日記代わりの随想
2002年下半期

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一休通信(その36)

 19:16 02/12/30
 二十六日頃から調子が悪かったのだが、二十八日の朝に爆発した。胃が痛い。それも並の痛さではない。こんなに痛いのは、急性すい炎をやった時以来である。あんまり苦しいので、ドクター安田の許に行き、抗生物質をワンポイント下げてもらい、ついでに胃の薬を貰った。帰ってからすぐに飲んで寝た。
 起きたら、やっぱり痛い。ぼくの胃痛のため、予定していた家族忘年会は新年会に変更となった。ごめんっ。
 薬を飲んで寝たら、ホテルに背広を忘れるわ、銭湯に行けば靴を間違えられるわ、ポロ靴を履いて外に出たら、車に跳ねられるわ、というさんざんな夢を見た。ついでに死んだ父まで夢に出てきた。あぶねー。
 こんなに嫌な目に遭ったのだから、もう治っただろうと思ったら、朝起きたら、やっぱり痛い。昨日よりは楽な気もするが、痛いことには変わりない。
 午前10時半頃、休日診療に行く。
 どうやら風邪から来た胃炎と、金曜の晩に食べた脂っこい物による胃炎の合併症らしいとのこと。
 飯寿司を食べた、と言ったら、「まさかボツリヌスでは…」と脅かされた。
 同じ物を食べた娘たちが平気なのに、そんな訳、ないでしょうが。
 北海道人は「ボツリヌス」と「エヒノコックス」の両病気には過敏な反応を示すのだ。
 帰宅後、薬を飲んで寝た。楽になっていく。
 時々に感じる胃痛も、他人事くらいに遠いのだった。

 尊敬する先生よりお手紙。
「真田三妖伝」は朝松健の代表作になるだろう、との感想と励まし。
 なんとなく、こちらの胃痛地獄を見越してお手紙下さったような気がした。
 明日には仕事部屋の掃除が出来るくらいには回復したいものである。

一休通信(その35)

 0:56 02/12/27
 今日も農耕的に仕事をした。
 ◎風邪は、わたしは回復。妻は未だ苦しそう。困ったことである。
 ◎原稿は中々進まず、ようやく220枚。一休・虚丸・かがりの三人は奈良坂を越えて、とある集落へ。そこで恐ろしいものを目撃する。
 ◎どうして進まないのか。奈良の描写が上手くいかないためか。しかも日でりの、真夏の奈良である。いっそ立原とうや氏に訊いてみようか。
 ◎奈良といえば月ヶ瀬という所に、大学の後輩がいた。もう引っ越したそうだが。最近調べたら、この月ヶ瀬という土地は、長らく柳生と伊賀とが領地として奪い合った場所だそうな。後輩は、見事な関西のヤンキーの格好をしながら、神秘学に造詣が深く、特にグルジェフの研究をしていた。外見で人を判断してはいけないという典型である。しかし柳生と伊賀の解剖台上の出会いから生まれた男なら、ヤンキーとグルジェフの取り合わせくらい驚くにも当たらないのかもしれない。
 ◎「あぶない一号」という雑誌の増刊号を読んだ。平山夢明氏が書いてると思ったのに、書いてなかった。残念。あまり面白くもショッキングでもない。
小学生の時に、「月足らずで流れた赤ん坊の死体」とか「取り立ての癌細胞」とか「交通事故でグチャッた女の人の顔」とか見慣れた人間としては、「メメント・モリ」と言われても、「ほんまですな」としか言い様がない。法医学の本はヤケドの写真が一番トリップできるのに。知らねえな、お前ら。って感じである。

一休通信(その34)

 0:08 02/12/26
 今日も農耕的に仕事をした。
 なんだか頭が痛い。午前七時半に布団の中で訴えると、「駄目だ駄目だ駄目だ」と妻は言い、「風邪をひいたのよ。そのまま、寝ていなさい」と命じる。
仕方なく寝なおした。午前十一時すぎ、帰宅した子どもたちの声で目覚めた。
 今日は終業式。通信簿の日であった。頭痛を覚えつつも起床。子どもたちの通信簿を親として見た。二女はとても頑張っていた。頑張った結果がそのまま出てくるのは子どものうちだけではないだろうか。大きくなれば、どんなに頑張っても中々結果なんて現れない。それどころか、周囲の無理解や、「ためにする」嘲笑にさらされることもある。ああ。醜いかな、大人の世界。オトナ子どもの世界。中高生くらいが一番である。(もっとも最近の中高生を取り巻く状況はオトナの世界よりシビアになっているようだ)
 仕事も頭痛で進まず。食欲はあるし下痢もしていない。ただ、頭が痛い。それから寒気。そして喉がイガイガする。
「駄目だ駄目だ駄目だ」
 といいつつ、病院へ行くことにした。近所の安田耳鼻科である。ドクター安田は大変な名医で、風邪も花粉症も難聴も、あっと言う間に治してしまうのだ。しかも「駄目だ駄目だ駄目だ」はドクター安田の口癖なのであった。
 四十分待たされ、やっと順番が回ってきた。症状を訴え、喉を見せた。
 案の定、ドクターは言った。
「駄目だ駄目だ駄目だ」
 喉にたっぷり薬を付けられた。吸入をした。
 薬を買って帰る。早速、飲んだ。
 頭痛がとまった。
 仕事を始めた。とりあえず大事をとって五枚で止めた。215枚。伊勢方の描写が終わった。伊勢の国司・小倉宮・異連斎庭(けずり・さいてい)三人三様の思惑が描けた。単純な善玉v.s.悪玉の構図がえがけない。必ず、善(?)のほうにも悪(?)のほうにも、内部に対立があり、思惑が錯綜している。そんなふうにしか描けないのだ。こんな書き方をぼくは何処で学んだのだろうか。絶対に小説ではない。手塚治虫か、白土三平に違いない。きっと「ロック冒険記」か、「カムイ伝」だ。
 それはともかく、次の節から、やっと一休が出ずっぱりになるぞ。
 まったく、ヒーローが中々活躍せずに、「世界」が延々と語られるなんて困ったものだ。「駄目だ駄目だ駄目だ」
 風邪が完全に治ったら、仕事のピッチを上げよう。

 ◎年賀状が出来た。羊が可愛い。妻の会心作。
 ◎「私闘学園」のコンテンツを作ってくれた方より連絡をもらう。
 ◎町は年末の気配。コンビニは早々と先週から鏡餅を売っている。
 ◎発作皆無から一年と二週間と五日。このまま保たせたい。
 ◎来年より、原稿をパソコンで執筆、確定か。

一休通信(その33)

 0:29 02/12/25
 今日も農耕的に仕事をした。
 妻が朝から「調子悪い」と訴える。一週間前と同じ症状である。クリスマスプレゼントを買いに行って、また風邪をもらってきたのだろうか。我が家では妻(母)の動きがストップすると、みんな、動きが止まる。元始、母は太陽なのだ。最近は二女が頑張ってくれるのだが、今日は平日なのでそうもいかない。
 午前中はずっと妻は寝ていた。こちらは一人でコーヒー。侘しいね。
 昼食を買いに行ったら長男と会う。一緒に銀行・スーパーへ。
 銀行はとても混んでいた。
 昼食。のち、昼寝。一時間ほど眠る。
 午後三時頃に編集プロダクションより電話。「M野です」という。なんとアスキーでクトゥルー・コミック「妖神降臨」を担当し、メディア・ワークスで「電撃HP」の編集と伏見健二氏の「ハストール」を担当した、あのM野氏ではないか。思わず絶句。三つの会社を股にかけ、なおかつ全部クトゥルー絡みで付き合うとは。……この商売、長くやっていると色んなことがあるものである。
 電話を切ったのち、また寝る。
 目が覚めたら午後七時半。眠りすぎてしまった。
 午後八時半頃より家族でクリスマスパーティー。しみじみと幸せを噛み締める。妻はワイン(←飲んでから具合悪くなってやんの)。わたしはシャンメリーを飲んだ。正月用にノンアルコールビールを買おうかな。と、ふと思う。
 午後九時半頃より仕事。
 あまり進まず。五枚進んで、やっと210枚目。ふーっ、ダメだ。最近、集中力が持続しない。男の更年期は五十五歳くらいからだそうだが、こちらは大病しているので早く来たのかもしれない。まだ若いつもりなのになあ。兎に角、指定の日までに300枚に近い枚数まで進めなければ。

 ウチの近所に女子格闘技の道場が出来た。SODという名前だ。プロコース以外に一般コース・キッズコースがある。
 特別顧問はジャガー横田。神取忍。あとは誰だったかな。とにかく本格的である。まさか「私闘学園」の作者が近所に住んでるから道場を開いたのではあるまいな。

一休通信(その32)

 23:29 02/12/20
 今日も農耕的に仕事をした。
 気がつけば金曜である。
 今週は妻が風邪をひいたり、子どもの帰りが早かったり、広島から友達が遊びに来てくれたり、金沢の友人からBホラ(B級ホラー)のビデオが送られてきたり、北海道から荒巻鮭が届いたり、トランプ占いが悪かったり、なんだか色々あった。原稿はあまり進まなかった。
 火曜に東京創元のM原氏と会う。「真田三妖伝」を差し上げる。今後の企画とか、世間話とか、ちょっと信じられないamazingな話もする。ひょっとすると何年か後に、世界はM原氏のために大激変するのかもしれない。急にそんな気がしてきた。「秘神界」の売れ行きも上々。まあ、こんなご時世、すぐに再版しないのは分かっている。とにかく息長く、薄く広く、一軒でも多くの書店で売っていってもらいたい。トランプ占い、悪し。
 水曜には祥伝社のI野次長より電話。「真田三妖伝」は結構な手ごたえあれども、しかし未だ再版には至らず、と悔しそう。最近、こういうパターンが多いので悠然としていられた。10年も前なら、再版できないプレッシャーで酒量が増えていただろう。現在はリラックスしている。不況下で生き延びるコツはあくせくしないことである。なんと言ってもこの七年間で、こちらはジリジリと売れ行きがあがっているのだ。瞬間風速よりも恒常性を見て欲しい。とは言え、池袋のH林堂では、かなり売れたらしく平台が深く凹んでいたそうな。身内の贔屓目でも嬉しい。一人でこっそりニコニコする。トランプ占い、最悪。
 木曜には光文社のW辺氏に会い、出来たところまで原稿を渡す。やっと第三章が終わって百九十枚。一休たちは間もなく桜井に入る。伊勢まではまだ遠いなあ。しかもストーリーはやっとキャラクターが揃ったところ。アタマで書いているのが、敗因だろう。時代伝奇は、ワクさえ決まれば、後はノリで書いていくべきだろう。頭デッカチは厳に慎むべきである。なんたって読者は「前衛小説」なんか求めてはいないのだ。七十歳のじっちゃんでもとっつき易いように書かなければ。と、これは自分へのコトバ。……なんとか1月末までに五百五十枚でアップしたいのだが、これから一気に三百五十枚は無理だろうか。「旋風伝」では出来たのだけれども。来年は光文社と祥伝社で交互に、書き下ろし伝奇時代小説ノベルズを書くので、頑張らないといけないなあ。とか言いつつ金沢の友人から送られた「怪物の花嫁」(エド・ウッド監督〃ベラ・ルゴシ主演)を見たり、「狩人の夜」(ロバート・ミッチャム主演のスリラー)を眺めたりしていた。駄目やん、オレ。トランプ占い、相変わらず悪し。
 金曜は意気が上がらず、仕方ないのでブック・オフへ行く。わたなべまさこの短編集「怪談恨み鬼灯(ほおずき)」を見つけたので、すぐに買う。『田中かよ乃の死』が収録されていた。やりぃ。これは飯野氏に読ませたかった作品である。今度、貸してあげよう。きっと彼の作品の肥やしになるに違いない。同書には、しかも、その続編まで収録されていた。今日のツキは、これで尽きたゾ、と覚悟する。帰宅後、早速読んだ。怖い。わたなべまさこのホラーはいやらしくて怖いので好きである。時代モノもいやらしい。「金瓶梅」はエログロだという話。今度、買おう。彼女は優れたエンターティナーである。トランプ占いはやらないほうが良かった。
 明日は「定例会」である。一週間はなんと早いのだろう。気が付けば、あと十日ほどで、今年も終わりである。
 前言と矛盾するが、今年は、とてもゆっくり時間が過ぎていった。おそらくはとても充実していたせいだろう。「一休闇物語」「旋風伝」「秘神界」「一休虚月行」「真田三妖伝」と、自信作・苦心作ばかり出せた。こんなに充実した年は「逆宇宙レイザース」「私闘学園」「魔術戦士」「田外竜介シリーズ」等を並行して書いていた頃以来だ。来年もあれくらい頑張ろう。

一休通信(その31)

 23:14 02/12/16
 今日も農耕的に仕事をした。
 14日は遅寝のため結局、江戸東京博物館には行けなかった。
 15日は、静かに仕事。…と思いきや、未来が風邪でダウン。緊急事態に家族全員で対応した。長女は洗濯と干し物。二女は料理。わたしと息子は買い物。最近、子どもたちが大きくなってくれたので、非常事態が楽になった。持つべきは家族。守るべきはホーム、である。二女の作ったうどんは蕎麦屋のうどんに近く、しかし薄口で、美味しかった。
 今日(16日)は午後1時に、広島の原田実氏と会う約束があるので、午前中に少し仕事。結構、はかどる。1時、サンデーサンで、原田氏と食事。かなり濃い話題。原田氏は「東アジアと日本文化」の学会に参加のため、上京されたのだという。楽しい2時間半。
 帰ったら、疲れて、すぐに寝た。三時間余り、眠った。
 夕方、コーヒーを飲み、仕事を再開させた。
 夕食前、金沢の渡辺健一郎氏より電話。「真田三妖伝」を読んで、面白かったから、連絡をくれたとのこと。有難いことである。幸い、「真田〜」は好評のようだ。良かった。ホッとしている。
 掲示板に過分なお褒めの言葉を書いて下さった、えとう乱星先生に、感謝。甲府の駅ビルの本屋に平積みになってた、と教えてくれた飯野氏にも感謝。メールで励ましてくれた小林泰三氏にも感謝。
 よし。「一休破軍行」を、もっともっと面白くさせるぞっ。

一休通信(その30)

 0:03 02/12/14
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時半に起床。朝食。洗面。子どもたちを送った後にコーヒー。妻と雑談。寒い朝である。午前十一時半頃より、仕事開始。途中、昼食を挟む。今日は長女の帰宅が早かった。昼はキーマカレー。美味い。午後も仕事。なにしろ本日午後四時に、光文社のW辺氏に「一休破軍行」の出来たところまで渡す約束だったのだ。
 妻にコピーを取ってもらう傍ら、執筆。「家内制手工業」というコトバが、ふと浮かんだ。いや、奥さんに手伝ってもらったという駄洒落なのだが。
 四時ちょっと前に、百六十二枚まで完成。サンデーサンに持っていった。
 暫し、打ち合わせ。
「中世世界は興味が尽きない」という話題で盛り上がる。
 伊勢の地名は面白い。初瀬(はせ)とか、多気(たげ)とか、ちょっと読めないものばかりだ。「隠口(かくりく)」などというコトバにも何か風情と歴史を感じる。しかもこうした地名やコトバが、今回の作品のテーマを暗示しているのだ。いや。分からない人には、こうした部分は分からなくても良い。なにもさかしら顔で解釈するものではない。
 伝奇とはそうしたものだと、馬琴先生も仰っているではないか。
 打ち合わせが終わって外に出たら、竦み上がるような寒さ。ああ、冬だな。
 帰宅後、休む。
 トランプ占いとタロット占いとおみくじ占いをやる。
 ううむ。全ての占いには「そんなこと、不可能だ」と出ているのだが。
 しかし、時には、不可能も可能になるではないか。
 ぼくは二十五年近い商業出版生活で、何度となくそれを(編集者時代・ライター時代・作家時代を問わず)何度となく目撃し、立ち会ってきた。
 よし。不可能も意志の力で可能になると信じよう。
 
 明日は妻と長女の三人で「江戸東京博物館」へ行く予定。
 ただし、晴れていれば、の話だが。

一休通信(その29)

 0:40 02/12/13
 今日も農耕的に仕事をした。
「一休破軍行」、昨日のシーン、大山崎をやめて、書き直す。やっぱりね。破棄した枚数が大したことなかったので、ダメージというほどのことはなし。コツコツコツと書きつづける。百五十四枚まで進んだ。時計を見たら午後十一時二十五分。こういう書き方は良くない。今後、慎もう。
 
 さあ、風呂に入って、寝て、今日も馬鹿な夢を見よう。

一休通信(その28)

 0:28 02/12/12
 今日も農耕的に仕事をした。
 リハビリの日。薬がまだあるので、外来はやめて、リハビリだけとした。
 急いでコーヒーを飲んで、妻の運転で、N大板橋病院へ。空いている!!
 年末の中旬のせいなのか。
 はたまた、いよいよ不況が医療現場にまで及び始めたのか。
 リハビリもすいすい行けた。
 帰宅は午前11時半頃。は、早い。ウチに着いたら留守電が点滅していた。
 最近、ベルが鳴って電話を取ると、途端にガチャリと切れるパターンが続いている。悪戯か。単に気の短い編集者の仕業か。ウチの電話は回線が切り替わるので、トゥルルという音が三回続き、沈黙が約二秒あってから、とてもショボイ呼び出し音が鳴り出すのだ。この沈黙の時間に切ってしまう人がいるようである。
 昼食。昼寝。午後五時に起きてコーヒー。
 仕事を始める。
 前日書いた部分が気に入らない。一部を破って捨てる。書き出す。一揆を煽る謎の男。二人の巫女を連れている。一休は、虚丸(そらまる)を連れて、大山崎へ。淀川を下って海路で伊勢に行こうとしても無理。伊勢国が海港を封鎖しているのだ。虚丸の心から皇子のパーソナリティが現れる。一揆衆を罵る皇子。さあ、どうなる。
 これで百四十枚。続きは、また明日の執筆。金曜までに百六十枚、渡せそうだ。W辺氏の喜ぶ顔が目に浮かぶ。良かった。良かった。(なんて言って、明日になれば、また気に食わないとか言って、破り捨ててしまうのだが)

 えとう乱星先生のご推薦、「江戸博物館」(小学館)を買った。
 気が付けば、福沢諭吉が、家出していた。
 とほほ。まあ、いい仕事をして、モトを取ろう。
 
 さあ寝よう。

一休通信(その27)

 23:29 02/12/10
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中に祥伝社からドカッと荷物。お歳暮にあらず。これ、ネット・サイン会用の「真田三妖伝」なり。ネットで応募して下さった方にサインするのだ。
 昼食。荷を受け取ったと電話。参加者名簿を受け取ってから、やおらにサインし始める。サイン・為書・一筆(2バージョンあり)・押印と、フルコースこなす。
 途中、二女の進路三者面談に妻が行く。帰ってきて、「とても良く頑張っているので私立は大丈夫」とのお墨付きを得た、と妻・二女、大喜び。こっちも嬉しい。ハッスルして、サインを続ける。夕方6時頃に終了。荷物を祥伝社に送り返す。
 疲れた。けど、サイン会くらいこなせるぞ、と自信がついた。
 今度は書店でやりたい、と何処かの版元に我儘を言ってみよう。
 頑張った自分に、ご褒美として「柿の種」を買って食べる。最近、柿の種を貪り食らう癖がついて困る。
 そうこうするうちに、牧野修氏が日本SF大賞を受賞した、との報。
 午後8時すぎ、お祝いの電話を入れる。
 残念だけど、今年は、友達のお祝い事のパーティーには参加できそうにないなあ。(仕事絡みは別だけど)
 まあ、こんな年が、たまには人生にあっても良いのではなかろうか。
 
 一息ついてから、「一休」の原稿を書き進める。まだ130枚。亀の歩み。
 金曜日に百六十枚まで渡せたらいいな。

 角雨和八氏からもらった和製ホラービデオのうち、「亡霊学級」を斜め見する。頑張っているのだが。日本のホラーってのは、シャッフルしていくと、結局、新東宝・大蔵・大映時代の情痴怨恨・恨みとタタリの心霊世界になってしまうのだなあ。まあ、見るほうも、進化していないのだし。鑑賞者に想像力を要求するほうが間違ってるのだろうな。トホホなことではあるが。
 商業的には、やはり心霊のほうが、上手くいくんだろうし。編集も書評家も分かり易い訳だし。ブツブツブツ……。(←伝奇ホラー専門作家の繰言)

「ロード・オブ・ザ・リング」スペシャル・エクステンディド・エディションを早く見たい。せっかく買ったのに、親は仕事、子どもは試験で見られないのだ。
 
 明日は、外来と、リハビリの日である。
 主治医に「発作がとうとう一年起こらなかった」と話してやるのが、楽しみである。漢方と西洋医薬の併用にして、正解だった。
 
 さあ、風呂に入ろう。寝て、バカな夢を見よう。

一休通信(その26)

 0:23 02/12/10
 今日も農耕的に仕事をした。
 森本レオが「COM」の編集者で、昔書いたエッセイの原稿を返しに来る。向こうが「タバコを切らしている」と言うので、仕方なく、買いに行った。長い土の道をずっと行くと昔風のタバコ屋。「アメリカン・ボウル」という森本レオの言ってたタバコを頼めば、一本30円もすると言う。仕方なくショートピースとランバージャックを買った。…というアホな夢を見て目覚めたら、大雪であった。なんてこった。
 昨日、井上雅彦氏より「奇妙な幻獣辞典」を貰った。瀟洒な本。一回に三本のショート・ショートを「週刊小説」に連載した成果なり。
 今日は、えとう乱星先生より「素浪人斬艶剣」をサイン・為書・「天地有情」のお言葉付で頂く。表紙が色っぽい。いいなあ、このノリ。
 そして、午後6時、「真田三妖伝」完成す。
 今年、最後の作品。
 発作なし一年を記念して、みんなで、祝ってくれたようである。
 感謝。

一休通信(その25)

 0:16 02/12/07
 まずは一言。
「やたっ。今日でまる一年間、発作知らずだあっ」

 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中は買い物。お香と、古本を求めて池袋へ。お香はあったが、欲しい古本はなし。こないだ見かけたときには光り輝いてた資料は、今日よく見たら、つまらないモノだった。危うく厚化粧の悪女に騙されるところであった。
 お香は、アップル・ジャスミン・ローズ。インド直輸入の香が100円ショップから消えたので、仕方なく、国産のものを使っている。でもインドのが無添加って感じで良かったのだが。まさか「OPIUM」なんて香もあったから当局に目を付けられたのでは。OPIUMって、コレ、まさか本当の阿片じゃないよね。(こんなことなら、どんな匂いがするか、買っとけば良かった。←これっ)
 昼食。昼寝をしそびれて、午後四時に、サンデーサンへ。
 早川書房のあべ氏と打ち合わせ。面白いストーリーが会話から生まれる。もう少し発酵させてから、書き下ろすことを約束。良い編集者は世間話さえも作品の刺激やヒントになる。現在付き合っている編集さんたちは皆そうしたタイプなので助かる。
 あるマンガ家さんは「担当がマニアックで、おたくで、読者を置いて暴走したがるので、いつもぼくが引き締めてます」と言っていた。最近多いようだ。恐怖の「暴走おたく編集者」。編集は「なんですか、魔術って。ちょっと一般の読者には分からないと思うんですが」とか言うくらいがちょうど良い。
 一時間半で打ち合わせは終わり。帰宅。妻と長男はプロレス鑑賞のため出かけていた。娘二人と夕食。キーマカレーを食べた。
 のち、仮眠。
 今日は発作が止まって一年目ということで少し神経質になっていた。
 (でも発作は辛いからなあ。呼吸は困難になるし、左半身は痙攣するし、聴覚と触覚と視覚と味覚がゴッチャになってしまうし、リアルな夢の世界に放り込まれるし。…脳についた傷は再生しないというが何とかならないものか)
 妻と息子が帰宅した時、鼾をかいていた。
 疲れたようだ。
 もう寝よう。

一休通信(その24)

 0:06 02/12/06
 今日も農耕的に仕事をした。
 昨日は風邪の症状に苦しんだが、今日は大丈夫。
 万全を期して朝起きた。(←あっ。なんかヘンな文章)
 朝食。子供たちを送り出し、妻とコーヒー。今度は未来が風邪気味である。
 ぼちぼち仕事を始めようかという時に宅急便がきた。送り主はマンガ家の角雨和八氏。中身は全部ホラー・ビデオ。わーい。「降霊」とか「女優霊」とか「亡霊学級」とか日本のホラーが山積みである。しかし中にはちゃんと洋モノもある。早速、そんな洋モノの「アメリカン・サイコ」を見る。ハーバートを出て、大企業の経営幹部をしているヤングエグゼクティブが、じつは殺人狂という設定は目新しくないが、見てるうちに「アイズ・ワイド・シャット」を思い出す。さらに「エンゼル・ハート」を。途中、黒人のホームレスを刺し殺すシーンは「時計仕掛けのオレンジ」が重なった。監督は意識してやっているのだろうか。
 「持てる者」の、持てるがゆえの空虚感。自分が自分であるというリアリティの喪失。これはぼくも「荒墟」で描いたものだ。それに肉食・エリート・インテリが重なるのだから、どんなすさまじい地獄図が展開されるかと思ったが、意外におとなしめであった。特に「悪魔のいけにえ」をテレビで流して、その真似をするシーンには笑ってしまった。だが、良いサスペンスシーンもあった。会社の秘書を自宅に招き、そっとスピアガンを後頭部に向けるあたりである。でも最後に行くにしたがって、殺人が彼の幻覚か現実か分からなくなっていくあたりに「R指定 15歳以下禁止」の限界を感じた。やれやれ。友成さんが監督したら、こんなものではなかったろうな。
 仕事は、十四枚進んだ。いよいよ第三章。一休は少年虚丸(そらまる)と伊勢に旅立つ。待っているのは、一揆と戦乱の巷である。さらに古えの神々の秘術が二人を襲う。
 何人かの友に電話・メール。新しいことが始まろうとしている予感。新時代の胎動を感じる。
 
 この「日記」を読んでいる貴方へ。
 去年の夏から、今年の11月までのメールの記録が消えてしまいました。
 良かったら、現在のメアドでメールを下さい。
 特にポスペの人(ひらどんさん・末弥さん・立原さん・高橋葉介さん…その他の皆さん)、宜しくお願いいたします。

一休通信(その23)

 0:29 02/12/05
 今日も農耕的に仕事をした。
 と、思ったら、朝から酷い下痢と力のない咳に苦しんだ。
 リハビリと外来はお休み。リハビリの先生に電話をしたら、
「典型的な流行りの風邪の症状です」
 とのこと。
 参ったなあ。仕方なく午後近くまで休む。漢方の風邪薬を飲む。
 車で千川のライフへ。
 妻は皮ジャン、わたしは冬物のコート。パンも買って戻る。
 今日は冷たい雨が降っている。風邪の人が一気に増えそうである。

 PCは二日振りに復旧。しかし、去年の夏から今年の11月までのメールが消えてしまった。ポスペが消えたことより、色々な「お気に入り」が消えたことより、これは痛い。
 何人かの友達にメールを送ってみるも、「あて先不明」続出。この一年間にアドレスを変えた人が結構いたからなあ。仕方ない。コマメにメールを出していこう。
 とほほほ…。
 そんな訳で原稿は進まず。悔しい。

一休通信(その22)

 23:59 02/12/02
 今日も農耕的に仕事した。
 午前七時半に起床。朝食。子どもを送り出してからコーヒー。妻と雑談。
 昨日は「MIB U」を観て面白かった。勢いに乗って「キューブ」を観ようとしたが、その前に、他のビデオの気になるシーンを見ようとする。ただし「夢のハワイで盆踊り」ではない。
 妻が買い物に行ってる時に、祥伝社のI野氏より電話。クロスワードのほうにも製作者の名が「松尾未来」と入るとのこと。I野さん、有難う。(一部の出版社では、こうした仕事を『端物(はもの)』と呼んで製作者の名なんて入れないのだ)
 インターネット・サイン会の集まりは五分の三。まあまあ、らしい。
 まだアキがありますので、こぞって、お申し込みください。特に地方の方、朝松は遠出の出来ない体なのでサインは滅多に入手出来ませんよ。 
 昼食。
 急に思い立って資料漁りに。
 だが、他人に買われていたのであった。くすん。
 昼寝。二時間熟睡して、目覚める。仕事。気に入らず走り回る。
 どうも人間の幽体が生体に入るシーンが上手く書けない。仕方ないので、かなり書いた分を破って捨てた。苦しんだ末になんとか書いた。しかし、まだ不満である。後でまた直そう。 
 結局、本日は十二枚。参ったなあ。明日は藤原ヨウコウ先生と会って、光文社のW辺氏に出来たとこまで渡す約束なのにぃ。

一休通信(その21)

 23:59 02/12/01
 今日も農耕的に仕事をした。
 原稿はあまり進まず、ひたすら調べ物。辻褄を合わせる作業は伝奇時代小説では重要である。
 と、そこで──。
 電話が鳴った。わたし宛だ。わたしはゴルゴ13か、マンハッタン・オプかというようなハードボイルドな口調で応えた。
「………朝松だが」
「どうも。高橋です」
「あ、これは高橋葉介先生。こないだは失礼しました」
高橋「こちらこそ。どーも、どーも」
朝松「いやあ、二十九日の忘年会ではスゴいビデオを頂戴しまして。有難うございます」
高橋「その口調では…(ぷふっ)…もうご覧になりましたか」
朝松「ええ。観ました。途中で止めたので危うく発狂をまぬがれましたが。一度に全部観ていたら、いくら格闘技世界一のわたしでもどうなるか分かりません(マルC アントニオ猪木)」
 高橋葉介先生より頂いたビデオとは別に××なモノとか、◎●なものとかではない。れっきとした劇場公開作品のビデオ版である。製作も怪しい独立プロではない。東映である。
 ただし、ちと古い。昭和三十九年だ。わたしが八歳の時である。
 それから主演が、そのナニである。舟木一夫と本間千代子。片や歌謡アイドル御三家の一人。片や東映清純路線の生んだブリッコ女優。たしかアニメの声優もやっていたな。とにかくエッチなものではない。
 ええい、タイトルを言ってしまおう。
「夢のハワイで盆踊り」
 !!!!!!!…………ついでに!? ときたもんだ。チクショーめ。
高橋「朝松さん、ヤケにならないでください」
朝松「だってですよ。こんなふざけた作品がありますか。主人公がプロローグで、友達が『卒業したら俺はコックになる』別の友達が『俺は大学へ行って設計技師になる』とか話して、舟木一夫に『お前は何になる』って訊いたら、
『俺はハワイに行って盆踊りをやるっ』←正気か、おのれは。友達も、早よ医者呼んだらんかいっ」
高橋「い、いや…盆踊りするとは言ってなくて…ハワイへ行く、とだけ…」
朝松「(高橋先生に皆まで言わせず)そんでもって、いきなり、フルオーケストラな前奏が入って、何だ何だと思ったら、突然ベローローンとかいってウクレレが入って、さらに手拍子の合いそうな音頭メロディになったか、と思うと、舟木一夫の唄で、コレですよ。コレ!!!
(コレがそれです)↓

「夢のハワイで盆踊り」
 作詞・関沢新一  唄・舟木一夫

 月の浜辺で 
 揃いの浴衣
 ハワイ よいとこ
 夢の国に
 やぐら かこんで 
 輪になって 踊りゃ
(JASRACが怖いので中略)
 イロハ と アロハ
 あなた と わたし
 アロハのハワイで
 盆踊り

朝松「ぜーぜー。わたし、このオープニングで完全に、パーッになりました。パアなんて甘いものではないですよ。パアーッッッです」
高橋「シュールですよね。実はタイトルを聞いた時には、まさか、そんなバカな題名の映画が存在する訳がない、と思っていたんです」
朝松「高橋先生。今度の宴会までに、この唄を覚えて、二人でカラオケでデュエットしましょう」
高橋「ど、どうして、わたしがそんな反社会的な行為を。わたしには、妻も子も、大勢の女子高校生ファンもいるのに」
朝松「んなもの、わたしにだっているわい。(女子高校生はいないかもしれないけど)でも、あのヘンな唄が耳にこびりついて離れないのです。特にあのイントロの、
 ♪月ンの浜辺ンで、揃いっンのゆっかったっン…というトコがもう…。あああ、こうしてるうちにも聴こえてくる……」
高橋「なんか悪いことしちゃったかな」
朝松「いいえっ。こうなれば、この『日記』を読んだ人間が気になって検索したり、レンタル屋へ行って借りたりするように罠を仕掛けてやります。そしていずれテレビ関係者がこの騒ぎに目を付けて正月のバラエティ番組で、あの唄を流すように。やがて、小泉もブッシュもカダフィもア×カイダの幹部もパレス×ナ・ゲリラも、みんな一緒に
 ♪イロハ と アロハ
  あなた と わたし
 …と歌いだすように暗示を掛けてやりますです」
高橋「いかんなー。朝松さん、また病気が悪化した」
朝松「韮沢さんと大槻教授も、仮面ライダーとショッカーも、サンダとガイラも、みんな一緒に、アロハのハワイで盆踊りすればいいんだああっっ」
 
 いかん。これ以上書いてると本当におかしくなりそうだ。
 あなたも確かめてごらんなさい。
 「夢のハワイで盆踊り」。
 最寄りのレンタル・ショップで是非──。
 下手な死体ビデオなんかよりよっぽどトリップできますよ。

一休通信(その20)

 0:24 02/11/30
 今日は農耕的に仕事を休んだ。
 午後六時より「蔵乃助」にて「早すぎる忘年会」。
 松尾未来と一緒に行けば、既に、皆さんお集まりであった。「ミステリ・マガジン」の今I編集長。東京創元社のM原氏の編集者勢。井上雅彦氏。木原浩勝氏。奥田哲也氏の作家勢。高橋葉介氏。外薗昌也氏。有馬啓太郎氏のマンガ家勢。末國善巳氏。笹川吉晴氏の評論家勢。さらに今回は猪熊さん、竜牙こと大村氏というゲストを迎えて、「なんだか分からない集い」はいよいよ「何だか分からなさ」を濃くしていった。
 宴会が始まれば、舟木一夫は飛ぶわ、ロボット・モンスターは舞うわ、××ビデオは〇◎するわ、ロ♀コン同人誌は積みあがるわ、ビールは来るわ、冷酒も来るわ、ネコ耳は眼鏡っ子とショタしてぼーいずらぶだわ、とにかく現代日本の文化の病巣を凝縮したごとき有様であった。酒・煙草・同人誌・エッチサイトと縁のないわたしはどうやってアイコンに紛れ込んだ「ホットリップス」を抜いて良いのか分からず、とりあえずスチュワーデスのお姉さんが盆踊りするのを待つしかなかったのであった。
 二次会は十人になってより煮詰まった参加者は、「ここに飯野さんさえいてくれたなら秩序が戻るのに」などと言いつつサイコさんや電波君や薔薇土や変態なオタクや、とにかく「本当にあった怖くて愉快で笑っちゃう話」で盛り上がり、ホラーもファンタジーも小説もコミックも話題にせず、「ああ、楽しかった。また来年、集まりましょう」「御馬鹿な話をいたしませう」と別れを惜しみつつ、午後十一時、散会となったのであった。
 なんて健康的な会であろう。
 さて。
 今度は「第二回オフ怪」ですかね、皆さん。

(え゛っっっ……やるの!? あたしも三田さんも知らないからね。誰か幹事になってくれる人を探してよ。── 松尾未来談)

一休通信(その19)

 0:35 02/11/29
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時半に起床。眠い眠い。朝食。子どもたちを送り出す。中学は試験のラストデー。頑張れよっと。コーヒーを飲んで妻と雑談。昨日、官能系劇画家に聞いた話だが、不況はついにエロ漫画業界にまで押し寄せているとのこと。彼の知り合いの中には全く仕事が無くなってしまった人もいるらしい。大変なことだ。そういえば、彼の知り合いには、去年、前途を悲観して自殺した官能劇画家もいた。ドアのノブに紐を引っ掛けてしゃがんで死んでいたとか。悲惨なことである。こっちも仕事のあるうちが花と心がけ、せいぜい良い作品を書き続けよう。
 殊勝な気持ちで仕事。たちまち午前中で十枚進む。
 午後零時頃、子どもたちが帰ってくる。なんとか出来たとか。ホントかね。
 昼食はラーメン。美味かった。
 午後、少し仕事をした。四時に光文社のW辺氏に原稿を渡す約束なのだ。三時半に妻に原稿のコピーをとってもらう。左手が不自由だとコピーが遅くていけない。ちなみに左足が不自由なのでスリッパも履きづらい。よく病院とかよその家に行って「どうぞスリッパを」なんて言われると、身構えてしまう。こんなこと、まあ普通の人にはどーでもいいことだろうな。
 午後四時、サンデーサンへ。W辺氏に八十七枚渡した。彼、とても喜んでくれる。この調子でいくと十二月末には、クライマックス直前あたりまで渡せそうである。
「一休虚月行」は「暗夜行」の五十倍面白かった。(藤原ヨウコウ氏談)
 しかし、今度の「一休破軍行」は「虚月行」より五十倍面白いだろう。
 作者として興奮を禁じえない。
 帰宅後、さらに二枚書いて、今日は休むことにした。
「ダウンタウンDX」に宍戸錠が出ていた。この番組は毎回面白い。
 新日の若手が女性タレントに刺されたとのこと。日本も大分アメリカみたいになってきた。次は情痴のもつれで男優が女性歌手に射殺されるとか、母(大女優)と娘(歌手)とがホストを巡って殺し合いを演じたりしたら、完璧にアメリカなのだが。(←『ハリウッド・バビロン』の読みすぎ)
 明日は「早すぎる忘年会」なので早く寝よう。

一休通信(その18)

 0:39 02/11/28
 今日も農耕的に仕事をした。
 朝から何だかシャッきりしない頭である。朝食。コーヒー。妻と雑談。
 午前中に、また、資料漁りにでかけた。
 何も期待せずに西池袋の「近藤書店」へ。ぼーっと回って奥へ行けば…。
 あった。
 久留さんに教えてもらった「日本秘教全書」(すげー大袈裟な題名だね)が。しかも値段は二千三百円。くっそー、千四百円引きか。と、歯噛みしながら買い求めた。本当は店頭のほうにある本を買おうかな、と思ってたのに。背に資料は変えられない。ついでにブッ〇オフで唐沢俊一氏・ソルボンヌK子氏の共著「大猟奇」を買った。猟奇な話はこちらも知ってるのが多かった。が、K子氏がくも膜下出血で、造影剤注入体験があったと知り、驚く。脳手術仲間ではないか。脳ミソのレントゲン撮影は拷問である。早く何とかしてほしい。
 そういえば、来月中旬で、発作が起こらなくなって丸一年である。
 なんとかもって欲しいものだ。
 午前中、飯野氏より電話。静岡のご親戚に不幸があったとのこと。年末には不幸の話もよく聞くものである。心が痛む。
 仕事はガンガン進む。
 あんまり調子が良いので怖くなり、十六枚で止める。
 正長元年の7月は、将軍・天皇ともに空位。旱魃。大一揆。飢饉。経済恐慌。内乱。皇族の逐電。と、とても混沌としていたらしい。わたし好みな時期であったようだ。こんな時期にどうやって一休を伊勢にやろうか。楽しみ。
 霜島ケイさんに電話したら、「後南朝をネタに小説書いてる人には近づくなと、お婆ちゃんの遺言なのです」と言われた。そんなにヤバいネタを扱っていたのか、俺は。うーん。感動。友達みんなに伝染してやろう。
 とりあえず、これを読んでるあなたにも。
 ほれっ、タタリが伝染するぞっと。
(エンガチョ切ったら大丈夫です)

 バカ言ってないで、もう寝よう。

一休通信(その17)

 0:48 02/11/27
 今日も農耕的に仕事をした。
 今日から中学は期末試験である。二女と長男はひいひい言いつつ勉強していた。殊に二女は高校受験の内申が掛かっているので真剣だ。
 こちらは、午前七時二十四分起床。
 例によって朝食。コーヒー。妻と雑談。後に久し振りに午前の散歩。ビデオ・レンタル→本屋→ビデオ・レンタル→ブック〇フの順番である。これといった収穫は……あった。講談社新書「一休」。欲しかった本がようやく手に入った。なんだか天が味方してくれている気分であった。
 昼食は午後一時すぎ。帰ったら二女も長男も食べ終わっていた。
 こっちは食べ終わるや否や、昼寝。ただし、枕元に文庫。結局一冊読んでから眠った。午後五時すぎに目覚める。コーヒーで元気をつけて仕事に向かった。
 昨日書いたところが気にいらず十枚ほど捨てる。四十二枚目から書き出す。良い調子。すいすい進んで、六十三枚まで書いたら、午後十一時であった。
 風呂。PCに向かう。「日記」を書く。
 寝ようっと。

一休通信(その16)

 0:29 02/11/26
 今日も農耕的に仕事をした。
 土曜の夕方、突然、有馬啓太郎氏より電話を頂いた。で、すぐに、お会いすることにする。午後八時過ぎ、有馬氏はクルマを飛ばして川崎から要町に来てくださった。友人の竜牙さんもご一緒であった。これが二度目(最初はパーティか?)の筈なのだが、お互いに思い出せないまま、雑談。わたしは有馬氏の「月詠(ツクヨミ)」と、そのヒロイン葉月ちゃんのファンなのであった。しかし、四十六のオッサンが口に出しては言えず、なんとなく、世間話とかギョーカイ話とかに流れてしまった。
「またお会いしましょう」と言って別れたのは、なんと十一時半。ぼくの手には大量の有馬氏の同人誌が残されていた。
 やっぱり業種の違う友達と話すのは楽しい。ウチに帰る道すがら、ぼくは、初めて、あしべゆうほ先生やJETさんやSUEZENさんや出渕裕先生とお会いした時のことを思い出していた。
 日曜は、休み。
 一日、本を読んだりビデオを見ていた。
 月曜は昼頃から妻と、「ハリー・ポッターと賢者の石」を見た。娘がDVDを借りてきてくれたのだ。しかし…。どうしてこれが世界的大ヒットになったのだろう。全然分からん。イントロは実写版「スーパーマリオ・ブラザース」。始まれば、ありがちな「里子苛め」。それから、魔法の国の招待状。「君は実は魔法の国の王子様だったんだ」…って、これは異人さんの戦士シンドロームかいっ。現実以上に魔法(や魔術)の世界は厳しくてシビアなんだぞ。あとは「メリー・ポピンズ」か「飛ぶ教室」か。ディズニーとスピルバーグ臭がふんぷんとして、とても耐えられなかった。ストーリーはこちらの考えた通りに進む。キャラの配置も定石通り。意外性もへったくれもない。おかしなスポーツのシーンにいたっては、デジャ・ヴィユを起こしかけた。こんな感じの青春映画を過去何十本も見た事あるような…。主人公は全然知恵を使わない。勇気も奮わない。努力も友情も伝わってこないから勝利が嬉しくない。「砂の惑星」のカイル・マクラクランよりも何もしない。「もののけ姫」のアシタカほど走り回らない。こいつ、何をしているんだ? Aボタンを連打している姿くらい見せろよな、とツッコんでいた。
「マジカル・シティ・ナイト」の作者としては、(てめーっ。子どもを舐めんじゃねえ。大金かけりゃ良いってものじゃないだろう)と叫びたくなった。
 もし、これが「極上のファンタジー」だとか、「子どもから年寄りまで楽しめる人類の遺産」だとか信じている奴がいるのなら、わたしは断言する。「お前ら、思考するのを捨てただろう」
 諸君、思考が停止する日は近い。悔い改めよ。もそっと世の中のことを疑ってかかろうや。なあ、おい。

          ♪

 あんまり腹が立ったので、今日は、「一休破軍行」の原稿が十八枚も進んでいた。
「発端」は四十九枚で終了。
 五十枚目から第一章に入る。今回は一休が10歳の少年を連れて、伊勢まで旅をするのである。
 さあ、明日から頑張るぞっ。

一休通信(その15)

 0:20 02/11/23
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時十八分起床。朝食の後、子どもたちを送りだしてからコーヒー。妻と雑談。寒いけど、調子が良い。午前中は妻は買い物。こちらは仕事。二枚書いたところで、妻は帰宅。わたしは資料ビデオを観たり、調べものをしたり。
 昼食。午後は昼寝。午後四時すぎ目覚める。帰宅した子どもたちとコーヒーを飲んで雑談。散歩がてら外出。ブッ〇オフへ行くが、何も欲しい本はなし。
「秘神界」が二巻とも出ていたのにちょっと驚く。「踊る狸御殿」もあった。
 午後六時頃に帰宅。ネジを巻いて仕事。面白いくらい進む。どうやら、わたしは今、この「一休破軍行」が書きたくて書きたくてたまらないらしい。 
「発端」(普通にいうプロローグ)は、フラッシュ・バック方式。敵方と幕府方との呪法合戦。/一揆で焼野と化した大津に立つ一休。/何者かを厳重に運ぶ一団。/一休は、生きた子どもの肝を盗もうとしている二人に遭遇する。/一団は天皇に準ずる人物を運んでいる。/一休は二人を倒し、少年を救う。/一団を襲う巨大な手首。手には鎖篭手。/少年はアルキ比丘尼の子で、侍に買われて伊勢にいくところだったという。/幕府に呪念を送る絹の頭巾を被った神官。それに命令むするのは北畠満雅。伊勢の国司である。ここで一休の会った少年と、北畠の関わり、さらに幕府がとある神社に運ぼうとしていた「さる高貴な御方」との関係が明かされて、一休の新たな冒険と怪異の旅が始まる。
 今回は「影わに」の直後の物語でありながら、キャラクター的には「虚月行」を引きずっている。三宝院満済も出るし、北畠満雅も出る。「けふ鳥」の小倉宮も出る予定。オールスターだな。
 現在、三十三枚。あと少しで「発端」を終わらせたいのだが、まだ、少年が一休と話をしている。一刻も早く「本編」に移りたい。本日は全部で十五枚進んだ。明日中に「発端」を終わらせたいものだ。
 あまり長い作品にはしたくないのだが、作品それ自体が必要とする枚数や書きようがある。今回は五百枚くらいで抑えたい。(前回も『四百五十くらい』なんて言って、結局、六百枚近い大作になってしまったのだが)
 伝奇は楽しい。
 しかも時代伝奇小説の体裁にホラーを塗りこめる、という作者の企みをダイレクトに読者が受け止めてくれる。熱い反響をくれる。声援してくれる。
 わたしは、現在、最高に幸せな「伝奇ホラー作家」である。

一休通信(その14)

 0:02 02/11/22
 今日も農耕的に仕事をした。

「荒唐無稽の面白さ!!」
 ↑はナニか。
 12月10日発売の「真田三妖伝」の腰巻に掲載される予定の惹句(じゃっく)である。箱の中から出てくるのはジャック君である。医者はブラック・ジャックによろしくである。暴れるのはバイオレンス・ジャックであ。裕次郎が錆びてるのはナイフのジャックである。いやいやいや。そういう話ではなかった。仕事の進行状況だ。
 午前七時十七分起床の後、朝食。子供たちを送り出してからコーヒー。
 妻は洗濯してから池袋へ「ポケモン」を買いに行った。今度はルビーとサファイアだとか。なんだかお姉さん向けの角川文庫みたいなネーミングである。
この次はなんだ。ダイヤなら給料三ヶ月だぞ。パールならハーバーだぞ。石炭なら夕張だぞ。どうも今日は話が前後して、右向左向している。右傾化しているのは最近の日本で斜陽化しているのは銀行だ。
 妻の留守中、ビデオの整理。
「太平記」・「花の乱」・「グラディエーター」・「マクベス」(オーソン・ウエルズ版とポランスキー版)・「修道士カドフェル」・「鬼の棲む館」・「どろろ」・「蜘蛛の巣城」・「山椒大夫」などを見える位置に置く。
 これは頭を完全に「一休」の世界に置くための儀式である。
 二枚書いて、一人で昼食。
 妻は午後一時過ぎに戻ってきた。「ポケモン」は並んで買ったが、同時発売の「バイオハザード」の新作は大して人が集まっていなかったとのこと。ゾンビも〇カチュウに負ける、か。まあ、こんな怪しい世相では「歩く死骸」よりは「丸くて可愛いモンスター」を皆、選ぶだろうな。
 午後、祥伝社より、ファックスが届く。ゲラのチェック。「二十八宿盤」を作ってみたら構造に欠陥を発見したとのこと。クロスワード・パズルのチェック。なんと今回の「真田三妖伝」は本文中にパズルがある、世界でも初めての伝奇時代小説なのである。驚いたか。書いた本人が一番驚いてるわい。
 チェックの後、サンデーサンへ。
 光文社のW辺氏と打ち合わせ。背中合わせの席で最初、気がつかなかった。
「一休破軍行」を十七枚まで渡す。その場で読んでもらう。中々に良い反応である。打ち合わせ。一時間ほどして、別れる。
 帰りに突然、京都の地図が欲しくなり、ブッ〇オフへ。百円で一昨年の観光地図を買う。本当は六百年前のが欲しかったのだが、流石の〇ックオフにもそれはなかった。(そういえば、あんまり古い本などは扱わないんだっけ)
 店を出たところで祥伝社からケータイに電話。腰巻の惹句が決まったとのこと。(ここで最初の一文を見よ)
 なんだか急に売れるような気が猛烈にしてきた。根拠のない自信に支えられつつ帰宅。お茶にマドレーヌ。一息ついて仕事してたら、祥伝社からファックス。登場人物一覧をチェックせよ、とのこと。チェックして返送。
 今回の主人公は、猿飛佐助。ヒロインは柳生佐久夜姫。悪役は一に林羅山。ニに天海。三に…おっと、それを書いてはネタバレする。悪役が異様に多いのが今回の特徴である。
 急に眠くなってきて午後九時半まで仮眠。のち夕食。「ダウンタウンDX」を見て大笑い。入浴。
 PCに向かう。「日記」を書く。疲れた。 

一休通信(その13)

 23:56 02/11/20
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時十七分起床。朝食。コーヒー。仕事の準備。
 午前十一時、資料漁りのために外出。
「日本の街道」二冊、「出雲大社」「春日大社」を買う。他に写真資料はないか、と「ツ〇ヤ」に行く。ない。わたしの本もない。「はりぽた」が積んであるのと年末手帳祭りが目に付くだけ。…何処の出版社だったか、「〇タヤはどうして繁盛しているのか」という本を出していたが。何処が繁盛しているのだ。何処が充実しているのか。文庫も新書も単行本も押しなべて特徴なんてないではないか。ひばりが丘のパルコの上にある本屋と全く同じ品揃えである。つまりはその辺の本屋と全く変わらない。これなら、官能小説とエロ本だけが異常に充実して、気の弱い人間は入れない「我楽多文庫」(千早二丁目)のほうがよっぽど本屋としてスジが通っているではないか。町の定食屋が全部ファミレスになったって誰も喜ばないぞ。「ツタ〇」は偉そうなことを言う前に「日本の街道」を揃えろ。「伊勢神宮」を置け。わたしの文庫とノベルスを並べよっ。(←それが言いたかったんかい)
 ぷんぷん、とか言いつつ、長崎神社へ。「真田三妖伝」の成功を祈る。
「祝詞」の書き方の本によると、作家はお稲荷様に願をかけると良いらしいので、長崎神社の隅にある小柳稲荷にもお祈りしておいた。
 しかし、「なぜスタパが繁盛するのか」とか「21世紀は〇EGAが世界を制する」とか「新生党が日本を救う」とか…。よく広告なのかノンフィクションなのか分からない本が出ているけど、これ、何年かのちに観ると「昔の予言書」のごとき「ウソ臭さ」がある。つまりアレだ。「足の裏占いによるとモモエとトモカズは離婚する」とか「ヘソの神秘の大予言//マツダがトヨタを越える日」とか「コボルトさんの予言・水原は川上に勝つ」とか「角栄が検察を解体する日」とかいう本だな。つまり今日から観たら、「へ!?」な大予言が書いてある本だな。わたしはこの手の本が結構好きだ。なんたって著者名がしっかり書いてあるのが面白い。「ウソついてんじゃねーよ、O前。何言ってんだよ、H瀬川」と突っ込んでいる。皆さんオオウソこいてがっぽり儲けてたのね。
 いやいや、そういう話ではなかった。
 帰宅。杉本一文先生より版画集が届いていた。
「翼類伝説」(岩崎電子出版)
 詳しくは以下を見てみるべし。
 
 http://www.business-21.com/

 昼食。昼寝。仕事。四枚書いて、また破る。ぐぞう。気に入らぬ。
 藤原ヨウコウ先生より電話。お話。光文社のW辺氏に電話。打ち合わせ。またヨウコウ先生に電話。創元のM原氏より電話。すげえっ!!! という内容。
 午後六時に祥伝社のI野氏より電話。再校ゲラのチェックを午後九時半に会って行うことを約束。
 仕事続行。なんとか十五枚まで進んだ。かなりの緊張感。しめしめ。
 夕食。
 午後九時二十分、サンデーサンへ。
 再校チェツク。打ち合わせ。I野氏は本当に良い人である。でも煙草は吸いすぎないほうが良いのでは。
 午後十時過ぎに帰宅。入浴。
 PCを覗いてたら隣で息子が「HR」を見始めた。アングラ劇みたいなヘンなテレビ番組。どうしてこれに香取君が出ているのか。
「日記」を書いているうちに無性に腹が立ってくる。どうやら疲れてきたらしい。二十一日は光文社に「一休」の出来ているところまで渡す約束である。
 とりあえず休むことにしよう。 

一休通信(その12)

 19:28 02/11/19
 今日も農耕的に仕事をした。
 午後八時に「真田三妖伝」の表紙の最後のラフが出てくる。
 これを見て、こちらが意見をいえば、それで決定である。
 完成したなら、サイト上で公開しよう。
 待ち合わせまで「一休」の原稿の続きを書こう。
 中途半端な時間が余ってしまった。こういう時の過ごし方が一番苦手なのだが、兎に角、一日も早く「一休」を完成させたい。
 密度と完成度の高い作品をスピーディーに書き上げることが、今後の課題である。

一休通信(その11)

 0:39 02/11/19
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前十一時すぎ、散歩と資料漁りを兼ねて外出。椎名町方面へ行く。本屋巡り。とは言え大した収穫はなし。「日本の街道 西近江」を買っただけであった。帰宅後、古いビデオの整理をする。EPで録画した古いものは伸びてしまって全く観られない。倍速だとキレイなのだが。と、バカな実験をしていた。
 昼食。昼寝。夕方に集中して「一休」を書き始める。昨日・一昨日に書いた部分が気に食わない。飛ばしすぎか。なんだか芝居のトガキのような気がしてきて、一枚破ったら何枚か、まとめて破ってしまった。
 (これだから手書きはイヤだよなあ)とか言いながら、とうとう全部廃棄処分。結局、金曜から書き進めてきた28枚を捨ててしまった。
 新たに7枚ほど書く。今度は良い。短編の時もそうなのだが、ぼくは書いててカチッという手ごたえが感じられないと、ダメだ。碌な作品にならない。友人に「どうして捨てたんだよ」と問われることなど、しょっちゅうである。でも仕方ないのだ。
 カチッが無いと、出しても売れないのである。それどころか、出したことさえ気がつかれないことになる。
 明日から、すいすい書き進めそうである。良かった。良かった。
 外薗昌也氏に電話。「ロボット・モンスター」のお礼。暫く盛り上がる。
 のち、サイト巡り──。ネコ七さんのところで紹介されていた「ビキニカラテ」に感動する。昔あったバカ映画「空手アマゾネス」の世界ではないか。

 ひらどん氏のために以下にアドをコピーしておこう。

  http://www.gzstyle.com/dl/200211/15/01bkb_mm.php

 これでバカゲームの紹介を見て、脳を溶かす男性が何人現われるか。
 楽しみである。
 
 テロ屋さんも爆弾なんか使わないで、敵の本拠に「ロボット・モンスター」のビデオとか、「ビキニ・カラテ」のゲームソフトとか、「屍美女軍団」の新書版でも投げ込めばいいのに。
 アホな戦争っていいだろうな。
 互いにアホなグッズをぶつけ合うとか。そうなったら日本はアホ・グッズの宝庫だから世界無敵。人類をことごとくアホにしてしまうだろう。

一休通信(その10)

 0:22 02/11/15
 今日も農耕的に仕事をした。
「真田三妖伝」のゲラのチェック。これをしている時に、「こうしたほうが絶対に面白くなる」というアイデアを思いつき、急いで書いた。十枚近い書き足し。こういうのは珍しい。担当のI野次長は既に諦めたのであろうか、「ここんとこ、もっと」とか「この辺、も少しねちっこく」とかメモしている。わたしがそれをやったら大変なことになるのにね。ええ、ええ。前から書きたかったノン・ノベルのためですもの。あたしゃ、なんぼでも手を入れ、なんぼでも推敲いたしますよっ。
 とはいえゲラの受け渡しは土曜である。
 もし、上手く直して、ちゃんと渡せたら、土曜の定例会(チャット『狸御殿』)で皆さんに報告いたします。(たまにはマトモに拙作のお話でもいたしませうか)

 それはそれとして、最近、フッと突然に憂鬱になる。秋の所為だろうか。なんとなく自分が宇宙の運行から弾き飛ばされてしまったような気持ちである。あるいは「村八分」にされているような──何に、と聞かれると答えようがない。当然、仕事関係や地域社会ではない。むしろ「流れ」からか。流行遅れは17の時からだから別に気にならない。ここでいう「流れ」とは流行とか、社会とか、そういうものではないのだ。なんだろう。このまま行けば、自分は、世界から弾き飛ばされてしまう。そんな不安を漠然と覚えるのだ。
 やっぱり秋の所為かなあ。
 北海道人は秋になるとメランコリーに襲われるのだろうか。
 ジンギスカン鍋を食べたら治るかな。
 疲れているのかな。

一休通信(その9)

 0:17 02/11/13
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前7時40分に起床。眠い。朝食。子どもたちを送り出し、コーヒー。しかし、それでも眠い。耐え切れなくなって10時30分頃、眠ることにした。
 泥のように眠る。黒い犬に噛まれる夢。12時25分に目覚める。昼食。それから、仕事。「一休破軍行」、20枚潰してようやく書き出しが決まる。…と。ここで午後3時40分。4時に祥伝社のI野次長と待ち合わせだった。
 妻(こちらもクロスワード・パズルが完成していた)と一緒にサンデーサンへ急いだ。I野次長は先に来ていた。「真田三妖伝」のゲラを受け取る。同時に同氏より内容のチェック・シートも受け取った。例によってかなり細かくチェックが入っていた。有難いことです。打ち合わせ。妻は完成したクロスワードの原稿を渡す。一時間ほど打ち合わせを続ける。
 要町駅前にてI野次長と別れ、帰宅。カバンを置いて、大急ぎでコンビニへ。アップルデニッシュを4個買った。急いで戻ると、バイト前の長女と、塾前の二女に食べさせ、自分もしみじみと食べる。(ようやくノン・ノベルから時代伝奇が出せるのか…)という思い。だが、噛み締める暇もなく、仕事部屋に行く。
 書き出しが決まった「一休」の続き。と、一枚半書いたところで睡魔に襲われた。寝る。小一時間、睡眠。
 
「スパイダーマン」はまあ面白かったのだが、ライミにしては「ダークマン」ほどの毒がなかった。クライマックスもイマイチ盛り上がりに欠け、
「えっ。これで終わりなの。……!?」という感じであった。あとになって、きっと「どんなラストだっけ」と友達と話してしまうに違いない。
 で、収穫は、「ロック・ユー」だった。
 これはお薦め。14世紀のヨーロッパを舞台に、騎士に憧れていた熱血系の兄ちゃん(平民)が、如何にして身分を偽り、騎士として馬上槍術の世界でのし上がり、ヨーロッパで一番の騎士になっていくか。という物語だ。昔、「カリフォルニア・ドールズ」という女子プロレス映画があったが、つまり金なし・コネなし・体力と野望あり、の若者の出世映画。騎士世界の「あしたのジョー」(コメディ・バージョン)だった。
 嬉しいのは、主人公を支える仲間たちの配分である。
 従者一筋ん十年の初老オッサン。ぶーたれ屋でアイルランド人の従者二号。女だてらの鎧工(後家さん)。そして、口先三寸でギャンブル狂の自称文豪(主人公のマネージャー。登場すぐに明かされるその正体は、なんと『カンタベリー物語』の作者チョーサーなのだ)。
 カタキ役はフランス人の騎士でジル・ド・レエの孫の伯爵(あの…この人は…『ジャンヌ・ダルク』でジル・ド・レエやった役者ではありませんか)。良きライバルはさすらいの騎士(しかして、その正体は…。これはネタバレになるので言いません。中世ヨーロッパ史上有名な人物です)音楽はクイーンをはじめとしたお馴染みのロックばかり。
「私闘学園」の中世騎士物語版で、面白かったです。熱血して、笑いたい人はレンタル屋で借りてみてください。

一休通信(その8)

 23:21 02/11/11
 今日も農耕的に仕事した。
 久し振りに本と(マトモな)映画の話でもしようか。(どうも最近、自分でもバカになっているような気がするからな)
 ここ一週間ばかり浸っていた本をあげてみると、「妖怪と怨霊の日本史」田中聡(集英社新書)。タイトルだけ見れば、最近流行の妖怪カタログないしは偏愛本(?)みたいだが一味違っている。中世文化論の立場から、朝廷と闇の関わりを論じているのだ。「闇」の具象が「妖怪」であり「鬼」であり「天狗」あるいは「土蜘蛛」・「雷神」なのである。個人的には「穀物の豊穣をもたらす稲荷山の神は、水神─雷神でもあって(中略)顔は龍のようで、その顔の上から光を放って夜でも昼のごとく照らす神であったという。つまり龍蛇神であり、光とはおそらく雷光であった。(中略)稲荷信仰は密教と結びついたことで、ダキニ信仰とも習合する」というくだりが極めてスリリングだった。
 というのも、わたしは幼少時より龍が好きで、長じて機会あるごとに竜神を祭った寺社を参拝することにしていた。が、その一方、高校一年頃から本格的に立川流に惹かれ、その信仰対象たるダキニ天の研究を続けては中断するうちに、霊狐に乗ったダキニ天と稲荷信仰との関わりなどを追いかけるうちに、とうとう我が家の神棚には、竜神と夫婦稲荷が並んで祭られるに至ったからである。なるほど、辰と狐がひとつ神棚に並ぶのは立川流から見て、極めて自然であったか。
 しかも「変成譜(へんじょうふ)」山本ひろ子(春秋社)には、『渓嵐拾葉集』巻第六「神明部」からの引用として、「天照大神が岩戸に篭ったときの姿、それは「辰狐(しんこ)」の形であった。異貌の大神像というべきだろう。辰狐とは畜類の中でも自ら光を放つとされるが、ではなにゆえに辰狐は光を放つのか。またどうして天照大神は辰狐として表象されたのか」と問題提起され、「辰狐とは如意輪観音の化現であるため、如意宝珠を本体とする。だから辰狐を「辰陀摩尼王」と名づけるというのだ。つまり辰狐が放つ光明は、夜に煌く宝珠の輝きに由来するものであった。(中略)辰狐は尾の上に三股杵(さんこしょ)を、さらに三股杵の上に如意宝珠をのせていたという。摩尼(まに)の燈火でもあるその光明が世界を照らすとの作用が、闇黒から光の世界へと転変する岩戸開きにアナロジーされていることは明らかだろう」
 と断じたのちに山本氏はこう続ける。
「ところですでに院政期には、天照大神の本地仏を十一面観音とする説のほかに「如意輪観音」との同体説が成立していた。(中略)そして問題の辰狐も如意輪観音の化現とされた。ここに如意輪観音=震多摩尼を媒介として、天照大神=辰狐同体説が生まれたのだった」
 なるほど。ぐるーっと回って、天照大神は、「辰狐」に変化していった訳か、と納得した。
 が、ところで、上の文章にイキナリ現われた「十一面観音」だが、この観音様についてはとてもコワイ写真があるぞ。「偽書の精神史」佐藤弘夫(講談社メチエ)の表紙──坊さんの顔を縦に裂いて、その下から現われようとしている写真がそれだ。これは宝誌和尚の顔面が裂けて下から十一面観音が出現せんとしている姿である。同書によれば、天照大神は本地垂迹すると大日如来もしくは十一面観音になるという。ところで、この十一面観音は、いつしか菅原道真に化身したものだった、というから話はややこしい。なんのことはない、ダキニ天・菅公・龍神・狐とタタリ性の強いモノがイコールで結ばれたことになる。そうすると、罰当たりな作家はこんな夢想をしてしまうのである。
 ことによったら、天照大神も、十一面観音も、かつて朝廷に甚大なタタリをなしたのではないか、と。…
 しまった。「スパイダーマン」と「ロック・ユー」の話題に行く前に、寝る時間になってしまった。これもタタリの一種であらうか。いかん。やっぱりバカになっていた。

一休通信(その7)

 0:21 02/11/11
今日も農耕的に仕事をした。
 午前十時半に起床。コーヒー付きの朝食。二女は早起きして模擬試験へ行ったあとだった。
 わたしは昼少し前に散歩。長男を連れて行く。長崎神社へ。神棚の五円玉が貯まってきたのでお賽銭箱に収めるため。なんと三百五十六円あった。一円混じっていたのは、ご愛嬌である。神社は七五三の親子連れで溢れていた。ウチもやったなあ、と昔を懐かしむ。で、小銭入りの封筒を賽銭箱へ。よく拝む。
アレもコレもソレも、みんなみんな上手くいきますように。あの人もこの人も幸福になりますように。
 時々、拝んでいる最中、カチリ、と歯車が噛みあったような感覚を味わう。そうした時、願いは、全て叶うのだ。不思議なことである。未来はこの感覚が電撃として感じられるらしい。
 そういえば、最近、軽いシンクロニシティが頻繁に、身の回りで発生している。「酢豚が」と言いかけたらテレビで「酢豚」の映像が現われ、子どもたちが笑う。作品で、あるキャラに「京極内匠」なる仮名を名乗らせれば、その仮名を引っ張ってきた歌舞伎が久し振りに国立劇場に掛かるという新聞広告が現われる。こういう時は作品が評判になったり、売れたりする前兆である。大いに楽しみにしていよう。
 面白いことに、シンクロニシティは伝染する。そして、シンクロニシティはシンクロニシティを生むのだ。記録をつけると増殖し始める。
 試みに、この「日記代わりの随想」を読んだ直後から回りに気を配ってみると良い。あなたもシンクロニシティの渦に巻き込まれている筈である。

一休通信(その6)

 0:37 02/11/10
今日も農耕的に仕事をした。
 午前八時半、起床。
 朝食。コーヒー。妻と二女を送り出してから、調べ物。中世の伊勢。「中世日本紀」の世界。「龍畜経」(『龍軸経』とも)のことが気になる。その傍ら、有馬啓太郎氏の「月詠(ツクヨミ)」を読む。「月詠」はわたしより先に長男(中学一年生)がハマった模様。
 そうだ。
 昨日(十一月八日)、「ロボット・モンスター」を見た。凄かった。シャボン玉が今も頭の中を乱舞している。夫が呆れているのに「映像がキレイ」だの「ショットが絵になっている」だのと、敵に塩を送っていた妻は、「じゃあ、ゆっくりみなよ」とテープを渡したら信じがたいことに最後の最後まで付き合っていた。
 それにしても、全1時間7分の作品の途中に「インターミッション(休憩)」が入っているのは何故でせう。
 きっとスタッフや映写技師が上映場所から逃げるための時間を作ったのに違いない。観客が怒ってそいつらを捕まえフクロにして、頭からコールタールをぶっかけ、トリの羽毛をまぶすこと、必至だからである。さもなければ、
「皆の衆、わしらだけが、こんな目に遭うのも業腹だとは思わんか」
 とか言って、世間のまだ「ロボット・モンスター」を見ていない人に
「あれはすンげぇ傑作だよ。俺なんか二回も見ちまった」
 とか言って、被害者をねずみ講式に増やしていくことだろう。(←確か『ハックルベリー・フィンの冒険』にこういうネタがあったと思ったぞ)
 とてもダビングなんてわたしには出来ない。二度もアレを見る勇気がないからである。ほとんど「マウス・オブ・マッドネス」のチャールトン・ヘストンの心境だ。未見の人はネット販売でも何でもして、是非とも見てもらいたい。そして知るべきである。

「世の中には、2ちゃんねらーにも歯の立たない本っ当の愚作というものが存在することを」

 という話はどうでもいいのだ。
 どうしてわたしはクソ映画とか、不味い飯屋の話になると、かくも熱く語ってしまうのだろう。
 孤独な青春期に負った深い心の傷のせいだろうか。(←というほどの傷を持っているのか)
 えーと。
 本日、一日かけて、ようやく「一休破軍行」の全プロットが完成した。明日にでもコピーをとり、ファックス(凄まじい書き込みが為されているのでネット送信は不可能なのだ)で送り、月曜によんで貰って「オーケー」が出たら、その時点より書き始めることにしよう。
 今回は、傑作になりそうだ。わくわく。

一休通信(その5)

 0:47 02/11/08
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中は調べものとプロット作成。
 午後は二時半に、祥伝社のI野氏と「真田三妖伝」の打ち合わせ。表紙のラフデザインを二種、見せてもらう。凄い。凄すぎる。いままで、こんな伝奇時代小説の表紙、見た事がない。感動してしまった。I野氏も得意げに煙草を吹かしていた。吸いすぎは体に毒ですよ。
 午後四時、同じ場所で、光文社のW辺氏と「一休破軍行」の打ち合わせ。プロットは全部出来ていないのだが、早く書きたい気持ちが高まっている。コーフンして説明するうちに矛盾点を発見。やんわり指摘される。それもそうだ、と訂正案。ずっと良くなる。話を続けるうち、猛烈に書きたくなってきた。
 今回は「零落した神」のモチーフと「中世日本紀」(真の日本の所有者は誰か)という話が現われるだろう。子連れ一休のイメージ膨らます。拝一刀というよりは「血煙街道」の座頭市か。(←こう書いても一般人には何のことか分かるまい。しめしめ)
 ウチに帰って、「なんだ。ダブルヘッダーなんて言ったって平気じゃん」とか言い、横になってW辺氏に貰った資料を読むうち、二分で眠っていた。
 二時間完睡。
 目が覚めたら外薗先生から荷物が届いていた。以前お貸ししたクロウリーの資料。「犬神」の同人誌。そして…「ロボット・モンスター」のビデオ。
「ロボット・モンスター」は、エド・ウッドもびっくり!! のバカホラーなのだ。宇宙人侵略モノなのだが、関係ない映画の特撮シーンがいきなり出てきたり、さっきまで「教授」だった筈なのに、何時の間にか「パパ」になっていたり、結界から出ると死ぬという設定を忘れて(地球滅亡の危機に)お姉さんと「教授の助手」がハネムーンに出かけたり、真面目に付き合うと観客が発狂しそうな映画なのだ。しかも「夢落ち」。しかも、「でも、やっぱりオチ」。しかし、この「ロボット・モンスター」の真に偉大なところは、こんだけストーリーを知ってても、なおかつ「み、見たい」と思ってしまうところである。
「ロボット・モンスター」こそ、校閲の立ち入る隙すら、イケズな揚げ足取りファンの付け入る隙すらない、(というか、揚げ足取ることさえ空しい)究極のバカ・ホラーなのである!!!
 外薗先生、有難う。
 見終わったら、ダビングして、ライバル作家に配り、皆を発狂させてやるのだよ。
 うふふふふ。

一休通信(その4)

 0:26 02/11/07
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中はリハビリと外来であった。
 考えてみれば、十一月七日は、わたしが倒れた日である。
 七年前の今日、わたしは痙攣発作を起こし、救急車で日大板橋病院に運ばれたのだった。あの時は脳が炎症を起こして膿が溜まっていた。そのため、左手と左足が痙攣して、救急車内でわたしは失神したのだった。失神したところまでは覚えているが、そのあとは覚えていない。妻によるとそのまま、精密検査に回され、手術が決定されたのだという。…しかし、記憶によれば、のんびりと内科に入院したような…。いや。違うな。変な検査を受けたような…。どうもこの辺の記憶は今だに混乱している。いずれにせよ、深夜、妻を励ますために飯野文彦氏と井上雅彦氏と菊地秀行先生が来てくれたのだった。(こちらは生死を彷徨っていたので知る由もない)このお三方には、一生、頭が上がらない。飯野氏をいつもからかったり、井上氏の頼みを近頃は「忙しいから」と断ったり、菊地先生に無沙汰をしっ放しではあるが、感謝の気持ちは死ぬまで変わらない。
 そんなことを考えていたら、ふと「X-MEN」が見たくなった。ウルヴァリンとローガンの恋物語として、公開時は見ていたが、友成さんが「監督とスタッフがゲイで…」なんて言ったお陰で、マグニートとプロフェッサーXの恋物語に見えてしまい、棚にほうっておいたビデオだ。作中のウルヴァリンの回想に出てくる手術のシーン。見直していたら、今度は「ヘルハザード」の探偵が見る悪夢のシーンが、また見たくなってきた。それを見ていたら、今度は「Xファイル」の第一回。モルダーが意識朦朧の状態でUFOを目撃するシーンが見たくなってくる。…自分の脳手術体験をこうして無意識に追体験しようとしているのだろう。

 仕事はプロットの続き。詳細な地図。天王寺から桜井を経由して伊勢本街道をぬけて伊勢内宮へ。日程。日割り。室町人の足で考える。脇役の登場の仕方が本筋にしっかりと絡むこと。テーマが常に小さく現われてはきえる。音楽のような構成に。
 疲れて三時間も昼寝する。明日(七日)はダブルヘッダーで打ち合わせ。
 もう寝よう。

一休通信(その3)

 0:40 02/11/06
今日も農耕的に仕事をした。
「一休」のプロットを切りつづけた。その一方で正長元年の社会情勢。伊勢の国司の城の位置。関所の数と位置。称光帝崩御の詳しい時間・状況など。ひたむきに調べ続けた。「法螺」を吹くにも、こちらは、色々と大変なのである。そうしていたら、日本推理作家協会から手紙。「推協賞」のアンケート(必ずしも会員の意見が反映される訳ではない)と、近況の短文を送れ、という連絡。「推協賞」には「短編集」賞には「秘神界」。「長編賞」には「旋風伝」。「短編」賞には「荒墟」と書いておいた。全部、わたしの作品である。いつだったか、評論家の何某が「推協賞に自薦してくる作品はハネることにしている」という内容の文章を書いていやがったのを見てから、欠かさず自作を推薦することにしているのである。どうせ×××な×だから、なんの××もあるものか。ならばいっそ自作を書いたほうが潔いというものである。
 勢いに乗って短文には「わたしの縁起物」というテーマに沿って、自慢の縁起物(豪徳寺の招き猫、新勝寺のダキニ稲荷、新勝寺の不動剣、アレイスター・クロウリーの肉声テープ、ラヴクラフトの手紙コピー、ナバホの五色石、そしてヴードゥーの呪い師からもらった日本人魔霊カマモリ)などをあげ、特に最後の縁起物は勝手に、無礼な編集者の前歯をへし折ったり、下らんことを書き散らす奴の発表誌の売上げを落としたりするのでマイッタ、マイッタ。と、書いておいた。まさか、最高学府を出て、出版界に生きるインテリが、わたしのヨタを丸ごと信じるとは思えないが、とりあえず断っておこう。
 
「全部、法螺ですよ。信じないでね」

一休通信(その2)

 23:26 02/11/04
今日は農耕的に休んだ。
 長女と二女は原宿・池袋で冬物の買い物。長男は千葉へ野球見物。わたしは午後、長崎神社から古本屋へ散歩。が、古本屋が本日休業であった。なんてこった。帰宅。ビデオ。ぼんやりとクリームパンを食べる。食いすぎ。最近、土曜の夜が遅い。子どもたちがNHKの「爆笑オンエアバトル」にはまっているためだ。これは面白い。新人のお笑いタレントが観客の前でネタをやるのだが、面白くないとオンエアされないのだ。されるかどうかは、客がいれたボールの重さで判定される。以前、「スーパー・ボキャブラ天国」という番組があって、子どもに受けているお笑いが全然面白くなくて愕然としたものだが、こちらは良く分かる。自分のセンスがまだ古くなっていない、とホッとする。

 昨日の日曜はある本を求めて妻と池袋のコミック・プラザへ行った。
 買いたかった本は無く、それどころか、何気なく買って読んでみたいコミックも無かった。愕然としてしまう。どの本も精彩を欠いて見える。なんというか、「ただ並んでいるだけ」という感じ。荒廃した印象。腐った魚の並んだ魚市場と言ったら言い過ぎか。もちろん、小説のコーナーも同じ。サブカルのコーナーには不潔感すら漂っていた。どうしてなのだろう。かつてワクワクして日参し、莫大な金をおとした場所なのに。

 去年の手帳を開いたら、発作の起きたのは12月の中旬だった。発作なし一年の記録樹立まで、あと一月強である。無理は避けよう。なんとか一年はもたせたい。(考えたら退院直後は月にニ、三回は発作で倒れていた。電話中に失神したこともあった。まるで火曜サスペンス劇場である) 

一休通信(その1)

 0:19 02/11/02
 今日も農耕的に仕事をした。
 昨晩は五時から池袋で光文社のW辺氏・F野氏、エディターのN西さんと打ち合わせがあった。前日から数えて通算五十八枚書いていたわたしは、話しているうちに、次第にハイテンションになってきた。次いで食事に行くと、今度は次第に眠たくなってきた。恐るべし、疲労。そんな訳で、申し訳ないが、午後八時に失礼して帰宅。帰ったら、長男がマンションのロビーに迎えにきてくれた。(こんな夜更けに)と一瞬思ったが、実は八時ちょい過ぎ。意識は午前一時だった。(光文社のみなさん、変に付きあわせてしまい、ごめんなさい)
 今朝は午前七時半に起床。コーヒー。アタマの隅に少し疲労が残っていた。
 午前十一時半頃から執筆始める。「真田三妖伝」の推敲・プロローグの書き直し。図版の用意。すいすい進む。疲労でアタマが冴えていたようである。昼食。執筆。…友情・努力・勝利…。完成。
 午後一時半から三時まで仮眠。お神楽のCDを付けっぱなしにする。とろとろ眠っていた。三時に起きて、身支度。今日はノベルスの表紙のソデに使う「著者近影」も撮影するので、髭をあたり、スーツを出した。が、未来の言葉に従い、ジャケットにする。少し早く出て時計屋へ。電池を交換してもらった。千五百円。ちょっと高い。あの時計屋はもうやめよう。
 サンデーサンの前で祥伝社のI野次長に会う。一緒に店へ。K藤カメラマンが待っていた。原稿を渡す前に撮影。プロカメラマンに撮影してもらうのは何ヶ月振りか。最後は「登竜門」での菊地秀行先生との対談か。いや、その後に「週刊宝石」があった筈。兎に角、三年か四年ぶりである。サンデーサンのウェイトレスにいって撮影開始。かなり強引な撮影(といってもフラッシュを焚いただけなのだが)に、すぐに他の客から文句が出る。といって外は雨。屋内で撮影するしかないのだ。早めに撮影完了。
 のち、原稿の受け渡し。その後、表紙の下案を見せてもらう。写真コラージュ。手裏剣。オリオン。城。樹海。巻物。ビーム光。良い感じ。下案だけで八点もあった。祥伝社の「売るぞ」という気が伝わってきた。
 I野次長に立川流の資料を渡す。
 ウチに戻って、ドッと疲れる。横になった途端に、遅い夕食までぐっすり眠っていた。
 明日から「一休」の新作に取り掛かる。仮題「一休破軍行」。日本開闢の秘篇──第六天魔王と天照大神の密約が裏設定に入る予定。そして、さらに次につないでいくのだ。
 アタマを空っぽにして頑張ろう。
 とりあえず、明日は、二女と長男の中学の文化祭である。未来と見学に行く予定。
 さあ、寝よう。

燦星通信(その20)

 23:37 02/10/30
今日は狩猟的に仕事をした。
 午前七時二十分起床。朝食。子どもを送り出す。コーヒーは無し。実は午前九時にトイレの修理(前回は配水管。今回は便器)に工事の人がやって来るのであった。コーヒーを飲むと近くなるもんね。それで、工事の人が来る前に、かなり早い昼寝(寝なおしか)。工事の人の「では、宜しく」の声で目が覚めた。午前十一時半。この間、二時間半だから、ちょうどいつもの昼寝と同じ時間、眠っていた勘定になる。
 コーヒー。昼食。食後、直ぐに仕事開始。原稿を書く。ひたすら書く。どんどん書く。途中、電話が入っても、原稿を書く。怪しい電話で、受話器を取った途端にきれても書く。ずうっと書く。夕方でも書く。また怪しい電話が入っても書く。夕食。で、また書きつづける。かくして午後十一時二十五分、作品は九割九分、完成していたのだった。本日書いた分量は約三十五枚。頑張ったのお。明日は「エピローグ」を書いて、「プロローグ」を書き直す作業だ。
 早ければ明日の午前中。遅くとも明後日の昼前には完成。脱稿である。
 で、十一月一日の夕方に渡す約束。
 今回、実質的に、二ヶ月半で五百五十枚強。良いペースである。
 しかも、十年前みたいに、アクセクしていないのが良い。
 来月(十一月)の二日までに「痙攣発作」が起こらなければ、めでたく「一年発作なし」となる。これまでのノー発作のレコードは十一ヶ月。これも良い調子だ。仕事と健康と、いずれも慎重に頑張っていきたい。

燦星通信(その19)

 22:42 02/10/28
今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時二十分、「おはスタ」の音樂で目覚めた。すっきりした目覚め。昨日(日曜はさして疲れていなかったのだが。土曜の疲れが後を引いていたのだろう。トシは取りたくないものである)は寝入りが良かったのを思い出した。
 朝食。子どもを送り出して、コーヒー。午前中に皮膚科に行く事にした。医療費を下ろすために銀行へ。凄い列が出来ていた。近日中にこの支店は無くなるという。何時の間にか、CRTも減っている。銀行はどんどんサービスが悪くなっていく。中曽根や不動産屋や土建屋と一緒になってバブルを仕掛けたのは誰だったのか。…おそらく21世紀中に、銀行は、かつての石炭産業と同じ道を辿るに違いない。ハラを立てながら金を下ろして皮膚科に行った。飲み薬とローションを貰う。その帰り、レンタルビデオ屋の店先で『妖女ゴーゴン』を発見。なんと100円なり。テレンス・フィッシャー監督。ピーター・カッシング、クリストファー・リー主演の佳作が、これだ。帰って確かめたら、映像はとても綺麗。おそらく殆ど借り手がいなかったのであろう。テレンス・フィッシャーが借り手もつかずにジャンクされ、『食人族』が引く手あまたというこの現状。なにがホラー・ブームだ。
 モンドとクラシックの区別もできないクソマニアに呪いあれ。
 昼食。皮膚科の薬を飲んで寝る。薬は眠くなるという副作用があるのだ。早く脂漏性皮膚炎が治らないものか。フケが気になる。薬の副作用が効いてきて(?)眠くなる。
 午後三時半頃、目覚める。仕事を始める。五枚書いたところで、子どもたちとコーヒー。仕事を午後六時頃から再開。夕食。午後九時半前に筆を止めた。本日の成果は通算十五枚。午後十時入浴。午後十時五十分頃から「日記代わりの随想」を書き始める。最近、不況感いっそう酷く、不景気な話ばかり耳に入ってくる。この一週間ほどBBSの書き込み量が急激に減ったのも、ファンの皆が、日中の激務に加えて長い残業、家に帰ればビールを飲んで眠るだけ、という十九世紀のイギリスの工場労務者みたいな生活を送らされているせいに違いない。
 明日は一気呵成に大団円に持っていこう。

燦星通信(その18)

 22:45 02/10/26
今日は農耕的にも仕事をしなかった。
江ノ島の裸弁天にお参りしてきたので全く書けなかったのだ。
 朝、起きて食事して、コーヒー飲んで、クルマに乗ったのが午前九時。首都高に乗ると渋滞。おまけに雨が降ってきた。なんとなく幸先が悪いような…。
 横浜・鎌倉経由で行くつもりだったのだが、途中、小用がしたくなる。コーヒーのせいだ。平和島パーキングでトイレに行こう、としたのだが、通り過ぎてしまった。「助けてクレー」と二女と叫びかけた。と、天の助けか。も一つ休憩所があらわれた。急いで止まり、長男とトイレへ。妻も娘たちも用を足していた。良かった。良かった。ぐっと落ち着いて、鎌倉経由で江ノ島に着く。
参道前にて 日頃の行いが良いせいか、江ノ島に着いたら雨はやみ、オマケに空いていた。参道には懐かしのスマートボール・射的場があった。長男が「あとでやろう」と燃える。こちらは茶店の饅頭が美味そうに見えて仕方なかった。
 鳥居の前では「成田山みたいだろう」とタカをくくっていたが、いやあ、歩く歩く歩く。どんどん歩く。階段を上って登って登って下っていったら、やっと辿り付いた。はっきり言って疲れました。弁天洞の中はダンジョン感覚で楽しめた。しかし、弘法大師だの役の行者だの日蓮上人だの、史上有名な宗教者がことごとくこの洞窟を訪れているというのは、古史古伝の世界だろう。岩屋の前にて
 第二洞窟の奥にアトラクション用の作り物の竜があって、なんだか西武園の「大恐竜館」という感じで笑ってしまった。ところで感じたのだが、北条家の家紋「ミツウロコ」は竜神に起因するというが、こいつは江ノ島あたりの岩の表面、あの岩石の質感からきているのではないか。洞窟の中で岩壁を見たらミツウロコに見えたのだが。
 有名な江ノ島の裸弁天は流石に神々しい神様で、ご利益がありそうだった。
 竜神様はわたしの曾お婆さんの守護神(というかお婆さんが竜神の化身と言われていた)ので、なんとなく縁を感じ、機会があればお参りしていたので、今回、決定打という感じであった。(この話もいつか記したい)
 これで少しは仕事に集中できて、十一月一日に、祥伝社のI野氏に最後の原稿を渡したいと思う。
 疲れた。久し振りに肉体的に本当に疲れたので、帰りに、江ノ島名物「井上商店」の「女夫(めおと)饅頭」をお茶で頂いた。二個にお茶付きのセット。美味かった。長男は約束通りにスマートボール。一個玉が入ったら、ザラザラッと玉が出てきて、歓声をあげていた。
 帰りは渋滞。ウチに着いたら、やはり疲れていた。
 明日は「解説」の原稿。「十勇士」の続き。その他。頑張ろう。

燦星通信(その17)

 0:14 02/10/26
今日も農耕的に仕事をした。
 二十二日頃から激しい自己嫌悪と焦燥感に苛まれていた。
 二十四日に祥伝社のI野氏に出来たところまで原稿を渡した。帰ってからも十枚書いた。二十五日は流石に午前中は雑用に追われて仕事進まず。午後、アークライトのT田氏より電話。T城Y子氏の本の解説を依頼される。勿論、快諾する。のち、仮眠。午後四時にサンデーサンへ。東京創元社のM原氏と悪巧みをした。「ハリー・ポッター」の最新刊のため、同月発売の本は全滅とのことであった。「ハリポタ」と「バガボンド」は何千万部も売れるのに、その他の本が売れないとは…。そろそろ出版のルールも根本的に変わろうとしているのかもしれない。
 もっとも、こちらは、今まで売れなかったお陰か、この五年ほど、本の売れ行きが良くなっている。尻上がりに快調といってもいいだろう。
 疲れが溜まっていたらしい。あまり良い悪巧みは浮かばなかった。
 
 明日(二十六日)は家族で江ノ島と鎌倉に行く予定。わたしは取材である。
 鎌倉にまともに行くのは二度目。江ノ島は初めてである。
 こうやって旅に体を馴らして、来年は、必ず長野の温泉でオフ会を開きたいものである。

燦星通信(その16)

 0:36 02/10/22
今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時三十五分起床。
 朝食。子どもたちを送り出して、のち、妻とコーヒー。ふと神野君から貰った「修道士カドフェル」を観なければ、と思う。しかし、その前に「鬼一法眼」を見なければ。色々と迷いつつ、やくたいもないビデオを見たり、テレビで「太陽にほえろ」の松田優作を見たりする。雨の日は意気があがらない。
 用事で東京創元社のM原氏に電話。朝日ソノラマのI井氏より電話。
 昼食。昼寝。
 起きてからぼちぼちと仕事。

 長安に斬りつける佐助。長安の手刀。何れも古い新陰流(プレ新陰流)。それを見て唖然とする柳生の面々。長安に根津甚八の毒が飛ぶ。長安脱出。追う甚八。獣化する長安と、怪剣士との遭遇。怪剣士、燕返しで長安獣に斬りつける。逃げる獣。甚八と怪剣士の出会い。怪剣士、「京極内匠(たくみ)と名乗る。京極は佐々木氏だが…。はたしてこの剣士はかの佐々木小次郎なのか。一方、柳生邸を脱出した佐助・伊三・由利は、老月村のアジトへ。と、そこでは意外な人物が彼らを待っていた。…

 良い調子で書きつづけた。本日は十五枚で筆を止めた。
「旋風伝」の書評が「朝日」「読売」「北海道新聞」に載って概ね好評とのこと。雑誌は「小説現代」とか。いずれも一般人を対象にした媒体なので、大いに嬉しい。子どもから、とは言わないが、高校生からお年よりまで幅広く読んでもらいたい。
「秘神界」も売れて欲しい。こちらは現在の日本のホラーの水準を示したアンソロジーだと思う。この間口の広さと懐の深さが、実に日本のホラーの特徴の筈だ。皆で楽しみながらホラーを書いていきたいものである。
 今週も忙しくなりそう。
 夜、高橋葉介先生に電話する。木原さんからDVD(「新耳袋」オリジナル・ドラマ)を借りたら、不思議なことが怒り始めたという。本当なら、それ自体、怪談である。今度、木原さんに会ったら訊いてみよう。なんとなく、クロウリーの肉声レコード(それを掛けると怪異がおこる)の話を連想してしまった。

燦星通信(その15)

 0:17 02/10/21
今日も農耕的に仕事をした。
 朝八時にトイレの水道管の修理が来るというので、未来は早起き。こちらも水道屋の声で目が覚めた。水道修理が終わるのを待ってモソモソ起きた。
 朝食。コーヒー。ぼんやりする。昼食は息子と椎名町へ行って並木米店のおにぎりを買ってくる。米屋のおにぎりはやはり美味い。二女は昨日の模擬試験に続いて、今日は英検。それで昼食は四人で取った。ミソカツおにぎりが美味い。
 仕事は、ずっとチャンバラ・シーン。猿飛佐助v.s.大久保長安。場所は柳生但馬の屋敷。この対決を見守る三好伊三・由利鎌之助。さらに根津甚八。外では佐々木小次郎らしき男が様子を伺っている。この荒唐無稽が四百枚近くまで無理なく進んでいる。よしよし。
 完成したら、えとう乱星先生にお送りして、是非ともご感想を頂くことにしよう。伝奇小説は楽しい。ホラーやオカルト小説も楽しいのだが、楽しさの質が違う。常に「遊び」の感覚がついてくる。
 土曜には「一休」の第四作のストーリーが決まる。子連れ一休。後をつけてくる子取り者(子どもの肝を盗む強盗)二人組。時代は正長元年。正長の土一揆。小倉宮・北畠満雅の挙兵。応仁の乱の前兆。称光天皇(一休の実弟)の病死。独裁者・足利義教の横暴。
 現代にも通じる戦乱の予感の時代。
 時間としては「影わに」の直後か。「荒墟」とは無関係とする。
 原稿は休み休みで八枚ほど。
 ビデオ「ヒル・ビリー・ジョンの伝説」を見直す。M・W・ウェルマンの「銀のギターのジョン」(『悪魔なんかこわくない』)の映画版。音楽がいい。
 のんびりとした日曜なり。

燦星通信(その14)

 23:41 02/10/11
 十月四日以降、あまりに忙しくて、まったく「日記」を更新できなかった。
だから、十月三日から十一日までの出来事を、記憶に従って手短かに書いてみることにした。ただし、最近、記憶がすこぶる怪しくなっているうえ、わたしは小説家なので、きっと誇張・デタラメ・法螺・まやかしの類が多分に出てくるだろう。なので「この日記はハクションである」と断っておく。
 
 十月三日夕方、池袋の「サルビア」で祥伝社のI野次長に原稿を渡した。
 十月四日。
 午前中、歯医者に行く。せんだって洗面台から排水口に落として東京湾に流してしまった義歯の代わりを入れてもらう。義歯と書くとなんということもないが、入れ歯と書くとえらくジジイ臭い。いやだなあ。帰宅。昼食。昼寝。仕事。夕方、池袋の「サルビア」で光文社のW辺氏と打ち合わせ。のち、会食。ロサ会館の近くの「笹舟」という居酒屋へ行く。鴨をご馳走になる。古くて風情のある建物であった。W辺氏、しきりに「一休シリーズは売れてます。一休に期待していますからね」と言ってくれる。嬉しいことです。
 十月五日。
 一日仕事をする。腰が痛い。両腿の外側も痛い。靴を履けないくらい痛かった。運動不足がここまで来たらしい。大いに焦る。夜、「狸御殿」でチャットをする。初めて参加のHIRO氏もいて盛り上がる。ひらどん氏はいつ話しても良い味がある。
 十月六日。
 運動不足解消のため、長崎神社に散歩、ついでにお参り。「旋風伝」「秘神界」「一休虚月行」の一刻も早い再版を祈る。帰ってきてずっと仕事。
 十月七日。
 遂に耐え切れず、整体に行く。腰はカチカチ。腿はパンパン。上は大水・下は大火事という状態とのこと。暖めて低周波マッサージ。さらにレーザー鍼で血流を良くしてもらう。少し楽になった。帰ってきて仕事。昼食。昼寝。仕事と続く。
 十月八日。
 午前十時十五分頃、東京創元社のM原氏より電話。「秘神界」の売れ行きは極めて順調。書評も二誌に掲載された、とのこと。二人で慶ぶ。のち、整体へ行って昨日と同じメニューで腰と腿を治療してもらう。午後、祥伝社のI野氏より電話。新作のタイトルを決めたい、とのこと。色々と出す。しかし、ぼくはタイトルが下手である。おそらく東京で一番下手だと思う。
 十月九日。
 午前十時三十分より、リハビリ。板橋のN大付属病院へ。体が硬いと指摘された。お白洲で悪事を指摘された気分。帰宅後、昼食。昼寝。仕事。何度か祥伝社に電話。タイトルの話。ぼくは日本一タイトルをつけるのが下手な作家に違いない。
 十月十日。
 必死で執筆。午後四時に要町の「サンデーサン」でI野さんと会う。原稿を渡す。かなり面白い、と誉められホッとする。実は、自分は世界一タイトルを付けるのが下手な作家だと思っていたのだ。疲れた。夕方、整体に行くが、手足がガタガタで、「緊張が酷いですね」と先生に指摘された。ぼくは宇宙一、体が硬い作家なんだ。長女、夜、修学旅行から戻る。北海道は寒かったそうだ。富良野にはラベンダーと倉本聰しか採れない、というギャグを話す。
 十月十一日。
 長女は午前九時まで眠っていた。二女・長男は今日からテスト。朝のコーヒーの後で、街道と大阪の資料を求めて、池袋方面へ。しかし、トイレに行きたくなり、ウチに戻ってくる。用を足して、改めて椎名町方面へ。しかし、良い資料は見つからず。仕方ないので、神社に行って、最近のツキのお礼をいってから帰ってくる。整体。今日は気持ちいい。昼食。仕事。
 「日記代わりの随想」を書く。

燦星通信(その13)

 0:28 02/10/04
 今日も農耕的に仕事をした。
 池袋に午後四時に原稿を渡す約束。だが、ここ何日かの気圧異常で章の終わりまで達していない。とにかくガッツを出して午前十一時三十分ごろから原稿を書き始めた。必死で集中。アイデア、ふつふつと湧いてくる。午後一時に昼食。食後十分の休憩。のち、必死で書き継ぐ。
 かくして午後三時四十五分には、二十枚書き上げ、見事に第三章が終わっていた。午後四時少し前に家を出た。
 バスにタッチの差で乗り遅れたが、そんなに焦らない。きっと原稿がちゃんと今日の分だけ出来ていたからだろう。五分待って来たバスに乗る。
 池袋に到着して、ビックカメラ隣の喫茶「サルビア」へ。
 祥伝社のI野さんはにこやかに待っていた。
 原稿を渡して小一時間ほど打ち合わせ。
 次回は十月十日と約束して、午後五時少し過ぎに別れた。

 今日の標語。
「つり銭のないバスなど、ただの強盗箱にすぎない」
                  ──河合宏介
               (誰だ、こいつ↑)

燦星通信(その12)

  0:25 02/10/03
 今日も農耕的に仕事をした。
「真田水滸伝」は本日、書き直しやらプロット・ノートやらで半日使い、結局八枚しか進めなかった。悔しい。書くのが遅いのがもどかしい。書いてる片端から色んなアイデアが湧いてくる。それに引きずられて、もはや、わたしは単なる記録官に過ぎない。大久保長安についての異説を発見。甲州は武田氏の家臣、「猿飛び衆」の出身だと!!
 これも物語の彩りにするため、また書き直し。もうストーリーを他人に説明できない。ただ、「読んでください。面白いです」というだけである。

 本日十月二日は長男の十三歳の誕生日。このひねくれた人間の子にしては、よく素直に育ってくれたものである。
 九月三十日に、急に具合が悪くなり痙攣発作が起きそうになった。どうやら台風接近に伴う気圧異常のせいらしい。
 家には長男しかいなかった。やむなく彼に救急車の呼び方・救急員への対応・行って貰うべき病院・主治医名を教え、保険証・通院カード・ケータイを手渡した。わたしは薬を飲んで、暗い部屋で休むことにした。約30分経過。なんとかやり過ごした。「もう大丈夫だよ」と教えると、長男はわたしの隣に寝転がって泣き始めた。緊張の糸が切れ、(良かった)という思いがどっと溢れたらしい。まだ中学一年生。子どもである。起き上がったわたしの後ろで甲斐甲斐しく家族の布団を敷いたり風呂を入れたりしていた。
 なんて可愛い奴なんだ、と思った。

燦星通信(その11)

 19:54 02/09/28
今日は農耕的に休んでいた。
 昨日は鮎川賞のパーティー兼「秘神界」打ち上げがあったので、ちょっと疲れてしまったからである。
 それにしても昨日は楽しかった。過去に行ったパーティーでベスト5に入る楽しさだった。場所は飯田橋のホテル・エドモンド。推理作家協会のパーティーが良く行われるところである。ここへ来るのは、八,九年振りではないだろうか。
 雨が降りそうな天気の中、松尾未来を案内してホテルへ向かう。「まかせておけ」などと言ってはみたが、実はちゃんと道を覚えていたか、心許なかったのである。しかし、途中の道こそ変わっていたが、なんとかまっすぐたどり着けた。良かった。良かった。
 ホテルに着いた途端、異形コレクション担当のN西氏がロビーにいて、驚いた。井上氏を待っているのだという。二階に上がって名札を貰ったところで、「黒魔団」の会員だった沢田安史氏を見かける。沢田氏は「SRの会」の代表ということで来ていたらしい。声をかけようとするうちに何処かへ行ってしまった。その代わりに原田実氏を発見。一緒に会場に入る。と、入ったところで角川春樹事務所のH編集長に声を掛けられた。
「面白いのを書きますから、もう少し待って下さい」と頭を下げる。
 次に、山田正紀先生を見つけて、ご挨拶。松尾は久留さんのご結婚祝いと自分の為に持参した「秘神界」にサインしてもらった。
 セレモニーが始まるまでに、倉阪鬼一郎氏(怪奇作家)・槻城ゆう子氏(イラストレーター、『召喚の蛮名』の作者)・安土萌氏(幻想作家)・松殿理央氏(『蛇蜜』の作者』・米沢嘉博氏(コミケの主催者)高橋葉介氏(『学校怪談』『恐怖症博士』の作者)・井上雅彦氏(異形コレクションの監修者)・芦辺拓氏(本格ミステリーの雄)といった「秘神界」仲魔に会う。松尾はさらに片端からサインを「秘神界」に入れるよう頼む。
 鮎川賞・創元短編賞・同評論賞の受賞式。乾杯。
 朝松は回遊開始。
 光文社の元担当で、今は装丁家の盛川和洋氏や光文社文庫編集長のN道氏やシェラザード財団のT和田氏などに媚びを売っていると、
「早く紀田先生に挨拶しなさい」
 と松尾に叱られた。
 慌てて上座に飛んで行くが、途中、綾辻行人氏に会ったので、挨拶。体のことを気遣ってくれた。いい人だな、いつも。
 で、紀田先生の許へ行き、挨拶して、サインを頼む。が、その前には権田萬冶先生と、温厚な紳士が。…この紳士が、大恩ある評論家の二上洋一先生だった。慌てて挨拶。色々なお礼を述べた。
 紀田先生とは昔話をした。実はわたしは紀田先生の弟子(かなり不良)筋だったのである。
 さらに井上氏・高橋葉介氏と二上先生とで立ち話。高橋先生が飲み物を持ってきてくれると、二上先生曰く、「天下の高橋葉介先生をボーイみたいにお使いしちゃバチがあたりますね」本当である。
 この辺で少し疲れてきたので、椅子を求めて歩き出した。途中、渡辺東先生(画家。渡辺啓助先生の娘さん)と再会。挨拶するが、足がふらふらなので失礼する。やっと椅子に座った。さて、飲み物でも、と思っていたら、光文社の元常務のH井氏と会う。H井氏は講談の神様神田山陽師のご子息でもあり、作家にはとても為になる意見を言ってくれる方なのだ。「妖臣蔵」が良いものになったのはH井氏と盛川氏、お二人のお陰である。ここで、興味深いお話を沢山聞かせてもらった。やがて、松尾と安土氏がやって来た。二人は石上三登志氏と会って話してきたのだという。二人が誰かを探しに行っている間に、大きな体の優しい目をした人が話し掛けてくれた。画家のムラタユキトシ氏であった。「朝松さんのファンでして。特に〈田外竜介〉シリーズのファンです」とおっしゃる。「屍食回廊」にサインする。お話をすれば、なんとウチのサイトの「待ち受け画像」に使っている「モスマン」はムラタ氏のデザインとか。(いや、ムラタ氏のお友だちだったかな。ゴッチャになっている。失礼)プロの画家の方に、作品が好きです、と言われると凄く嬉しい。
 やがて、少し元気が出てきたので、歩き出した。
 笹川吉晴氏・末國善巳氏・大森望氏ら、評論家の方たちに挨拶。
 また、国書時代の後輩で、今はフリー編集者のF原氏と再会。
 さらに「黒魔団」の同志で翻訳家の夏来健次氏と久し振りに会った。
 さらにさらに短編の名手、村田基氏に会った。村田氏はシャイな感じのとても優しい人で、何処か、氏の作品とイメージが重なった。
 さて、わたしは、そっと廊下に出て、かねて用意の盗聴器のスイッチを入れた。やがて聞こえてきたのは、出版界を揺るがす大陰謀であった…
 …という展開は通俗だナア、と考えながら、用を足した。午後八時十五分。ひらどんさんも、この東京の何処かで、きっと用を足しているに違いない。
 などと一般人には分からぬ感慨を抱きつつ、会場に戻る。
 会場では、竹本健治氏・高橋葉介氏・米沢嘉博氏・松殿理央氏らで、輪が出来ていた。繋がりは『同人誌』。ことに竹本氏と高橋氏は、かつて同じ同人誌にいたとのこと。今回、二十年振りに再開したという。後世の研究家のために言い残しておくべき言葉──「同人誌関係を理解しなければクリエイターの関係は理解できない」
 そんなこんなで会はお開きに。
 二次会は、「秘新界」打ち上げとして、東京創元のM原氏の先導で、飯田橋駅前の居酒屋へ。
 参加者は朝松・松尾・M原・井上・安土・松殿・原田・芦辺・米沢・村田・笹川・夏来・倉阪、あとから槻城の各氏。さらに槻城氏と一緒に徳間書店のK氏まで参加。オカルト話で盛り上がるチームと、業界話のチームと、バカ話のチームと、真面目なホラー談義を語るチームに分かれる。
 当然、わたしは、バカ話。松殿氏と「えっへっへ」とか「うへっへ」とか「嫌だ嫌だといいながら、口はとっくにこのイカゲソを咥えているじゃねえか」「そそそそんな、海老を丸ごとなんて、やめてください。わたくし、ダイエットしているのでございます」「ふう…。食えば食えるじゃねえか。さあ、今度はこの、マヨネーズたっぷりの和風パスタを食うんだ」「ああ…あなたといふ方は…わたくしを…限りなくでぶにしておしまいなのね」「四の五の言わず、さあ、わたしは醜いチャーシューです、と言うんだ」などとオバカな会話を繰り返す。アホか。
 十時半、散会。一部は鮎川賞ニ次会。一部は菊地秀行先生のイベントに。わたしは帰宅。
 とても楽しいパーティーであった。
 この機会をくれた東京創元社と同社のM原氏に感謝。
 よし、次は、温泉オフ会だっ。(←こらっ)

燦星通信(その10)

 0:17 02/09/27
今日は農耕的に仕込みをした。
 かねてより気になっていた映画「ヴィドック」をビデオで鑑賞。
 面白かった。フランス映画の底力を見せられた思い。1830年の市民蜂起を背景に、鏡面の殺人鬼に挑むは、世界最初の私立探偵ヴィドック。…というと何となく「怪奇探偵物」のようだが、骨組みはオーソドックスなハードボイルドだ。しかし映像が素晴らしい。時々フランス印象派の名画を、あるいは「ダーク・シティ」を、あるいは「ブレード・ランナー」や「セブン」を思い出させながら見事にフランス映画していた。最期はしっかりオカルト・ホラー・アクション。「レ・ミゼラブル」の世界で、「オペラ座の怪人」の事件が、シャーロック・ホームズとスリーピー・ホローとエンゼル・ハート風に展開する…といえば殆どネタばれか。
 
「笑っていいとも」のことを教えて下さった、えとう乱星先生に「秘神界」を謹んでお送りする。
 
 京都の一休寺(酬恩庵)のご住職より、お手紙。「一休」シリーズ三作は、無事、お寺に収めて下さったとのこと。感謝。

 光文社のW辺氏より電話。「一休虚月行」が出足好調とのこと。「一休さんがシリーズを受け取ってくれたからに違いない」と話す。そういえばアニメの「一休さん」のスタッフは酬恩庵にセル画を奉納したということだが、そのお陰か、あのアニメは「マンガ日本昔ばなし」と同じくらいのロングランだったではないか。ううむ。ありがたや。ありがたや。いずれ京都に行ってご住職にお礼し、直に一休禅師像を拝まなければ。三田主水さんに負けてたまるか。
(↑張り合うなよ、大人げない)
 
 昨日、池袋のH林堂に行ってみたら、「秘神界」の(現代篇)が一冊も無かった。(歴史篇)は積んでいたのに。これも「笑っていいとも」効果だろうか。だとしたら……マジでテレビは凄い。メディアというものをテーマにした本が最大のメディアのお陰で売れるなんて、不思議な感じがする。

(現代篇)が調子いい、と誰かに教えてやろうとしたが、何処に電話してもみんな留守だった。やっと妹尾ゆふ子氏に繋がったので、話した。少し気が晴れた。のち、飯野文彦氏から電話。また話した。喜んでくれた。妹尾さんと飯野氏は真の友だ。

燦星通信(その9)

 22:55 02/09/23
 このところ農耕的に仕事していた。
 九月二十日は沖縄より神野オキナ君上京。午後六時に要町のタイ料理店「プラクンポー」で待ち合わせ。夕食会である。参加者は、わたし・松尾未来・神野君のほかに、神野君のサイト仲間でマンガ家のこしじまかずとも氏。朝日ソノラマのI井編集長。メディア・ワークスのS藤氏(久しぶりっ)。東京創元社のM原氏。ちょっと前までは情無用に辛かった料理も大分マイルドになっていた。業界の話題とか、ジュヴィナイルの話とか、そのまあナニな話を色々とした。午後八時頃、散会。なんとS籐氏に奢らせてしまった。ご馳走様。有難うございました。要町駅で皆さんと別れたが、一部は飲み会に行った模様。
 九月二十一日はS川中学の運動会。二女と長男が頑張るという話だったが、頭痛のため出かけられず。残念。二人には謝っておいた。気圧のせいであろうか。変な感じだった。
 九月二十二日はI橋高校の文化祭。長女が生物部の部長としてイカを解剖するというので見物に行く。ちなみに都立I橋高校は吉本ばなな氏や井上雅彦氏の出身校である。えらい先輩たちがいると後輩は……全然先輩のことを知らないではないか。なんてこった。文化祭は楽しい雰囲気だった。ミニ白衣の女子高生とか、チャイナドレスの女子高生とか、ガクランの女子高生とか、色々いた。(まるでコスプレ・パブか、キャバクラだ)と思っていたら、そういう趣向の店だった。近頃は高校生のほうが一枚上手である。イカの解剖はともかく生物部で飼っていたカイコが可愛かった。
 ♪モスラ〜や、モスラ〜
 九月二十三日は妻と長女が曾祖母の法事のために山梨へ。朝、二女に叩き起こされた。ミニ母さんである。しかも、かなりキビシイ。朝食。ボーットした後、銀行へ。その帰りブックオフに寄る。床井雅美の「最新ピストル事典」正・続を買う。最新型のベレッタのデザインに驚く。「ロボコップだ」──最近の作品では(特に『ネクロノーム』『世の果ての街』)、下手に「最新型」をキャラクターに使わせると五年も経たないうちに古びてしまうので、銃器は存在しないものを、音楽は「執筆時から十五年くらい昔のもの」を、変なオヤジの台詞などは「昭和十八,九年頃の言葉遣い」を、ことさらに使用してみたのだが、やはり正解だったようだ。
 金髪に染めた高校生とか、耳や鼻にピアスをしている高校生なんて、五年後には長ラン・ボンタン・リーゼントの高校生と同じように「私闘学園」のギャグでしか存在しない子になってしまうのだろう。
 
「真田水滸伝」は第二章が終わる。
 大体一日五〜十枚のペースである。佐助をもう少し元気に描くこと。林羅山がちょっとコワすぎ。後で調整しよう。

燦星通信(その8)

 23:27 02/09/18
 今日も農耕的に仕事をした。
 昨日のハリキリモードが怖かったので、今日は、とにかくゆっくりすることに決めた。
 だからと言う訳ではないが、少し寝坊。午前七時四十五分に起床した。
 朝食。子ども達を送り出したのち、コーヒー。妻と雑談。
 のちに仕事に入った。
 とりあえず「一休寺」に奉納するため、「暗夜行」「闇物語」「虚月行」の三冊にサインと為書。ご住職に手紙を書いた。正式な著書の奉納は初めてなので、ちょっと緊張した。
 考えてみれば、今回の「一休虚月行」はわたしの80冊目の本(実用書・訳書・共著・原作・編著などを除く)にあたる。末広がりである。しかも、発売日は九月十九日。9・19で「イッキュウ」の日であった。(売れますように)と念をこめた。妻に本を送ってもらう。
 こちらは、その間「真田水滸伝」をこつこつ書く。大分面白くなってきた。伝奇色かなり濃厚。じわじわと謎解きの要素・活劇・絡み合う人間模様が展開されていく。「一休」ものと比べると、かなり傾向が違うようだ。
 ただ、書いていて、話のスピードが早すぎないか、逆にだらけていないか、両方気に掛かる。正反対のことを同時に悩んでいる。
 どうなっているのだろう。
 午後は二時間ほど昼寝。起きてから、散歩がてらにブック・オフとドトールへ行った。ブック・オフは収穫なし。
 そろそろ、この店で欲しい本が現われることを期待するのは、限界かもしれない。
 ドトールでは、アイスコーヒーとアイスココアを買った。久しぶりにアイスコーヒーを買ったような気がする。秋を実感。
 帰宅後、こつこつと仕事を再開する。
 結局、今日は、十枚ほど書き進めた。いい作品になる予感がする。

燦星通信(その7)

 0:03 02/09/18
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前七時三十分、起床。
 朝食。コーヒー。妻との雑談。それから、ネジを巻いて仕事に臨む。
 このところ書き進めた部分がどうにも気にいらなかったためである。136枚目から書き直した。設定を壊さないように注意して台詞を直し、地の文の描写を直し、文章を推敲していく。ノリがいい。ようやくストーリーが全面に出てきた。
「こうだ。こうしたかったんだ」などと喚きながら書きつづけた。あっという間に午後一時。昼食にする。
 午後は少し書いて、寝る。昼寝は夢も見なかった。午後三時五十分頃、目覚めた。頭はすっきりしている。
 皮膚科へ行く。七年前の脳手術と六年前の人工頭蓋骨移植手術で、二回も頭の皮を剥がされた為、脂漏性皮膚炎になってしまった。つまりは激しいフケである。かれこれ六年間、皮膚科に通ってきたが、薬をサボるので完治できなかった。しかし、今回、四月から真面目に薬を飲み、ローションを付けるようにしたら劇的に良くなった。あと少しで完治である。
(そういえば脂漏性皮膚炎──酷いフケは、かの山田風太郎先生も悩まされた病気ではないか。先生は机の上にフケを大量に掻き出して、それでアジノモトと書かれたという。俺も見習いたい…って、冗談じゃない。早く治らないかな)
 そんなことを考えながら、薬を貰った。
 のち、その足でブック・オフへ。
 収穫なし。
 ドトールでブレンド・コーヒーを買い、ウチに戻る。家が見えてきたところて゛祥伝社のI野部長よりケータイに電話。
「どこまで進んだかな」
「150枚くらいですが」
「そうか。じゃあ、大事をとって来週の早い曜日に貰うことにしよう」
「では、火曜に電話下さい」
「分かった。頑張ってね」
 簡単な会話で原稿の受け渡しがきまる。
 五歩歩いて帰宅。
(実はこんな場所で話していたのだった)
 ウチに着くなり、息子が、
「飯野さんから電話があったよ」
 という。
「I野さんだよ。今、ケータイではなした」
「ふーん」
 息子には飯野先生も、I野部長も変わらないらしい。
 コーヒーをグラグラのお湯でほんの少し割って、口に合うアメリカンにする。そして、それを飲みながら仕事を再開。筆が進む。
 ずっと仕事。
 午後九時の夕食時間には163枚になっていた。
「凄いだろう」
 と松尾未来に威張ったら、
「そんな日には発作が起き易いから気をつけてね」
 などといなされる。
 ちぇっ。絶好調も発作の前兆も一緒だものなあ。たまんないなあ。
 数えてみたら今日は書き直し分を含めると30枚くらい書いていた。やっぱり発作の前兆かも知れないと、自分でこわくなってしまった。
 明日はもう少し、より農耕的に仕事をしよう。

燦星通信(その6)

 0:20 02/09/16
 今日も農耕的に仕事をした。
 進んだ原稿は約十枚。しかし、どうも気にいらない。
 体調がすぐれない所為かもしれない。猿飛佐助と佐久夜姫との対立・茶入の秘密・長安の謎で話を進めたいのに、キャラクターが勝手に動き出す。まるでずっと封印されていたので、筆に乗るのが嬉しくて、はしゃいでいるようだ。

 夕食前に発作に似た感覚に襲われた。やはり疲れているらしい。暗いところで横になったら治った。発作が起こらなくなって、ようやく九ヶ月。なんとしても十二ヶ月、保ちたいものである。

「人の翼というものは早く走れてどこへでも行ける黒いバンではない。人の翼は心に生えるものです。」
 これは、えとう乱星氏の「日記」にあった言葉。
 とても心に沁みたので引用させて頂いた。
 
 ゆっくり休んで明日に備えよう。

燦星通信(その5)

 1:54 02/09/11
 今日も農耕的に仕事をした。
 九月八日は長崎神社の祭礼二日目で、しかも、「秘神界の長い午後」のイベント・デーであった。詳しくは「イベント・レポート」に譲るが、こっちは気が気ではなかった。なにしろ、ゲストの友成さんは午後三時からと勘違いして飛行機の予約をしていた。もう一人のゲストの鷲巣さんは楽屋に入ってからも「やっぱりやめましょうよ。ぼくの話なんて誰も聞きたくないですよ」とゴネ続けていた。ぼくは高まる緊張を深呼吸で抑え、挨拶に来てくれた友だちと談笑することで、必死にリラックスしようとしていたのだ。
 しかし、なんとかイベントは終わった。二次会の「カオスな飲み会」も何の事故もなく終えることができた。友成名人は笹川・原田・青木の各氏と朝まで飲みつづけたが、生命に別状なかった。
 あけて九月九日は疲れていた。バテバテだった。一日休んでいた。でも心地よい疲労のせいか、すぐに回復できた。
 今回、サイン会に参加してくれた作家諸氏は、全員、手弁当・自腹であった。福岡から来てくれた友成名人にしてからが、飛行機代もホテル代も、全て自前である。
 始め、サイン会は、ぼく・鷲巣氏・友成名人の三人だけのつもりだった。そうしたら、井上氏・飯野氏・平山氏が「遊びに行くよ」と言ってくれたのだ。さらに藤原ヨウコウ氏が、「ちょうど東京に行く用事がありますからイベントに参ります」と連絡してくれた。牧野修氏・田中啓文氏・我孫子武丸氏が「その日は『かまいたちの夜2』のキャンペーンの翌日だから遊びに行きます」と連絡してくれた。
 松殿理央氏は、「見本が出来たぞ」と電話した時にイベントの話題になり、「来てよ」「いいですよ」ということになった。
 槻城氏は、別の仕事の件で連絡し、ついでに「遊びに来て下さい」と言ったら本当に来て下さった。
 つまり、参加のみなさん、いずれもノリで来てくれて、ノリでサイン会に参加してくれたのであった。
 のちに思った。
「しまった。参加作家全員に声を掛けるのだった」
 ただし、こんな例もある。
 田中文雄先生は「ごめん。当日、予定ができちまったよ」とお断りの電話をくれた。高橋葉介先生も「うーん。行きたいけど、週刊誌連載は日曜が一番忙しいんですよ」とのことだった。
 その他、サイトの日記を読んで、「忙しい」と書かれている人は敬遠した。
 同様に関東圏外の人も、連絡できなかった。自腹切って来ていただくのがとても悪く思われたからだ。
 海を隔てた人(北海道・四国・九州・沖縄・離島部・海外)の人たちも遠慮した。
 ただし、友成名人は別である。
 なんたって今回のイベントの言い出しっぺは名人だからである。
「えっ。俺だったの。何も覚えていないんだよ。朝松さんに電話した時、俺、酔っ払っていたんだからさあ」なとど言っても責任はとってもらうのである。

 そんな訳で、狂乱の八日が過ぎ、疲労の九日が終わり、十日になってぼくはまた日常を取り戻した。ハレは終わったのだ。今日からケが始まる。
 今日も農耕的に仕事をした。
「真田水滸伝」は十枚進んだ。
 ようやく真田幸村が登場した。

燦星通信(その4)

 今日も農耕的に仕事をした。
 原稿は書かず資料調べ。九度山のことなど。しかし何となく落ち着かない。
それは長崎神社の祭礼、第一日のためである。大雨の中、山車が町内を練り歩く。お囃子が聞こえる。良い雰囲気だ。でも、すぐに眠くなるのは、雨のせいだろうか。よく寝た。昼寝の夢は例によって訳がわからない。
 午後五時すぎ、神社へ行った。お参り。おみくじを引けば「大吉」である。
「旋風伝」と「秘神界」と「一休虚月行」、みんな売れますように、と欲張りな願をかけたのだが、「大吉」とは。なんと寛大な神様であろう。感涙に咽んでいたら、お神楽が始まった。今年の祭りのお神楽は、ぼくは初めて見るものだった。(詳しくは松尾未来の「雑記」を参照)

 http://homepage1.nifty.com/wicca-mirai/zakki/zakki2002.htm#2002_9

 白拍子が「所作」の後に舞う姿は、何処か妖しかった。特に「御幣」「弓」「榊」という三つの聖物を次々に使って、舞台空間と、観客を祓い清めるくだりでは感動してしまった。
(ここで祓われたから、大分、ぼくの魂も清められたな)
 と、フト考えた。もはや現代──二十一世紀──の人間の思考ではない。完全に中世人である。
 でも……。
 復活しつつある昭和帝国主義時代に、意識のチューナーを合わせるくらいなら、いっそ室町中期あたりの意識でいたほうが、どれだけ人間らしいことか。
 この次は何処かの神社のご神事にでも参加しよう。もちろん、士烏帽子に直衣姿で!?

燦星通信(その3)

 23:23 02/09/06
 今日も農耕的に仕事をした。
 農耕的作家に雨は大敵である。朝から何となく意気が上がらなかった。
 それでも、ソノラマのI井編集長と会うためにサンデーサンへ行く。
 午前十一時半の約束。強い雨。途中、セブンイレブンに寄って粗大ゴミのチケットを、薬局に寄ってヴィックスを買う。何かエヘン虫が気になる。
 サンデーサンではカプチーノを飲んだ。読者プレゼントの為に「旋風伝」にサインを入れた。サイン。「千里同風」の文字。
 I井編集長「どういう意味ですか」
 わたし「どんなに離れていても吹く風は同じ、という意味です。禅語です」
 編「ほう。…(少し尊敬の眼差し)」
 わたし「なんとなく『旋風伝』に相応しい言葉だと思いまして」
 編「そうですね。(静かに頷く)」
「一休」シリーズのために禅の入門書を買っておいてよかった。
 編「ところで、昨日、読者から電話がありまして。『朝松さんに、これだけは伝えてほしい』と言ってました」
 わたし「伺いましょう」
 編「『比良坂ファイル』の続きを書いてほしい、と。……」
 わたし「あっ。…」
 編「……」
 わ「………」
 編「…………」
 わ「……………」
 編「……」
 わ「…これ…いつまでも…やってても…いいのですが……こんなことしてる場合じゃないような…気が…」
 編「わたしは朝松さんが何か言うかと、思って、待っていたのですが」
 わ「たっはっはっ。じゃ、言います。『比良坂ファイル』は、またいずれ、どうしても出したいと仰って下さる編集さんが出てきてくれたら、書きます」
 編「そうですか。では、そういうことで」
 こんな会話の後、近いうちに食事でも、と言いつつ要町の駅で別れた。
「比良坂ファイル」か。
 十年以上の未完作品を未だに待っていてくれる読者がいてくれる、ということは、作家にとってなんと幸せなことだろう。有難いことである。
 「マジカル・シティ・ナイト」「逆宇宙シリーズ」「異人街」……。書き継がなければならない作品は多い。
 だが、それより、ぼくには新しく書きたい物語がある。
 したいこと。しなければならないことが山とある。

「秘神界」はそんな山のようなことの、ほんの一角にすぎない。
「一休」も、「室町伝奇」も、クトゥルーも、皆、山の一角である。
 果たして死ぬまでに、読者に「朝松健のやりたかったこと」が全て提示できるだろうか。それは分からない。とにかく、愚直に、農耕的に、淡々とやり続けるしかないのである。
 自分に出来る限り──。

燦星通信(その2)

 22:26 02/09/04
 今日も農耕的に仕事をした。
 ところで、神奈川県の久留賢治さんから、こんな指摘があった。

「日記代わりの随想・燦星通信(その1)」の話題ですが、立川文庫「猿飛佐助」では、佐助は信州の郷士・鷲塚佐太夫の子で、姉の名は小夜となっています。
 猪狩りに来た真田幸村に見出された際に、
「ヤヨ佐助、其の方は今より鷲塚の名を改め、猿の如く飛び回るに妙を得て居るゆゑ今日より猿飛佐助幸吉と名乗るべし」
 と命じられて改名しました。

 指摘を読んで、(はて。俺はどんな根拠があって、あんなふうに書いたのだろう)と考えた。考え始めると気になって落ち着かない。まして思い出せないとなれば、ソワソワは募るばかりである。
 午後四時になって、出来上がった原稿を祥伝社のI野さんに渡す段になってもソワソワは続いた。一時間半ほど、冷房の利き過ぎた喫茶店で打ち合わせをした。終わるや否や帰宅して、資料を調べた。
 午後十時少し前、ようやく発見した。
 その記述は、「忍者の生活(増補版)」山口正之著(雄山閣)にあった。181ページである。

 戦国時代の上杉謙信を主筋とする信州の郷士鷲津左太夫に二人の子があって、姉を小照弟を佐助といった。

 上杉謙信……森備前守──鷲津左太夫
 
 佐助は信州鳥居峠の山中において、三年間戸沢白雲斎について忍術の荒修業をして、その奥義を極めて、十三本の銀の象嵌をちりばめた鉄扇と巻物一巻を授けられたが、佐助十五才の時であった。その後上田の城主真田幸村が山狩に来た時、樹から枝へマシラのような怪技を演じて、真田十勇士の一に加えられ、幸村から忍技を賞して猿飛の姓を授けられて、鷲津を改め猿飛佐助幸吉と名乗った。
 その後、真田家の密使として徳川方大名の動静を探るため諸国漫遊の旅に出て(中略)京都南禅寺における石川五右衛門との忍術くらべは、おもしろい。 (中略)
 また伊賀流忍者で、葦名家の家来と名乗る霧隠才蔵とも忍技を競って、腕くらべをしたが、佐助はこれにも勝って、才蔵の配下である雲風軍東次・怪雲吉次・竜巻天六らが佐助の手足となった。(後略)

 とこのように山口正之先生は佐助物語の面白さを紹介された後、この節をこう結んでおられる。

 ちなみに本篇の筋書きは、神田伯麟講談の天下無双忍術猿飛佐助(大正九年博文館発行)によったことを断わっておく。

 即ち、わたしが採用した説は、「山口=神田伯麟=講談」説であり、久留氏が指摘したのは「立川文庫」説だったという訳だ。
 しかし、賢明なる読者諸君は、ここで疑問を持たれるであろう。即ち──
「では、佐助の父親が甲州の郷士であったという説は何処から採用したのか」
 はっきりと、ここで断言しよう。
 そんなものは、ない。
 わたしの創作である。
 既に小説執筆モードに入っているわたしには、変わった説は「それ、いただき」であり、無ければ「作っちゃえ」であり、「無理を承知でもアリとする」のである。既に作品上では、猿飛の名の由来も、上泉信綱が伝えた新陰流の極意の一つ「猿飛(えんぴ)」から取ったことになっている。剣道家が机をひっくり返そうと、歴史作家が「読んでて頭が痛くなった」と言おうと、アリと言ったらアリなのである。
 何故か。
 その方が、面白いからだ。
 わたしが、面白いと思ったからだ。
 読者が、オモシロがると思ったからである。
 目下、執筆の波に乗ったわたしは伝奇的面白さのため、伊豆と甲州の間にワープゾーンさえ作る気分になっている。
 こういう精神状態の作家には「道理」も「常識」も通じない。面白いと思えば高さ六間の杉の木から手を縛られたまま落ちても平気だし、土佐藩の不良浪士でテロリストも憂国の志士となるし、幕末の尊王派が黒頭巾を被って拳銃をぶっ放すのである。だから「真田水滸伝」では立川流と宿曜道が歴史を動かす鍵になっているのである。
 わたしはこうした方法をラヴクラフトと、クトゥルー神話から学んだのだ。

 楽しみ方は一つじゃない。

 これは何もコミックや遊びや哲学やセックスに限ったことじゃない。
 何より小説世界で言うべき言葉だろう。
 
 君は、そう思わないか。

燦星通信(その1)

 22:25 02/09/02
 今日も農耕的に仕事をした。
 と書いた途端に、京都の藤原ヨウコウ先生より電話。
 近日中に「一休暗夜行」と「一休闇物語」を一休上人が晩年を過ごされた酬恩庵(しゅうおんあん)に奉納してくれるとのこと。
「有難うございます。宜しくお願いします」
 受話器を手に、思わず頭を下げた。藤原先生、本当に有難うございます。 「わたしの」一休が、「本物」の一休と出会うとは…なんだか、こそばゆくも嬉しい気分である。そういえば、「妖臣蔵」の時には四谷の田宮神社お岩稲荷に奉納したのだった。今回も奉納したら、きっと一休さんが、「一休」の見方になってくれるに違いない。
 本日から子どもたちは学校である。
 三人、大騒ぎしながら、登校していった。と思ったら、長男が体育着を忘れて、十時半頃、先生の了解のもと、走って取りに帰った。二学期も思いやられる。
 昼食。
 昼寝──不思議な夢を見た。夢占いは、「この世のこととも思えない体験をするであろう」。うへえ、このうえ、どんな目に遭うのだろう。宇宙人に攫われるのか。ナチスの円盤に攫われるのか。恐ろしや、恐ろしや。
 夕方、アイスを買いに「いさみ屋」に行ったら、何処かのおばさんの後ろに千円札が落ちていた。誰も見ていなかったが、おばさんに「お金、落ちていますよ」と教えてあげた。
 こんなことで、せっかくの大幸運を逃してたまるものか。
 今月は「旋風伝」と「秘神界」と「一休虚月行」が全て当たることになっているのだ。(←思い込みパワー)
 
 原稿は、なんと13枚進んだ。
 悪役の紹介。柳生佐久夜姫(新陰流天狗〔アマツキツネ〕の秘法の達人)。服部半蔵。姫の守り役、小笠原慶雲(小笠原源信斎の血脈)で、唐人剣の使い手。童顔の殺人鬼。
 謎の提出。→「燦星秘傳」とは何か。大久保長安から大久保長安に宛てた手紙とは何のことか。徳川・豊臣両家を一どきに滅ぼしてしまう「マカ月黒第九日の秘儀」は何を意味しているのか。
 この謎に挑む真田幸村は探偵役。しかし猿飛佐助は助手ではない。霧隠才蔵も脇役ではない。
 ところで、佐助本名が「鷲津」だということを最近知った。姉の名前は、小照というそうだ。
 武田氏ゆかりの土郷の出身とのことで、こちらの構想たる「立川流」との関わりもあって十分。しめしめ。調子のいい時には、ラッキーな偶然の一致がどんどん出てくる。
 現在、全体のおよそ四分の一か。
 作者がいうのも変だが面白い。テンポがいい。スピーディーである。
 過去の作品でいうと、「柳生武芸帖」に「髑髏銭」を足して……。ダメだ。全然違う。形容の仕様がない。
 まあ、これまでの朝松健の伝奇時代小説を楽しんでくれた読者は「やった」と快哉を叫んでくれるだろう。

だごん亭通信(その2)

 22:31 02/09/01
 今日も農耕的に仕事をした。
 朝は寝坊して午前十時起床。キムタクと香取慎吾がぼくの目の前でアンパンを口一杯にほおばる、という訳の分からない夢から目覚めた。夢占いは判断不能。朝食後、掃除の邪魔になってはいけないので、長崎神社に散歩に行く。
 今日は二女が午前五時半起床で、六時半頃、友だちと豊島園のプールに行くため出かけていった。(どうしてこんなに早いのかは不明)長男も午前八時半に野球の観戦へ。
 長崎神社まで酷く暑かった。道行く人は極めて疎ら。途中、アベックの男のほうが大声で喚きながら自動販売機でジュースを買っていたのが、印象的であった。うるさいよ。余計に暑いじゃないか。そういえば昔は暑い日にデカい声で喚いてるオヤジをよく見かけた。最近はわけーモンがオヤジ化しているのであろうか。少なくとも四十六のオヤジはウチの中で裸にもならないし、路上でバカ声もださないぞっ。
 長崎神社はミニガモ。(ミニ巣鴨の略)と化していた。お婆さんの参拝がとても多い。そうだ。今日は御参日であった。お婆さんに混じって、とりあえず、
「旋風伝」が売れますように・「秘神界」が成功しますように・「一休虚月行」が売れますように、と三段階上昇活用でお祈りした。
 古本屋に寄れば、安い出物が2冊。我慢して、帰る。
 昼食。
「さて、それでは」と、ビデオの編集を始めた。←九月八日のロフトのイベントで上映する「クトゥルー的」映画のさわり集を作る。二時間半の時間枠とはいえ、その中で、「DAGON」の予告編も、出来たばかりの「秘神界」の即売会も、発作的サイン会もしなければならないのだ。
 二時間分のテープを作るのに、約30本のホラー映画を見て、四時間半も掛けてしまった。終わった時にはアタマは痛いわ、目は痛いわ、ボロボロであった。こういう仕事はわたしに向いてないのかもしれない。
 原稿書きはお休みにして、ヤマザキに、ソフトクリームとどら焼きを買いに行く。イライラはなし。疲れの自覚だけ。発作はなさそうだ。どら焼きを食べたら少し楽になっていた。
 九月八日のイベントで何を上映するかはお楽しみ。(The Lurker in the Lobby)の中の作品のサワリがあまり収録出来なかったのが残念であった。
 ビデオで思い出した。
「フロム・ヘル」「ヴィドック」が見たかったのだ。忙しくて忘れていた。
 
 室町モノのアイデアを幾つか思いつく。
 登場人物は全て悪人なので、受けるかどうか。
「荒墟」のような長編が書きたい。

だごん亭通信(その1)

 0:04 02/08/31
 今日も農耕的に仕事をした。
 昨日の不調が嘘のようで、午前中に八枚も進む。才蔵と佐助の掛け合い。佐久夜姫の恐さ。
 昼食。原稿をアタマから整理した。
 疲れたので昼寝。ウトウトしてたら、約束の午後四時になってしまった。ぎりぎりセーフでサンデーサンに行けば光文社のW辺氏がゲラをチェックしていた。
 二人で付け合せ。地味だが緊張する作業。一時間余りで終わる。
 のち、次の「一休」の打ち合わせ。仮題とおおよその内容、決定。面白くなりそうだ。だんだんと幻想小説の様相が濃くなっている。テーマは、時空の可塑性。歴史の不安定さ。「夜の果ての街」の〔ゆらぎ〕を敷衍したものか。
「これで間違いなく九月には『一休虚月行』が出ます」というW辺氏と要町駅で別れる。ヤマザキ・ストアへ。「本当にあった愉快な話」の今月号と、アイスクリームを買う。
 帰宅。
「本愉」を読む。マムシに齧られたのに家族の誰も信じてくれず、そうこうしているうちに、リンパ節が腫れ上がり、足がゴジラのスリッパのようになっていく──という投稿をマンガにしたのが、可笑しかった。あとは、あらあらかし子の体験マンガ。わたしは、あらあら先生の絵とボケっぷりが好きだ。
 投稿マンガが面白いので、サイトで調べたら、皆、エッチなサイトだった。あとは都市伝説と怪談。そんなのを見ているうちに(これじゃ、飯野氏や平山氏や木原氏とワイワイやっているのと同じでは…)と思ってしまった。皆が宴会している姿と、その内容を、あらあらかし子先生にマンガにしてもらう、という企画を考えたが。いかん。仲間ウチにしかうけない、と思いなおす。
 
 楽屋オチは作家の煮詰まり度のバロメーターである。
                ──徳永英明(←誰だ、こいつ)

秘神界通信(その15)

 20:24 02/08/29
 今日も農耕的に仕事をした。
 実は本日は祥伝社のI野編集部長に「真田水滸伝」の原稿の出来上がったところまで渡す約束であった。約束の時間は午後二時。(よっしゃ、一発、I野さんを喜ばせてやろう)と、午前十時半から張り切った。午後一時ちょっと前までに十二枚進んでいた。(やったぜ。この調子で、あと八枚)と思って立ち上がった。
 フラ…。な、なんだ。このよろけ方は。
 おまけに左足と左手が、微かに、痺れている。
(やばい)
 と、ぼくは思った。これは痙攣発作の前兆だ。慌てて祥伝社に電話をした。I野さんは一発で出た。
「朝松ですが。なんか具合が悪くなってきまして。今日の打ち合わせを延期してください」「分かりました。では、来週に。お大事に」「ううう、有難うございます」
 発作が起こる時は、この辺で声が震え、口がガクガクしてきて、まともに喋れなくなるのだが、今日は大丈夫みたいだ。
 妻と二女がドライブに行くのを送って(二人は心配して何度も、『何かあったらケータイで連絡してね』と繰り返す)、横になる。少し仮眠。震えはなし。暫く休んでいたら、長男が帰ってきた。野球部の試合の後なので真っ黒だ。
「プロ野球の試合が観たいので神宮に行っていいか」と言う。「分かった。行って来い」と答えた。長男、シャワーと着替えの後、友だちと出かけていった。しばらく静かにしていた。発作は出そうにない。どうやら不安定な気圧か、このところの疲労のせいらしい。
 そっと起き上がる。左足、微かに痺れているが、このくらいなら歩けそうだ。酷い時には、突然、歩いている最中に発作に襲われる。かつて二度、外出先で襲われた。そのうちの一度はロフトの出演直前。二度目は忘年会の二次会。いずれもかなりの痙攣であった。今回は大丈夫のようだ。おそるおそるコーヒーを買いに行く。左足、少し、引いた感じ。帰り道で一度、膝からくず折れそうになる。大丈夫。帰宅したら妻と二女が帰っていた。豪徳寺に行ってきたとのこと。また招き猫を買ってきた。これで三匹目。三匹も集まったのだから、きっとビッグ・ラッキーが来ると思う。
「旋風伝」の出足は好調らしいので、ご利益はジワジワ出ているようだ。
 光文社のW辺氏より電話。急遽、明日、打ち合わせすることになった。
 今日でなくて本当に良かった。
 
 原稿は結局、今日だけで二十枚進んだ。大久保長安に呼ばれた佐助・才蔵の死。秘密の茶入は白鷲が運んでいってしまう。長安も、二月二十五日をもって死んだことに。三代目服部半蔵、柳生佐久夜姫、小笠原慶雲らの登場。長安は江戸市中に移される。地下牢。鉄仮面もしくは顔を失うこと。一方、白鷲は九度山へ。八人に減った十勇士。茶入の秘密を解く幸村。佐助が

以下は次回のお楽しみ。

秘神界通信(その14)

 23:55 02/08/27
 今日も農耕的に仕事をした。
 田谷洞窟で買った「星のお札」のお陰だろうか。
 今日の夕方あたりから、次第に、筆が進み始めた。
 「真田水滸伝」(仮題。
 1995年に病気のために中断した「妖戦十勇士」の改訂・バージョンアップである。前回は「妖術先代萩」「妖術太閤殺し」の延長線として、「講談」を意識したものだった。(前二者は歌舞伎…だが、今回は、違う。
 作者の狙いは「伝奇冒険小説」であり、「時代アクション」なのである。
 だから、ことさらにレトロな雰囲気は狙わない。また、「妖戦」のようなジュヴィナイルなムードも一切廃していくつもりである。
 文禄元年のマカ月の黒第九日に何があったのか。
 怪人・大蔵大輔が密かに著した「燦星秘傳」なる二巻の巻物には何が書かれているのか。
 その謎を解けば、どうして、歴史は大変転を起こすのか。
 豊臣・徳川両家が立川流とどう拘わっていたりか。
 そして、これらの秘密と、主人公・悪役・脇役たちはどのように拘わっているのか。
 こうした幾つかの謎をほどきながら、物語は、猿飛佐助と、彼を執拗に追う柳生陰姫との戦いとして、進められる。
 全3巻仕立てだ。
 第一部は、お馴染み、秘巻の奪い合い。第二部は、伝奇な謎解き。第三部は、マジカル・バトル。これが構想である。
 ただし、この構想が、書いていくうちにどんな話に変化するか。──
 「旋風伝」「一休虚月行」とヘビーな作品が続いたので、久しぶりに、アクション中心に書いてみたい。
 ということで、乞うご期待です。

秘神界通信(その13)

 23:06 02/08/25
 今日は農耕的な仕事はお休みである。
 取材と、八・九月の新刊の成功祈願のため、鎌倉に行ってきた。鎌倉は今回たぶん三度目である。そのうち一回は仕事。二回目は酔って泊めてもらうためだったから、まともに街に接するのは今回が初めてである。
 午前七時半起床。朝食。朝のコーヒーの後、松尾未来の運転で出発。
 同乗はバイトが休みだった長女と、野球の練習のなかった長男。
 首都高を通って、横浜経由で、鎌倉へ。
 鎌倉は田谷の洞窟へ直進する。およそ一時間半の道程であった。
 田谷の洞窟は「一休暗夜行」に登場させたのだが、まだ一度も行ったことがなかったのだ。
田谷の洞窟入り口にて 蝋燭立てを手にして洞窟に進んだ。入ってすぐの所で蝋燭に火を点す。洞窟は何十年も掛けて修業僧が掘り抜いたという。中はヒンヤリして涼しい。去年行った富士の氷穴を思い出した。進むとアーチ状のものがある。ここから先が本格的な行者道となるらしい。入り口の左右に「昇龍」と「降龍」が彫られていた。「昇龍」と「降龍」といえば占星術。それに「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」を思い出す。仏域でそんなことを思い出すぼくは、やはり罰当たりなのだろう。
 天井が高くなったり低くなったり、広くなったり狭くなったり。広くなっている場所は瞑想する場所だ。天井がドーム状になり、周囲は円形。その表面に諸仏の姿や、その種字(仏を象徴する梵字)などが彫られている。
 秩父や四国の札所を象徴する場所もあった。ここを回っただけで実際に現地に回ったことになるのだ。つまり、この洞窟こそは日本の霊的な中心地のミニチュアであり、象徴なのである。
 ぐるりと一周していくと、地下水の湧き出た場所に出た。病気の箇所に水を振り掛けるべし、とあったので、思わず頭の手術跡に振りかけてしまった。
 外に出たら、まだ蝋燭は残っていた。これを持って帰って仏檀に点してもいいそうだが、ウチに仏壇はないので置いてきた。
 縁起物を買おうと思ったのだが、どれも高いので、「善星」を呼び、「悪星」を跳ね除けるというお札を買った。これに「財運」のお札と合わせてワンセットである。(これまで色んなお札を買ってきたが、星がモチーフのモノは珍しかった)
 そのあと、鶴岡八幡宮に向かう。ここでもお参り。流石に人が多い。確か歌舞伎の「忠臣蔵」の序段が、ここでの吉良と浅野の兜較べだった。互いに自慢の兜を出して較べるという他愛ない勝負に、浅野匠頭は新田義貞の兜を出して勝負に勝ってしまう。吉良がこれを遺恨に思い、同時に勝負の場で見かけた浅野匠頭の妻に懸想したことから、「忠臣蔵」の悲劇が始まる。
 鶴岡八幡宮には、実は、もう一つ「悲劇」の人物が隠されている。こちらは芝居ではない。実在の人物だ。
 それは護良親王。もりよし、とも、もりなが、とも呼ばれる後醍醐帝の皇子である。大塔宮(おおとうのみや)ともいう。建武新政で征夷大将軍に任ぜられた彼は、足利尊氏と対立。ために鎌倉に幽閉され、中先代の乱において足利直義に謀殺された。この、斬られた親王の首が生前さながらの加工を施されて鶴岡八幡宮に秘宝として収められているという。これは角川春樹氏より伺った話。ことによると親王は立川流と関わりがあったのではなかろうか。それで、死後、その髑髏は秘儀を施されて「大頭」か「小頭」として法具に使用されたのではないか。それを足利側が奪い取り、源氏ゆかりの鶴岡八幡宮に封印したのではあるまいか。…
 と、誠に伝奇的興味は尽きない神宮なのである。
 この二つを回って本日はお終い。
 帰りに天ぷらそばを食べ、平和島インターで子どもに「千社札シール(名前入り)」を作ってやり、まこと実り多い取材は終わった。
 疲れたけど、明日も仕事をする気になってきたぞ。
 今週も農耕的に頑張ろう。

秘神界通信(その12)

 22:30 02/08/19
 今日も農耕的に仕事をした。
 原稿は約8枚。「約」というのは心もとない表現だが、28枚から38枚の間を何度となく書き直したのだから仕方ない。
 どうにも、言葉に、ガッキとした手ごたえがない為である。書いた文章を読み返したらツルツル滑っていて、手ごたえが感じられない。なんか、こう「書き飛ばした」ような感じなのだ。腹が立って、十枚、破り捨ててやった。頭の中身をそのまま書き連ねたような文章は嫌いだ。あくまでも自分の文章に限ってだが、読んでて反吐が出る。それから「媚びた」文章もイヤだ。
 そんなことを言いながら書き直しを繰り返すうちに、ようやく手ごたえを感じ始めた。良かった。毎回、原稿用紙が50〜80枚くらい、こうした作業で紙屑と化してしまうのだ。今回の作品では30枚くらいで済んだ。
 現在、「真田水滸伝」という題名で書き進めているが、ことによれば、題は変更するかもしれない。
 テーマが、十勇士から、かなり外れそうだからである。
 
 昼寝。
 午後三時頃に目覚める。
 心地よい。
 ようやく普段のペースに戻りつつあるようだ。

 昨日、雨の中、長崎神社へ散歩に行き、帰り、古本屋に寄って「義経記」と「中世文藝と民俗」と「きものの歴史」などをメチャクチャな安値で買った。どうやら、重い本を持って汗をかいたのが、今日の快眠の原因らしい。
 年をとると、疲労も苦痛も楽しみも、当日だけでは済まなくなるのだろうか。嫌な話である。今後は早寝早起きを心がけよう。なにしろ三十五過ぎると、徹夜は寿命を一年縮め、免疫機能を著しく低下させるそうだ。わたしは絶対に徹夜できない。

秘神界通信(その11)

 23:52 02/08/13
 今日も農耕的に仕事をした。
 朝、ひどく眠い。少し疲れているのだろうか。午前7時40分頃、ようやく起床。朝食。アレコレしているうちに、約束の午前11時が迫ってしまう。慌ててサンデーサンへ。ソノラマのI井編集長をワクワクしながら待つ。
 今日は「旋風(レラ=シウ)伝」の見本が貰える日なのだった。
 ところが、あらわれたI井編集長はカバンひとつではないか。なんだどうした、と思ってると、
「あれ。まだ本は着いてませんか」
「何のことでせうか」と、わたし。
「昨日、献本の手配と一緒に、お送りしたのですが」
「昨日は北海道の親戚からメロンとデンスケ西瓜が届いただけですが」
「では、今ごろ、着いてるのでは」
「もらえないのか。ちぇっ、やな世の中になっちまったな。ちょいと前まではどんなに重くても編集さんがえっちらおっちら持ってきてくれたのに。そこで二人して『やったね』『やりましたね』『じゃ、打ち上げしようか』『いいですねえ。じゃ、キレイどころを挙げてパーッと』と、こうきたものなのに…」
 などと口の中でブツブツ言いかけたら、
「じゃあ、まあ」
 とかいいながら編集長はカバンの中から二冊取り出してくれた。
 あ、暑い。もとい、厚い。
 (『夜の果ての街』が千六百枚で、あんなふうだったが、『旋風(レラ=シウ)伝』は約二千枚で、こんなかよ)
 というのが偽らざる感想である。
 なにしろ去年の後半は、こればっかり書いてたからなあ。それにノベルスの第二巻の、突然の中断から、もう十年だからなあ。うーん。そーか。こんなに厚くなってしまったか。無理もないよなあ。
 などと色んな思いがどっと湧いてきた。
 二人で世間話などしたのち、別れてかえってみれば、ウチにもドーンと着いていた。
 妻に「急いであの人とこの人に送っておいて」と頼む。
 その間、こっちは、「真田水滸伝」のプロローグ分のコピーをとる。
 「魔術戦士」を完結させ、「ノーザン・トレイル」を完結させて、次はいよいよ「妖戦十勇士」である。ただし、こちらは、構想を新たにしているから、新作同様だ。しかし、意識の奥では「妖戦」の仕切り直しなのである。
 昼食。ちょっと休んで、池袋に向かう。
 溶けそうなくらい暑い。
 池袋のサルビアで、祥伝社のI野編集部長に会う。
 書いてるところまで渡すと、その場で読んでくれた。絶賛。手ごたえ、非常に良し。誰にイラストをお願いしようか、とか、これからどうなる、とか、一杯話した。いちいち頷き、適切な助言をくれる。やはり、I野さんは頼りになる。顔色は悪いけど、ソノラマのI井さん・光文社のW辺さんと並ぶプロフェッショナルな編集者だ。くわえてI野氏の場合、ハードボイルドが入ってる。
「戦国時代のことをわたしも勉強します。教えて下さい」
 といわれて、
「では」
 と、二人で、芳林堂に行った。I野氏は「戦国合戦マニュアル」「戦国合戦図典」を。わたくしは「中世のうわさ」「悪党の世紀」「弓矢と刀剣」「戦国室町の社会」等を買う。
 書店の前で別れた。
 暑い。バスで帰る。要町でアイスクリームを家族分買う。
 疲れているけど、なんか良い気持ち。
 帰宅後、アイスを食べて、「旋風(レラ=シウ)伝」を読んでるうちに、幸せになってきて眠ってしまった。
(『異形コレクション』のゲラが来てたな。金曜までに急いで戻さなくては)
 という夢をみた。目が覚めた。ゲラは本当にあった。マジで金曜までに戻さなくては。
 今日は充実した一日であった。

秘神界通信(その10)

 23:32 02/08/12

 本日は農耕的な仕事を半分休んで千葉県は成田山新勝寺にお参りに行ってきた。
 詳細は以下の「大本山成田山新勝寺」のサイトを見てみるべし。
 
 http://www.naritasan.or.jp/index2.html

 元禄以来という店が建ち並ぶ参道は、一瞬、京都に来てしまったか、と錯覚してしまうほど。外人客や団体客もかなり多い。仰ぎ見るような階段を上れば、まず「開運地蔵」が出迎えてくれた。(開運とあらば、拝まずばなるまい…)と、そんなことを考えつつ地蔵に向かえば、未来が「後で拝めばいいじゃん」なんてことをいう。「ばか者、帰る時には、拝むことなど忘れておるわ」「いかにも、殿はトリアタマにございました」と納得する奥を伴い、開運地蔵に手を合わせた。が、神社の鈴がお堂にぶらさがっておる。(はて。ここは柏手を打つべきや)と身は考えてしもうた。「ま、いいか」と柏手はうたずに合掌。以後、これを通すことにする。
 そこから急な階段を上って、拝殿前に。
 三重の塔が見事であったが周りには「全国縦断ウルトラ・クイズ」のセットが組まれており、こちらのほうに見物が集まっていた。ちなみに成田山図書館では「妖怪・霊界もういいかい展」なる催しが行われていたが、今日は休みであった。
「たまんねえな。子どもの頃の怪獣ブームを思い出すぞ」「それ、なに」と長男。「あの頃は日本のいたる所で怪獣ショーと怪獣デザイン・コンクールがあってなあ。子ども心に『ブームっていやだなあ』と思ったものよ」「ふーん。おとうさんってヤなガキだったんだね」「うぐ。…」
 拝殿では義理の母がお札を返している間に、こっちは、護摩木を買って「商売繁盛」と書き込んだり、おみくじを引いたり(大吉。玉は磨かざれば光らず云々─要するに、玉の価値の分かる人間にめぐり合える、という相)、お守りを買ったりしていた。で、外に出てお茶を飲んだ後、「出世稲荷」の文字を見つけた。四十六になっても(ことによれば、あと、もう一旗くらい)という気持ちを持っている身としては、急いで、石段をのぼっていった。
 で、お土産屋で、おきつね様にあげる油揚げを買い、「あっ。祭神は荼吉尼天ではないか」と気づいて、慌てて夫婦キツネを買い求めた。なんか曲線に神秘を感じる。

 祐天上人ゆかりの寺に、荼吉尼天が「出世稲荷」として祭られていたことに不思議な縁を感じつつ、ダキニの真言を唱えて手を合わせた。(なにとぞ「旋風伝」「秘神界」「一休虚月行」がみんな売れますように。アンクルだごんサイトに来てくれる皆が幸せになりますように)
 石段を下り、帰り道に向かえば、池の向こうに小さなお堂があった。説明を見れば「弁財天」だという。芸術・文藝の神様なので、こちらにも挨拶しておく。池には大きな亀が鯉と一緒に我が物顔で泳いでいた。そういえば弁才天は水の神でもあって、大抵、祭っている神社・お堂には池があるが、池に必ず鯉と亀がいるのは何故だろうか。今度調べておこう。
 帰りは、お土産をしこたま買って(ほとんど食い物)、天ぷら屋で昼飯を食べ、帰ってきた。
 実は八月十二日は「旋風(レラ=シウ)伝」の見本が出来る日であった。
 わたしは十三日の午前十一時に受け取る予定。どんな本になっているだろう。完結に十年かけた作品である。多少の神がかりや、ゲン担ぎは許されるであろう。これも作者の売れて欲しいという気持ちの表われ、大目にみてほしい。

秘神界通信(その9)

 22:09 02/08/10
 気がつけば、ここしばらく、全く日記をつけていなかった。ちょっと疲れ気味で、ボーッと過ごしていたせいである。それでも、原稿を見れば、ちゃんと三十枚以上進んでいるではないか。これも「農耕的」に仕事をし続けてきたお陰であろう。などと言いつつ、この何日かのことを思い出して書いてみる。
 
 八月六日(火)納涼会
 高橋葉介先生の幹事で、池袋西口の「蔵之介」に集まる。参加者は、朝松。松尾未来。高橋氏。田中文雄先生。伏見健二氏。井上雅彦氏。飯野文彦氏。平山夢明氏。木原浩勝氏。東京創元社のM原氏。早川書房のI井氏。講談社のW辺氏・M尾氏。秋田書店のS田氏。(女性は松尾・M尾さん・S田さん)
 女性が三人もいるので、エンジンをかけ過ぎないように飯野氏に「始めの三十分はゆっくり飲んでください」とお願いする。飯野氏、応諾して下さり、ビールをゆっくり飲み始める。朝松、安心して、平山氏の近くへ移る。平山氏のトークの濃いところをじっくりと味わうため。伏見氏は冷酒片手にM原氏とホラー談義。木原氏は某怪談芸人がどんなに「汚い」か、怒りの訴え。一席百万円も取りながら、「新耳袋」と「超こわい話」のネタをパクるだけパクり、抗議したら「ライター風情なんか相手にしない」とは何たる言い草か。怒りがこっちにも移ってくる。
×「だいたい最近の編集者、あれは何や。打ち合わせで小説の話はさっさと終わらせ、延々とスケベなゲームの話、そうは言っても校正はしっかりしとるから『有難う』と言うたら、『ウチの使ってる校正会社は良いんですよ』やて。ゲラくらい、自分で見んかい。それ以外に、オノレ、会社で何しとんのじゃ」
〇「偏差値の高い大学出てるからといって出版社に入ったのが人生のゴールと勘違いしてけつかる。それでいて、言うことはカタログ・マニュアル・ハウツー本のまんまなら、おどれら、何時までたっても評論家の操り人形やないけ」
◎「そもそも、K社の次長が昔言ってましたよ、ライターは書かせるもの。作家先生には書いていただくもの。して頂くことは現象として変わらないけど、編集者のポジションが違うってね。今の編集は、その辺が分かってないのですよ」
●「その癖、営業の出してくる数字にびくびくして。売上げは《視聴率》かっての。小説を書くという営為は、もっとメンタルなものだろうが」
 一部で談論風発、いよいよ意気が盛り上がろうという時、飯野氏は何時の間にか焼酎サワーをグイグイと飲んでいた。座敷に飯野氏の叫ぶ四文字コトバが響き渡る。
 そうするうちにも、朝松は九月八日(日)のイベント『秘神界の長い午後』への参加を各氏に促し続けた。
「平山さん、来て下さいよ。田中先生、お願いします。伏見さあん、友だちだよね。高橋先生、宝石買ってぇん。(←なんだ、これは!?)」
 とりあえず、飯野氏・井上氏・平山氏の仮約束を得る。九月八日は新宿に凄いメンツが集まりそうだ。
 あっという間に二時間が過ぎた。
 二次会はロサの×階の「O馬×地●」へ。
 ここで残ったのは、朝松・松尾・高橋先生・木原氏・井上氏・平山氏・S田さん・W辺氏・I井氏。飯野氏は残念ながら甲府に、最終で帰ってしまった。
 一次会の狂乱とは打って変わって、座談会風に、いたって真面目な話に……なるかと思ったが、平山節がジワジワとあらわれてきた。
 平山氏談「ガキの時にも今日みたいにクソ暑い日があってさ。ふと下を見たら、犬がいい気持ちそうに寝ているんだ。なんか、こう、腹が立ってきて、手に持ってたプラスティックの棒をさ、犬のケツの穴にブサッと突き刺してやった。犬はびっくりして飛び起きて、わんわん吠えながら、ケツから突き出た棒を追っかけグルグル回ってた。こっちは、その様子がおかしくて、ハハハと笑ってやったんだ。そしたら、犬め、どうやら笑ってる俺が犯人だと気がついたらしい。わんわん吠えて追っかけてきた。ところが、わんわんという吠え声の合間に、カラカラ、という妙な音がした。逃げながら、何だろうと思ったら、アレはケツから出たまんまの、プラスティックの棒だったんだな」
 木原氏談「話は変わるけど、××バーガーの肉が、犬のだ、とか、猫のだ、とかいう話があるよね」
 井上氏(うなずく)「あれは都市伝説で…」
 平山氏談「いいや。俺の大伯父で、マウスの養殖しているヒトがいてね。そのヒトが言ってたよ、「つなぎ」にミミズとかマウスとか使ってるって」
 S田さん(ブルブルしつつ)「でも……。テレビのコマーシャルでは、ビーフ100ぱーせんとって言ってるじゃありませんか」
 平山氏(きっぱり)「うんっ。ビーフは100パーセントなんだ、ビーフは」
 高橋氏(口をわななかせて)「なんか、いやあなレトリックですね、それは」
 二度とファースト・フードのハンバーガーなんか食べるものか、と誓いつつ夜は更けていった。

 八月七日(水)
 外来診察とリハビリの日。
 久しぶりに運転する妻は、クルマをあちこちにこすっていた。
 帰宅後、飯野氏に電話。無事に甲府に帰っていたと聞いてホッとした。
 飯野氏談「でもねー。車内電話かけようと、一番前の車両まで行って、どのドアだろう。あっ、この閉まってるドアか、ってあけたら、なんと運転士が立ってましてね。「開けるな、コラッ」なんて怒られちゃいましたよ。なんかウンコの最中にドアを開けられたみたいに焦ってて、おかしかったです」
 おおい、飯野氏。走行中の電車の運転を妨害したら、犯罪なんだよー。

 八月八日(木)
 家族は「ラ・マンチャの男」を観劇へ。
 わたしは一人で留守番しながら原稿書き。ビデオ鑑賞。読書。昼寝。二日前の疲れがゆっくり出てきたので、よく寝た。

 八月九日(金)
 農耕的に仕事。九枚から二十三枚まで。良い調子である。
 長女はコミケに行く。朝の四時半にゴソゴソうるさかった。
 お陰で寝坊。午前中は調べ物。
 昼寝。コーヒーが美味い。
 「旋風(レラ=シウ)伝」の献本リストつくる。沢山の人に読んでほしい。

 八月十日(土)
 今日は妻がクルマで長女と、長女の友だちのカオリンをコミケに送っていった。あまり気にならなかった。でも寝坊。十時半にようやく起床。寝疲れた。
 農耕的に仕事。十枚目から書き直し。少しずつテンションが上がっていく。
 3時半ごろ昼寝。
 午後6時に目覚めた。
 コーヒーを長女に入れてもらった。アイスクリームを食べた。アイスはコーンに限る。柿の種も食べた。
 仕事続行。三十ニ枚まで進む。
 「真田水滸伝」、メチャクチャ面白い。作者が熱くなってしまうほどだ。
 今日は早い夕食。入浴。お陰でPCにずっと早く向かうことが出来た。
 
 来週は「旋風(レラ=シウ)伝」の見本が出来てくる。
 十年掛けた苦心の完成だ。この嬉しさは言葉では言い表せない。
 完成したら、十年前にお世話になった人たちと、ささやかな宴をしよう。
 「やったぞ」
 と、叫びたい。 

秘神界通信(その8)

 0:04 02/08/03
 ADSLの調子が悪かったので、農耕的な仕事の記録がつけられなかった。

 7月31日はずっと原稿書き。前日の夜に完成した短編を推敲し、清書した。夕方の5時半に池袋のサルビアに持っていく。光文社のF野氏・W辺氏と待ち合わせ。F野氏に原稿を渡し、W辺氏から「一休虚月行」の表紙校正刷り・ゲラ三校を受け取る。表紙は藤原ヨウコウ先生の作品。アートであった。ゲラにも各章扉の水墨画が入っていた。こちらも素晴らしい。
 打ち合わせの後、「蔵乃助」に行った。ここで講談社の渡B氏と合流。別件で打ち合わせ。午後10時に散会。マンガ業界やビデオ業界の話が聞けて、大変面白かった。
 
 8月1日は猛暑。起きて朝食後、コーヒーを飲んで、椎名町へ。あぢい。長崎神社で「旋風(レラ=シウ)伝」と「秘神界」と「一休虚月行」の成功を祈る。
のち、春近書店へ。「関東百城」(中世の関東の城を実地調査して場所や規模を考察した本。良い資料なり)を安く入手。「里見家の歴史」「江戸の奇談」は明日にしよう、と出てくる。帰宅したら、Tシャツとジーンズが肌にへばり付いていた。水分を補給。去年は確か三十七度の日に外出して発作が起きたのだった。気をつけよう。午後、ずっと資料を調べる。秀頼について、誠に伝奇的な「異説」を発見。しめしめ。

 8月2日もあじかった。
 朝食。コーヒー。散歩。椎名町。長崎神社。春近書店。「江戸の奇談」「里見家の歴史」を安く買う。汗を流しながらの神社参りと古本漁りは良いダイエットである。水銀入りのダイエット漢方より、よっぽど良く利くというものだ。ところで、水銀入りの漢方とニュースで聞いて、「石見銀山猫いらず」を思い出したぼくは、もう完全な「伝奇時代」の人なのだろう。「江戸の奇談」江口照雪著。「耳袋」や「談海」はともかく「怪談老の杖」とか聞いたこともない江戸時代の随筆より怪異談を抜粋して紹介。これを読むと、いよいよもって「日本猟奇史」が再読したくなる。むむむ。来月に買おう。
 昼食。昼寝。雷。土砂降り。ソノラマのI井編集長より電話。
 「旋風(レラ=シウ)伝」は8月21日頃に発売とのこと。定価は2200円。四六判のハードカバーで650ページくらいあるので「お買い得」だろう。十年掛かりの仕事をまたひとつ片付けた。
 次は「十勇士」である。
 今回は三部作。猿飛佐助が主人公になる。そして、第一巻のプロローグは猿飛の死ぬ所から始まる。構成は「章」の代わりに「第一の書」「第二の書」としていく。これは魔術書の構成である。内容は、しかし、「妖戦十勇士」の世界の延長である。ふふふ。どうやって書いていこう。楽しみ。楽しみ。目標は八月末〜九月中旬完成。書く事が近頃楽しくて仕方がない。きっと「アンクルだごんテンプル」にきてくれる皆がエネルギーをくれるからだろう。発作の出る兆候も今のところはなし。
 明日はチャット「定例会」である。
 もう寝よう。

秘神界通信(その7)

 23:52 02/07/29
 今日も農耕的に仕事をした。
 したけど……すっげえ忙しかった。
 なまらこわいんでないかい。(註・北海道弁で『大変疲れた』といっている)
 
 午前七時半頃、起床。
 朝食。
 コーヒーを飲んで、息子に英語を教えた。これでほぼ午前の部は終わり。
 昼食。
 昼寝しようか、と思ったが、原稿を書き始めてしまう。切れのいいところで寝ようと考えていたら、ソノラマのI井編集長より電話が入る。「旋風(レラ=シウ)伝」の再校チェックの続き。校閲からゲラが戻ってきたのだろうか。午後四時に東京創元社のM原氏と会う約束だったので焦る。必死で付け合せしていたら、編集長に来客。(わをっ、なんてこったい。バットマン)「また、後ほどお電話します」「3時45分頃までなら大丈夫です」電話を切るや否や、創元に電話。「あの、M原さんは…。ええっ、もう出てしまわれたアッ。では、もしご連絡ありましたら、朝松は15分ほど遅れると伝えてください」電話を切った途端に、すぐI井編集長より「どうも、遅くなりまして」「なんの。なんの。わっはっはっ。ゆっくり行きましょう」で、二十分くらい付け合せて、出かけようとしたところで光文社の用を思い出した。電話。アポイント。31日の件。大慌てで、ようやく「ひーこら」とサンデーサンに向かった。4時5分頃に到着。早速、「聖ジェームズ病院」再校の付け合せ。アメリカン・コーヒーを二杯飲んだ。午後6時ちょい前に終了。
 家に帰れば、妻が「神野君から電話があったよ」といった。「なんだなんだなんだ」と電話してみたら、「ぼく、フリーメーソンに入信しようと思って」などと相談を持ちかけられる。(そこの人、真面目に読まないように)色々とアドバイスしてやったが、多分、何も彼のミにはならなかっただろう。
「ふう」とため息ついたら、電話。ソノラマのI井編集長であった。まったく、テックス・アヴェリーのカートゥーンのキャラのような人である。つまり油断も隙もない。電話で付け合せ。かくして「旋風(レラ=シウ)伝」六百数ページの付け合せは全て完了した。発売は「製本屋が夏休みに入らなければ」(I井氏談)、八月間違いなし。山田章博先生のイカすカットも入っているのだ。
「ふう」と一息つこうとしたら、電話。創元のM原氏より。「英語でashesとなると遺骨という意味になることが判明しました」と。なんて律儀な人だろう。M原さん、有難う。
「ふう」とため息ついて、横になったら、午後九時近かった。
 夕食。原稿の続きをちょっぴり書いた。
「ふう」といいつつ、PCを立ち上げたら、掲示板にカキコがいっぱいあって嬉しかった。
 明日はいよいよ原稿をアップさせる予定。それから、いよいよ「真田水滸伝」を書き始める。予定よりも約二週間半の遅れ。これから取り戻せたら、今年は大飛躍の年になるだろう。
 まあ、ならなくても、頑張ろう。──農耕的に。

秘神界通信(その6)

 23:07 02/07/26
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中、神野オキナ君より送ってもらったビデオのうち、「影狩り」と「鬼一法眼」の一部をチェック。
「影狩り」は石原裕次郎が室戸十兵衛、成田三樹夫が月光、内田良平が日光というキャスト。脚本は池上金男(隆慶一郎)、監督が舛田利雄。なかなかに豪華なスタッフとキャストの時代アクション。今見ても面白い。「ザ・ニンジャ・ハンターズ」というタイトルでショウ・コスギのブームの頃、輸出していたら、きっとヒットしただろう。
ちなみに「隠密剣士」がオーストラリアに輸出された時、「ザ・ニンジャ・ハンター」だった。大瀬康一があの生ぬるい声で英語を話して(勿論、声のそっくりさんによる吹き替えだが)いるのを聞いたことがあるが、中々、ムシズの走るものであった。
「鬼一法眼」は放映時、「唖侍鬼一法眼」のタイトルであったが、いくらなんでもなので、上の二文字が省かれて、ただの「鬼一法眼」になった。
 設定はマカロニ・ウェスタンの「殺しが静かにやってくる」からの引用。つまり悪人に喉を斬られて声が出せなくなった男が復讐のためにさすらうというもの。マカロニでは銃床付きのモーゼルを使う「バウンティ・ハンター・キラー」(賞金首から金をもらって賞金稼ぎをハントする商売・逆賞金稼ぎというか・『賞金稼ぎ稼ぎ』というべきか)という設定や、砂漠ならぬ雪原を舞台にしていること、1パーセントの救いもないラストなどが話題(非難?)になったものである。
「鬼一法眼」ではイスパニア人剣士ゴンザレスに喉を掻き切られて声が出せなくなり、ついでにフィアンセを犯された主人公が、賞金稼ぎで資金を貯めて、イスパニアに復讐に行こうと企む。原作は「三匹の侍」「御用金」の五社英雄。原作のコミックでは主人公は本当にイスパニアへ行ってしまうのだが、テレビでは、なんとイスパニア女王が「お忍び」で来日。将軍と女王の前で、鬼一法眼とゴンザレスは決闘する。
 この「伝奇」性。この「大風呂敷」。この良い意味での「デタラメ」。
 おおいに見習いたい。
 だいたい「これは考証的におかしい」だの、「これは資料に頼りすぎている」だの、「これではマンガである」だの、そんな下らない言葉のお陰でどれだけのイマジネーションが「自己ボツ」を食らい、世に出る前に消えていったことか。
 時代作家は、なにも、考証家になる必要なんてないのだ。
 三田村鳶魚のクソジジイが否定した時代小説は何であったか。吉川「武蔵」も、岡本「半七」も、大仏「天狗」も、ボロクソいわれたのである。だが、大衆は三田村鳶魚なんてジジイは知らずとも、武蔵も半七も天狗のおじさんも知っている。伝奇時代作家は、もっと大胆になり、評論家に四の五の言われたら、林不忘よろしくこう言い返してやろうではないか。
「そいつがあると、思ってやっておくんなさい」
 大体、林不忘も、角田喜久雄も、南條範夫も、山田風太郎も、笹沢佐保も、半村良も、優れた(新風を吹き込んだ)時代伝奇の作者は、みんな他のジャンルから挑戦してきた人たちばかりではないか。
           ♪
 クトゥルー神話もそうである。
 多くの作家が書きたいのに書けないでいる。何故か。「マニアがうるさそうだから」「ウルサガタの多いホラー・シーンでも特に五月蝿く指弾されそうだから」「なんか書くのが怖い」──。
 こんな下らない理由で、せっかくのクトゥルー神話の可能性が閉ざされてしまっていいのだろうか。かつてぼくはクトゥルー神話のアンソロジーを日本で一番多く出版した編集者だったが、それらに付した「読者カード」で一番多かった「この本を買った理由」というのが、「栗本先生の『魔界水滸伝』が面白かったから、もっと良く知ろうと思って」であった。八十万人の「まかすこファン」から八千人の「クトゥルー・ファン」が生まれる。そして八千人の「クトゥルー・ファン」から八人の「ホラー作家」が生まれるとしたら…。これは素晴らしいことではないだろうか。少なくとも、揚げ足取りや既成作家に対する冷笑や重箱の隅ツツキを楽しんでいる日本全国八百人のマニアックよりは、よっぽどクトゥルー神話のため、ホラーの発展のためになっていると思うのだが。

 今日は「旋風(レラ=シウ)伝」の再校ゲラを電話で付け合せ。(まだですかいな)今度こそ最後だろう。生頼先生の表紙も無事入稿したとのこと。
 原稿書き。十枚書いた。
 某社の某編集者と某企画の下準備。
 昼寝したらクジラを釣って、脂身の多い肉を練り物にするという訳のわからない、縁起が良いのか悪いのか、全然分からない夢を見た。
 きっとぼくはもうすぐ大変な目に遭うのに違いない。
 ろくでもないことが近づいているような予感がする。

秘神界通信(その5)

 23:13 02/07/24
 昨日も農耕的に仕事をした。
 朝から「一休虚月行」の再校ゲラのチェック。午前中に終わらせて、光文社のW辺氏に連絡。午後すぐにサンデーサンで会って渡した。席上、「で、次の一休はどうなりますか」と聞かれた。嬉しい悲鳴。実は次は「子連れ一休」と「ある秘宝」の物語が絡み合うことが決まっているのだ。二人で味付けをアレコレと練った。疲れていたが、楽しい作業である。
 昼食。昼寝。のち、「旋風(レラ=シウ)伝」の再校ゲラをチェック。午後十一時までかかる。ほんっとに疲れた。I井さんにファックスで「できたよ」とソノラマへ送信。PCを立ち上げたらメール。I井編集長から。「再校のアレとコレの辻褄を合わせよ」とのお達し。「へへーっ」とひれ伏す。テキのほうが一枚も二枚も上手だった。ダテに偉い先生たちの担当を二十年近くやっていないのであった。
 
 今日も農耕的に仕事をした。
「レラ=シウ」が出来てるので余裕をもってコーヒーを楽しむ。I井編集長よりの電話を待つ。午前11時頃に電話。午後1時半に会うことを約す。
 昼食。仮眠。
 サンデーサンへ。先に着いてアメリカンを飲んでいたら、I井編集長がやって来る。再校ゲラを渡したり、付け合せをしたり、世間話をしたり…。
 午後2時半頃に帰宅。仮眠…しようとしたが眠られず。
 午後4時になったので、池袋に資料漁りに行くことにする。
 妻とお出かけ。芳林堂へ。6階の国文学・史学のコーナーへ急ぐ。室町時代の短歌集だの、田植え歌だの、鎌倉の古建築の本だの、アレコレと買い込む。妻は沖縄の歴史など。計3万円以上。こないだの資料費が2万5千円だったから、合わせて「いっぱい」な値段である。(←5万以上になるとイッパイ一つ・イッパイ二つ…と数えることにしている)モトが取れるように、頑張って仕事をしなければ。
 帰宅したら、高橋葉介先生より電話。「暑いですねー」「暑いですねー」ということで、納涼会の相談になる。
 のち、モクモクと、本棚の整理をしていた。仕事が一段落すると、本棚の整理がしたくなるのは何故であろう。

 仕入れて、とても嬉しかった本、中世の天妖地変を列記したもの。ちゃんとした歴史書で、異象に接した中世の人たちがどんなことを考え、どんな反応をしたのか、考察しているのだが、

 文治二年(1186)二月九日の夜丑の刻(午前2時頃)、春日大社の大宮殿の五丈(約15メートル)ばかり上空に、唐笠くらいの大きさで、輝く太陽が上がるように一時に光あり。この光が見えたのち、神人が病気になった。
 建保元年(1213)3月10日、源頼朝の法華堂の後山に光物(ヒカリモノ)あり。一丈(約3メートル)ばかりで遠近を照らしてしばらく消えず。

 こんな記述を読むと、UFOファン・超常現象好きの血が騒ぐ。
 著者には悪いと思うのだが。
 ああ、藤岡直方の「日本猟奇史」を手放すのではなかった。これはタイトルこそエッチな本みたいだが、レッキとした超常現象の歴史本なのだ。誰か古本屋で安く見つけてくれないものだろうか。今なら五千円〜八千円くらいなら出してもいいのだが。

秘神界通信(その4)

 23:40 02/07/22
 今日も農耕的に仕事をした。
 朝食後、「一休虚月行」の再校ゲラをチェックし始める。
 と。──友成名人より電話。かなり興奮していた。なんでもドキュメンタリー監督のモリ何某という人の書いた「スプーン」というノンフィクション本が凄いということ。「飛鳥新社から出ている」と教えてもらった。(生憎、あとでインターネットで検索したが拾えず)堤祐司氏・秋山真人氏・清田氏の三人の超能力者に三年余、密着取材したドキュメントで、「超能力はある」という結論とのこと。友成名人がこんなに知的興奮を露にしているのに初めて接した。ぼくには、そっちのことが嬉しかった。「それをテーマに何か書きなさいよ」と勧める。
 昼前、ソノラマのI井編集長より電話。二十五日までに「旋風(レラ=シウ)伝」の再校チェックを終えてほしいとのこと。承知する。
 昼食。
 昼寝しかけたら光文社のW辺氏より「ノベルスの著者の言葉を校正してほしい」と電話。ファックスが入る。校正して返す。二十六日に「一休虚月行」の再校ゲラを戻すと約束する。
 昼寝しなおす。午後三時過ぎにおきる。
 午後四時、歯科へ行く。義歯の調整。完了。ホッとした。
 ブック・オフで「一休」の伝記と「とんち本」、いずれも子どもの本。だけどしっかりしている。良い資料ナリ。
 世の中には見てくれに騙されて、ハードカバー箱入りは「良い本」。「良い本」を出しているのは「良心的出版社」。「良心的出版社」から本を出しているヒトは「偉い先生」──というガキのような短絡した観念で世の中を認識している人間がいる。しかし、ハードカバー箱入り本を専門に作っていた人間に言わせてもらえば、これは、包装のきれいな食品は食中毒しない、と信じるくらい愚かしい観念である。ハードカバー箱入りというのは、単なるパッケージにすぎない。内容が実は貧相このうえないので、それを誤魔化すために、装丁に贅をこらすという慣例がギョーカイにあることを知らないのだ。
 作家にとって「良心的出版社」とは、1.沢山部数を刷ってくれる会社。2.いっぱい売ってくれる会社。3.印税を誤魔化さない会社。4.金離れの良い会社。──これに尽きるのである。
 世間一般に「良心的」な「良い本」を出す会社というのは、この四点において不合格である。部数が千単位の某社。営業がやる気のない某社。とにかく印税を払いたがらない某社。誤魔化す某社。金のハナシになると理念を持ち出して「銭かねの問題ではない。文学の問題だ」と話題をすり替える某社。どれも現実に活動している「良心的出版社」である。ぼくはこれら全てを、直接あるいは間接的に知っている。

 角川春樹氏の偉大であった点は、実に、1〜4の四点全てを実践してくれ、作家の側に立ってくれたことにある。少なくともぼくは実践していただいた。だから「恩人」である。氏のことをよく知りもせずにあれこれ言う人間をぼくは信じない。

 それはともかく。
 ウチに帰れば、「神野オキナ君から電話があったわよ」と妻に言われる。
 なんだろう、と此方から掛けてみた。アレコレと会話。彼は、作家スクールの講師として大阪に招かれていたとのこと。「凄い。メジャーじゃない」と我がことのように喜ぶ。彼、照れる。照れる。(かあいい奴だのう)と思う。ひねくれた作家になると、ここで、「どうせあんなスクールなんて酸っぱいですよ」なんて捩れた謙遜の仕方をして見せるのだが。
 電話の後、ゲラのチェック作業。地味。ずっと地味に続けた。
 夕食。なんとか四分の三まで完了。ソノラマ・光文社ともに約束の日にはゲラを戻せそうである。
 明日も農耕的に仕事をする予定。

秘神界通信(その3)

 0:40 02/07/22
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中は「旋風伝」の再校ゲラのチェックの傍ら、長崎神社にお参りに行って、8・9月の新刊が売れるよう祈ったのち、帰ってから長男に英語を教えた。今の中一の英語テキストは、信じられない構成である。ペンとかイレイザーといった身近な品の名や綴り方を教えるより前に、疑問文が始まるのだ。A・B・Cもなし。筆記体もなし。で、レッスン2で、「ホワット」が出てくる。これでは、置いていかれる生徒が続出する筈。三単現のSもいきなり出てくるのだ。
 これからのジュヴナイル小説を書く人間が、リアルな中学生・高校生を描こうとするのなら、まず、現行の教育カリキュラムと、教科書を頭に叩き込むべきだろう。(昔々、『私闘学園』で、この作業をみっちりやって、大伴先生を「倫理の教師」にしたら、オタクな担当が「倫社」に書き換えた。今は「倫理」ですっ。バカ担当め。「巨大ロボット・アニメの変遷と現状」なんて語る前に、現在の高校生の「社会科」について学んでおけってえの。それともナニか、ジュヴナイル小説なんて三十〜四十歳の人間しか読まないから、そうしたってのかよ。エーッ)いかん。一瞬、蝶野になりかけた。あの担当はもう異次元の住人になったのだ。何のハナシだったっけ。そうだ、長男に英語を教えたのだ。
 それから、昼食に冷麦を食べて、一息ついたら、ひどく疲れてしまった。
 で。例によって昼寝。
 午後四時過ぎに目覚めた。
 五時前にコーヒーを買いに行く。ブック・オフへ。未来社の「日本の民話」を我慢して、安い資料を買ってくる。ついでにアイスクリームも。「ヨーロピアン・シュガー・コーン」のチョコ味を二箱。
 最近、マニア狙いのフイギュアが、レンタル・ビデオ屋のカウンターでも売っている。池袋の歓楽街には「チョコエッグ・ガシャポン・ガレージキット高価買い入れ」なんて看板があった。テキ屋やヤクザがおたくにターゲットを絞って商売する時代か。それともオタクなテキ屋やヤクザが現れたのか。いずれにせよ、面白い。
 帰宅後、再校ゲラに集中。午後十時頃、完成。次は「一休虚月行」の再校である。明日一日で終わらせよう。そうしたら、作品の執筆に戻ることが出来る。しかし、短編は苦痛である。苦痛から良い作品が生まれても、殆ど顧みられない。まったく自己満足で自虐的な作業だ。早く長編が書きたい。わたしの場合、この「長編を書きたい」という気持ちを掻き立てるために、短編を書いているようなものである。
 入浴。
 パソコンに向かうも、何度か、再起動。暑いせいらしい。
 子どもたちは夏休みである。
 それでもわたしは変わることなく農耕的に作家活動を続けよう。

秘神界通信(その2)

 23:52 02/07/19
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中、東京創元社の牧原氏より電話。「秘神界」のこと・イベントのこと・その他いろいろと打ち合わせ。のち、原稿を読み返す。どうも気にいらないので書き直し。二女と長男が帰宅。通信簿を持ってきた。…疲れる。
 昼食。
 昼寝──午後一時から午後五時まで眠っていた。まるで眠れる仕事場のおじさんである。吾ながら良く寝るものだと呆れる。
 夕方、コーヒーを求めに散歩。ブック・オフにて武田信玄の資料を買う。金100円なり。帰宅後、コーヒーを飲みつつ長女と世間話。
 そうするうちにソノラマのI井編集長より電話。「旋風(レラ=シウ)伝」の再校ゲラが出たとのこと。ただし、始めの300ページ分。通しで読まなければ直しが出来ないのになあ。
 のち、原稿を書き始める。ノリが悪い。映画をテーマにして、室町モノをやろうという試みなのだが。うーむ。難しい。…それでも八枚ほど書いた。
 夕食。
 妻は冷房で冷えたらしい。不調を訴えている。
 
 昨日書いた面白いこと──
 1 「トランサーズ」というバカSFの話。
 2 田中啓文氏より「かまいたちの夜」を貰ってうれしかったこと。(長男が興味あるのだがコワくて出来ないと言ってたこと)
 3 この「日記」の「前回までの粗筋」。
 
 こうして列記すると、ちっとも面白くない。冗談というのは絶対に箇条書きにするものではない、と痛感した。
 複数の知り合いの心配ごとがあって、なんとなく、気分が優れない。世の中というのは、どうして調子のいい時がずうっと続かないのだろう。 

秘神界通信(その1)

 1:08 02/07/19
 実はここに一時間かけて面白いことを書いたのだが、出来上がる直前、McAfeeがでしゃばって来た。そして、あーしろ。こーしろ。と人間様に命令した挙句に、「再起動」を押せ、などと命令してきたのだ。言われるままに押したら、一時間かけて書いた文章は全て消えてしまった。
 これだから、パソコンで面白いことを書くのは嫌なんだ。
 
 九月の「秘神界」刊行記念イベントの話も、九月八日日曜日の午後一時開場、午後二時開演、場所は新宿歌舞伎町の「ロフト・プラスワン」、参加費はドリンク・チャージ料のみということも書きたくなくなった。まして、ゲストが鷲巣義明氏で、他に小中千昭氏と友成純一氏が「予定」されていることも、絶対に書きたくない気持ちである。そして、会場では映画「DAGON」の予告編はじめ「クトゥルー神話」的映像が、色々と上映されるであろうことさえ、最早、これっぽっちも話したくはない。さらに、この場で「秘神界」全二巻が、先行販売されることだって、誰が言うものかって気持ちである。サイン会だってあるかもしれないとか、当日は、その他にも意外な人たちが来そうだとか、もう絶対に書かないんだもんね。
 で、今日は、これで寝よう。
 まっかふぃーのバカヤロー、だ。

農耕的作家日記(その12)

 23:57 02/07/17
 今日も農耕的に仕事をした。
 午前中はリハビリのため、日大板橋病院へ行った。駐車場が凄まじく込んでいた。途中で降りて、リハビリ科へ。OTを受けながら、世間話。先月は仮面ライダーを世のお母さんはどう受け止めているか、という話題だったが、今月は極めて一般的な世間話。床屋と同じである。それでも寛げた。
 のち、妻の運転で帰宅した。
 昼食。昼寝。自分が見たこともない若い男に変身して、知らない場所で、知らない女と話している夢。出てくるのが知らない奴ばかりなので、ちっとも感情移入できないまま、目覚めた。
 午後四時、歯科へ。
 やっと念願の義歯が二本入った。特に右の上の奥歯はいったい何時から無かったのか、自分でも分からないくらいの歯である。そこのスペースが義歯で埋まるのは不思議な感覚であった。
 昨日、「本当にあった笑っちゃう話」を買ったのに、「本当にあった愉快な話/愛のイトナミ特別号」を買う。最近、マンガといえば、この手か「バガボンド」しか読んでいない。マニア感覚を抜く修業も、早や四年。すでにただのオッサンと化しつつある。かつては片方の眉を剃りヒトに会えないようにして、マニアックな小説・マンガ・アニメ・テレビ番組を遠ざけていた。さらに滝に打たれ、うさぎ跳びをし、血の汗流し涙を拭かずだって涙が出ちゃう女の子だもんなどと言いつつ金メダルめざしてターンしたものだ。中条健の絵で決めたいのだ。(←といったって誰も知らないだろうな)
 どうして、これほどにオレは「普通」にこだわるのであろうか。
 今、オレは、一人でも多くの一般人に作品を読んでもらいたいからだ。
 偏差値の高い大学の学生や、学歴を誇るような社会人ではなく、そこいらで野菜売ってたり、時計直してたりしてるオッサンや爺さんやおばちゃんや婆さんに読んでもらいたいのである。そのため、自分の内部に巣くっているあのイヤラシイ「まにあ虫」を下してしまいたいのである。
 なにしろ今まで限定的なジャンル世界で呼吸して、限定的な読者を相手に、限定的なテーマの作品を、限定的な手法で書いてきたのだ。骨まで染みたアレは容易なことでは抜けないだろう。しかし、それでも、あと15年くらいかけて、死ぬまでに「十歳から百歳まで」に親しまれる作品を書かねば、と考えているのである。……無理かな。

農耕的作家日記(その11)

 0:15 02/07/17
 今日も農耕的に仕事をした。
 急に石田三成のことが気になった。ブック・オフに資料を買いに行った。
 で、彼の人生を読んでみた。「それは筋ではない。それは太閤様の理想とは違う。そんな真似は小ざかしい」なんて言ってるうちに、時代に取り残されて悪玉にされていた。財を貯めるのは武士のすることではない、なんてやせ我慢して、全部、部下にあげていたものだから、何にも残らなかった。気がつけば六条河原で斬首の刑。うーむ。なんだか、自分のことを言われているような気持ちがしてきたぞ。腹立つなあ。今度の作品では三成を悪者に描いてやろう。
 友成名人から久しぶりに電話があった。前回の話を完全に忘れていた。仕方ないから、「前回までのあらすじ」を説明した。納得してくれた。二人で映画の話で盛り上がった。
 友成「キューブリックと黒澤とフリッツ・ラングだね」
 ぼく「『死刑執行人もまた死す』は良かったあ」
 友成「ナチへの恨みつらみが出てるからな」
 ぼく「キューブリックの『フルメタルジャケット』は「地獄篇」だと思いませんか」
 友成「そいつは考えすぎじゃないか。それよか、S・ゴードン、あいつはいいなあ。『死霊のしたたり』なんてラヴクラフトの『ハーバート・ウェスト』の忠実な映画化じゃないか。あれをケナしていた奴等は大馬鹿野郎だな。そもそもナントカ賞受賞だの、ナントカ先生が誉めてるの、そんなことを評価の基準にしやがる野郎は批評家失格だぜ。てめえの価値基準ってのは何処にあるんだっての」
 ぼく「ゴードンの『DAGON』はどうでしたか」
 友成「半魚人っていうか、幻想の海底ねーちゃんが可愛かったな。あれ、俺の好みだな」
 ぼく「イーノ氏もああいうねーちゃんは好みだと思いますよ」
 友成「おお。飯野か。奴も最近はめっきりサバけてきたそうだな。今度、俺の二番弟子として認めてやろう」
 ぼく「一番はライターの神無月マキナさんでしたね」
 友成「一・ニが決まったから、三番は朝松さんにしといてやるよ」
 ぼく「結構です。ワ××ミステリー・サークルから選んでください。同心円描いたのとか、太陽系を象徴したのとか、酒癖の悪いのとか、選り取りミドリでしょう」
 友成「まあ。ミドリ色したのはいなかったと思ったがな」
 
 ……ぼくたちは一体何の話をしているのだろうか。友成名人と話しているとぼくはいつも異次元に連れて行かれるのだった。

農耕的作家日記(その10)

 23:46 02/07/13
 今日も農耕的に仕事をした。
 掃除の邪魔になるので、昼前に、息子と西武デパートへ。スパイクその他野球用品を買う。帰りはドトールに寄って冷たいモノを飲んだ。
 昼食は冷麦。
 それから、思い立って、スタンリー・キューブリックの「突撃」を観た。第一次大戦中のフランス軍を舞台にした「反軍」映画。実際のドイツ人警官600名がエキストラでフランス兵に扮した突撃シーンは、迫力満点。リアルを通り越して「詩的」ですらある。士気高揚のために、見せしめ的に味方からスケープゴートを出して処刑する手口は、現代の企業でもあり得ることである。しかし、塹壕に並んだ兵たちの中をカーク・ダグラスが返礼しながら進むシーンは、そっくり同じアングルで「グラディエーター」で再現されていた。リドリー・スコットはキューブリック・ファンなのだろうか。そういえば、あの映画には「スパルタカス」の影響があったかもしれない。でも、スコットはなんだか信じられない。「JFK」のせいだろうか。それとも大阪の某映画関係者からスコットの日本での「ご乱行」を聞いてしまったせいだろうか。
 のち、レンタル屋へ行き、「ダーク・エンジェル」の6・7集と、カナダの「大脳分裂」とかいう映画を借りた。「大脳分裂」は最初の15分見て、「こんなことなら『食人族』にでもすれば良かった」と呟いていた。前衛気取りのクソ映画。まったく「映画宝庫」は何をしているのだ。(といって、紹介してたらごめんなさい) こういう映画こそ真面目にバカにしてくれなければ、何も知らない庶民は騙されてしまうではないか。ったく、おバカなスプラッタを期待してたのによ。これじゃクローネンバーグにかぶれた大学生の自主制作ではないか。口直しに「ヘルハザード」のさわりを見直してしまったじゃないか。
 原稿は二枚しか進まなかった。きっと「大脳分裂」のせいだ。

           ♪

 明日は、東京創元社のM原氏と会って、打ち合わせの予定。
 「秘神界」の発売が、九月十日、全二巻同時発売。定価千三百円に決まったので、これからは、いよいよ編纂者として、読者や参加作家の見えないところでの動きが始まるのだ。あと二ヶ月、忙しいぞ。でも、ぼくとしては、この「準備期間」の忙しさがたまらなく楽しいし、好きなのだ。
 やはり、作家よりも、プロデューサー寄りの性格なのだろうか。

          ♪

 この頃、新作が売れるか、と占ってみると「易」「おみくじ」「トランプ」「タロット」ことごとく、「凶」と出る。
 神に見離されたか。

農耕的作家日記(その9)

 23:46 02/07/13
 今日も農耕的に仕事をした。
 今週(7月7日〜13日)は滅茶苦茶に忙しかった。「旋風(レラ=シウ)伝」と「一休虚月行」と「秘神界」の「序文」のゲラが乱れ飛び、一日に何度も家とサンデーサンを往復し、原稿を書き、ビデオを鑑賞し、資料を読み、何人もの編集者と打ち合わせをした。
 しかし、しっかり昼寝を忘れなかったお陰で発作を起こすこともなく、無事にやり過ごせた。
 困ったことといえば、軽いストレスから甘いモノが欲しくなり、エクレアを一日一個食べた(といっても食べたのは二日間だけなのだが)せいで500グラム増えてしまったこと。あとは、運動不足で、背中と左肩が痛くなってしまったこと。…そのくらいか。
 現在は短編と長編を並行して執筆。本日は十二枚書き進むことが出来た。最近、仕事のペースも良い調子である。病気前より、仕事のペースも内容もずっと良くなっている。
 しかし、好事魔多し、を忘れてはいけない。去年は摂氏37度もある日に外出して倒れたのだ。あの「痙攣発作」の痛み・苦しみ・悪夢を忘れてはいけない。最近、トレーニング不足で左手が弱く(かつ細く)なっているので、注意しなければ。小銭を小銭入れに入れる行為がぎごちなくなっている。昔、リハビリ科で麻痺した手を庇うあまり、その手が小さくなってしまったお婆さんを目撃している。
 人間の肉体の退化は怖い。
 でも一番怖いのは感性の退化である。
 ホラー小説や伝奇小説を生業(なりわい)にしていると、次第に、異常を異常と感じなくなってくる。そのため、作品のリアリティがどんどん希薄になってきたり、ストーリーが「ホラーのためのホラー」「伝奇のための伝奇」に堕してしまうのだ。
 いつかペインキラー氏が「ミステリーばかり読んでいると自分がジャンキーになったような気がする」と仰っていたが、けだし名言である。ひとつのジャンルに沈潜しすぎると、ジャンキー化し、より刺激の強いもの、より意表をつくもの、より自分のしらない情報を盛り込んだものに惹かれていく。そして、気がつけば、話す言葉までもが「密教」化しているのだ。

     ♪

 たとえば「魔術」を例にとろう。
 渋沢竜彦や種村季弘を読んでいる程度なら、
「彼女はドードーナの巫女めいた謎めいた雰囲気を漂わせていた」
 だが、これが、「ムー別冊・世界魔術大百科」を精読している人物なら、
「彼女はダイアン・フォーチュンのインナーライトのシジルを象ったブローチを付けていた」
 となる。しかし、これが「世界魔法大全」全巻と「クロウリー著作集」を読破していたら、
「彼女は明らかに7=4に属すと思われた」
 いやいや、これで魔術結社に属していたりしたならば、
「彼女の言動は明らかにイセル・コルクーハン的であり、その笑みはルビーの薔薇と金の十字架の第3位階の人間のみがよくする、極めて星幽的でニューバーグ風な皮肉を漂わせていた」
 となるだろう。もはや、何を言っているのか一般人には理解不能である。だから、四十五にもなってこんな言語を使用している人物が自分のサイトにカキコしたりすると、
「朝松健の『魔術戦士』第8巻122ページの描写は多分にО∴T∴О∴のフェニックス儀式を丸写しにしている(獏)」
 なんて書いてある訳で、作者がよんでも痛くも痒くもない。それどころか、
「お前、45にもなって、まだそんなコトいってんのか。会社で孤立してんだろう。部下は何人いるんだ。リストラは大丈夫なのか。営業から経理に回されるんじゃないか」
 などと逆に心配してみたりするのである。

        ♪

 いかん。
 例を挙げるほうにリキを入れすぎて、当初の目的を忘れてしまった。
 感性の話であった。
 とにかく伝奇ホラー作家としては、極力、一般人の感性を保ちつづけたい。死体を見たら、最初に驚き、次に係わり合いになるまいとして、警察に届け、それでもヤジウマ的に死体が片付けられるまで見守り、一件落着したらウチに帰って家族に話したり、「本当にあった愉快な話」に投稿したりする──そんな描写を心がけたいし、そんな人物を登場人物にしたいと思うのである。
 そうしないと…。
 とおからずホラーは恐怖不感症患者や変質者、心霊マニアや死体愛好家しか登場しない「読者を限定する」ジャンルと堕してしまうだろう。そして刺激と強烈な不快感を飽くことなく求め続ける、全国2000名のジャンキー読者だけのものとなるだろう。(まるで特殊な性愛マニアのための専門誌のように)
 その時がきたら出版社は手のひらを返してホラーというジャンルを見離すに違いない。
 少なくとも、今までは、そうだった。
 そして、今は、かつて以上にシビアになっているのだ。
 ホラーを滅ぼすのには何もいらない。
 ただ売上の数字が眼に見えて落ちさえすればいいのである。
 
 だから、書き手は、常に限定的なマニアではなく、不特定多数の読者の法を見つづけて、ホラーの間口をより広く、懐をより深く、保ちつづけなければならないのである。
 …なんて、一人でほざいても無駄だろうな。

農耕的作家日記(その8)

 23:41 02/07/10
 今日も農耕的に仕事をした。
 朝から「旋風(レラ=シウ)伝」のゲラをチェック・校正した。ちょっと休んで、十一時半に歯科へ行った。
 上の奥歯の型を二本分とった。結構な値段だった。来週には義歯が出来ている筈。ようやく奥歯二本のない生活に別れを告げられる。帰ってきて、また、ゲラのチェック・校正。
 昼食。
 午後もゲラはすいすい進む。とうとう午後一時半には出来ていた。ソノラマに連絡。急遽、午後五時頃に会うことにした。
 眠いのを我慢して原稿(異形用)を書きかけた。眠い。眠い。とうとう眠ってしまった。
 午後四時頃、目が覚めた。長男の声はでかい。二女の歌声はうるさい。
 仕方なくアイスクリームを買いに行った。我が家の人間はみんな異様にアイスクリームが好きである。それもコーンのもの。できれば「ヨーロピアン・シュガー・コーン」が良い。コーヒーを飲みながらアイスクリームコーンを食べる。至福の時間。
 午後五時、サンデーサンへ行ってソノラマのI井編集長にゲラを渡す。あれこれと用語の統一について話し合う。表紙のこと。イラストのこと。本のイメージのこと。一時間余りで終わり。
 帰宅後、京都のお二方に電話。山田章博氏は忙しそうだった。藤原ヨウコウ氏はあかりちゃんに苛められていた。(昔、昼寝していたら顔の上に長女が『良い諸ッ』と座り、眼鏡が壊れたことがあった。乳・幼児は手加減しないので怖い)
 一段落して、昼間書いた原稿を見た。汚い。美意識に合わない原稿である。書き直そう。(内容よりも字が汚すぎる)
 夜は夕食後、「世界仰天ニュース」を見た。ようやくのテレビ。最近、一日一時間弱しかテレビを見ていない。本は資料しか読んでいない。ビデオも3日に一度か、4日に一度だ。なんてこった。このところ、どんどんガンコな親父になっているように思っていたが、まともにテレビを見ていなかったんだ。気をつけよう。

 明日から「真田水滸伝」を本格的に書き始める予定。
 やるぞっ。

農耕的作家日記(その7)

 23:08 02/07/09
 七月八日は結局、光文社のW辺氏に「一休虚月行」のゲラを戻し、その一時間後に東京創元社のM原氏と会って、その場で「秘神界」二巻分の序文のゲラを校正・チェック、のちに打ち合わせなどした。帰ってから、イベント関係の連絡をして、夕食。風呂に入ってパソコンに向かったら、ちょっと疲れていた。
 七月九日は、午前中に「旋風(レラ=シウ)伝」の488ページからラストまでのゲラが届いた。集中して頑張る。昼食。十二時四十分頃、昼寝。午後二時半頃、イベント関係の電話で目覚めた。ムニャムニャで対応する。
 のち、東京創元社のM原氏に電話。
 それからコーヒーを買いに行き、ブック・オフに寄り道した。ライザ・ミネリの「キャバレー」を超安値で発見。買ってしまった。ウチに帰り、長女とアイスコーヒーを飲みながら鑑賞。はじめはサワリだけの積りだったのに、結局ラストまで観てしまう。傑作。ミネリ、一世一代の熱演。ボブ・フォッシーの振り付けも素晴らしい。が、なんといってもジョエル・グレイの狂言回しが最高。ブロードウェイ版も彼であったとのこと。いやあ、良かった。舞台が1931年のベルリンと、これまた、ぼく好み。いつかナチ・クトゥルーで「キャバレー」をやってみたいものだ。
 それから、また「旋風伝」のゲラのチェック・校正を再開。夕食までに半分以上完了。明日の昼には完了する。
 その後は、「異形コレクション/キネマ・キネマ」用の短編を書く。当然のことながら、室町モノ。伝奇時代劇で、「キネマ」テーマをどう料理するか。乞うご期待である。
 それと「真田水滸伝」(仮題)を進行させる。こちらは八月上旬に渡す約束だったが、大丈夫だろうか。とにかく頑張らねば。
 一人でいると、「一休」のアイデアがポコポコ湧いてくる。
 でも自分としては、早く、「夷(えびす)」と「文観(もんかん)」が書きたい。室町時代モノの決定版と呼べる長編を早く完成させたい。
 短編では、「『俊寛抄』または世阿弥という名の獄」と「荒墟(あれつか)」が完成形である。
 夜、光文社から「一休虚月行」の表紙絵(彩色版)のデータが届く。直後に、今度は藤原ヨウコウ氏より電話。傑作を描いてもらったお礼を述べる。この絵は是非とも、我がテンプルのお客に公開したいので、光文社と藤原氏の許しを得ることにしよう。一休宗純の顔がいい。特に目。この目はまさに一休の目である。

農耕的作家日記(その6)

 0:08 02/07/08
 今日はもう一度、豪徳寺へ。
 今回は有名な招き猫供養棚とネコ観音をお参りし、ついでに井伊直弼の墓をみてくるため。寺では施餓鬼会が催されていた。
 ネコ観音はウルトラ・スーパー・デラックスだった。招き猫供養の棚は思ったよりもずっと小さかったが、とても暖かいオーラに包まれていた。
 寺院を一周したのち、豆招き猫を6個買って帰ってきた。(一個は自分用。あとは営業用です)帰り、日照雨(そばえ)。なんか良い雰囲気。
 帰宅後、少し休んでから、長崎神社へ。こっちは「社会を明るくする運動」の集会をやっていた。かまわずにお参りする。
 一日でダブルお参りしたので、八月・九月の新刊は、売れるだろう。
 願わくば、十月に出る予定の新刊が早く完成しますように。
 
 夕方より「一休虚月行」のゲラをチェック・校正。一気にやり終える。吾ながら凄い集中力である。
 明日は夕方に東京創元社のM原氏と会う予定。「秘神界」の発売がじりじりと迫ってくる。

農耕的作家日記(その5)

 23:30 02/07/03
 朝一番で歯科に行った。消毒。抜歯後の様子を見てもらう。異常なし。良かった。なんでも今回、歯が痛んだのは、痙攣発作の時に凄い力で左顎を噛み締め続けたせいとか。外部よりの圧力で簡単に歯は痛んでしまうのだそうだ。発作はこんなところにも経済的負担を強いるものなのか。
 で、義歯の相談。結局、抜いた歯の他に、去年抜いて空隙のあいてるところにも入れることにする。二本の義歯か。サ、サイフが…。胃てて、胃てて。
 ガックリきて、のち、ブック・オフに行く。石井進(朝日ソ×ラ×のヒトではない。日本史学者ナリよ)「中世武士団」を買う。資料ナリ。めちゃ安かったナリよ。ついでに溜まったサービス券でビデオ「ヘルハザード」を買った(もらうというべきか?)。すでに一本持っているのだが、良い映画だから井上雅彦氏にあげよう。「異形コレクション」を作る励みになればいいな。
 ウチに帰る途中で光文社の編集W辺氏より電話。「一休虚月行」のゲラ直しの進行について。バッチリです、と答える。藤原ヨウコウ先生のイラストも順調に進んでいるとのこと。良かった。その外にも色々と良かった。
 昼前に三人の子どもがドヤドヤと帰ってくる。試験中なり。
 昼食。
「真田水滸伝」(仮題)の下書きを始める。三つの星が三人の人間としてこの世に生を受ける。それが、運命の卍巴を呼ぶ。という基本構想。それが真田十勇士とどう繋がるかは完成してからのお楽しみ。
「一休虚月行」のゲラのチェックも続行する。どんどん進む。自分で書いていながら「お、面白い」と何度か呟いた。きっと本当に面白いのだろう。ホラー・伝奇・アクションいずれもかなり入っているが、基本は「ファンタジー」である。しかし、これが「ファンタジー」だと喝破する人間が何人いることだろう。ぼくにとっては「疾風(レラ=シウ)伝」だって「歴史ファンタジー」なのだが。まあ、いいや。馬鹿に怒っていたら、こっちは先に進めない。
 それで思い出したが、以前に「夜の果ての街」を出した時、「これはダーク・ファンタジーですね」と言い切ったのは牧野修氏であった。流石はホラーなアバンギャルド牧野修である。(←稲垣足穂風…でもないか)
 午後二時頃、昼寝。
 午後四時頃に目覚める。
 友だちから電話。招き猫の話題で盛り上がる。
       §
 歯を抜いた後の虚ろな穴はとても空しい。
 なんだか小さな墓穴のようである。
 一本抜かれる度に、こちらは、また
 トリヨリに近づいていく。でも、少しも
 自分の憧れた カッコいいトシヨリには
 近づけない。歯のないガキになっていくだけだ。
       §
 観なければいけないのに、そのままになっているビデオ。
 キューブリックの「突撃」「フルメタルジャケット」。ボリス・カーロフの「ヘブンリー・ビキニ」。それから、「放射能X」。
 また観たいので積み上げているビデオ。
「グラディエーター」、「夕陽のガンマン」、「チャイナ・タウン」、「アレクサンドル・ネフスキー」、「愛の嵐」。
 そういえば、「千と千尋」もまだ観ていない。レンタル屋でいずれ「スパイダーマン」や「少林サッカー」なんかと借りよう。
 だけど忙しくてなかなか観られないなあ。
 読みたい本にいたってはどれだけ積読状態か分からないや。
        §
 すでに七月四日だ。
 一日はなんて早いのだろう。
 さっさと寝なければ、また発作がおこる。

農耕的作家日記(その4)

 23:35 02/07/02
 以前から左上の歯がぐらぐらして痛かった。
 それが昨日の夜に急にひどく痛みだした。仕方ないので歯科に予約して、本日午前に行ってきた。
 即、抜かれた。
 歯茎に歯がぶら下がっているだけの状態だったのだ。
 抜かれた時には全く痛くなかった。
 しかし、その後、1時間くらいしてからシクシクちくちくしてきた。
 痛み止めを飲んだ。
 歯科医は「二、三週間後に新しい義歯を」と言う。いくらかな、と考えた。急に胃がいたくなった。痛み止めの副作用だろうか。
 ウチでは子どもたちがテストで早く帰ってきた。「玉砕」のようなことを言われた。三人を学習塾に通わせたら…と考えた。胃がちくちくシクシクしてきた。
 妻に「地方税がね」と言われかけた。ちが胃く胃くして来てシも胃胃胃胃となってきた。歯と学費と地方税で一気にウチはビンボに落ちていくような気がしてきた。
 そんな時、古い付き合いの編集者H本君から電話。彼は「月刊小説」の編集長時代に、ぼくの「比良坂ファイル」と「踊る狸御殿」を連載させてくれた偉い人物である。早速、夕方、会った。いろいろと企画のこととか作品のこととか世間のこととか話した。少し気が楽になってきた。なんとなくネットで間違って自分の作品をクソミソ言ってるサイトを覗き、思いっきり凹んだ直後に、昔憧れていた美人からEメールで「御作いつも拝読しています。頑張ってね」なんて言われたような気分になった。(ちょっと違うか)
 ウチに帰ってゲラを点検した。結構進んだ。明日から原稿も始めよう。
 と、考えたら、吐き気がして歯が痛くて胃が痛くなってきた。
 なんだ。オレはセコハンの飛行機か。とりあえず飛行場に着いたら飛び上がるまで時間がかかるってのか。貨物機とぶつかるぞ、このっ。などと自分を罵倒した。
 明日も頑張ろう。

農耕的作家日記(その3)

 0:03 02/07/01
 6月最後の今日、久しぶりに、松尾未来とドライブに行った。子どもは試験勉強で留守番。行く先は、世田谷区豪徳寺2丁目。その名の由来となった名刹豪徳寺である。この寺が日本の招き猫発祥の地ということを知り、新刊が続く身なれば、と売れ行きアップ・企画成功の祈願に行きたくなったのだ。
 で。──地図をプリント・アウトして出かけていった。
 いやあ、迷った。迷った。国士館大の周りを随分ウロウロした挙句、なんとか辿り着いたのだが、高級住宅街の真中に、広大な敷地を占める大きな寺が、ドカンッとあるのだ。その山門の巨大なこと、殆ど時代劇の世界である。しかし、それも無理もない。ここは江州彦根藩の菩提寺だった寺で、かの幕末の大老井伊直弼の墓所もあるという話だった。
 ただし、豪徳寺は最初から、こんな大きな寺ではなかったという。
 資料によれば、こんな話があるというのだ。──
 
 寛永の昔、彦根藩主、井伊直孝が鷹狩りの帰り、五,六騎の家来を連れてこの寺の門前を通りかかると、山門に猫が一匹うずくまり、頻りに手招きをしている。これは和尚の飼い猫のタマであった。その姿があまりに不思議なので、井伊直孝は家来と共に豪徳寺に入り、「猫の招くさまの不審ければ訪ね入るなり。暫時、休息させよ」
 と言えば、和尚は恐縮して、渋茶などを差し出した。と、そこで、一天俄かに掻き曇り凄まじい雨が横殴りに降り出した。さらに山門前に大きな落雷まであって、一同は命拾いしたのだった。しかし、和尚が驚くことなく、静かに、三世因果の説法などを始めれば、井伊直孝はうなずき、
「猫に招き入れられ雨をしのぎ雷を逃れ得たのみならず、貴僧の説法に預かること、是、偏(ひとえ)に御仏の因果ならん」
 と述べて立ち帰った。これが縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、豊か寺となったという。
 猫の縁で繁盛するようになったということで、後世、近在の人々はこの寺を「猫寺」の愛称で呼び、また、タマをかたどった置物を作り、「招福猫児(まねきねこ)」と名づけて崇め祭れば吉運たちどころに来たり、家内安全、営業繁盛、心願成就すると、その霊験は日本中に伝わったということである。招福猫児

 参考・「ご利用別・お守り図鑑」(文春ビジュアル文庫)
    「招福猫児の由来」(豪徳寺)

 そんな訳で、買ってきました、本家・招福猫児。そのありがたいお姿をネット公開いたします。どうか、皆さんにも、福がやって来ますように。


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