  6.  二女の誕生日のプレゼントは1万円相当の洋服。本当は参考書・問題集のお金も含んでいたのだが、結局、渋谷のブランド品に化けてしまった。なんという奴であろう。末恐ろしい。
  7.  十四日、昼食の後、昼寝。ぼくは脳を睡眠で休めないと、すぐにショートしてしまうのだ。ショートすると、痙攣が起こる。痙攣は嫌だから極力寝ることにする。この日は三時間も眠ってしまった。ぼーっとしているアタマを覚ますため、コーヒーを飲む。のち、ブック・オフへ。「山伏」和歌森太郎、「中世日本の内と外」、「1941」、「裏モノJAPAN」二冊。「裏モノ〜」は100円なので買った。今回は大阪西成三角公園潜入ルポがスリリングであった。もうひとつ、借金を返すため、まったく訳の分からない使い走りをする男の話。野次馬的な興味を満たしてくれる。
  8.  短編執筆を再開。うまく進まない。とりあえず二十八枚まで来た。殺し場。ただし、自己の内側に口を開く「深淵」を越えるための。上手くいかないので、明日書きなおそう。早く仕上げて、長編に戻らなければ大変だ。

 「日記代わりの随想」の書き方を変えてみたが、ギャグが少ないような気がする。これでは受けない。なんとかしなくては。

たらたら帖(仕事・病気・肥満の巻)

 0:21 02/03/06
 今日は外来とリハビリの日。朝から板橋の日大病院へ行く。リハビリは込んでいた。待ったのち、左手のО・T(作業訓練)。昨日、パン屋でトレイを持てた、と報告。担当のH先生、喜んでくれる。担当が喜んでくれると、こっちもやる気が湧くのは、小説と同じ。のち、脳外科の外来へ。トイレに行ったら俄か車椅子のヒトが「きゃーっ、便座にウンコした。ああっ、その上に座ってえ」と奥さんに怒られていた。(慣れないと大変だよな)とか思いつつ、用を足した。便座にしてしまったことはないが、入院中、見習看護婦がトイレまで車椅子で運んでくれ、カーテンをしめた。用を足し、流した後でブザーを鳴らしたら、カーテンの向こうから、「はあい」という声。てっきり車椅子をこちらに向けていてくれたものと、カーテンを引いて座ったら、車椅子がなかった。わたしは尻からころげそうになった。幸い戸口横にあるバーを掴んで倒れなかったが、まこと「慣れない」のは看護婦にせよ患者にせよ便座にせよ、恐ろしいものである。外来で問診を受ける。
 仕事は短編に一時切り替え。帰宅して昼食、昼寝の後、馬力を入れて書き始める。夕方から九時三十までに七枚。立ち上がりとしてはまずまずのスピードである。
 家族が風邪を引いたり、同人誌の締め切りとテストがぶつかったり、友達とケンカしたりして、それぞれに悩んでいるなか、ぼくは悩みがない。飯は美味いし、仕事は順調だし、人気も売れ行きもそこそこだし、健康だし、よく寝られるし。唯一の心配は、札幌の母が明日からペースメーカーの埋め変えのために入院すること(ケータイその他の電磁波でメーカーの予想以上に電池を消費してしまい、止まりそうなのだ)。あとは、「パソコンこいこい」の勝率が五割を割ってしまったことくらいか。
 このままでは、「ふっ、なんにも悩みがなくって、オトナは幸せね」とか二女に言われてしまいそうである。
 あった。大事な心配ごとが。肥満だ。遂に73キロを越えそうである。このままでは腰がやられる。早くダイエットして65キロまでおとさなければ…。

たらたら帖(風邪の町の巻)

23:05 02/03/04
 今日は長男が「うわあ、38.6度もある」と、朝から騒いでいた。喉に黴菌が入って炎症を起こしているのに、昨日は外で遊び歩いていたから、そのタタリである。すぐに耳鼻科に行かせる。間もなく「点滴を打たれるから一時間後に迎えに来て」と電話。長女もテスト前で休み。
「どうして三月は子供の休みが多いんだ」と文句を言いつつ耳鼻科へ。結構元気にやってくる。「ったくもう」とか言いながら、息子と薬局へ。大量の薬に驚く。
 薬局の前には巨大な建物が作られている。地下高速の工事なのだ。すごい量の鉄骨をクレーンで上げたり下げたりしていた。なんだか、まったく無意味な作業を繰り返させるナチスの拷問を思い出す。たしか、この拷問を南條範夫先生は「復讐鬼」で使っていたっけ。賽の河原の石積みのような作業。昔、小説を書くことが、そんなふうに感じられたこともあった。
 息子を家まで連れて行き、こちらは接骨院へ。肘は大分痛くなくなってきた。治療中、東京創元社のM原氏よりケータイに電話。慌てる。喜ばしい知らせに喜ぶ。感謝。感謝。(←ここは『ライオンキング』風に)
 のち、接骨院を出て、椎名町へ。長崎神社で、感謝と今後の発展を祈った後、駅前のパン屋へ。なんと左手にトレイを持ってパンを右手で挟むことに成功する。途中、落っことしそうになったので、パン皿の上に落とす。体勢を整えたのち、レジへ。左手が利かない身としては80点の出来。
 息子のためにポカリスエットを買い、帰宅。
 昼食。昼寝。
 午後四時三十分、起きる。コーヒーを飲んで仕事。
 短編のプロット。昨日・一昨日と書いた「襖絵供養」の話はとりあえず棚上げ。新しいプロットを練る。
 六代将軍足利義教。嘉吉の乱当日、半日の話。義教の回想。「痛み」を感じえないばかりに、他者と自分との越えられぬ「深淵」に悩む…。←これに味付け。亡霊の群れに取り付かれている? 首を刎ねられる一瞬に快楽と痛みを同時に味わう。史実を前向きに無視すること。
 光文社のM川氏から電話。アイデアを話す。面白がる。ホッと一息。夕方からしばらくボーッとしていた。ちらし寿司を団扇であおぐ。ボーッとするのにはちらし寿司の手伝いに限る。風呂。夕食。テレビ。パソコン。なんだか疲れている。息子の風邪が伝染ったのかもしれない。今日は早く寝よう。

ほげほげ帖(出来すぎた偶然の章)

 21:01 02/02/27
 こんなことを記すと、「だから作家は嫌なんだ。すぐに調子に乗ってウソばかり言う」などと舌打ちされるかもしれない。
 しかし、これは天地神明に誓って本当である。
 今日、午後3時30分、ぼくは昼寝から目覚めると、すぐに近所の接骨院に向かった。肘の治療のためなのだが、それはどうでもいい。国際興行バスの駐車場の前を横切り、車道を渡ろうとした。…と、そこで気がついたのだ。向こう側がなんだか只ならない雰囲気なのを。
 紺色の制服に紺色帽の男が十五、六人も、向こうにいた。そこは日本レンタカーの事務所と車庫である。
(レンタカーが事故ったので、保険会社が調べているのかな)
 と、考えた。
 ところが、よく見たら、「警視庁」と書かれたクルマがある。コート姿の目つきの悪い男が2,3人いた。さらに見れば、制服の男たちはキビキビと、シルバーの中型車を調べている。テープ状のものをトランクに当てている者、トランク内にあったらしい丸いスポンジ状の物体を調べている者、クルマは隅から隅まで──おそらく車検以上の厳しさで検べられていた。
 道を渡り、レンタカーの横を抜けきるまで、ぼくは観察していた。
 そして思ったのだ。
(これは、ひょっとして、二十四日・二十五日と続いている『例の事件』に関連した行動では。……たとえば、犯行に、ここのレンタカーが使われたとか)
 接骨院に行ったら、院長と助手が、「レンタカーに集まっている鑑識の男たち」の話をしていた。そして、初めて知ったのだ。二十四日の事件で逃走に使われたクルマが「白いもの」と証言されていたことを。
 かくして、ぼくは今日も刺激を受け、治療後、池袋界隈の古本屋を歩き回り、とうとう昨年より探していた「南北朝時代史」「織田時代史」などを入手したのだった。

               ♪  

 仕事はまだ163枚。朝、11時に、担当に159枚まで渡した。内容・文章ともにオーケー。担当、大満足。
 間もなく、〈五大力〉VS.公儀目付人の戦いが始まる。
 楽しい。早く続きが書きたい。うおおっ。
 
 帰宅後、光文社文庫担当者に連絡。大急ぎで異形を進める約束をした。
 実は、ネタが三つあり、どれにしようかと、迷っているのだ。

  1.  琵琶湖の底の巨大太鼓。
  2.  足利義教のモノローグ/エッジを埋める作業。
  3. 「ツラネコ」なる妖怪について。

 今日は「松の中」といった日であった。←今度はウナ丼かいっ。 

ほげほげ帖(その後の要町風雲録の章)

 0:02 02/02/27  
 今日も昨日のような興奮が味わえないかと、午後すぐに出かけてみた。
 要町交叉点付近で、黒服の男たちが点在していた。祥雲寺で葬式かな、と思ってみたが、どの男も妙にいかつい体つきをしていた。なかに坊主の者、五厘刈りの者、異様に目つきの鋭い者が混じっていた。警察とか自衛隊の関係者かとも思ったが、凄みが違う。
 組関係の葬式であった。一瞬、昨日ICUで撃たれた組長の葬式かとも思ったがそれには早すぎる。「たまたま」あんな事件の翌日に「偶然」、組関係の葬式が行われたのであった。(なんか企みを感じるのは陰謀マニアの性か)
 しかし、あの業界の方たちは、いるだけでコワいと思う。
 そこで話はまるきり変わるが、昔、警察関係の結婚式に行ったことがあるが、機動隊の隊長とか、殺人課のデカ長とかいて、みんな目つきが悪く、凄みがあってコワかった。対するに、真言宗の坊さんの結婚式はヘンだった。マル暴の結婚式って、警察と坊さんを合わせた感じなのだろうか。まあ、行ってみたいとは思わないが。(高橋葉介先生の「黒衣」にあった、マル暴の方たちの暖かいおもてなし、というギャグを思い出した)
 それはともかく、原稿はあまり進まず。仕方ないので、明日渡す102〜159枚目までコピーをとった。現在、163枚まで。唐人座との再会。謎の灰色頭巾の再登場。間もなく、三度目の敵襲がある。
 最近、「濃い日」と「薄い日」があるように思う。
「濃い日」には色んなことが起こり、かなり忙しいのに仕事は相当進むのだ。対して「薄い日」には何にも起こらないのにナニも手につかず、ただボンヤリしてるうちに一日が終わる。
 昨日は「濃い日」、今日は「薄い日」であった。明日は「中農」くらいにしてほしいものである。(←ソースかいっ)
 立原とうや氏よりメールをいただく。明代の人名についてご教示を頂いた。記して感謝。ありがとうございました。

要町風雲録(コワい日常の巻)

 0:35 02/02/26
「懺悔の間」にも記したが、一応、記録として残すため、ここに書いておく。二月二十四日午後五時四十分ごろ、要町一丁目の「まっちゃんラーメン」付近で、道を歩いていた五十四歳の暴力団組長が、ピストルで撃たれた。組長はすぐに文京区千駄木の日本医大付属病院に運ばれた。(この病院は奇しくもぼくが七、八年前に急性膵炎で入院した所だ)
 それから二時間後、こんどは、我が家から二十分ほどの西池袋で、飲食店の店長がショットガンで撃たれるという事件があった。
 これらを知ったのは、二十四日の午後八時五十分のニュースである。
 そして、翌日。
 すなわち二月二十五日のこと。
 急用が出来て、要町の交番に行ってみれば、通りを隔てた池袋三丁目の組事務所の前には機動車、まわりには防弾チョッキの警官というものものしい有様である。
 で、用事を済ませて、接骨院に向かう途中、近所のマンションから五、六人のごつい連中が、「お前、警察で、なに聞かれたんや」なんて声高に話しながら、要町方面に歩いていくのとすれ違った。
 接骨院できけば、最近、関西からマル暴がやって来て、集団でマンションで暮らし始めたという。なんだか不穏な気配である。
 家に戻って仕事をする。
 刺激のせいか、どんどん筆が進む。
 光文社に連絡。次の打ち合わせ日までに、五十枚くらい(つまり百五十枚目まで)渡せると約束。
 夕刻、なかなか新聞が来ない。と思っていたら、やっと来た夕刊に、撃たれた組長がICUで射殺されたと書いてあった。(日医大のICUは患者をモルモット扱いするから、バチが当たったんだ、と元入院患者は考えた)
 なんだか、町内が急にものものしくなってきた。
 パトカーのサイレンがひっきりなしに響いている。
 いよいよ刺激を受け、原稿は、すいすい進む。
 とうとう今日だけで二十五枚いっていた。
 うむ。
 あと二週間ほど抗争が続いて、あと二,三人撃たれれば、絶対に「一休虚月行」は三月中旬に完成。三月末には「ノーザン・トレイル」改題「疾風(レラ=シウ)伝」が完成するであろう。
 ……ただし、その前に、抗争の流れダマに当たって死んでるだろうけど。
 吾ながら、なんて野次馬だろう、と思う。自戒自戒。

たらたら帖(長女とデートの章)

 0:23 02/02/23
 今日は一日通信業務。手紙を書いたり、電話をしたり。
 なんだか気づかれしたので、長女を誘って近所のサンデーサンに甘いものとコーヒーを楽しみに行った。長女は高校一年。私服である。
(これが制服で中二の二女と一緒なら、モロに『援助交際』に間違われて近所の噂になるだろうな)
 と、ぼんやり考える。
 店に行く途中、えびす通りの入り口にある「洗濯屋・兼・タバコ屋」の火事跡を見学する。昨夜(2・21)の午後八時頃に火が出たそうだ。消火の水は流石に乾いていたが、焦げた布団が道路に投げ出されているのが、とても生々しかった。道はガラスの破片だらけ。窓ガラスってヤツは火事の火の温度でたやすく粉々に割れてしまうのだ。二階はモルタルの外壁のみ。裏のビルも一部が焦げ、火事場に面した窓のガラスが割れていた。しかし、なにより火の猛威を教えてくれたのは、半分溶けかけたタバコの自動販売機であった。サンプルの並んだ窓が溶けていて、そのまま、ボディまでべろっと溶け、中身を露わにしていた。これは自販機が、鉄ではなく、強化プラスチックの類で作られているためであろうか。
「スゴイね」と、わたし。
「火事は怖いよ」
 と言いながらも、長女はヒトゴトの顔をしていた。
 まあ、ヒトゴトではあるのだが。
 ちなみにこの「洗濯屋・兼・タバコ屋」は大きな看板を持っていて、そこには「本と煙草」と書いてあった。もともと本屋だったのだが、売れないので、洗濯屋に商売替えしたのだ。しかも、本屋時代はエロ本しかなく、それもひどく乱雑に積み重ねていて、やる気がなさそうに商売していた。おまけに、とても凶暴な猫がいた。
「本も売ってないのに本屋の看板出してる洗濯屋は、要町の名物だったのにねえ」
 ぼくはコーヒーにミルクを入れながら言った。
「でも、火事だもん。仕方ないよ」
 長女はぼくに似ずクールである。
「それより、今、わたし、『サイボーグ009』にはまっているんだ」
「サイボーグで一番すきなのは」
「007。ステキでしょう」
「ロマンス・グレーが趣味だったのか」
「うん。ハゲだけど」
 いつしか娘とぼくは「サイボーグ009」の話題で盛り上がり、本屋をやめた洗濯屋(兼・タバコ屋)の火事のことは、アトランティスの彼方に忘れてしまったのだった。

たらたら帖(『狸』ラジオの章)

 23:39 02/02/21
「語り」の芸というものがある。
 たとえば講談。たとえば落語。いや、芸能に限らない。昔は政治談義・学問の講義も「語り」の芸で聞かせるものだった。儒学者、藤原惺窩はその「語り」の素晴らしさゆえに、徳川家康はじめ各国の武将が争って招待し、その座談を拝聴したと伝えられる。
 友人の竹内義和氏など、この「語り」の妙で、いつもぼくを感心させる。お陰で竹内氏と会った時、ぼくはいつも思ってしまうのだ。
(今日もテープレコーダーを忘れた)
 さて、今日、待望のものが来た。テープレコーダーではない。MDである。それも録音済みのものだ。収録されているのは、「浜村淳のありがとう劇場」。浜村氏の番組「ありがとう浜村淳です」のワン・コーナーだ。時間にして七分ほどの枠で、五日間。一冊の本とか、巷の話題を「語る」というものである。
 今回送られてきたMDには我が「踊る狸御殿」が全五話入っていた。
 急いで聞いてみた。
 一話目が「彷徨える狸御殿」、二話目が「ギターを抱えた狸御殿」、三話目が「狸御殿心中」、四話目「夢見る狸御殿」、五話目「狸御殿は永遠に」。
 驚いた。各エピソードを短い時間でとても上手くまとめていた。しかも各作品のエッセンスはしっかり生きていた。
 次にツンときた。浜村氏の「語り」である。関西の友人から聞かされていたが、まさか、これほどとは思わなかった。「狸御殿」の地の文もセリフも全て大阪弁で語られるのだが、それが全然、違和感がなかった。まるで大阪の話──狸山は奈良か和歌山にでもあったかな、と作者が勘違いしてしまうほどであった。
 ウソではない。その証拠に、ハナシの中に、しっかり「祖師谷」という東京の地名が出てくる「ギターを抱えた狸御殿」が一番泣けた。主人公が、「オレは何してんのや」などとモノローグしているのにも拘わらず、である。これは妻も同じ処で涙ぐんでいたから間違いない。浜村氏の「語り」は人を感動させる「力」を持っているのだ。
 で。ぼくは嬉しく思った。自分の作品がアニメ声優の番組のワンコーナーでも、深夜の若向け番組でもなく、午前九時四十分の浜村淳の番組で流されたことを。
 百四十万人の大衆に、自分の作品──特に十年間どこからも出されなかった作品──が、もっとも大衆的なる「語り」手によって語られた。
 これは、ぼくの誇りである。
 どうしてこんなに興奮しているのか。
「狸御殿」を連載させてくれた元「月刊小説」編集長ハシモト氏の、ハッピーマジックをまたしても体験したのだ。
 郵便受けのなか、大阪の毎日放送の封筒の上には、ハシモト氏が送ってくれた封筒が重なっていた。そして、ハシモト氏の封筒の中には、せんだっての彼の結婚式(そう。この日、雅子様がご出産されたのだ)の時の写真が入っていたのである。
 ぼくは、ハッピーな出来事の予感を体感している。
 そして、この思いを、読者の皆さんと共有したいと考えている。
 
 「お土産は小さな幸せです」
          ──『踊る狸御殿』惹句より…

たらたら帖(朝から大変の章)

 23:42 02/02/15
 今日は朝のコーヒーの後、「一休」の出来たところまで妻に読んでもらう。
 難解な言い回しはないか、読みづらいところはないか、考証的に間違っているところはないか、等々、二人で討論。いくつか、書き直して、「よし」と、サンデーサンに向かう。午前十一時に光文社の担当氏に原稿アップ分まで渡す約束だったのだ。担当、絶賛。しめしめ。イラストを誰にしようか、と話している間にも、担当宛にIモードとかケータイとか連絡が入る。なんだか売れっ子のホステスを指名してしまったようで、落ち着かなかった。仕方なく、「詳しくは、また今度」ということにする。
 家の前は水道工事中だった。バリケードを張られたようだ。でも面白い。
 帰宅してからは、ルンルンでテレビを見る。
 昼食。昼寝。ぐっすり眠る。三時間くらい寝たかと思ったら、一時間半だった。眠りが深かったのだ。
 散歩がてら、ブック・オフへ。朝松健の本はほんのちょっぴり減っていた。
 日本史のヴィジュアル資料と、出雲神話の新書。しめて二百円なり。
 帰宅したら、家の前に堀が掘られていた。あ、水道管の取り替えか。インスタント・コーヒーと、ファンから頂いたベルギー製のチョコを食べる。子どもたち、ベルギーというだけで感動しつつ食べていた。チョコを下さったK原さんに感謝。こういう時に、作家をしていて良かったとつくづく思う。
 煎茶を片手に机に向かう。102枚目から書き直す。こうすれば絶対に面白くなるというアイデアを思いついたのだ。
 書き出せば、楽しいこと、楽しいこと。キャラクターたちがスイスイ動いてくれる。あっという間に111枚。要した時間は三時間半弱。
 あまり筆が走ると、文章や会話がおかしくなるのでブレーキをかける。
 それにしても、今度の「一休」は楽しい。早く、あんなシーンやこんな魔術を書きたい。
 夕食。テレビ東京で、ミスター・マリックとマギー司郎とゼンジー北京の出てくる番組を見る。ゼンジー北京は、久しぶり。
 思わず、「まだ生きていたのか」と、言ってしまった。
 彼の、水の入った金魚鉢を懐に入れて回ったり、金魚や鉢を増やしたり、というマジックが子供のとき、大好きだった。彼のギロチン・マジックを札幌市民会館でナマで観たことがあるような気がするのだが。……気のせいかもしれない。手術で切られた部分との関わりだろうか、なんとなく、マジックとか舞台とかいうイメージが引っかかる。自分の記憶か、テレビで見たことか、海外旅行で体験したことなのか。よく分からない。
 この辺のことをテーマに短編が書けそうだ。短編で思い出した。「異形」の短編(『恐怖症』テーマ)を書かなければ。足利義教で行こうと思うのだが。

たらたら帖(コピー取りの章)

 23:46 02/02/14
 肘の具合は少しずつ良くなっているようだ。どこが痛いのかがはっきりしてきた。
 コーヒーの後、接骨院へ。帰ると、すぐに仕事を開始する。あっと言う間に百七枚まで進む。現在の仕事が「乗っている」ことを実感する。
 昼食。昼寝。夕方起き出して、原稿のコピーをとったり、コーヒーを飲んだり、年賀状をホルダーに整理したりする。
 友成名人より電話。近々、ポルトガル・ファンタに行くとのこと。
 (そうか。ポルトガルでもファンタスティック映画祭ってのは行われているんだ)と、目からウロコが二、三枚おちた。ポルトガル人もファンタジー映画を楽しんでいるんだ。いや。あたりまえなんだけどね。でも、普通に暮らしていて、韓国や中国のことはたまに考えるかもしれないけど、ポルトガルのことなんて年に一度も考えないよな。そうか。ポルトガルのホラーやファンタジーか。どんなだろう。そう考えていたら、
(そろそろホラーやファンタジーをジャンルの立場から語るのは止めたほうがいいのかもしれない。もっと普通に、時代小説や恋愛小説や青春小説やポルノグラフィーを楽しむのと同じように楽しむべきなのかもしれない)
 と、急に思った。そして、こうも考えたんだ。
(何日か前の東京新聞で、「忠臣蔵」をオペラにした人の文章があって、「忠臣蔵なんて」という偏見や「オペラと忠臣蔵はあわない」みたいな先入観や「オペラは西欧でなければ」という劣等感からの解放を訴えて、今回の公演である程度成功したと書いていたが、ホラーやファンタジーも、ポルトガル・ファンタの話を聞く限り、「オレたちのホラー」「分かる人だけのファンタジー」なんて昔の「ムー」のキャッチフレーズみたいなスタンスから解放されつつあるのではないだろうか)
 ……いや、きっと気のせいだな。少なくとも現在の日本じゃ気のせいだ。
 なんてったって、ホラー以上のポピュラリティーを持ってる筈のミステリーやSFの書き手・論じ手が、「知的エリートのためのエンターティメント」みたいなこと、未だに言ってんだものな。それに友成名人が去年、怒っていたっけ。一般人を見下した言動をしやがるクソミステリー作家のことを。
(こういうミステリー至上主義者の書いたミステリーを『クソ・ミス』という)なんてね)

たらたら帖(必殺チョコ固めの章)

 0:14 02/02/14
 今日は二月十三日。バレンタイン・デー・イブにして松尾未来の誕生日であった。
 昼前、札幌のバアちゃんから、三人の孫宛にチョコとお菓子が届く。チョコはホワイト・チョコの中にイチゴがまるまる一個入っているというもの。お菓子は柔らかいパイ生地のあいだにバターとレーズンがたっぷり入ったもの。いずれも北海道的な大雑把さを満喫でき、コーヒーに合う。
 故郷の味に接したせいか、仕事がはかどった。夜までに、百枚目まで進む。
後亀山法皇にかけられた呪い。悪夢。胸の肉を食らう侍の生首。しかも一個一個は芥子粒ほどの大きさ。「存在」を失う病。瀕死の義持、泣いて一休に義量を護ってくれ、と請う。何か企む三法院満済。室町第を出て牛車は洛北へ。大原の里。夜明け。朝靄。ここで休憩。と、そこに──。もうすぐ第一章が終わる。二月は「逃げる月」だが、逃がさないのだ。
 二女が友達二人と、せっせと、チョコ菓子を作っていた。
 こちらは妻の誕生日を祝うため、焼肉の「牛角」へ。
 長女・長男・わたし・妻の四人でささやかに祝う。
 
 今日の毎日放送「踊る狸御殿」は、「狸御殿心中」の巻。魔生さんが教えてくれた。ありがとう。明日は何だろう。まったく分からない。
 「狸」のご利益か。
 1. 関西の大手書店から「狸御殿」の注文がきているとのこと。売れてくれれば嬉しい。
 2. 角川ホラー文庫「十の恐怖」が再版した。ちょっぴりお金が入る。ちょうど「狸御殿」に片足突っ込んだくらい(なんたって十一人もいるアンソロジーの一編だものな)の幸せ。
 3. 亡きОさんの奥さんからメール。差し上げた桜の花束が満開に咲いて、奥さんはОさんとお宅で少し早いお花見ができた、とのこと。メールを読んで幸せな気分になる。「狸御殿」な気持ち。
 
 明日は、「一休虚月行」、いよいよ第二章。謎の少年剣士と、北畠満雅の刺客軍団〈五大力〉が登場する。対する一休。蜷川新右得門。三人の目付人。
 今から書くのが楽しみだ。わくわくする。
 こんな気持ちは、本当に、久しぶりである。
 ファンがどう喜んでくれるか、そればかり考えている。いいことだ。

たらたら帖(カレーと乱歩と池袋の章)

 0:36 02/02/10
 今日は肘の治療の帰り、妻と買い物に池袋へ行った。
 月遅れのクリスマス・プレゼントを買ってもらうためである。
 立教大の前を通って、交番前のカバン屋「カンダ屋」へ。
 ここで三千五百円の財布を買ってもらう。今の財布は三年ほど前に買った風水財布なのだが、財布の賞味期限(というのかな)は風水的に三年なので、買い換えることにしたのだ。
 それから道路を渡って向かいの「金子園」へ行き、コーヒー豆とフィルターを買う。
 で、要町方面へ帰っていき、「近藤書店」に寄る。えっちな本が多いので妻には外で待っててもらう。
「四十五にもなって、まだそんな本を買うの」
 という妻のギワクは、濡れ衣である。中世の資料がえっち本に混じって安く売っているのだ。今日もヴィジュアル資料・中世僧の奇行伝・そして、小島剛夕・画/水上勉・原作の「一休伝」を手に入れた。生憎と(上)だけ。中・下はまた探し回ろう。
 さらに隣の100円ショップ「タンポポ」へ。今日は塩入れではない。お香を仕入れたのであった。
 のち、「壱番館」でシーフードカレーを買う。
 カレーを下げて、立教大のほうにちょっと入る。小さなお屋敷街。その隅、郵便局の向かいに、「平井太郎」の表札のある屋敷。これが江戸川乱歩邸である。有名な土蔵が塀の上からアタマを出している。近所には、同家の経営するマンションがあった。
(そういえば、乱歩は、下宿屋を経営してたよな)
 と、妙なところで納得する。
 そのまま、光文社の分室(ミステリー資料館がなかにあるビルだ)の前を通って要町に帰る。
 散歩おわり。
 昼食にカレーを食べ、昼寝。
 午後五時に目覚めてコーヒーを飲み、仕事。「一休」は七十枚に達した。
 農耕的執筆。
 友人にメールを出す。「アンクル・だごん・テンプル」に書き込み。シェヴァイク氏・高梨ゆき氏、ともに嬉しい名前。チャット・ルームに行くが誰もいなかった。仕方ないので「誰かいないか」と書き込んで退室する。アホか。
 ここに書き込み。
 さあ、寝よう。

たらたら帖(負けるもんか負けるもんかの章)

 23:30 02/02/08
 肘を治療中である。
 どうやら、パソコン将棋と、仕事と、重い古本を持ち歩いたタタリらしい。肘が痛くて、力が入らない。
 昨日は茶筒をひっくり返してお茶をぶちまけた。今日は大きな本を取り落とし、襖にぶつけてしまった。右の肘なので厄介である。すでに左手が常人の十分の一(当社比)の機能なのに右まで使えなくなるとは……。天はぼくに、「復讐鬼人」(楳図かずお)になれというのだろうか。
 それでも仕事は軽快に進んでいる。本日は六十四枚まで進んだ。漆黒の牛車。それを護る五人の山伏と一休。室町第の番兵に憑依する妖雲。憑依された番兵が牛車に襲い掛かる。護る五人と一休。牛車にいる人物は何者か。なかから三宝院満済を呼ぶ声。一休の杖が冴える。一人の犠牲。しかし、牛車は京から旅立っていく。目指すは、若狭。若狭には誰が待つのか。一休は何故この旅に付き合わなければならないのか。
 書いてるぼくが一番面白い。ワクワクしている。まだ、話は始まったばかり。ふふふ、楽しいね。

                ♪

「エクソシスト」をジョグシャトルを使って鑑賞する。サブリミナルな仕掛けをいっぱい発見した。三十年前は、これでもショッキングだったんだなあ。
 当時の読売新聞の切り抜き(「エクソシスト」ブームがアメリカで起こっている、というもの)を持っている。ここに紹介したいのだが、肘が痛いのでやめた。

               ♪

 おそらく今年はずうっと農耕的に(あまりヒトと会わないで)仕事をすることになるだろう。目標、七、八冊の刊行。ただし、無理はしない。
 肝に銘ずること/編集者に安請け合いしない。作家ヅラしない。エラぶらない。同業者とばかり会わない。普通の社会人の感性を保つ。妻子と家庭を大事にする。

たらたら帖(はひはひの章)

 0:02 02/02/08

 今日は、原稿が、五十四枚まで進んだ。
 本当に「農耕的」に執筆している。一日五枚〜七枚。ストレスの欠片もないペースである。

 高校時代のUから、いきなり、メールがきた。Uは、七年前から藤沢市に住んでいるとのこと。前にこの「日記」に書いた平澤が藤沢市に転勤になったのは去年の秋。どうして、高校時代の同級生の住んでいる街に転勤になるのか。…北海道生まれの人間は、ことさらに偶然がついてまわるのだろうか。
 そういえば、ぼくは、人一倍、偶然が多かった。
 池袋で同人誌の友人と遭い、せっかくだからと行動を共にして、三田まで足を伸ばし、「このあたりで先輩と会ったら、小説みたいだ」なんて話していると、ご当人が向こうからやって来る。あるいは、札幌から来た母と待ち合わせをして、母が場所を間違えたら、偶然、そこに埼玉に住んでる叔母が通りかかる(あの広い池袋駅の話である)。また、仕事の人間と有楽町の喫茶店に入れば、隣のボックスから、昨夜飛び込みで入った新宿のバーの女の子が声をかけてくる。…その他、ここに記している暇がないが、人に話したら、「そんなバカな」とか、「それは出来すぎだよ」とか、そんなふうに言われるような──「信じられない偶然の一致」ばかりである。だから、たまに、知り合いに良く似た人を、近所で見かけるとぎょっとする。

 夕方、飯野文彦氏に電話。飯野氏は、甲府に家を建てたのだ。うーん。こちらも頑張らなければ。作品の話を中心に、世間話をする。今後は頻繁に彼と連絡を取り合おう。

 沢山の同業者の作品に、また、接する。
 自己嫌悪、いよいよ、増大。のたうちまわる。

 大した作品も書いてないのに作家ヅラしている自分が恥ずかしい。
 …と思ったが、二時間後に、
(まあ、それはオレだけじゃない)
 と、すぐ思い至る。自己嫌悪が少し癒される。
(こんなことの繰り返しだ)

 友人に勧められた「スフィア」上・下をそろそろ見なくては。これは、ダスティン・ホフマン主演のかなりスゴイSFとのこと。
 
 最近、一日が凄まじく短い。ほとんど眠っているような気がする。
 でも──よく考えると、何かしら、やっているのだ。ただ同じパターンの繰り返しなだけなのである。それが、ひどく一日を短く感じさせているのだ。
 不思議である。

 肘の痛みはかなり緩和されてきた。
 楽になってきたところで、そろそろ寝よう。

たらたら帖(どっかーーーんっの章)

 0:02 02/02/07
 昨日はブック・オフで「ニューヨーク1997」をたった950円で入手した。これでジョン・カーペンターの作品は「ダーク・スター」から「マウス・オブ・マッドネス」「光る眼」まで結構集まった。しめしめ。
 今日は外来の日。かなり早く病院へ行く。リハビリ。のち、脳外科へ。月初めなのでかなり混んでいた。帰ったら、東京創元社のM原氏より留守電。昼食を食べてから電話することにする。昼食は「ちょ椅子」。寒サバの照り焼き定食を食べる。寒サバは美味い。ぼくはサバが大好きなのだ。
 家に帰ってから、M原氏に電話。毎日放送の電波のカバー・エリアを聞く。
 感想は一言──「ひ、広い」 リスナーは140万人だって。…スゴイ。
 朝のひと時。なんと、リハビリの先生も、「広島で聞いてた」とのこと。こんなこと、初めて言われた。
 そんなに沢山の人に聞かれて、なんと思われるのだろう?
 なんとなく、いままで下北沢あたりのライブハウスに出てたチンケなシンガーが、いきなり、「笑っていいとも」に呼ばれたような気分だ。
 気を落ち着かせよう。

               ♪

「アイズ・ワイド・シャット」の魔術的象徴性について。(第一回)

 まず、タイトルに注目したい。「眼を広く閉じよ」。どういう意味だろう。これ自体、魔術の行法にある「思弁」のようだ。矛盾した命題について思考を凝らす。そうした時、現実と異なった思考法がゆっくりと広がってくる。
「広く」「閉じる」のは誰か。
 ここでは、観客であり、その投影たる主人公たち。トム・クルーズとニコル・キッドマンである。
 冒頭、キッドマンがドレスを脱ぎ捨てるシーンが映し出される。彼女は観客に背をむけたまま、裸体を見せる。どうして彼女はこちらに顔を向けないのか?
また、彼女は、素顔のままなのか。
 観客は疑問を抱かざるを得ない。だが、キューブリックは、疑問に答えることなく、物語りはじめる。

               ♪

 子どもの見ているものが気になる。
 アニメのストーリーに、しばしばオチがない。
 主人公の言動が、「先が見える」。
 軽薄で女好きだが、決める時は決める男の子ヒーロー。ギャグとシリアスが交互に出てくる。そんな展開を見ていると、なんだか、アタマの良い編集者が、「こうすれば読者は喜ぶの。人気投票もぐっと上がるから」なんて言っているような気がしてくる。
 思いっきりマニアックな「裏設定」と、アダルト・チルドレンな脇役。悪のために悪を犯す悪役たち。ヒステリックな怒鳴りあい。癇に障る笑い。イライラするほど子どもに媚びたストーリー展開。商品とのコラボレーション。ゲーム化を最初から意識したキャラクターたち。そして、声優の出身地さえ折り込み済みのギャグ。
 これは、もはや「作品」ではない。
 あらかじめ消費されることを計算したシナモノである。その意味で、ゲームのほうがより「作品」である。
 
 こんな感覚を覚えるのは、単に、子どもの見ていたアニメが、そうだったからなのか。
 ぼくの感性が次第に古くなっているのだろうか。

ほげほげ帖(蛙の章)

 0:13 02/02/05
 本日は午前七時三十分起床。
 コーヒーを飲んだのち、池袋に出かける。
 百円ショップで、塩入れ・お香・その他なにかイイモノがあったら買うためだ。一軒目はいいものなし。(ここは去年まで、せんだみつおの『いらっしゃい。いらっしゃい』というテープを流していたのだが、せんだが問題をおこしてから、何もながしていない。子どもたちに『せんだみつおのキンかくし』とよばれている)
 二軒目、西池の『タンポポ』へ。塩入れは良いのがなかった。お香は、以前あったコーン状のものが無くなっており、線香ばかりだった。しかも、「マジック」とか「スピリチュアル」とか、オカルトな名前のものばかり。仕方なく、三種類、買ってみる。
 帰りに、「近藤書店」に寄る。ここはエッチな本にチカラを入れているのだが、今日は、なんとなく店の奥まで進んでみた。と。──すげえ。いや、えっちな本ではない。中世史関係の良い本がズラリと並んでいるではないか。喜んでビジュアル資料を二千五百円分買った。探していた室町第の見とり図があったので嬉しい。
 のち、ブック・オフに行き、「太平記」と「南総里見八犬伝」のビジュアル資料を買う。各五百円。安い。これが千二百円だと、「バカにするな、このヤロー」である。
 家に戻ると、疲れていた。そのまま、昼寝。午後五時すぎまで電池が切れたように眠っていた。
 夕方から仕事。三十六枚目から書き直し。いろいろ書き直して四十四枚まで進む。五代将軍の出発。連絡手段。応永三十一年のアイ・モード。というより、インターネットか。三宝院満済と細川満家の見送り。一休・蜷川・その他四名。出かける段に、早くも、敵の襲撃。
 今日はここまで書いた。
 肘が痛いので、立原とうやさんから貰った薬を使う。スゴイ臭いだが、よく効く。このニオイが「好き」というのは次女だけである。少し嗅覚がおかしいのだろうか。
 今日手に入れた資料によれば馬琴は毎晩十時に寝ていたとのこと。見習いたいものである。たっぷり睡眠取らないと脳が動かない。
 脳のためにも──。
 さあ、寝よう。

ほげほげ帖(雨の章)

 0:43 02/02/04
 今日は午前十一時に妻に怒られつつ起床。しかし、良く寝た。
 子どもたちも寝ていた。まったく、よく寝るものだ。
 昨夜の夢は、大学の学園祭。札幌の南21条あたりに東洋大学があり、そこで学園祭をしていた。校門の外は下り坂。進めば、法政大があって、やっぱり学園祭をしていた。一度しか行ったことがないのに、よくまあ、法政の様子なんて出てきたものである。
 面白いのは、ダンボールの塔が出てきて、それが二十メートルくらいあったこと。本当にあんな塔を作ったら、面白いだろうな。
 おきてから、(ここからは現実の話)朝食。コーヒー。掃除。読書。
 午後一時半頃、昼食。よく食べるものだ。
 午後二時半あたりから、昼寝。また、良く寝た。
 午後四時頃起きて、メモリーカードを買いに行く。ゲオの二階へ。のち、ブックオフへ。それから、コーヒーを買って帰ってくる。そうだ。途中、レンタル・ビデオ屋に寄って二本借りる。
 帰宅後、寝る。約一時間。しかし、良く寝た。
 仕事は2,3枚くらい。明日、書き直す予定。
 さあ。
 たっぷり寝よう。

真・神変ザッ記(オヤ魔の巻)

 0:48 02/01/31
 今日は「一休」の執筆はお休み。
 午前も、午後も、資料を求めて歩き回っていた。
 収穫はいろいろ。「太平記」の資料がまた入った。この調子だと、小説が売れなくなったら、「太平記読み」で暮らしていけそうだ。(←まだ、つげ義春のビンボ菌に取りつかれている)冗談はともかく、「太平記」と名のつく資料は片端から買ってるので、いずれ「太平記」について一冊研究書が書けそうである。
 夕刻より同業者の製品に接してみる。くらくらする。
 みんな、上手いため。
 自分がポピュラリティーを得るために、15年、のた打ち回ってきたのが、ムダに思えるほどだ。自己嫌悪、少々。
 今は、ある程度、マニアックな内容や書き方でも、読者は受け入れてくれるのだなあ。知らなかった。なんか自分が遅れているカンジ。
 しかし、今更、昔みたいに「黒衣伝説」とか「星の乱れる夜」とか「屍美女軍団」が書ける訳もない。
 こっちはこっち、ゴーイング・マイ・ウェイ、で行くしかないだろう。

               ♪

 夕方、コーヒーのツマミに最中を四個も食べる。腹が苦しくなった。歯が治ったからといって馬鹿はやめよう。ラヴクラフトのように大腸ガンになってしまう。
 疲れたので寝ることにしよう。明日は「本当にあった愉快な話」の発売日。
 「アイズ・ワイド・シャット」のオカルト的解釈はまたいずれ。
 気が向いたら。

ほげほげ日記(こりゃ魔の巻)

 0:24 02/01/30
「一休虚月行」は、今日も快調。きっかり十枚進んで、プロローグが終わり第一章にはいった。すでに謎めいた守護・その手下のスッパ・妖しい声・灰色頭巾の異人・蜷川親右衛門・謎の少年剣士などが出てきた。どうなる。どうする。
 今後は、我と、天と、担当のみ知る、である。うふふ…。楽しいね。
 
 アイデアも色々と湧いてくる。
 1.足利義教はどうしてあんな独裁者だったのか。彼には、ある「恐怖」が付きまとっていたのではなかったか。
 2.つげ義春を読んでいたら、時代物のホラーを思いつく。名石に憑かれた将軍。足利義政。小さな石の上の世界。そこで合戦が繰り広げられる。その、ミクロな凄絶に比べたら、現実の戦争など…と現実から遊離していく。背景に「応仁の乱」の激化。…なんとなく、大国の軍人のアナロジーみたいな。
 3.緑色の竜。竜かと思ってよく見たら、大きな蔓草が絡まったものだった。
 これは一昨日の夢。夢ではホンモノの竜だったが。

 ブック・オフで、資料を色々仕入れる。コーヒーを飲む。気になる映画のビデオを飛ばし観る。昼寝は本日もきっかり二時間。

 本当に農耕的かつ公務員的に、地味だが確実に仕事をしている。これで書いてるのが小説でなくて漢詩だったら、室町時代のお坊さんである。
 早寝・早おき・禁酒・禁煙。
 とても健康に良い生活である。
 明日も頑張ろう。
(面白くない日常でごめん。代わりに作品は、ぶっ飛んでるからね)

ほげほげ日記(オヤ魔の巻)

 0:40 02/01/29
 昨日は何だかとても調子が良くて「一休虚月行」は、いきなり五時間で十六枚進んだ。自分でも怖くなるスピードと勢いだった。驚いて、慌ててブレーキをかけたほどである。
 今日は夕方から始めて二時間で七枚。まあ、このくらいが良い。なにしろこっちは健常者ではないのだ。
 いきなりピッチをあげると倒れてしまうのは確実だ。
 今日は、唐人座のことを調べなおすのに少し時間がかかった。
 唐人座とは、中国人・朝鮮人の混合になる旅の職人集団のこと。楽器を鳴らして人を集め、鋳掛け仕事や、マジナイ師などをしたらしい。もちろん、中世の話である。
 最近、中世と現代とが、くっついたような、繋がっているような、妙な感覚に襲われる。このままでは、近所の人と世間話をするうちに、「しかし、今の管領の小泉はナンですな」とか言ってしまいそうだ。
 これは良い傾向である。
 作品世界にスムーズに入り込んでいる証拠だ。きっと良い作品になる。
 感覚的に「逆宇宙レイザース」の時の執筆感に似たものを感じているのだ。
 明日は、プロローグを終え、いよいよ本編に入るとしよう。
 一休は強引に京に連行されて、また怪事件に関わることを命じられる。
 ところが、今回の任務とは…。
 ああ、楽しい。早く、読者の皆さんにこの面白さを伝えたい。伝奇とホラーは本当に楽しい仕事である。

「一休」との旅が始まる

 0:46 02/01/25
 本日、「影わに」、完成する。全九十六枚。一月四日ごろから執筆を開始して、予定よりも十三日送れて出来上がった。結構、苦労させられた。
 「影わに」とは出雲地方の妖怪の名前で、本作品では「影我而」と表記される。「我」は「わ」と書いて「われ」、「而」は「に」と読んで「汝」の意味である。
 明日(1月25日)、光文社のM川氏に渡す予定。四月に発売の光文社文庫「一休闇物語」に収録される。
 ぼくは、明日から、本格的にカッパノベルス「一休虚月行」(仮題)の執筆を開始する。『本格的』というのは他でもない。去年から、断片的に書き出していたからである。これは、あっと驚く史実(ほとんど知られていない)がネタになっている。ヒントは意外な人物。虚月(新月よりほんの少しだけ膨らんだ月)。
 二年ほど前から暖めてきたネタなのだ。

               ♪

 ここ三,四日で、キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」を少なくとも二回半は見た。クライマックスの儀式シーンが気になったため。昔、日本О・T・Оの魔術師から、キューブリックの映画スタッフに魔術結社に所属している人物がいると聞いたせい──というのが大きな原因。
 この問題と同映画についての考察は、後日、まとめたい。

               ♪

 仕事が完成したら、気が緩んだらしい。
 左上の親知らずが痛い。
 今日は、もう寝よう。

追悼「大鴉」──もしくは NEVERMORE

 22:35 02/01/21
 なんという偶然だろう。
 一昨日、渡辺啓助先生のことを書いたばかりなのに、本日、先生の訃報に接するとは。
 ……渡辺先生と初めてお会いしたのは、今から二十年ほど前だった。
 ひかわ玲子氏の紹介で、渡辺先生の経営する画廊を訪ねていったのである。ひかわ氏の母上と、先生の娘さんで画家の渡辺東氏が女学校時代の同級生だったのだ。
 こちらは全員サラリーマンながら、皆、学生気分の抜けない同人誌仲間の青二才。対して、啓助先生はすでに八十歳の、推理小説界の大長老。失礼極まりない言動が多々あったと思うのだが、悠然と、時にユーモアを交えながら、相手をして下さった。
 毎日、英字新聞を読まれることや、新作のアイデアをメモしていらっしゃることなど、聞きしにまさるダンディ振りは、この時に知ったことである。
 また、「今、ぼくは、記憶と時間をテーマに作品を書こうと思っているんだ」とか、「思いついたことはどんどん書きなさいよ」とか、そのお言葉のひとつひとつが怪奇・幻想を愛し、小説を書きたくてウズウズしていたぼくには、宝のような輝きを放っていた。

 こちらが色んなことでゴタゴタしてしまい、一時期、先生とは疎遠になっていたのだが、ご縁が蘇ったのは平成三年のこと。高輪のギャラリーで、九十歳の新刊「鴉白書」(東京創元社)出版記念の「鴉展」(先生の鴉絵の展覧会)が催された時であった。松尾未来と二人で伺うと、渡辺東先生が親しく声をかけて下さったのだった。ぼくたちのことを覚えていてくださったのである。

             ♪

 それから、また、ぼくと松尾未来は渡辺啓助という惑星に急接近していった。ぼくたちはのめりこんだ。「偽眼のマドンナ」に。「鮮血洋燈」に。「地獄横丁」に。
 近づけば近づくほど、渡辺啓助は妖しい光輝を放ってぼくたちを魅了せずにはおかなかった。その作品は文学史的には、悪魔主義的な幻想怪奇談とされているが、直木賞候補の二作、「オルドスの鷹」「西北撮影隊」を読めば、渡辺啓助の真価は、むしろ虚実ないまぜな伝奇性にこそあったのではないだろうか。「クムラン洞窟」のような発表時、「怪奇秘境実話」として公刊されたものを見ると、その感はいよいよ強い。少なくとも同じ伝奇作家として、ぼくは、そう思う。

             ♪

 渡辺東先生の「鴉日和」という文章(『KARASU』収載)には、渡辺啓助先生の詩人振りをあらわすステキなアフォリズムが紹介されている。

「(庭に咲いている真っ赤なカンナを見て)あーいい赤だ。あれは僕の赤い罪だ……」
「(梔子の花めがけて飛んでくるアゲハチョウを見つけて)あの黒い布切れは何だ。あれは夜のスパイどもに違いない。早く追い払ってください」
「(ある時、娘たちを集めて)僕はもう人間でも鴉でもないのだ。ついに時間外居住者になりつつあるのだ」
「みんな公平がすきだなあ。公平なんかつまらないよ。不公平は面白いよ。そして、不公平こそそれぞれが美しく見えるのだよ。みんな同じなんてつまらないよ」

             ♪

 渡辺啓助。
 明治三十四年(1901年)一月十日、秋田県秋田市に生まれる。

 昭和四年、岡田時彦名義で処女作「偽眼のマドンナ」を『新青年』に発表。同誌編集者の渡辺温は実弟。(のち、温は谷崎潤一郎の原稿を依頼に行った帰り、運転していた自動車が貨物列車と衝突。帰らぬ人となった)昭和九年、夢野久作と知己を得る。昭和十年、「偽眼のマドンナ」が渡辺啓助の作品であることを江戸川乱歩が喝破。昭和十二年、小栗虫太郎と知り合う。昭和十七年、従軍記者として佐官待遇で北支に派遣される。昭和二十二年より、本格的に作家活動再開。星新一と知り合う。昭和三十二年、科学小説の研究会おめがクラブのリーダー的立場となる。光瀬龍・柴野拓美らが渡辺家を訪問するようになる。昭和三十五年、日本探偵作家クラブ第四代会長になる。昭和三十七年、横溝正史・黒沼健・永瀬三吾らと共に還暦祝賀会を催す。昭和五十年、雑誌『幻影城』で旧作続々と紹介される。昭和六十年、「鴉 誰でも一度は鴉だった」(山手書房)上梓。平成三年、「鴉白書」(東京創元社)。平成四年、「聖悪魔」(国書刊行会)平成十三年、百歳を記念して「ネメクモア」(東京創元社)を刊行。

 平成十四年(2002年)一月中旬永眠。享年百一歳。

           ♪

「ねぇー君、死ぬのは大変だよ。なにしろ誰も助けてくれないからねぇー」
                           ──渡辺啓助

新・ はひほひ日記

 0:51 02/01/21
 今日は六十枚まで進んだ。
 なんとなく気に食わないので、明日、また手直ししよう。
 短編を書くと、どんどん貧乏になっていくような気がする。きっと気のせいだろう。
 早く長編が書きたい。
 出来れば、全五巻くらいのが書きたいと思う。
 しかし、そのためには、一年以上ひとつの会社に拘束されることになる。
 痛し痒しなのである。
 明日は、七十枚に達するよう頑張ろう。

 夕方、伏見健二さん・飯野文彦さんらと電話で話した。お二人の執筆に対する姿勢の真摯さに深く感じ入った。人間、前向きでひたむきな者が最後は勝つと思う。

続・ はひほひ日記

 0:40 02/01/20  
 緊急告知
 昨日、関西オフ怪の連絡先を魔生さん宛と記したが、ペインキラーさんでもOKとのこと。
 参加希望者は、下記HPのマスターへご連絡されたし。
 http://www.asahi-net.or.jp/~vh5t-tngw/
 
 それはそれとして、今日は、なんとか五十枚を越えることができた。
 全部で八十枚くらいの予定だから、あと本当に少し。
 短編が終われば、次は、一休の長編(カッパ・ノベルズ)に取り掛かれる。
 長編が完成したら、その次は、「旋風(レラ=シウ)伝」の書き下ろし分。約二百枚。これは完結篇である。「ノーザン・トレイル」も今年、遂に完結するのである。みんなに色々言われながら、自分はなんて義理がたいんだ、と思う。いや。過去の作品を完結できるのも読者の支持と「カムバック」の声あればこそなのだが。
 そいつが終わったら、お次は角川春樹事務所の書き下ろし。これはかねてより構想していた「朝松版・太平記」の第一作。一作ごとに独立した話で、主人公も設定も変えるのだ。ただ「世界」だけが「太平記」であり、「中世異説」なのである。おそらくライフワークのひとつになるだろうから、じっくり書いていきたい。タイトルは「陀★鬼★弐★(だきに)」。主人公は足利…おっとこれ以上はお楽しみ。
 で、それがおわれば、まだ伝奇時代劇。ホラー仕立て、クトゥルー添え。(まるで料理だね)
 一休もがんがん書きたいし、「太平記」も書きたいし、室町を舞台に大掛かりなダーク・ファンタジーもやりたい。逆宇宙の時代劇バージョンも書きたい。特に白凰坊を戦国末から江戸初期で暴れさせたい。
 戦国物もやりたい。「ミ=ゴウ秘帖」も完結させたい。クトゥルー神話やホラーの可能性にも挑戦したい。室町モノで幻想小説も書いていきたい。
 それらを完成させるためにも、健康に気をつけよう。
 敬愛する渡辺啓介先生からの年賀状(文章は娘の画家・渡辺東先生のもの)に、「父は百一歳になりました」とあった。
 百一歳にして、毎日英字新聞を読み、散文詩を書き、新作のメモを書いていらっしゃるとのこと。娘さんに「君の存在を証明してみたまえ」などと洒落た論争を吹っかける渡辺啓介先生を見習って、脳を大事に使っていこう。(まあ、この六年間、一本のタバコも、一滴の酒ものんでいないから、そっち方面では壊れることがないだろう)

はひほひ日記

 0:11 02/01/19
 今日はあんまり仕事が進まなかった。
 昼寝でリアルな夢を見たせいだろう。しかし、リアルな夢よりも驚くことがある。
 …次女の「くじ運」の良さである。小さい頃から、町内の福引で洗剤を当てたり、ビールを当てたりしていたが、このごろはいよいよ拍車がかかって来た。一昨年は三万分の一の確率の「GLAYテレカ」セットを難なくゲット。去年からは、「ASAYAN」を始めとする公開録画番組の招待券に当たりっ放し。メジャーな芸能人の大半の歌をナマで(しかもタダで)鑑賞しまくっている。で、今日は、某売り出し中のデュエット・グループの招待券が当たった。なんでも、明後日は「ヘイ、ヘイ、ヘイ」の公開録画も行かねばならない(←それもあたっていたんかい)という。
 うーむ。
 真剣に次女に「ジャンボ宝くじ」を買わせて、三億円を狙うべきかもしれない。
 ちなみに次女には霊感もある。
 彼女の「シャイニング(閃き)」によれば、「踊る狸御殿」は「けっこう」。「一休闇物語」は「かなり」、売れるとのこと。当たったら、本気で、オレは池袋に宝くじを買いにいこう。

 来週、1月26日は関西オフ怪。参加希望者は魔生さんまで連絡すること。
 オレは携帯を使って「声だけ参加」する予定。多数の参加を待つ。

不可思議日記2

 22:22 02/01/14
「踊る狸御殿」の手ごたえがいいお陰か、「bk-1」からブックガイドを載せるので、作者と担当の言葉を、と依頼がきた。張り切って800字書く。メールに原稿を添付して送った。それから「一休」の続きを書く。
 テーマは「影わに」という妖怪。出雲のほうに出る魚怪で、水に映った姿(水影)をこいつに食われると、その人は死んでしまうというもの。ただし、これだけでは面白くないので、脚色を施す。しかし、書いてるうちに、なんとなく気に入らなくなって破っては書き、書いては破る。
 翌日、イライラ続く。頭を切り替えるため、パソコン将棋を始めたら、なんと五時間もやっていた。腹立ちまぎれに「将棋ソフト」を外す。イライラ。コーヒーを買いにドトールへ行く。帰りにブック・オフに寄って「役行者と修験道展」(1999年・大阪)のパンフを600円で仕入れる。帰宅してコーヒーを飲む。イライラ。書き直し。二十枚を行きつもどりつしている。
 夕食はサンデーサンで、天麩羅うどんとミニ寿司御膳。妻と長男と一緒。長女と次女は「くるみ割り人形」を観に行った。帰宅。続きを書く。気に入らない。書いては破る。イライラ。
 昨日観た夢==髪の毛が剃られて頭が凄く凹んでいた。手術直後よりひどい。V字型に切れ込んでいて醜い皺がよっていた。不快感。場面変わって大学。白穏禅師の講義。後ろて゜Kがうるさい。
 起きてから「夢占い」の本を調べる。「髪がなくなる・頭の傷」、いずれも良くない相。腹が立ったので、本を雑本の山に埋めてやる。
  
 昨日、古本屋で、「遊行女婦・遊女・傀儡女」滝川政次郎(至文堂 昭和40年)を1000円で手に入れた。安い。面白い。しかも、先日来こだわってきた「筑紫舞」に関連した記述もあった。
 平安時代は江口・神埼が、飛鳥・奈良時代は難波津が、遊女の本場であったなど、初めて知ることばかりである。
 傀儡子の芸能については「第一章クグツの生態 第四節 クグツ・傀儡子の芸能と売色」に詳しい。以下は傀儡子がよくしたという歌・舞である。
 

  1.  古川様(ふるかわよう)「傀儡子記」の著者・大江匡房の時代にはよく歌われたらしいが、近衛帝時代以降は秘曲になってしまい、忘れられていった。
  2.  足柄  山姥によって伝えられた曲節。滝川教授は「山姥は足柄山中に住んだクグツであろう」と述べている。と、すれば、例の金太郎の母親たる「山姥」も同様にクグツなのか。坂田金時はクグツの一族だったということだろうか。
  3.  片下(かたおろし) 謡い方の名前らしい。
  4.  黒鳥子 手を組んで回る「鳥名子舞(とりなこまい)」と同種のものか。
  5.  田歌 田植え歌から起こった歌で、田舞に用いられたらしい。
  6.  神歌 名前こそ「神の歌」だが、内容は恋愛を謡ったものなど。ゆえに滝川は「神歌の例を引いて、クグツの前身は巫女」とした柳田説を否定している。
  7.  棹歌 船子が棹さしながら歌う「舟歌」。
  8.  辻歌 不明
  9.  満固(まこ) 馬子歌か。
  10.  風俗(ふぞく) 当時地方で生まれた民謡・童謡の類。のち、全国的に流行したらしい。風俗歌の略。
  11.  咒師 「咒師がその芸能を演ずるに当たって謡う歌」咒師は咒禁師(じゅごんし)のこと。咒術の効験あることを宣伝するために、衆人環視のもとで咒文を唱えたり、う歩を行ううちに、咒文に曲がつき、う歩が軽業・曲芸になって、いつのまにか芸能人になっていった(う歩は道教系咒術で行う足運び)。中世には「咒師猿樂」なるものがあったらしい。芸能人となった咒師は寺に召抱えられて、法会のアトラクションとして芸をみせた。咒師の芸には「剣手」と「走手」というものがあった。「剣手」は杖や剣を持って舞うもの。「走手」は「咒師走り」とも言い、咒師五法のひとつ、う歩の変化したものである。一説に傀儡子が忍者の祖と言われるのはこのあたりから来ているのではないだろうか。
  12.  別法(べちほう) 不明。

 以上は、滝川教授が、傀儡子の歌を中心に考察したものである。
 歌でさえ不明事項が多いのだから、実際の舞となると、まったく謎が多い。
 鈴鹿千代乃氏の研究がいかに貴重なものか、改めて教えられるのである。

痛い話 気味の悪い話

 0:19 02/01/14
 先日、宴会の席で、平山夢明氏と隣合った。どういう経緯かは覚えていない。気がついたら、「脳外科手術」の話をしていた。
 
朝松「痛かったのは、手術そのものより、その前段階のカテーテル検査です」
平山「検査が痛いんですか」
朝「痛いですよお」
平「麻酔してるんでしょう」
朝「してるけど、最中は、利いてやしませんよ。泣き喚いたのを覚えていますから」
平「うわあっ」
朝「最初に右の太腿の付け根の毛を剃って穴を開けるんですよ。まあ、この辺はまだ覚えていない。しかし、穴から、細い──髪の毛みたいなカテーテルを大動脈に突っ込む。そうして、カテーテルは、血流に乗って〈上〉に向かって流れていくんです」
平「……」
朝「そのね、血管の中を異物がズルズル上っていく感覚ってのが、もうスゴいものでしてね。ほら、口の中に髪の毛一本入ったって、異物感は相当なものでしょう。まして、その異物が中空なテレビ・ケーブルみたいな物だったら…」
平「アレですね。パラサイトが侵入してきたというか、クローネンバーグの映画みたいですね」
朝「そう。まさにクローネンバーグの世界です。で、もって、異物感が最高に達するのは首から上へ行く時ですね。ここから先は人体でもブラック・ボックスだから、カラダも容易に通させたくない。それをズリズリこじあけるように上っていく。クライマックスは眼球の裏を進むのを体感した時ですね。わたしは、泣いてましたよ」
平「胃カメラでもかなりのものなのに。うーん。痛そうです」
朝「で、医者が二人、箱みたいなのを上下させて、カテーテルの様子を見ている。それが、わたしの目には、腐ったキャベツみたいな頭デッカチな怪物二匹にみえる」
平「うっわあ。宇宙人に誘拐されてインプラントされたみたいだ」
松尾未来「だからね、この人、検査後、『秋山真人さんの世界だ』ってウワゴトを言ってました」
平「UFОアブダクションって奴だ」
朝「で。ホンチャンの手術では、怪物はナシでした」
平「[は]と言うからには、それ以外のものは見えたんですね」
朝「さすが、鋭いですね。いかにも、幻覚というか、幻想というか、いっぱい不思議なものを見ましたよ」
平「それは、どんな…」
朝「たとえば、わたしは、保育園のプレイルームにいるんです。もうすっかり
あたりは薄暗くなっている。そんなとこで、ひとり、木の床に座っている。床には玩具のレールが丸く敷かれていて、レールの上をプラスティックの汽車がぐるぐる走っている。途中には踏み切りの玩具もあって、汽車が近づくたびにピカピカ点滅して、オルゴールみたいな音を出す。なんかとても寂しい感じでしてね。こっちは一人ぼっちで。と、キュッキュッという音がしてきた。何だろうと振り返れば、ゴムのアヒルの玩具が勝手に歩いているんです」
平「怖いような、寂しいような、不思議なイメージですね」
未来「手術の後で、この人、怒っていましたよ。『みんな馬鹿にしている。床にアヒルのオモチャを歩かせている』って」
平「うーん。きっと、その、プレイルームって所は、現実から夢に行く途中にあるドアのなかなんでしょうね。なんというか、朝松先生の心の一番深い所なのかな。他のドアは開いてもいいし、なかに入ってもいいけど、ここだけは本人でもダメだという、そんなドア」
朝「ああっ。今までこの話を色んな人にしてきたけど、そういう感想を言ってくれたのは平山さんが初めてですよ」

 流石に「人間心理の暗黒」を真正面から見据えた傑作『東京伝説』の著者であった。
 わたしは自分の心の、一番深い部分を、見通されてしまったように感じた。
 彼の眼は文学者の眼である。詩人の眼である。心理学者の眼である。そしてなによりも「人間を慈しみ、観察する者の眼」である。
同じ小説をなりわいにする者として、見習いたいと心底感じた。

不可思議日記1

 0:20 02/01/12 
@ 一月九日は仲間うちの「新年会」と「E先生を励ます会」を兼ねた集まりがあった。前回、十二月九日は、軽い発作でみんなの前で倒れてしまったので、今回は十分な睡眠と休息を取って、しかもカミさん同伴で参加した。
  幹事は高橋葉介先生。超多忙の先生をこき使っていいのだろうか。高橋先生ごめんなさい。参加者は、田中文雄先生・木原浩勝氏・平山夢明氏・外薗昌也先生・飯野氏・井上氏・講談社のワタナペ氏・東京創元社のM原氏・秋田書店のエス氏・高橋先生とわたしとカミさん。飯野氏は例によって×◎←‥な言動でみんなを楽しませてくれる。
朝松「飯野さんは詩人なんですよ」
平山「確かに詩人ですねえ」
木原「だからといってパッチひとつになるのは遣りすぎでは…」
田中「やっぱり純文学だな。作家のキャラを前面に出しすぎているな。このままでは、本人が苦しくなるな」
エス「傷つくんだったら、しなけりゃいいのに」

A 一月十日は昨日の疲れか、「思考の静止する日」だった。いちにち、ビデオを見て(『魔界世紀ハリウッド』)、パソコン将棋をして、「日記代わりの随想」を書いていた。

B 一月十一日、今日は体調が良い。「一休もの」の短編を書き直して八枚書きついだ。この調子で明日は十二枚、頑張ろう。夜は次女に付き合って、「リング」のテレビ版(ずっと昔にフジでやった金曜エンターティンメント枠の録画)を見た。お化けより女の人のハダカが目に付いた。原作にはこちらのほうが近いようだ。次女は夢中。こっちは(うーん。そうかなあ)という気分。まあ泣く子と地頭と勝ち組には逆らわないことにしよう。鶴亀鶴亀。
 
C 「日記代わりの随想」に書いた「神道民俗芸能の源流」の話が評判良いので、面白い本を見つけたら、また「引用」と「再話」という形式で紹介してみよう。手近にある本で紹介したいのは、「足利将軍暗殺」今谷明と、「変成譜」山本ひろ子なのだが、「引用」と「再話」なら、フィールドワークものが面白いだろう。

D 2002年上半期の予定(予定は未定にして決定にあらず)
    四月 「一休闇物語」(一休の短編集) 光文社文庫
    六〜七月 「一休虚月行」(一休シリーズ書き下ろし長編)カッパノベルス
    六〜八月 「旋風(レラ=シウ)伝」(『ノーザン・トレイル』決定版)
    六月  「夜の果ての街」 (文庫版) 光文社文庫

  こんなところでしょうか。その他の仕事も準備中です。今年もどうか応援してくださいますよう、お願い申しあげます。

伝奇な神楽(その五)

 23:10 02/01/10 
 光子たちが九州から戻ってから、検校は彼女に「筑紫舞」の奥義ともいうべき「翁」を教え始めた。
 まず教えたのが「五人立ちの舞」である。これは別名「国問いの翁」ともいう。五人それぞれに異なる国の名を負った翁が登場し、国名乗りをする内容の舞であった。その内訳は、中心が肥後の翁、以下、加賀(かんが)の翁、都の翁、難波津より上(のぼ)りし翁、出雲の翁であった。
「五人立ち」の次は「七人立ち」。上記五人に加えて、尾張の翁、えびすの翁というのが加わる。それから「りんぜつ」「三人立ちの翁」と続いた。
 その頃の光子は普通の筑紫舞なら一日に二、三曲は覚えてしまう所まできていたが、「翁」は別だった。彼女は実に七年かけて、筑紫舞の奥義「翁」を伝授されていったのである。
          §
「三人立ちの翁」があがった時のことだった。
 検校と例の伝令(斉太郎というのが彼の名前であった)とがこんな話をしているのを偶然聞いてしまった。
「これで一応終わった」
「おやかたさま、『うきがみ』は?」
「しかし、あれは、舞うことがないから」
「ぜひ、あれを、とうさん(光子は検校たちにこう呼ばれていた)に…」
「では、移し変えておこう。しかし、『うきがみ』をやるには『源流』をやってからでなければ…」
 これを聞きながら、光子は、
(また翁やろか)
 と思ったのだった。
 検校はこうも言った。
「『源流』が覚えられんようでは『うきがみ』は到底無理」
 ちなみにこの『源流』あるいは『源流翁』は一生に一度だけ、五十を過ぎなければ舞ってはならないという舞であった。
(光子がこれを舞ったのは、これより遥か後、昭和五十八年のことである)

                §

 いつしか時は昭和十八年になっていた。
 戦争が激化してきたこの年の夏、検校は、十三に申し出た。
「もうお嬢さんに教える芸は無くなりましたので、これでおいとまさせていただきます」
 傍で聞いていた母が慌てて、
「戦争もどうなるやしれまへんし、うっとこにおられたら、食べることくらい何とかなりますさかいに、どうぞいつまでなりとおってください」
 しかし、何度、引き止めても答えは同じだった。
 別れの時、検校は光子に酒を注いでくれと言った。
 光子が注ごうとすると、検校は、
「賜れ、賜れ」
 と言った。それは九州の儀式と同じであった。
 光子が素直に注ぐと、彼はそれを飲み干して、
「いろいろ難しいことを押し付けましたが、傀儡子のこと、筑紫振りの伝承の道すがら、いろいろ申し上げた解釈のことなど、そっくりそのまま持っていてくださらば、いつの日か、何十年、いや何百年先にでも、きっとそのいろいろの謎を解いてくださる方が現れるでしょう。それまで、伝え伝えて大事にしてください」
 検校とケイさんは山十の人たちに丁重な礼を述べて神戸を去っていった。
 昭和十九年、光子は結婚した。夫は兵隊にとられ、彼女は舞妓(まいこ)の別荘に逃れた。戦火は次第に本土に迫っていた。

              §

 ところで、『うきがみ』については奇妙な因縁がある。
 検校が教えてくれたこの舞は不思議な舞だった。
 敷布を頭からすっぽりと被せられた。その上に青い藻のようなものを頭に下げる。これを「藻燈(もとう)」といった。検校は「醜いからそうするのだ」と言った。
 鳴り物は大皮と笛。琴は弾かずその横手を打った。歌はなく、「オー、ウー」という唸り声だけである。海から浮かび上がり、遥か彼方を見やるような仕草をする。
 検校は「うきがみ」が、最も大切なものであると言ったが、光子は(けったいな舞)と思ったまま、五十年間忘れてしまった。
 昭和五十八年十二月、鈴鹿千代乃氏(この『神道民俗芸能の源流』の著者)は、光子と奈良春日大社の「若宮おん祭り」に赴いた。
 夕方、二人が社務所で待っていると、使いが呼びたてに来た。その呼び方は太宰府の伝令、斉太郎とそっくり同じものだった。
 深夜、若宮の神を迎えたお旅所で、彼女は、「細男舞(せいのおまい)」を鑑賞した。その時、光子は思い出した。
(あんなん、うちにもある。『うきがみ』や)
 
             §

 昭和二十年の春、光子の友達が、夫の郷里の長崎に行った時、偶然、検校と会った。
「山十におってはった検校はんと違いますの」
 そう呼びかけると、検校は静かにうなずいた。
「うち、山十の光子はんの友達です。うち、これから神戸に帰りますけど、山十の皆さんにおことづてないですか」
 検校は首を横に振った。
「じゃ、光子はんには?」
「いえ、何もございません。もう、あの人がわたしですから」
 その年、長崎に原爆が落ちた。

             § 

 戦後、光子は出産のため、父の無郷里の徳島にいた。そこへ、神戸の実家から手紙が回送されてきた。封を切れば、新聞の切り抜きが入っていた。それは、『通称ケイさんが入水自殺した』というものだった。福岡県のどこかの川だったらしい。九州から誰かが知らせてくれたのではないか、と光子は思った。
 生活が落ち着いてから、光子は、長崎に原爆が落ちた八月九日を検校の命日と決めた。
 そして、光子は、西村光寿斉(にしむら・こうじゅさい)の名で、「筑紫舞」を今も伝え続けているのである。
 
 長い引用と再話になってしまったが、傀儡子の舞を今日に残すこのエピソードに、ぼくが限りない伝奇的興味を抱いたことだけは、ご理解いただけたのではないだろうか。
「神道民俗芸能の源流」鈴鹿千代乃(国書刊行会)
 まだ手に入るかどうか分からないが、もし、お目にとまったならば、一読をお勧めする次第である。 

伝奇な神楽(その四)

 0:03 02/01/10 
 昭和十一年秋、光子が十五歳になったとき、菊邑検校は、
「本場の筑紫舞をお見せしよう」
と、光子と父の十三、そして地唄舞の師匠山村ひさを九州に誘った。同行したのはこれに山十の番頭、それから、「太宰府の伝令」であった。
 一行は大宰府近くの二日市温泉に、まず一泊した。翌日は汽車と鉄道馬車を乗り継いで、とある駅で降りた。そこから、小高い丘を登っていった。しばらく登っていくと、大きな洞窟の前に出た。
 それは、古代の石室であった。
 そこにはいろんな風体の男たちが集まっていた。なかには山伏の格好をしたものもいたし、薬の匂いのする者もいた。(薬やさんかな)と光子は思った。
 彼らに共通しているのは皆上品な顔立ちをしているということである。
 男たちはそれぞれ持っていた衣装に着替えたが、それは一様にぼろぼろであった。そして彼らは藁の鉢巻をした。
「去年舞ったのはあの山の向こうでしたな」とか、「おやかたさまの前で舞うのもこれが最後だろう」などという会話が聞こえた。
 丘からは海が見えた。
 男たちは、海に向かって、両手を広げ、大気を吸い込むような仕草をした。
 石室にはかがり火が焚かれていた。そこは巨大な石で覆われている。中ほどの両側に長方形の窪みがあった。
 石室の一番奥に検校が座り、横にケイさんが座った。光子・父・山村ひさ・伝令・番頭は、中ほどの窪みに座った。
 一同の座が決まると、男たちは次々に石室に入ってきた。
 そこで光子は不思議な舞を見た。
 舞は「翁」で、二番あった。その一つを彼女は後になって習ったが、それは「七人立ちの翁」というものであった。もう一つ、男たちは、「十三人立ちの翁」という舞いを舞ったが、こちらは習わなかった。
「十三人立ちの翁」は舞人が十三人もいるというものであった。
 中心に高倉翁(あるいは朝倉翁)がいて、「乙」(おと)という女役がいて中心の翁に色っぽくしなだれかかるのだ。
 舞は寸分の狂いもないものであった。楽器は笛、鼓、それから光子がみたこともないものがあった。琴板のようなものの藁縄をといて茶筅のようにしたもので、叩きつけてシャッシャッという音を出すのである。
 舞が終わると、一人の男が光子に、用意してあった白むし(小豆の入っていないおこわ)を「おがたま」の葉に盛り、「舞人ひとりひとりに与えるように」と言った。
 言われるままに光子は男たちに白むしを与えた。
 男たちは「賜れ、賜れ」と言っておしいただき、それを懐に入れた。
 次にまた舞の男が用意していた酒を取り出し、男たちに注ぐようにと言った。光子は酒は芸者や女中が注ぐものだと考えていたので、
「そんなん、いやや」
 とソッポを向いた。男たちはそれでも「賜れ、賜れ」と進み出て、座が一瞬動揺した。
 その時、はじめて、検校が、
「あせるでない」
 と言ったので、皆は、ひき下がった。
 こうして儀式は終わった。
(以下明日に続く)

伝奇な神楽(その三)

 0:13 02/01/08
「傀儡子(くぐつ)」とは何だろう。
「中世史用語事典」佐藤和彦編(新人物往来社)には次のように定義されている。
「くぐつ 傀儡子 人形劇を中心に、さまざまな芸に携わる遍歴の芸能集団。大江匡房の『傀儡記』に、その姿が描かれる。交通の要地である港津・宿を中心に移動して芸を行った。貴族の宴席に招かれたり、荘官とともに荘園に下る者もいた」
「神道民俗芸能の源流」の著者鈴鹿千代乃氏は同書で語っている。
「人形は言うまでもなく、その発生は、人間の雛形・人形(ひとがた)で、それは人間の罪・けがれを移し付けて海や川に流されたり焼かれたりした一つの呪物であった。(中略)けがれを一身に受けた人形(傀儡子)を持ち歩き、これを舞わすがゆえに、後世人形使い(傀儡子・傀儡師)たちは蔑視されたが、本来は、そうした神聖な人形を舞わす神人として畏敬せられていたにちがいない」(同・『傀儡子讃』10頁)

               §
                
 光子が菊邑検校から習っている舞が傀儡子の芸であることを知っても、うろたえたのは母一人だった。父十三も、検校の口から直にそれを聞いた祖母も、まったく動ぜず、それどころか父は神社のご祭礼に酒を奉納しては、光子に筑紫舞を舞わせた。
 こんなことがあった。検校に請われて、灘の敏馬(みるめ)神社で光子は舞いを舞った。それが「神舞」の一つであったと知ると、父は、「どこかの神社に改修はないか」「なんか記念祭はないか」と探し回り、あちこちの神社に舞を奉納させるようになっていった。それは彼の生きがいにでもなったようだった。
「神様は舞いが好きなんや」
 と、いつしか光子は思うようになっていた。
 また、祖母は、検校の人柄に強く惹かれた様子で、彼が子供にも分かりやすく神や仏の話をしたり、稽古の合間に光子と話したりしている時、近所の子供が遊びに誘いに来ても、決して合わせようとしなかったという。
「光子は俗世を越える修業をしとるんや」
というのが、その理由であった。

           §
 そして、光子が女学校二年になった昭和十一年の秋のことである。
 十五歳になった彼女は、まさしく、「俗世を越える」ような体験を九州でするのだった。
(以下、明日に続く)

伝奇な神楽(その二)

 22:23 02/01/06
 地唄の師匠が九州から連れてきた菊邑検校は五十半ば。堂々たる体躯の持ち主で、顔は俳優の山形勲によく似ていたという。ぼろぼろの墨染めをまとい、まるで図像に残る一遍上人のごとき出で立ちであった。傍には「ケイさん」という耳の不自由な美しい女性が影のように侍っていた。
 検校という肩書きでも分かるように、彼は盲目で、しかもその筝曲の腕たるや、八橋十三曲、賢順十曲といった秘曲を見事に弾ききって、まこと神業と呼ぶに相応しいものだった。
 山十の屋敷で検校は歌舞伎役者に舞を伝授し続けた。
 しかし、なまじ歌舞伎の舞踊を身に付けているために、役者は容易に「間」をとることが出来ない。いつしか、役者よりも、舞台の稽古を見学していた光子のほうが先に覚えてしまった。光子は幼い頃より地唄舞を習い、素質があったのである。また、未だ小学五年生、身も頭も柔らかかった。
 二ヶ月ほど役者に稽古をつけて、九州に帰ることになった検校は、挨拶の席で十三に言った。
「実はお願いがあります。お嬢さんにわたしの大事なものを取っていただきとうございます」
 それは、光子の素質を見抜いた検校の、「筑紫舞の全てを伝授したい」という申し出であった。
 父十三は光子に言った。
「お前どうする。陽気浮気で言うたらあかんで。これは一度習うたら途中でやめるということはできへんで」
 当時、地唄舞に飽き飽きしていた光子は、跳躍や足踏みのあるダイナミックな「筑紫舞」の動きに魅力を覚えていたので、即座に答えた。
「する」
 …かくして光子は菊邑検校に付いて「筑紫舞」を習うこととなった。
 そもそも盲目の検校が如何にして舞の指導をするかといえば、袖を上げ下げして風を切る気配、つまり「切り」でこちらの動きを測るのだという。それは怖いほど正確で、ちょっとでも間違うと、すぐに、
「今のとこ、ちょっと上へあげてください」
と注意がとんできた。
 検校は口で指導するだけで、実際に舞ってみせたのは、口のきけないケイさんであったという。
 二人の光子に対する厳しい指導は、それから十一年間──昭和七年から十八年まで続いた。この間に光子はその身に「筑紫舞」「筑紫神舞」「神舞」「筑紫ぶり」など二百数十曲もの舞を蓄えていったのである。
          §
 検校は謎の多い人物であった。
 本名も分からない。住所も分からない。正格な年齢も、家族の有無も分からなかった。
 ただ、光子は、なんとなく九州の大宰府に関わりのある人ではなかろうかと感じていた。
 それというのも、時々、手甲脚袢の旅装束の伝令がたずねて来て、山十の玄関に畏まると、
「大宰府よりのおん使者参りました」
と、検校に呼びかけたからである。
 この伝令は検校を「おやかたさま」と呼んでいた。
 店の者が、「検校はんのお部屋にお床とりましょか」と言うと、
「滅相もない。おやかたさまと枕をともにするのは、おやかたさまの『お船入り』(亡くなった)時だけでございます」
と答え、伝令は、納屋に泊まるのが常だった。
 伝令が来ると、検校はケイさんと共に、九州に帰っていき、しばらくするとまた神戸に帰ってくる。そんなことの繰り返しであった。
 九州でも検校が転々としているらしいと、いつしか光子は知るようになった。
            §
 検校は、ある時、一介の筝曲家である自分がどうして「筑紫舞」を伝承したのか、光子の祖母に語ったことがある。それは概ね以下のような内容であった。
「かつて大宰府に近いある寺で、師匠の追善供養に琴を弾いていた時のことである。琴に合わせて足踏みする音が庭から聞こえた。その『間合い』が絶妙だったので、ケイさんに呼びに行かせた。やがて一人の男が現れた。自分が、随分達者に足で拍子を取られるが、能でも舞われるか、と尋ねると男が答えるに、自分は今でこそあちこちの寺の庭掃除をして食べているが、実は筑紫の傀儡子(くぐつ)でして、筑紫舞とも傀儡子舞ともいうものを舞います、と。筑紫舞とは初めて聞くが、と問えば、何百年も前から仲間が大勢いて、その筑紫舞を伝えているのだと。昔は年に一度、高位高官の前で舞えば、一年ゆっくり食べることも出来たのだが、時代が変わり、皆ちりぢりになってしまった。実は仲間の言い伝えに、筑紫舞は誰かに伝えて死ななければ、死んでも地獄に落ちるとか。お願いだから、知り合えたのも縁と思い、この舞を受け取ってはもらえまいか」
 この男はハンセン氏病のため、余命いくばくもないと考えて仲間と別れて一人暮らしをしているということであった。
 検校は「そういうことならば」と約束して、毎日、男と会い、琴を弾くいっぽう、ケイさんに振りを稽古させた。こうして、ゆっくりと、傀儡子の舞を全て受け取ったのだという。
(以下続く)

伝奇な神楽(その一)

 23:47 02/01/05
 まずは謹んで新年のお慶びを申し上げます。

 正月は毎年「食っちゃ寝。食っちゃ寝」の生活を送り、挙句、床板が抜けるほど太って家族から口を利いてもらえなくなるのだが、今年は天の配剤か、そうなる前に腹を壊し、半日寝込んでしまった。それでも一日は午後七時ごろに、二日は午後五時半ごろに初詣に行き、お札とお守りを買うことができたのだった。三日四日は「一休闇物語」(四月刊)に収録するための短編(またこんなこと言ってると中篇になってしまうのだ)を書き始めた。
 で、資料になるかと読み始めた本が、べらぼうに面白かった。
「神道民俗芸能の源流」鈴鹿千代乃著(国書刊行会)
 なんだ。良く見れば、おれの古巣の発行じゃないか。そうと知ってたら、昔の同僚に頼んで、安く売ってもらうのだった。
 それはともかく、著者の鈴鹿氏は、昭和63年(この本の刊行時)においては神戸女子大学助教授。民俗学者である。研究対象は、「傀儡子(くぐつ)・遊女・海人族といったさすらいの旅芸人の足跡」と「八幡信仰圏に息づく民俗芸能や信仰」(同書「あとがき」より)ということで、本書でも、「筑紫舞」を巡る論文「『筑紫舞』聞書─西山村光寿斉より」が素晴らしく面白くて、久しぶりに読んでいるうちに正座していた。
 これは「筑紫舞」という伝統芸能を伝授された少女の物語である。
(以下、鈴鹿氏の論文を要約してみるが、なにぶん拙い再話であることをまずお断りしたい。興味を持たれた方はどうか原著に接していただきたく思う)
 少女の名は河西光子。大正11年、神戸の造り酒屋山十(やまじゅう)の一人娘として生まれた。
 父は十三(じゅうぞう)、母はしな。十三は自身義太夫を語るほどの芸好きで、芸人を庇護した。ために家には多くの使用人のほかに居候する芸人がいた。彼はまた、家に舞台を作り、一人娘のために師匠を呼んで芸事を習わせたという。
 光子が小学五年生になった昭和7年のあるときであった。十三の世話になっていた上方歌舞伎の役者が、芝居の工夫に「筑紫ぶり」なる舞いを学びたいと申し出た。聞けば、「筑紫ぶり」は「筑紫舞」ともいう特殊な舞いで、これをよくする者は、「菊邑(きくむら)検校」なる人物しかいないのだという。
 十三はなんのためらいもなく、これを引き受け、「その菊邑検校さんをよんだらよろし」と答えたのだった。
 これが、一人の少女が、秘神楽「筑紫舞」に接し、その継承者となるきっかけであった。
(以下、明日)


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