日記代わりの随想
2001年上半期

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想像力の問題

 23:21 01/06/28
 昨日は豊島区の「節目検診」で、要町病院へ。血圧・心電図ともに異常なし。血液検査の結果は後日。
 今日は、月に一度の定期検診で日大板橋病院へ。
 病院に通って思い出すのは、自分が病人だったこと。血圧は異常ないが、左半身の麻痺は(いくらか軽くなっているものの)まだ残っている。心電図にはでないけど、痙攣発作は、いつ起こるか、わからない。そして、脳。…どうやら小説を書くという作業は、相当の負担を脳に課しているらしい。
 この二週間ほど、いや、「レラ=シウ」に本格的に取り掛かり始めてからというもの、睡眠時間が異常に伸びている。今日は昼寝で4時間も寝ていた。

 このままでは確実にバカになっていくような気がして、次の三冊を並行して読んでいる。
「死の舞踏」(スティーヴン・キング)、「夢想の研究」(瀬戸川猛資)、「カルト資本主義」(斎藤貴男)
 どれもテーマは同じだ。
 現代人にとって「想像力」とは何か。

 たとえば、ホラー。
 よく言われる言葉に「一番怖いのは人間だ」というものがある。
 確か、「黒い家」なんて小説がもてはやされ、保険金殺人がワイドショーに取り上げられていた頃、「本の雑誌」の投書欄なんかに、「ホンマに怖い小説をもってこい」というような声が紹介されていた。「鬼畜」なんてコトバが「ホラー」の冠詞に用いられ、死体の写真がエロ本のスタッフの手で、市場にながされていた。サイコ・ホラーがホラーの本流みたいに言われたのも、この頃である。
 死体は怖い。
 違う。
 死体は気持ち悪いのだ。
 それは自明の理である。なぜなら、死体は、「いずれわたしたちがそうなるもの」だからである。死体に対する気持ち悪さは、老いに対する畏怖に似ている。だから、分かりやすい。
 死体の次に、分かりやすい恐怖は、なにか。
 暴力だ。
 暴力はあらゆるものに沈黙と服従を強いる。暴力は多かれ少なかれ誰でも体験したことがある。だから、分かりやすい。
 しかし、それでは、死体と暴力を描けば、ホラーかといえば、全然違ってくる。この二つをテーマにした場合、それはバイオレンスというジャンルに分類される。あるいは、サスペンスになるかもしれないし、料理法では純文学になるかもしれない。しかし、死体と暴力は、ホラーではない。「それも」ホラーのひとつかもしれないが、総てではない。
 ホラーに必要なのは、死体でも、暴力でもない。
 もっと簡単なものである。
 それは、想像力だ。
 「死の舞踏」でキングはそれを説明し続ける。ラヴクラフトとシャーリー・ジャクスンとジャック・フィニィ、ブラッドベリたちを例にあげながら。
 
 ホラー小説に想像力が必要不可欠なことは、わたしも伝奇ホラーをなりわいにする者、ひじょうによく理解でき、共鳴できた。

 それでは、その小説を評論する側は?
 まさか「知識人の皮をかぶった阿呆」〈キング〉と切って捨てる訳にはいくまい。(そうしても構わないが、わたしは、残念なことに寛大な男だ)
 そこで、「夢想の研究」が必要になる。
 瀬戸川猛資氏のことは、断片的にしか知らなかった。ブックマンという書評誌を主催されていたこと。非常に辛口の評論で作家はもちろん同業者からも煙たがられていたらしいこと。それから、「幻想と怪奇」で「怪物団」の映画評をしていたこと。
 ただ、わたしは個人的に、石上三登志氏の偽名だと長く信じていた。(もちろん、それは勘違いであった)
 わたしは、評論はエンターティンメントの一形態だと考えている。けっして作家志望の文学おたくが「ぼくってお利口ちゃん」と、小難しい用語を駆使して評論家仲間のために書く「なに言ってるんだ」的駄文のことだなどとは思っていない。そんなのは、アマチュアがやることだ。そのような文章で原稿料をとるなんて犯罪である。
 そして、「夢想の研究」は、わたしの言うエンターティンメントそのものの評論であった。ここでは、丸谷才一の「忠臣蔵」論が考究され、ユールタイドからの連想から、ラヴクラフトのクトゥルー神話に言及され、「祝祭」にまで思考が及ぶ。やがて、「忠臣蔵」は人類の集合的無意識をあらわすための神秘な祭祀へと変容しているのである。

 つまり、わたしの「妖臣蔵」の(予言的)考究となっていたのだった。

 それにつけても思うのは、この15年ばかりの間に、人間は退化しているのではないかということである。
 なんといっても、自分の言葉で考える人間が激減している。
 価値基準を他人──他の権威──に求める人間モドキばかりだ。あるいはマニュアル。あるいはカタログ。あるいは「賞」、「権威者の言葉」「推薦」。
 活字に対する免疫がないのだろうか。
 誰かに「刷り込み」を受けたかのごとく、本やテレビやパソコン、あるいは友達からの情報を鵜呑みにしている。
 オカルト記事を書いている頃から、「ムー」の書いてあることをアタマから信じている少年少女には危険を感じていた。が、その「ムー」を批判する人は批判する人で、別の「権威」のいうことを鵜呑みにしている。「カルチキ」は人形アニメをフルに活用して、冒頭部には忘れがたいシーンのある巨大アメーバ・ホラーの佳作である。けっしてビニール袋をかぶって大人が転げまわるバカ映画ではない。(これはキングのカルチキ批判を批判しているのである)テレビのことをマヌケ製造機のように言っているハーラン・エリスンは、大きなテレビを持っているし、「アウターリミッツ」の脚本を2本以上書いている。(これは何かというとエリスンのコトバを持ち出すSFファンを批判しているのである)
 わたしは、何をまだるっこしく言っているのか。
「カルト資本主義」の話だ。
 この本に書いてあることは、どれもみな、別に、目新しいことじゃない。
 わたしがオカルト・ホラー専門の編集者をしている頃には、麻原ショウコウが水中サマディに失敗して溺れかけた話と同じくらい、誰でも知っている情報だった。それゆえ、わたしは、オカルトの持つ毒を体感し、その根の深さに戦慄したのであった。情報の一部は「田外竜介もの」や「魔術戦士」に流用した。だが、改めて、冷静なジャーナリストの手で分析された時、こんなおぞましい全貌が現われるとは。
 もう手遅れかもしれない。
 カルトな企業はこの国の経済活動の基幹を握り、この国はカルトな国家になりつつあるのかもしれない。
 やがて、ソニーが夢を自由に操るマシンを発売し、京セラが幽体離脱するキットを売り出し、防衛予算で地震兵器を自衛隊が購入する…そんな時代がくるのかも知れない。
 ゲーム性を忘れたオカルトは、想像力の蕩尽であり、悪用である。

 やはり、バカになっているようだ。
 自分でも言ってることが支離滅裂である。

サスケが来た

 23:58 01/06/22
 トーマさんのサイトの「ひみつ日記」が楽しいのと、飼ってる皆さんの言葉もあって、ポストペットを飼ってみることにした。
 とりあえず、30日の体験版。
 オスのイヌを選び、「サスケ」という名前をつける。
 むしょーに可愛い。
 自分がイヌ好きになっているのに気がついた。
 そういえば、子どもの頃、イヌがほしかったのだが、母親が動物嫌いで、「自分はイヌに弱いんだ」と自己暗示をかけていたような気がする。
 これから、友達に勧めて、どんどんポスペを飼ってもらおう。

疲れた日

 0:31 01/06/22
 今日は、午前11時から、光文社の編集氏と打ち合わせ。
 次回作の「一休幻人行」の説明に熱が入り過ぎて、ウチに帰った時は、へろへろになっていた。
 昼食に、「ソバとミニご飯にショウガ焼き・唐揚げ弁当」を食べた。
 すぐに昼寝。
 波乱万丈の伝奇大ロマンの夢。
(しめしめ。こいつを次の××社のハードカバー作品で書こう)と、ヌカ喜びしているところで目がさめた。
 夢の内容はきれいに忘れていた。
 
 夕方、パソコン教室。
 エクセルを勉強した。
 じゃぶじゃぶ洗われた。cdをもらった。ラッキー。
(©トーマさんの『みんなの秘密日記』) 

そして、総てが動き出す

 22:00 01/06/20
 午前中は、「一休幻人行」(仮題)のため、プロット作り。本格的にワープロで書いてみる。慣れてくると、結構、面白い。早く、小説原稿も打てるようになりたい。(こっちはパソコンで)
 松尾未来は気圧のせいで体調すぐれず、時々、背中を叩いたりマッサージしたりしてやる。その一方、友達のため、ビデオの作業。そして、また、プロット作り。南朝の残党の陰謀と、幕府転覆のアレコレと。どちらが面白いだろう。さんざん考えて、後者にする。読者が絶対「乗ってしまう」ストーリーとキャラクターを思いつく。
 休んでる未来を置いて、一人で昼ご飯(味気ないね)。
 ビデオの作業終わる。明日も、もう一度、同じ作業をする予定。
 午後は、まず、3時間ほど昼寝。(夢はなし)
 のち、散歩。ドトールでアメリカンのLを買い、いさみ屋で草餅を買って帰る。(いつもと同じコース)
 突然、天啓が閃き、「旋風(レラ=シウ)伝」を書き始める。昨日まで書いたところを読み返す。面白い。迫力がある。新之介が苦悩している。昨日までの、「乗らない」「自己嫌悪を感じる」は、何だったのであろう。土方歳三の登場まで、一気に書く。明日は、15枚書きたい。(あっ、パソコン教室の日だっ)
 明治二年五月十一日の五稜郭が、はっきりと、見えてきた。魔術の実践で育んだ「視覚化(ビジュアリゼーション)」のお陰である。潮の香り。波のうねり。空の色。雲の動き。人々のざわめき。硝煙の匂い。戦闘の予感。武器弾薬の圧倒的重量感。殺伐とした雰囲気。
 これらを読者に伝えたい。
「つねに読者のほうだけを見て書くこと」
「読者のためだけに書くこと」
 過去の自分の作品の一部(全部ではないが)は、どうも、自分のために書いてたような気がする。読者を選んでいたように感じる。
 深く自戒すること。無責任な人間の言葉に惑わされてはいけない。常に自信をもち続けたい。

 今日から、長女は、近所のスーパーでアルバイト。午後9時に帰ってきた彼女が、とっても、頼もしく見えた。親バカか。でも、親バカも楽しいものだ。家庭を大事にしてきて良かったと思う。
(いまどき、妻子を投げ打って文学…なんて、古いね。昭和40年代のモーレツ社員的発想。男の沽券をふりかざし、家庭を顧みず、大酒を食らい、生活に背を向けて愛人のもとに走る。…ぼくはそんな編集者や作家を何人も知ってる。これらは逃避に他ならない)
 
 考えると、ぼくは、学生時代から、モノを書く以外のバイトはしたことがなかった。

 夏至になって一年のサイクルが変わってくると、いろんなことが動き始めるらしい。
「黒い街」も、そろそろ、再開しなければ。
 今月は、新作の打ち合わせが、三件。(ホラーが一つ。伝奇時代劇が二つ)
 がんばるぞ。

のたうちまわる日

 22:43 01/06/18
 書けない。書きたい気持ちは強烈にあるのに、書けない。昨日書いた文章が気に食わない。頭の中は、イメージで一杯なのに、一行書く片端から、気に食わなくて、捨てている。
「旋風(レラ=シウ)伝」のことである。
 それでも、ようやく、取っ掛かりは掴んだ。あとは自分の意識を明治2年の蝦夷地に飛ばすこと。
 イメージ喚起。
 鉛色の海。荒れ狂う波。五月といっても、蝦夷は、ようやく春。緑でいっぱいの大地。泥濘。動物たちの気配。エゾシカの群れ。
 と。ここで、疲れて、散歩へ。ブック・オフで「メジャー・リーグ2」のビデオ発見。500円。買い得なので、即購入。2階で平凡社の「イスラム事典」こちらは1200円ナリ。
 長男、帰宅。買ってやったビデオを見つけ、大声を出して喜ぶ。たった500円でこんなに喜んでくれるとは…。とても嬉しい。
 夕方、買い物。アイスクリームと甘いもの。妻と子どもたち、これまた、とても喜んでくれる。ウチは安上がりに幸せになる家族だと思う。
 6時過ぎ、また少し、書く。
 あとどれくらい、この「のたうちまわり」が続くのであろう。

神野君からの電話

 22:09 01/06/17
 今日は眠いので、原稿は書かず、プロットを書くことにした。
 試しにワープロで書いてみる。
 一休シリーズの次回作。カッパノベルズ。仮題「一休幻人行」。前作「一休暗夜行」より3〜5年後の話。すでに「仕掛け」は決まっているのだが、事件の背景──歌舞伎でいう「世界」が決まらない。どんな時代背景にするか。歴史上のどんな出来事と絡めるか。それで、登場人物も自然に決まってくる。
 ○南朝の余党の動きや、それを支援する守護・国司の話。
 ○足利幕府の内紛・次代将軍の跡目争いの話。
 今回のネタに絡めるには、どちらが効果的だろう。
 色々悩んだ末、後者に決める。(南朝ネタは<小説宝石>でやったし、こちらはこちらで暖めると良いネタに育ちそうだ)
 すると、自動的に舞台は、応永32年から正長元年になる。
 一休は前作よりちょっと年を食って32〜34くらい。精悍さが増して、ぐんと頼もしく成っている。無精髭を薄く伸ばして、鋭く、澄んだ瞳が特徴。どこか寂しげな微苦笑を浮かべた坊さん。武器は、例によって三尺五寸余りの杖。そして、強い意志。きっと今回も、将軍直々の命令になるだろう。そして、はじめは頑として断る。今回は、母親も、京にはいない。だから、大丈夫だと思っていたら…。のっぴきならない事情で事件を引き受けなくてはならなくなる。
 さて。どんな…。と、年表を調べる。
 おおお。神の助け。この頃、足利義持が、朝鮮に大蔵経の板木を求めているではないか。よし。この史実と「あのキャラ」を絡めよう。
 始めはバラバラに見えるエピソードを散りばめ、それが、後に見事繋がってくる…そんな構成にしよう。今回の悪役は、×××の魔法使い。「無」から「有」を生じさせる。悪役は、もう一人、日本人。こいつらが日本征服を企む。
 ふふふ、絶対、「そんなバカな」と読者に叫ばせてみせるぞ。
(ところが、ちゃんと歴史的裏付けがあるんだもんね)
 などと、ほくそえんでいたら、電話のベル。
 出てみたら、神野オキナ君だった。
 あれこれとトリトメのないことを話す。そのうち、なんかの拍子に、
「HENTAIって、アメリカでは、エッチなマンガを指す言葉らしいですよ」
「それじゃ、ファミコンをニンテンドーというようなものかな」
 という話になる。
 でも、それって、日本製のロリコン・マンガが、海外でしごくポピュラーになっていることでは…。
 昔、友成純一さんがスペインだか何処かで、「日本のロリコン・アニメ、あれはけしからん。まったくけしからん。帰ったら、いっぱい送ってくれ」と、外人の映画関係者に言われた、と話していたのを思い出した。(違ったっけ? 友成さんじゃなかったかも)
「ファンゴリアとかヘビィ・メタルなんかに、でっかく、18禁アニメの広告が載っていたし、『となりのトトロ』の紹介記事には"エロもスプラッタもなし。日本のアニメとは思えぬ良心的作品"なんて書かれていたし」
「でも、エロでスプラッタしているトトロってどんなでしょうね。ぼくは、そっちが観たいものですねえ」
「いや、それは、ぼくも同感」
「ところで、『チャーリーズ・エンゼル』は、ご覧になりましたか」
「いや。まだ、予告編しか観ていない」
「あれは、バカですよ。派手ハデのアクションのところどころに"ちち"と"ふともも"と"しり" が散らしてある、ただそれだけの映画でして。ぼくの友達なんか『もう一生これだけ観続けても、おれは、いい』と言ってるほどでして」
「ウーム。それは、それで、凄い作品かもしれないなあ」
 神野君と話していると、面白くて、つい時を忘れてしまう。
 いつか、彼を、東京や大阪の作家仲間に紹介したいものだ。声は笹川吉春君そっくりなのに、顔はまったく違う。そういえば、牧野修氏の奥さんの声は、電話を通して聞くと、牧野氏にそっくりなのだ。(まったく関係ない)
 神野君との電話を終えたのち、長男と、レンタル・ビデオ屋に行く。「チャーリーズ・エンゼル」も借りずに、(長女のリクエスト)「ベルサイユのばら」一巻と、(長男のリクエスト)「守って守護月天」第一巻とを借りる。
 ウチに帰って、饅頭とコーヒーでおやつ。
 のち、9時までコンコンと眠る。
 有意義な一日であった。

くすぐったい「黒衣」

 0:17 01/06/16
 今週の「少年チャンピオン」に載っていた「黒衣─KUROKO─」。いやあ、一ヶ月半ほど前、高橋葉介氏から電話で、
「読みましたよ、『黒衣伝説』。いやあ、面白かった。それで、『KUROKO』に朝松さんを出すというアイデアが湧いたのですけど。あの…黒衣の秘密を嗅ぎ出して殺される作家の役で」
 という話は聞いていた。でも、どうせ、2,3コマの出演だろうと思い、
「だったら、派手に、殺してください」
 と答えていたのだ。しかし、まさか、セリフがあって、悪役に「劫火召喚」でやられるとは思わなかった。
 むむむ…。持つべき者は友である。
 ロバート・ブロックの"THE SHAMBLER FROM THE STARS"を初めて読んだ時、ラヴクラフトも、きっとこんな気持ちを味わったのだろう。ああ、恥ずかしい。くすぐったい。でも嬉しい。
 「私闘学園」の似顔絵や、「魔界召喚」の時とは全然違った気持ちである。
 恥ずかしいので、話題を変える。

 本日、やっと、「旋風(レラ=シウ)伝」の書き出しが決まった。
 ここに至るまで、約100枚近く、原稿を書いては潰してきた。
 ひょっとすると、この作品は、「魔術戦士」よりも「ネクロノーム」よりも「マジカル・シティ・ナイト」よりも、思い入れの強い作品なのかもしれない。中断のされ方も、悲劇的だったし。「獅子王」連載中は、「キマイラ」に迫る人気を出しながら、いろんな意味で冷遇された作品であった。しかし、ここでどんな目に遭ったか記したとて、何の前進にもならない。むしろ、10年を過ぎて、なお甦る、この作品のパワーに、感歎するべきだろう。
 「魔術戦士」にしても、この「ノーザン・トレイル(旧題)」にせよ、こんなかたちで完結出来るとは、ぼくは幸せだ。他の作家では稀有な現象だろう。
 これも、ずっと朝松健の作品を待っていてくれる多くのファンのお陰である。だから、待っていてくれたあなたに報告します。書き出しが決まりました。
 これから、全力を尽くします。
 どうか、あと少し待っていてください。ほんの四ヶ月ほど。

キング氏の映画版

 23:19 01/06/14
 昨日に引き続いてスティーヴン・キングの映画版を観た。
 今日は、「マングラー」と「ニードフル・シングズ」。いやあ、この順番で観てよかったあ。と、言うのも、「マングラー」が酷かったからだ。監督は、「悪魔のいけにえ」のトビー・フーパー。このヒト、「スペース・バンパイア」で、(いやなら、よせよお)とフンガイし、「悪魔のいけにえ2」で、(ふーん。ブラック・ユーモアのセンスはあるんだ)と感心した。いわば、試合によって出来不出来、気合の入れ方の違う、昔の天龍みたいな印象だった。
 でまあ、早い話が、「スカ」。
 「エルム街」のフレディことロバート・イングランドを使いながら、これはないよなあ。脚本はスカスカ、構成はガタガタ、編集はメタクタ。たった1晩の出来事なのに、そんな気がしない。(夜ばっかりの映画だな)と、何度も思ってしまった。緊張感がないから、人が死んでも、全然、他人ごと。いくつも惨死体が出てくるけど、もうSFXでスプラッタやる時代じゃないでしょう。結局、絵空ごと。とにかく、時間の無駄。キングのテイストなどまったく感じられなかった。(これ、テキサス大学の映画学科の卒業作品だと言ったって、ぼくは怒るよ。レンタル料、返せ)
 代わって「ニードフル・シングズ」は、傑作。
 キング版の「なにかが道をやってくる」であった。
 主役のマックス・フォン・シドーもさることながら、ワキが、全員、良かった。特に、七面鳥牧場のおっかないオッカサンと、犬好きのおっかない叔母さんが、サイコー。そうだ。バプティスト派の牧師をやってたのは、「ツイン・ピークス」の将軍(役者名、失念)であった。
 あと、大事件のキッカケになる"あること"をする少年も良かった。
 なんたってキングの映画には、子どもが出てこなくてはね。「マングラー」に出てきた女の子(16歳という設定)なんて、洋ポルに良く出てくるタイプだったぜ。
 も一つ感心したのは、「ニードフル・シングズ」の製作会社の名前。『キャッスルロック・エンターティメント』だっていうんだから、洒落てるよねえ。
  
 そこで、以下は、ぼくの夢想です。
 ダゴン・エンターティメント第1回作品。
 『夜の果ての街』
 製作/岡本晃一(『パーフェクト・ブルー』)and ジョン・カーペンター
 監督/ダン・オバノン
 音楽/エンニオ・モリコーネ
 脚本/小中千昭
 美術/末弥純
 
 うーん。昔は、スラスラ出てきたのだが、ハタと止まってしまった。
 ここは、やはり、BBSの常連の皆さんに考えてもらおう…
 などと言いつつ、風呂に入る朝松でありました。
 明日は、ビデオを観ないで、真面目に仕事しよう。
(そうは言っても、SFMの短編のゲラはちゃんとやったのだけどね)

首都高速ホラー

  0:40:01 01/06/14
 今日は妻の運転で、初めて、首都高速を走った。
 妻の前では、平静を装っていたが、内心は、スッゲエ怖かった。タクシーに乗っているのと、免許取り立ての妻の運転(しかも助手席)に乗っているのとは、「恐怖度」が違った。ダンプのデカさ・存在感・排気ガスの量と濃さ・なにもかもが、ドドドッと迫ってきた。田島みるくの、「さっきまで、『やだー、ぶっかっちゃったあー』と笑い声のしていた軽自動車が、ドカンっという音がした次の瞬間には、縦横1メートルの"鉄の箱"になっていた」というマンガ(実話)を、ずっと思い出していた。
 でも、そんな状況のなかなのに、二台前のトラックが、運転手以外に二人のヒトが乗っていて、その真中にいる奴が、アクビでもしているのか、両手を高くあげれば、その手が、妙に白くて細いのが、とても気にかかった。
(あいつ、本当に人間なんだろうな)
 と思った途端、妻の運転より、ずっと怖くなってきた。
 真昼の、何百メートルも渋滞した車の列の中に、一台くらい「人間でないもの」の乗った車があったって、誰も気にしないに違いない。
 こんな考えに陥ったのも、出かける前に、スティーヴン・キング原作のホラー映画「ナイト・フライヤー」を観たせいかもしれない。
「ナイト・フライヤー」は、真っ黒いセスナ機を駆って神出鬼没の吸血鬼と、それを追う三流新聞(東スポみたいなタブロイド新聞)の売れっ子記者の話。全体のトーンは、なんだか「田外竜介もの」に似ていた。特に、主人公に追いつこうとする新米女性記者のシチュエーションは、まるで「天外魔艦」だった。主人公が、ハードボイルドで、しかも「他人の不幸」にたかって生きているという描写があれば、(こいつ、ああなるしかないな)と思ったが、案の定、ラストで(ああなった)。
 テレビ・フィーチャーのような味。肩が凝らなくてよかった。
 これから暫くキングの映画版を観るつもり。
 明日は「マングラー」(クリーニング屋のプレス機が人間を襲う話)
 仕事「旋風伝」も真面目にやります。
 ただ、仕事にのめり込む前段階として、下らないビデオも「下る」ビデオも、山のように観るという癖が、最近ついてしまっているのだ。その前は、古本の大量購入だったし、甘いものを大量に食べることだったこともある。
 とにかく、作家が、作品世界にのめり込む前段階には、普通人が「アホか」ということをしなくてはならないらしいのだ。
 最近、ぼくは、自分が本格的に執筆する前は、どうもヘンだ、ということを自覚した。(自覚するだけ、まだ正気なのだ)

ワード2000の練習

 6/13/01 12:05 AM 
 今日から「旋風(レラ=シウ)伝」──仮題。「ノーザン・トレイル」あらため──の執筆を再開する。
 以下に、増補改訂版に入れたいイメージや、執筆にさいして留意すべきことなどを、思いつくままに書いてみる。
1. ガトリング砲を操る土方歳三。……漢詩を吟じながら、150連発撃ち尽くす。
2. 五稜郭陥落前夜、函館の海面に立つ白い波。……アイヌは白い波が立つと、「ウサギが立った」と呼んで嵐の前兆だといった。
3. 土方の首。……新之介と、長州の若侍との争奪。(仙頭左馬之介の設定変更。このシーンで新之介との因縁生まれる)
4. 若い遊撃隊士を次々に、後ろから倒していく中年の兵士。(気絶した彼らを死体の下に隠していく)
5. 地平線の、一方の果てから、もう一方の果てまで続いている道。北につづく道。ノーザン・トレイル。
6. 新之介の行くところ、蝦夷地は、その大自然の幻想と驚異を現す。精霊の住む大地。
7. しかし、官軍が、足を踏み入れるや否や、幻想は消え、精霊は姿を永遠に消して、ただ過酷な自然だけが残される。
8. 銃器。とくに古銃(クラシック・ガン)へのコダワリ。スペンサー・カービンの美しさ。(幕軍の制式銃のひとつ)リボルバーの機能美。……拳銃はリボルバーで、一度、完成したのではないのだろうか。
9. ガンプレイ。
10. 剣と剣。剣と拳銃。剣と精霊。
11. 狼(ホルケウ)の首。
12. 禍禍しい出来事の象徴として、ウサギが現れる。
13. 銃器を自在に操るアイヌ。従来のアイヌ像の否定。資料を良く読み込むこと。
14. 地の果て。後ろには、北の海。北方諸島に繋がっている。ギリヤークの舟を待たせて。志波新之介と、仙頭左馬之介の決闘。立会い人は、官軍の誰か。(黒田清隆??)
15. 明治2年、この国を捨てる志波新之介。
16. この年、蝦夷地は、あらゆる精霊を永遠に失った。

「ネクロノーム」完結。

 23:04 01/06/10
 実は、ここに、ついさっき長文の「随想」を打ち込んだのだが、すべて消去してしまった。なに、"奴等"の仕業じゃない。くだらないことに腹を立てて押さなくともいいキーを押してしまったせいだ。それで、反省しながら、書き直すことにした。

 ぼくに、この作品を書くきっかけを与えてくれたのは、メディア・ワークスのK田さんだった。あれは1995年の秋のこと。末弥さんの紹介で、彼は連絡してきた。そして、来週会おうと約束して、その数日後にぼくは脳膿瘍で倒れた。
 初めて会った時、ぼくは、頭蓋骨の一部を切除され、ヘッドギアをかぶった状態であった。ヘッドギアの下の頭には穴が空いて、凹んでいた。
「こんな状態なもので、このお話は、無かったことに…」
 と言いかけたぼくに、K田さんは言った。
「よくなられるまで、お待ちします」
 ぼくは驚いた。
「いつになるか、分かりませんよ」
「結構です」
 彼の言葉が心に沁みた。嬉しかった。有難かった。(よし。待ってくれるのなら)と思った。
 それから、K田さんは、担当者と共に、いつもやって来た。
 会うごとに、少しずつ作品のアウトラインは決まったが、ぶれ続けていた。
 自分でも何がかきたいのか、鮮明にイメージしていなかったのだ。
 ロボット物を振ってきたのは、2人目の担当のK橋さんだった。彼は、当時一部の編集者の間で宗教的な人気を得ていた「エヴァンゲリオン」のような物をぼくに書かせたがったのだった。
 しかし、ぼくは、自慢ではないが、「鉄腕アトム」以外のアニメにハマッたひとのない人間であった。「ヤマト」は、軍国主義臭がふんぷんとしていて、嫌いだった。「ガンダム」はストーリーが複雑でついていけなかった。
 そんなぼくが「巨大ロボット」と言われて、イメージしたのは、メカゴジラであり、「ウルトラセブン」のユートムであり、キングジョーだった。また、巨大ではないが、「禁断の惑星」のロビーや、「宇宙家族ロビンソン」のフライデー、さらに「2001年宇宙の旅」のHALが心に浮かんだ。
 少なくとも、「マジンガー」や「鉄人」タイプのロボットではなかったのである。
 「硫酸の海から現れた、溶けかけのメカゴジラ」
 というイメージは、すぐに生まれた。
 これに「クトゥルー神話」のモチーフをいれよう、と考えたのは、偏屈な性格のせいである。
 ぼくは、どんなジャンルでも、楽しみ方はひとつじゃない、と考えている。歌舞伎じゃあるまいし、推理小説には必ず名探偵が出なくてはいけないとか、SFには科学的な能書きがつかなくてはいけないとか、ホラーは論理的説明をしてはいけないとか、そんな固定観念が大嫌いなのだ。同じように、クトゥルー神話のファンがゴチゴチに縛られている固定観念が、前からうるさかった。
(〜でなくてはならない、なんて言う奴が多いから、『クトゥルー物は、ファンが怖くて書けない』と、どの作家も敬遠するんだ)と、腹立たしかった。
 そこで、クトゥルー神話と巨大ロボット物とを合体させてやろう。それで頑固で視野の狭いクトゥルー神話フリークを刺激してやろうと考えたのである。
(もっとも、こちらが無視されましたが)
 逆宇宙のネタを入れたのは、第3部をやろうとしていたのに、ソノラマがやらせてくれなかったので、こっそり、「これが逆宇宙のかたちを変えた第3部だよ」と、朝松ファンにアピールしたかったから。
 それも今日完結したからいいや。
 今後は、逆宇宙のモチーフは、かたちをさらに変えて、伝奇時代劇に出てくるでしょう。南北朝時代に都英の先祖が出てくるかもしれないし、一休宗純と白凰坊が出会うかもしれないし、江戸時代に比良坂や春夫の転生が出てくるかもしれない。ただし、明確にソレというかたちにはなりません。なにしろ、ぼくは、ヘソマガリなのです。
「誰に向かって話していたのかね」
 突然、男の声がした。
 夜中の我が家にどうして。
 心臓が縮み上がった。
 声に振り返る。後ろに、銀縁眼鏡の中年男が立っていた。
 橋口刑事であった。
「あなた、なんで、ヒトの家のダイニングにいるんで…」
 そこで、わたしは、黙り込んだ。ここが我が家のダイニングなどではないことに、やっと、気がついたからだ。
 打ちっぱなしのコンクリートも殺風景な部屋だった。
「ダイニングだって。夢でも見ていたのかな。それとも幻覚が始まったのかい。ここは、目白署の取り調べ室だよ」
 前には机がある。
 机の向こうには橋口の他に、もう一人、20代後半の男が座っていた。
 そうだ。
 わたしは、谷口茂子殺害の件で、意見を述べるため、目白署に出頭していたのだった。
 それなのに、急に、一人でパソコンに向かっているような気分になってきて、ひとりブツブツと呟いていたのであった。
 急激に全身から血が引いていくのを、わたしは、体感した。
「俺は頭がおかしくなっちまったのか」
 そう独りごちた。
(「黒い街」、続く)

不可思議日記

 23:57 01/06/09
「ネクロノーム」は、あと20〜30枚で完成。多分、20枚だろう。
 今日は、妻子がずっと留守だった。ぼくは執筆。昼寝もせずに仕事をしつづけた。
 昼食を買いにセブン・イレブンへ行くと、35,6歳の男が、大声で店長を怒鳴りつけていた。その剣幕が尋常ではない。昨日、大阪で、あんな事件があったばかりなので、客たちも怖そうだった。とても、制止できる余地もなかった。
(こんな時に、『やめなさい』とか言うと、包丁でさされるんだろうな)
 と、真剣に思った。
 午後、小林泰三さんから、「密室・殺人」の文庫版が届いた。新本格の振りをしたクトゥルー神話。「神本格」という単語が浮かぶ。あまりいいネーミングではないな。でも、きっと、あと1年くらいしたら、誰かが言い始めるのだろう。
 ともあれ、お礼の電話をいれた。
 雑談。
 話題は勢い、大阪の刺殺事件におよぶ。
 ぼくは、「あれは、久間がヤクザの組長と撮った記念写真の話題を、世間から逸らすために、公安が仕組んだ」という説を開陳する。もちろん、ぼく自身そんなこと、信じてはいない。いつもの陰謀史観ごっこである。
 陰謀といえば、一ヶ月ほど前、友人から傑作な陰謀ネタを聞いた。
「取次の×○は、すでに流通会社としての機能を失っている。そこで、死なばもろとも、この際、日本の出版流通機構を破壊してやろうと、×○が莫大な出資金をだして作ったのが『ブッ○・×フ』だ。あそこに出ている真新しい新刊や少し前のサラ本は、実は×○が倉庫から横流ししているのだ」
 うーん。なかなか良く出来ている。読書好きの人は、試しに、酒の席で友達に話してみては如何だろう。5人いたら、2人くらいは信じると思う。
 もうひとつ。
「小泉の支持率が94パーセントだなんて、大嘘だ。あれは、前官房長官の依頼を受けて、業界最大手広告代理店が仕掛けたものだ。この世論操作プロジェクトは1992年のバブル崩壊時から仕組まれていたが、96年のホラー・ブームで、とりあえずの完成をみた。方法は極めて原始的で、『いま、××が、女子高校生の間で、大流行している。若い者や主婦の間ではやっている』という売り方をするもの。ただし、それを連呼そるのが、フジテレビではなくて、N.H.K.や、朝日新聞や、週刊文春や、赤旗や、聖教新聞であるところがミソなのだ。さすがに、小泉のチョーチン記事こそ赤旗には載らないが、それ以外のもの。たとえば、「売れ筋」の小説の書評など、赤旗も聖教新聞も産経新聞も、まったく同じ論調・同じボキャブラリーで同じ持ち上げ方をしている。過去、いくつかの小説・コミック・アイドル等で手ごたえを得た代理店は、自民党絶対の危機のいま、牙をむき出して、世論を捻じ曲げにかかっているのだ」
 うーん。これまた、良くできた陰謀論である。いつか、田外竜介の復活がかなったら、このネタでいこう。(そこの人、本気にしちゃダメですよ)

今日の出来事

 0:20 01/06/09
 1. いよいよ「ネクロノームV」の書き直し作業も大詰めに入ってきた。はっきり言って苦しい。この作品は元来3巻立てで完結できるものではないからだ。6巻くらい欲しい。これが本音である。しかし、本音を言えば、誤解される。黙っていよう。
 2. 光文社から異形コレクション「夢魔」が届く。大冊。平山氏の作品は100枚あるとのこと。その他も、どれも力作のようだ。監修・編者の井上氏の苦労は如何ばかりか。作家としての部分を削り、心無い批判に耐えているのだ。消耗するだろう。少なくともぼくには彼のような真似は出来ない。彼のお陰で、苦しい時に経済的に助けられた作家も多い筈。(それとも、そんな作家はぼくだけで、他の皆さんは純粋にモチベーションの発露として異形に参加しているのだろうか)
 いずれにせよ、あんなに自分を削っているのだから、みんなで彼になんらかの恩返しをすべきではなかろうか。とても「SF大賞特別賞」なんていう、アリバイ的褒章で済ませるべきではなかろう。まあ、こんなこと言うから、偏屈モノ呼ばわりされるのかもしれない。黙っていよう。
 3. 昼食を摂ったら、ひどく眠たくなってきた。主治医によれば、ぼくの眠気は「脳が休息を求めている証、休まないと、すぐに発作が起きます」とのこと。で、眠ることにした。変な夢を見ていた。リアルな夢だったのだけは覚えているが、目が覚めたら、忘れていた。もう、長いこと、ないかもしれない。
 なんて言うと、喜ぶ奴もいるから、黙っていよう。
 4. 散歩に行く。途中で、ベルトを2本買う。山田風太郎の文庫と、岩波新書の「四谷怪談」をブック・オフで買う。ドトールでコーヒーを買う。帰ってから、仕事。「ネクロノームV」の書き直し。ああ、進まない。苦しむ。眠くなる。眠って、起きたら、午後9時近かった。夕食。テレビ。「天国に一番近い男」は面白い。脚本がいい。キャラが立ってる。ことにワキがいい。
 なんて言ってるうちに「ニュース・ステーション」を見ていた。入浴。パソコンに向かう。そろそろ、仕事をパソコンですることを本気で考えるときに来ているようだ。手書きはなかなか精神集中できない。
 明日こそ、原稿を完成させよう。
 なんて言うと、今日も、仕事を、しなかったと誤解する人がいるので、黙っていよう。

「黒衣」記念の夜は更けて…

 0:05 01/06/07
 最初からおかしな気配はかんじられたのだ。
 池袋の、約束のちゃんこ屋に行く途中で、向こうから、信号を渡ってやって来る見たような人に気がついた。
 ごつい顔立ちにメガネ、繊細そうな目つき。
(あっ、田中啓文さんだ)
 ところが、田中さんは、ぼくが見つめているのに、まるきり無視してすたすたといってしまった。その行く先には、西口で一番大きな古本屋「八勝堂」がある。
(ははあ、約束の時間よりちょっと早いので、八勝堂に行ったのだな)
 ぼくは納得した。
 ところが─。ちゃんこ屋に行ってみれば、田中さんは、牧野さんと並んで待ってたではないか。いきなりドッペルゲンガーとは…。
(これはえらい宴になりそうだ)
 飯野文彦さんと、伏見健二さんは、すでに挨拶を交わしたあとだった。
 これに早川書房のあべさんを加え、
「井上さんは、すぐに来るでしょう」
 ということで始まった。が、仲居さんがやって来て、
「お飲み物は」
「じゃあ、わたしは生(ビール)」
 と、あべさんが言うなり、
「ぼくはコワいからゴムをつけて」
 と飯野さん。
 彼は、ロフト・プラスワンのイベントにおける×××な言動で、よく誤解されるのだが、実はとてもシャイな、詩人肌の人物なのである。ただ、そんな自分を吹っ切ろうとする余り、アンナコトを言ったり、コンナコトをしたりしてしまうのだ。心理的に言うと、パンクが鶏の首をきったり、客席に内臓をぶちまけたりするのと、変わりないのである。
 そのことを良く理解している心優しい我々は、「×××」とか「○○○」などと親にも聞かせられないletter wordsを喚いてあげたのだった。
 やがて、風呂上り(本当に風呂上りだった)の井上さんも現れ、我々は、地鶏の串焼き・刺身の盛り合わせ・岩牡蠣・おしんこ・あべさんの「飯野のばーか」という愛情溢れる雄たけび等をサカナに、歓談したのだった。
 席上、伏見さんが持ってきた「完本」に、集まったみんなで寄せ書き。
 だが、出来上がったモノを見てみれば、寄せ書きというよりも、九州大学付属病院正木研究室の、患者作品みたいな代物になっていた。
 田中「なんか電波な寄せ書きになってしまいましたな」
 井上「牧野さん、せめて字を書いてください。なんですか、このヒエログリフは」
 牧野「え? 字にみえませんか。井上さん、疲れてるのとちがいます」
 飯野「ぼくには読めますよ。ほら、この字が、オ、この字がマ、……」
 朝松「それ以上、言うなよ。言ったら、あべさんの鉄拳が飛ぶぞ。なにしろ、あべさんは空手三段なんだからな」
 あべ「押忍。自分は、二段でありますっ」
 飯野「いだだっっ。なんか、スッゲエ痛いんですけど」
 朝松「ああっ、井上さんが、竹串をあんたの頭に刺していたぞ」
 飯野「なんだ、竹串か。空手二段のパンチでなくて良かった……って。よくねいっ。頭に突き立っているじゃごぜえませんかっ」
 井上「ふふふ…。ピンヘッドみたいで良く似合いますよ」
 飯野「いやあ、そんなに似合うなら、今度、この格好で表参道を歩いちゃおうかな…。なんて言ってる間に血だ血だ血だ」
 伏見「あのう、今日はなんの集まりだったのですか」
 と、ここで、怖いハナシ。
 実は、「完本・黒衣伝説」に使った那須蔵人の写真は、ぼくの友達のものなのだが、その友達が、本当に行方不明になってしまった。しかも、それが、「完本・黒衣伝説」の発売前後だったらしい。彼が経営していた会社の電話は回線が切られ、彼の自宅の電話も現在使用されていないというのだ。もともと躁鬱気質の気のある人だっただけに心配である。
 もう一つ。「完本」発売の2、3週間前に、突然、何年間も音信不通だった魔術師、草薙了から、連絡が入った。これはウチのサイトの掲示板を見てた人ならみんな知ってるだろう。一部で、ぼくと草薙(=亀井勝行)のヤラセだという説も流れていたが、ヤラセかどうかは、サイトのBBSの過去ログをみてほしい。ぼくが、気味悪さにいらついているのが、文章からも、分かる筈である。
 田中「確かに、あの時、朝松さんは本当に怒ってましたな」
 井上「ぼくは、喫茶店に入ると、周りが悪意に満ちてくるというところが怖かったですね」
 朝松「あれは、本当にあったことです」
 飯野「ぼくも時々聞こえてきますよ。8時からラストまで2000円ポッキリとか…」
 牧野「そういうのは幻聴でも、悪意の囁きでもないかもしれんよ」
 田中「ただの”呼び込み”やんか」
 飯野「あと、君は見所があるから、雑誌連載をあげようとか」
 朝松「うんうん。君の作品は面白いから、初版を10万部にしてやろうとか」
 井上「三つだけ願いを叶えてやろうとか」
 牧野「とりあえず、帰りの新幹線のチケット代を払ってあげようとか」
 田中「みんな、勝手な願望、言うとるだけや」
 あべ「うーーーい。××××」
 朝松「わあっ。『奴等』の声が」
 田中「だから、あべさんが酔うてきただけですって」
 牧野「うん。独りでに口が喋りだすいうこともあるし。本当に怖いねえ」
 飯野「ああっ。知らない間に焼酎のボトルが3本も。やあ、伏見さんってお酒に強いれすれえ」
 伏見「人のせいにしながら、こっそりぼくのグラスに酒を注がないでください」
 あべ「飯野、おまへの頭は、針山か」
 飯野「なんのことれす…。わあっ、こんなに竹串が」
 井上「アブストラクト・アートです」
 朝松「そろそろ、二次会に行きましょう。板前さんは塩の山を用意してるし、仲居さんたちはタールと鳥の羽根を準備し始めていますよ」
 という訳で、我々は、ワニのしゃぶしゃぶを食べに、二次会へと向かったのだった。
 飯野「朝松さん、この覚え書きじゃ、まるきりボクは翔星東二郎じゃないですか。いいかげんにして下さいよ」
 田中「まるきり? まるきりって、君、自分で違う、思うていたの」

 みんなが去った後には、ただ、野麦の穂が、いつまでもたなびいているばかりだった。
(↑関西地方の人は、ツッコミを入れてください)
 どうも、「黒衣」は、不思議を呼ぶらしい。

サスペンスの楽しみ

 23:26 01/06/03
 このところ、ビデオで借りてきたサスペンス物に「当たり」が多い。
「氷の微笑」と「ゲーム」は、両方、主演がマイケル・ダグラスで、テーマも虚実入り乱れるもので、どっちがどっちか紛らわしかったが、次に借りてきた「ボーン・コレクター」は面白かった。連続殺人犯に挑むのが、首から下が麻痺してる科学捜査官デンゼル・ワシントン、という設定はなんだか「羊たちの沈黙」を思い出すが、「コピー・キャット」のような「羊」まんまの描写も無くて、良かった。
 それから、拾いものは、「ナイト・ウォッチ」。スウェーデンの監督がハリウッドで撮った作品だそうだが、ヒッチコックとデ・パルマの本歌取りという感じ。前半は犯人探しの本格推理、後半は犯人から主人公がどう逃れるかのサスペンス。いや、このサービス精神は見習いたい。なにより真犯人がちゃんとはじめから出ているのがいい。これについてはペインキラー氏のご感想が聞きたい。
 あと、得をしたと思ったのは「TATARI」。タイトルを見ると、シャーリー・ジャクスンの原作「山荘奇談」をロバート・ワイズが撮った「たたり」のようだが、全然違う。原題は゛THE HOUSE ON THE HAUNTED HILL゛で、こいつは、昔昔にウィリアム・キャッスルが、ヴィンセント・プライス主演で作った同題作品のリメイクらしい。
 ストーリーが嬉しい。昔、頭のおかしい外科医が人体実験を繰り返し、患者の暴動で火事になった病院。今も死霊が祟りをなすというここで、大富豪の奥さんの誕生祝いが開かれた。ところが奥さんの招待客を消去して、旦那(ヴィンセント・キングだったか、スティーブン・プライスだったか、とにかく遊園地のホラー・アトラクションのコーディネイター)が勝手に招待客を集めてしまう。その数は5人。朝までこの館に滞在して「生きていたら」100万ドル。5人は夫妻と、館の管理人と共に一夜をすごすことになる。が、どうも5人の様子がおかしい。皆、それぞれに腹に一物秘めているようだ。…というのが設定。こののち、死んだとおもえば生き返り、トリックと思えば本当の祟り、狂気かと思えば正気、というブラック・ユーモア世界が繰り広げられる。
 お薦めします。わたしはビデオ会社から、サンプル版も袖の下も貰ってないから、ご安心を。
 もう一つのお薦めは本。
 平山夢明氏の「異常快楽殺人」。角川ホラー文庫の一冊。センセーショナルにしようと思えばいくらでもそうなるし、逆に文学的にしようとすれば、これまたナンボでもそうなる題材を、淡々と抑制の利いた文体で書き連ねる平山氏の実力に脱帽。
 これからのホラー小説は、平山夢明を抜きには語れまい。
「東京伝説」や「怖い本@A」と合わせて本書を読めば、彼が、想像力溢れる、間口の広い作家であることが理解できるはずだ。

執筆に疲れた日

 23:43 01/05/31
 今日、ようやく、S-Fマガジン用の短編が完成した。
 全部で85枚。5月14日頃に、「ノーザン・トレイル」を中断させて書き出した。得意の室町モノの変形だから、すぐ出来ると思ったのが敗因であった。
 なにしろ誰でも知ってる歴史上の人物ばかりがキャラクターなので、かえってやりづらい。加えて、SF専門誌に伝奇時代劇を発表するということで、緊張してしまった。
 午後6時完成。早川書房に電話をかけた。
「できました」
「では、7時頃に要町にまいります。駅の改札についたら携帯で連絡をいれます」
「よろしく」
 ぼくは塩谷編集長からの電話をまっているあいだ、パソコンと将棋をはじめた。今日のパソコンはえらく強かった。いや。これは、ぼくが疲れているからなのだろう。3回勝負して全敗だった。
「やめようかな」
 と独りごちた時、電話がなった。塩谷さんだ、そう思って、ぼくは受話器を取った。
「朝松さんですね」
 低い男の声が届けられた。誰だろう。聞き覚えはあるのだが、思い出せない。ただ、塩谷さんの声でないことは明らかだった。
「どなたですか」
 ぼくは聞いた。
「目白署の橋口です。じつは、このあいだ伺ったことのウラを取らせて頂いたのですが」
 あの、いけすかない刑事ではないか。ぼくは胃のあたりに痛みを覚えた。
「人からの連絡を待っているんです。手短かにしてください」
「では…。あなたが通っているというパソコン教室ですが。ええと、金曜日でしたっけ」
「毎週木曜です」
「ああ、木曜。で、何時からでしたっけ」
「午後7時です」
「あれ。今日ですね。おまけに、いまは7時2分。どうしたんですか。行かなくていいのですか」
「今日は休みなんです」
「あっ、そうでしたか。なら、同じ教室の仲間…なんていいましたっけ…ほら、レンタル・ビデオ店につとめているという…」
「堀内」
「そうだ、堀内さんだ。その彼もお休みなんですか」
「そうでしょうね。教室が休みなんだから」
「ふうん。それはどうですかね」
「なにが言いたいんです」
「いやね」
 と、そこで、別の外線が入ったことを教えるアラームが受話器で鳴った。
「失礼。ちょっと、別の電話に」
 ぼくは電話を切り替えた。
「はい」
「もしもし、塩谷ですが。いま、要町につきました」
「わかりました。すぐに原稿を持っていきます」
 ぼくは電話を切り替えた。刑事に言った。
「すみません。これから、駅にいかなくてはならないので。失礼します」
「ああ、そうですか。じゃあ、これだけ、言わせて下さい」
「なんですか」
 ぼくは、ウンザリして、尋ねた。
「あのね。あなたの通ってるパソコン教室には、堀内なんて男性の生徒はいなかったんですよ」
「なんですって」
「だからね。はっきり教えてもらいたいんですわ。どうして、あなた、谷口茂子の殺害状況を、あんなにはっきり、知っていたんですかね」
 ぼくは絶句した。
 絶句したまま、電話を切った。
 橋口刑事からの電話が、執筆に疲れたぼくの妄想のような気がしたからである。
 そんなぼくを見て、長男が言った。
「どうしたの。電話をそんなに強く切って。喧嘩でもしたの」
 どうやら、一部は妄想でなさそうであった。

「不可思議日記」

 0:03 01/05/28
 ビデオを借りた。
「ザ・グリード」と「エンド・オブ・デイズ」の2本。
「グリード」というと思い出す。大学3年の時、友達の平沢と、関西から来た友達。そして彼の友人の、計4人で、紀田順一郎先生のお宅に伺った時のことを。
 紀田先生は僕たちを16ミリ映画でもてなしてくださった。
 当時はビデオは民間には普及していなかったのだ。
「どれが見たい」と、紀田先生。先生の書斎には16ミリのフィルムがどっさりならべられていた。
(あっ゛…あれは)
 僕はフィルムの中にえっちなものがあるのを見逃さなかった。
(あれ。あれ。あれを見せてください)
 僕がそう言うより早く、関西学院の二人は言った。
「シュトロハイムの『グリード』をお持ちと、雑誌で書いていらっしゃいましたね」
「ああ、『グリード』ね。ううん、あれは凄いんだ。なにしろセ氏56度の砂漠でロケを敢行した無声時代の大作で。これと『イントレランス』のせいでシュトロハイムは映画製作から追放されたと言われている」
(そんなのより、そこにあるフレッシュとかトレジャーとかいうヤツを。先生、一生ついて行きますから見せてください)
 だが、我々(僕と平沢)の心の叫びも空しく、
「よし。では、『グリード』を」
 と、先生は上映し始めた。
 無声映画。テーマは、貧困と社会悪と、男女の妄執。クソ・リアリズム。日本語字幕なし。英語字幕のみ。全3時間近く。
 これは、拷問だった。
 それでも、僕と平沢は、耐えた。
 睡魔と戦い続けた。
 眠ったりしては紀田先生に失礼だと思ったからである。
 ところが…。
「ぐーっ。ぐーっ。ぐーっ」
 と、気持ちよさそうなイビキの二重奏が前方から響いてくるではないか。
 なんと。
 関西の知性と教養を代表して『グリード』をリクエストしくさった二人は睡眠の天国に旅立っていたのである。
 アタマにキタネ。
 見終わった後も、僕はずっとムッとし続けていた。
(俺の人生の3時間を、リアリズム映画で…)
 それから何日かして、関西学院大学エスエフ研の友達から手紙が来た。
「一緒に行った××が、お前のこと、たいしたことないな、と言っていたぜ」
 僕は、ブチ切れた。そして、以後、「エセ・インテリ」には近づくまい、と思った。
…で、ビデオのハナシにいきなり戻る。
「ザ・グリード」は構成とシナリオが、ガタガタの凡作であった。
 口直しに、シュワルツネッガーの「エンド・オブ・デイズ」を見た。
 ぼくは、息子と、絶句した。
 なんてこった。「ザ・グリード」が傑作に思え、シュトロハイムの「グリード」を見た思い出が輝かしい青春の1ページのような気がした。関西学院大学SF研のAとSが良いやつのように感じられた。
「おれ、シュワちゃんの映画にもくっだらねえのがあることがわかったよ」
 この息子の言葉がすべてを言い表していた。
 チッキショー。
 こんなことなら日曜でも仕事するんだった。
 さもなきゃ「黒い街」の続きでも書いているのだった。
 「エンド・オブ・デイズ」は、駄作であったのだ。
 ホントよ。 

今日のことなど

 23:33 01/05/23
 この頃、自分でも眠り病なんじゃないか、と心配になるほど、良く寝ている。これは前にもこの欄で書いたことである。いや。けっして早起きしているというわけではない。
 朝は7時25分頃、テレビ東京の「おはスタ」がやっている時刻に、起床する。そして着替え。家族が揃って朝食の食卓を囲むのが、7時45分頃。テレビのチャンネルはフジに変わっている。「目覚ましテレビ」を見ながら朝食。みんなが食べ終わるのは、各自ばらばらだ。わたしは7時52分前後。『今日のわんこ』か、『今日の占い カウント・ダウン・ハイパー』が流れている頃に歯を磨いている。それが終われば………
          
「それが終わったら?」
 橋口と名乗った刑事は、首を傾げた。電話のあったその日であった。彼は午後2時きっかりにやって来た。勧めても、けっして敷居を跨ごうとしなかった。そして、玄関先で、ドアを開けたままで、質問を浴びせてきた。
「なんにもありませんよ。パソコンを立ち上げるんです」
「それだけ?」
「他に何をするってんですか」
 わたしは吹き出した。
 だが、橋口はにこりともしない。銀縁眼鏡のレンズの底から、わたしをじっと見つめていた。
 無表情な眼だった。
 それでいて、鋭い眼であった。
 こちらの何気ない表情や、仕草の変化をけっして見過ごさない眼だ。
 わたしが微笑を拭うのを待って、彼は、言った。
「儀式とか」
 わたしは、一瞬、脳が縮むのを体感した。
 頭の中で、〔儀式〕の二文字が、ゴシック体で印字された。それにはご丁寧にも丸くて大きな傍点までついていた。
「なんの儀式です。ぼくが何を──」
 橋口は、わたしが言い終わらぬうちに、畳み掛けてきた。
「ロウソクをつけ、お香を焚いて、雅楽を流す。毎朝、やってらっしゃるそうですね。お隣さんから伺いました」
「神棚に手を合わせているんですよ。ぼくの家は神道だから。死んだ父や先祖を祭った神棚に…」
「本当に、神道の神棚なんですか」
「それはどういう意味だ」
「いえ。あなたは、日本に儀式魔術を紹介した仕掛け人だったって、なんかの本に書いてらしたでしょう。だから─」
「魔術儀式を毎朝やっている、そう言うのですか」
「いえ。そんなことは少しも…」
 それから、橋口は、ちょっとだけ眉をひそめた。
「…やってらっしゃるんですか」
「あなたは」 
 と言ったわたしの声は、自然に大きくなっていた。
「ぼくに何を尋ねにきたんです」
「あ、気に障ったら、すみません。これも仕事のうちでしてね。実は、このあいだ、5月6日、椎名町の不動神社で、若い女性が死体で見つかりましてね」
「それは知ってます」
「何処で聞かれました」
「テレビかな。新聞だったかな。ラジオかも知れません。女房の運転するクルマのラジオで」
「ええ…。とにかく、その死体の様子が、ちょっと、こう、尋常でなかったもので」
「その死体の様子が、ぼくがホームページで発表してる小説とそっくりだっていうんでしょう。でもね。それは偶然の一致。ぼくは殺人とは無関係ですよ。なんたって、ほら、この左手と左足を見てください。ね、満足に動かないでしょ。病気の後遺症なんですよ。この頭蓋骨だって一部は人工のものを移植しているし。とてもじゃないけど、真夜中に、若い女性の体をバラバラになんか…。まして手や足を胴体から引っこ抜くなんて。…いや。それ以前に、どうやって、自転車に乗っていた彼女を引きずりおろせた──」
「トモマツさん」
 橋口は、また、話している途中で割り込んできた。しかも、わたしの名前をまた間違えている。わたしはムッとした。
「朝松です」
「失礼、朝松さん。ちょっと、伺いたいのですが、どうして、あなた、被害者がバラバラとか、手足が引き抜かれてたとか、知ってるんです。テレビやラジオじゃそこまで報じてませんよ。まして、自転車に乗っていたなんて、そんになこと、スポーツ新聞にだって、書かれてなかったことですが」
「そ、それは」
「それは?」
 わたしは、言葉を、ゆっくりと搾り出した。
「それは、ぼくが、ホームページの小説に書いたことだから。それに」
「それに、何ですか」
「それに……。そうだ。パソコン教室で、堀内くんから聞いたんだ」
「堀内…ね。堀内、なに、というお名前ですか」
「いや。そこまでは。なにしろ、週一回のパソコン教室で、一緒になるだけだから」
「教室は、次は、いつですか」
「5月24日…」
「じゃ、その頃、また、お話を伺いにあがります。どうか、堀内くんの名前を聞いておいてください。できれば、電話とか、勤め先なんかも。…それから。これは強制じゃありませんが。朝松さんは、しばらく旅行などにはでられないほうがいいと思いますよ」
 そして、橋口は、会って初めて、わたしに笑いかけた。
 
 彼が帰った後で、わたしは自問した。
(俺は殺人犯と疑われているのだろうか)
 そして、誓った。
(今日のことを『黒い街』の続きに書き込んでおこう)
(続く)

「黒い街」

 23:47 01/05/21
 皮が食い破られる痛み。牙が肉に達する痛み。手や足を、数え切れないほど沢山の毛むくじゃらの小さな手に引っ張られる痛み。神経が剥き出しにされていくような痛み。そんな痛みを、谷口茂子は、同時に感じていた。

§

 5月20日(月) 今日は、午前11時から、光文社の川辺さんと打ち合わせ。内容は8月あたりから書き始める伝奇ノベルの件。話が終わってから、川辺さんが奇妙なことを聞いてきた。
「最近、電話の具合がおかしいとかってこと、ありませんか」
「おもいだせないな。どうして、そんなこと」
「いえ。ウチの社の電話のノイズが酷いんですよ。向かいの講談社は全然平気なんですけど」
「……。分かった。川辺さん、早川からぼくが出した『完本・黒衣伝説』を読んだんでしょう。それで、そんなことを言って、脅かそうと思って」
「なんです、それ。電話が出てくるんですか」
 川辺さんはマジで知らない様子だった。
 なんとなく気まずい雰囲気のまま、帰宅すると、誰もいなかった。
 昨日は小学校の運動会だった。それで、小6の長男は、代休のはずだったのである。まあ、長男は野球にでも行ったとして、妻までいないとは、奇妙であった。なぜなら、妻は、外出する時は、たとえハガキを買いに行くときでも、「今日はハガキを買いに行くからね」と断るのが普通だからである。
「なんだろうな」
 と、わたしは鞄を仕事部屋においた。
 その時である。
 仕事部屋の電話がけたたましくベルをならしたのだ。
(あれ、変だな)
 とは感じた。しかし、ベルが鳴りつづける電話には出なくてはならない。
 それが会社勤めをしたことのある作家の習性であった。
「はい」
『もしもし、トモマツさんですか』
 すごいノイズの向こうから、男の声がした。慇懃だが、どこか、こちらを見下しているような、あるいは小馬鹿にしているような口調だった。
「いいえ、朝松です」
『そうだった。朝松さんだった』
 と、男は言った。
『ホラー作家の朝松健さんですね』
「はい」
『目白署の者ですが、あなたのホームページが、ちょっとおかしいと、連絡を受けたものでして。それで、まあ、良かったら少しだけ話を聞かせていただけないかと思いましてね』
「おかしい。どこがおかしいんです。ぼくはサイト上で他人を誹謗中傷したことはないし、著作権法にも…」
『あ、いや。そんなんじゃないんですけど』
 そこで、男はちょっと声を潜めた。
『あなたのホーム・ページで連載してる小説ね。ほら、ええと、「黒い街」って言うの』
「ああ、はいはい」
『あれは、あなたの考えたハナシなんですか。それとも、誰かから聞いたとか、取材したとか…』
「ぼくのフィクションにきまってるでしょう」
『ふうん。そうでしたか』
 そこで男は黙り込んだ。
 沈黙。
 ほんの何秒かに過ぎない沈黙だったのに、なぜか、わたしには30分くらいにも感じられた。
 やがて、男は、言った。
『朝松さん。これから、お宅に伺っても宜しいでしょうかね』
「いいですが。…何の御用ですか」
 男は、急に、口調を改めた。
『わたくし、目白署の捜査一課の橋口ともうしますが。朝松健さん。あなたを谷口茂子さん殺害の重要参考人として、任意で、お話を伺いたく──』
 男の言葉の最後のほうは、ノイズがひどくなって聞き取れなくなり、そうしているうちに、電話は、ぷっつりと切れてしまった。
 わたしは受話器を置いた。
 眩暈がしてきた。片手が震えてきた。
 だが、それは、痙攣発作の前兆ではなかった。
 自分はたったいままで属していた世界から、ずり落ちそうになっている。
 そんな実感に襲われたせいだった。
(以下、続く)

「毛の生えた小さな獣」(黒い街 第4回)

 0:02 01/05/19
 谷口茂子が立ち止まったのは、好奇心のせいではなかった。
 恐怖である。
 バイト仲間で、覗き趣味のある男に対する恐怖。
 そうだ。
 彼女は、視線を発しているのが、あの男──堀内だとばかり思っていたのである。堀内とは職場を同じくして3ヵ月にもなる。いいかげん、どんな人間かは知っているつもりだった。
(ビデオ・カメラでロッカールームを覗くような変態野郎とは知らなかったけど…)
 彼女の心の底から意地の悪い声が湧いてきた。
 茂子は、ほんの少しだけ、かぶりを振った。それから、自転車を止め、片足を地面につけた。
(でも、わたしは知ってるわ。あいつがケチな覗き以上のことなど出来っこないと)
 茂子は小学校の時から、「気の強い子」と呼ばれてきたのであった。
 視線の感じるほうに向かって、まさしく「気の強い」調子で呼びかけた。
「なによ」
 視線は、続いていた。
「こそこそ隠れていないで、出てきなさいよ」
 神社の鳥居のすぐ裏にある繁みからだった。
「そこにいるのは、分かってるんだから」
 繁みの潅木が、がさごそと枝を擦り合わせる音がした。
 音は、びっくりするほど大きく響いた。
「出てきなさいよ」
 彼女は音に負けない声でいった。その声が、人影のないだだっ広い境内に反響した。
(自分の声じゃないみたい)
 と、彼女は思った。
 繁みをじっと見つめつづけた。
 なんの異変もなかった。
「なによ。気のせい──」
 異変は彼女の足元に移っていた。銀色の眼が光った。白い牙が剥き出しになった。灰色の毛羽立った体毛が逆立った。小さな手が、何本も、サンダルを突っかけた素足に伸びた。
 痛み。踵から、走る痛み。
 視界のずっと下のほうから何かが顔に飛んできた。
 痛み。
 悲鳴をあげる暇もなかった。
(以下、続く)

45歳の手習い─パソコン教室編

 0:16 01/05/18 
 5月10日から、近所のパソコン教室に通い始めた。
 妻は、「わたしが自動車免許を取ったものだから、張り合っているんでしょう」などと言っているが、実は違う。原因はもっと深遠なところにあるのである。
 ある日、突然、「このままでは時代に取り残される」と、強烈に体感したのだ。そして、原稿を書くだけではなく、世間のヤング・サラリーマン程度にはパソコンを使いこなせるようになりたい。と、そう思ったのである。
 こんな気持ちに襲われたのは、何年ぶりだろう。
 自転車に乗らなくては、という思いに取り付かれた13歳の時以来ではないだろうか。
 
 今日は、第2回目。
 ようやく同じクラスで学ぶ4人の仲間と顔が一致してきた。
 わたしの隣は、鈴木さん。37,8のサラリーマンだ。なんでもパソコンを懸賞で当てたので、本格的に学ぼうと思ったそうだ。
 後ろの席は村上さん。51,2の女性で、中野から通っているそうだ。パソコンを習い始めたのは、仕事のためとのこと。なんの仕事かは、生憎と聞き逃した。一番前は、長谷川さん。60前後の初老の婦人で、こちらは、娘さんとメールを交わせるようになりたいから、この教室にきたのだという。
 最後の一人は…。
 前回、名を聞いていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。
 彼は言った。
 「堀内といいます。要町のビデオ5で働いてます。パソコンを習おうと思ったのは、就職に有利なのと、あと、バイトでお客さんの整理とか、ビデオの管理とかに便利だからです」
 堀内青年は、そこで、うるさそうに前髪を払い、黒縁眼鏡をずりあげた。
 「ビデオ5って、こないだ、そこで働いてたお姉さんが、椎名町の不動神社の境内で殺されていた事件があったけど。その店じゃないの」
 長谷川さんが堀内に尋ねた。
 「ああ、谷口茂子ですね。いましたよ」と、堀内。
 そこでうなずいた彼の足元あたりから──
 キイッ キイッ キイッ
 と、なんだか歯車の軋むような音が聞こえたのは、その場では、わたし一人だけだったようだ。
 「でも、アレは、野犬の仕業じゃなかったの。わたし、そう聞いたけど」
 村上さんは頬に手をやった。
 「いやあ。野犬は、あそこまでやらないでしょう。手足を胴体から引き抜くなんて。やっぱり変質者ですよ」
 と、鈴木さんが腕を組んだ。
 その時である。
 わたしの脳裏に映像が浮かんできた。
 夜道を自転車で急ぐ若い女の映像だった。
 神社の前だ。
 境内から銀色の視線がはなたれていた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ…。
 小さな瞳だった。
 数え切れないほどある。
 
 (以下、続く)

「だごん日記」(『黒い街』は近日再開)

 22:24 01/05/16
 この頃、とても眠い。眠っても眠っても眠い。お陰で昼間の大半は眠っている。夜も食事と調べ物の時以外は眠っている。脳みそが疲れている、と医者はいうのだが、たいして脳を使っている自覚がない。なんだか、このまま自分はボケ老人になっていくのではないか。と、漠然とした恐怖を感じる。
 そこで、たまにはちゃんとした刺激を脳に与えようと、夜の池袋に出かけた。待ち合わせの相手は、マンガ家の高橋葉介氏。同じくマンガ家の外薗昌也氏。そして編集者M島氏。
「完本・黒衣伝説」を高橋氏と外薗氏に差し上げるためであった。
 例によって「蔵乃助」へ。
 あれこれ、オカルト話・映画の話・仕事の話で盛り上がる。
 外薗氏は、ぼくと同じ悪夢に幼少時から魘されていたことを告白した。
 その悪夢とは、「生物学的天体」である。
 すなわち、夜空の星が、突然、てんで勝手に動き始めるというもの。
 これには凄まじい恐怖が伴われるのだ。
「ラヴクラフトのいうコスミック・ホラーってまさにあれですよね」と外薗氏は言った。彼も「アーカムの住人」であったか、と納得した。それにしてもほとんど同種の悪夢に、北海道のぼくと、九州の外薗氏とが取り付かれていたとは。これだけで短編ホラーの導入部のような話である。
「夢幻紳士」の作家と、「犬神」の作家は、初対面にも拘わらずいつまでもホラーをサカナにビールのジョッキを傾けていた。
 
 翌日。
 やっぱり眠い。ずーっと眠っていた。
 夜、高橋氏から電話。「昨日は楽しかったですね」とひとしきり笑ったのち、「朝松さんの『完本・黒衣伝説』、ウチに帰ってイッキ読みしちゃいましたよ。で、今度の「黒衣(KUROKO)』に朝松さんをモデルにした作家を出していいですか。クロコの秘密を嗅ぎまわり、殺されてしまうんです」
 ぼくは一もにも無く「おもしろいですね」と、承諾した。ただし、ぼくもプロ作家、単純に喜んでばかりはいない。なんとか、世間に目立たなくては、と考えた。
「ひとつだけ、条件があります」
「はい。なんですか」
「その作家をできるだけ残酷な方法で殺してください」
「分かりました」
 と、言う訳で、これからしばらく「少年チャンピオン」に目が離せなくなってきた。
 しかし、眠い。
 明日は「パソコン教室」の第二回目だ。講義に出て脳みそをコネコネされたら、きっと眠気も去り、原稿もスピーディーに進むに違いない。

 そんな訳で、明日は「黒い街」か「45歳の手習い日記」を、書くことにしよう。
 話は違うが、外薗氏から「ワイズマン」を貰った。凄かった。この作品を今まで知らなかったおのれの不明を恥じるものである。まったく、世の中には凄い作品がまだまだあるのだなあ。うっかり出来んな。頑張ろう。 

「完本・黒衣伝説」(『黒い街』は休み)

 23:14 01/05/10
 明日─と、言ってもあと少しで「今日」になってしまうのだが。明日、5月11日はいよいよ「完本・黒衣伝説」の発売である。
 前からハナシはあったが、この本が早川書房から出されるとは…。いまだに信じられない。しかし、見本を一冊あげようと、登場人物の一人でもある秋山眞人氏のところに行ったら、「ああ。キールの『UFO超地球人説』とか、フランク・エドワーズの本を出してた会社ですからね」と、あっさり納得されてしまった。
 これはこれで、ちょっと拍子抜けであった。
「黒衣伝説」とは何か。
 ご存知でない方のために説明すると、これは、オカルトとホラーをテーマにした小説である。オカルト・ホラーではない。オカルトの持つ毒と狂気をテーマにした小説だ。小賢しい表現をつかえば「メタ・フィクション」ということになるかもしれない。しかし、「黒衣伝説」の前では、そんな表現なぞ、使っているほうがアホに見える。ちょうど、連続殺人狂のまえで、「君はとてもラジカルだ。ブルジョワ主義的平和主義を否定している」と称えるようなものである。…そんなこと言ってるうちに、小理屈こねてた野郎は、チェーンソウでバラバラにされるのだ。
 この作品は、わたしの創造したフランケン・モンスターである、と牧野修は言った。
 いかにも、創造主は、わたしだ。
 しかし、わたしは、この怪物を殺そうとは思わない。
 むしろ彼を送り出してやりたいと考えている者である。
 いずこへ?
 決まっている。
 狂気と恐怖の何たるかも知らず、これを弄ぶバカどものもとへだ。
 
 行け。《奴ら》のもとへ。
 狂気で世界をのみこんでしまえ。

黒い街(その2)

 22:57 01/05/05
 ほんの3ヶ月前までは、何の変哲もない街だった。
 どこにでもある街。東京の、都心にほど近い街だ。
 なにも犯罪がまったく無かった訳じゃない。
 それは、わたしも知っている。
 たとえば、空き巣狙い。たとえば、原付バイクに乗った少年の引ったくり。たとえば、高校生による小学生へのタカリ。たまには、自転車や物置への放火などという大事件もあったが、基本的には、酔っ払いの喧嘩程度の犯罪しかなかった。
 それが、この街の誇りだった。日本中のどの街と同じく「安心して住めるぼくらの町」だったのだ。
 副都心池袋にほど近いのに、あの狂乱のバブル時代を経てもたたずまいをかえなかった街。頑固な年寄りのような街。下駄屋や鼈甲細工屋や畳屋のある街。夜中でも女が1人で歩ける街だ。
 しかし、街はほんの1週間で変わってしまった。
 1日のうちに強盗が2、3件もおこり、子どもがびくびくしながら集団下校する街になってしまった。主婦や事務員が前に立つ男に用心しながら銀行で並ばなければならぬ街になってしまった。公園では母親が談笑する余裕もなく、じっと子どもを見守らなければならない街に成り果てたのである。
 だが、そんな状況も、4月30日から5月5日の6日間までのことだった。
 事件は5月5日の深夜、正しくは6日の早朝に起こった。ただし、わたしの身にではない。同じ街に住む他人の身にである。
 谷口茂子は、駅前の中古CDショップで働くアルバイトだった。年齢は19歳。体型は痩せ型。顔も細面で、眼鏡をかけていた。大きな潤んだ瞳と、薄くて大きい──と、本人は気にかけている──口が特徴であった。都内の一流美大を目指す浪人生で、本当はバイトなどしている余裕などないのだが、いま住んでいるアパートから引越ししたくて、引越しに必要な37万円をためるため、期間限定でバイトをはじめたのだった。
 遅番は1.2倍の時給だった。時間は午後7時から午前1時までである。
 この日も、茂子がタイムカードを押したのは、午前1時10分であった。
 10分遅くなったのは、他でもない。堀内慶介のせいだった。
 堀内は、同じ店で働くバイトの先輩で、もう4年もここで働いていた。年は47歳になるという。店長の甥だか、従兄弟だかで、いっときは中野区の小さな出版社に勤めていたそうだが、何か、大きな失敗をしたため、1989年頃にクビになったのだという。以来、さまざまな職を転々としてきたのだが、母親の紹介でこの店のバイトになった。そして、水が合ったのか、母親の手前やめられないのか、4年も勤めつづけてきた、という話であった。
 こんなことを茂子がどうして覚えていたかといえば、彼女は、堀内が嫌いだったからである。
 いや、嫌い、などという表現は、あくまでも店主の顔を立ててやった温和な言い方であった。はっきりいって、堀内は、「おぞましかった」。
 どこが。
 容貌ではない。
 容貌は、そこそこに見られるものであった。
 しかし、黒縁眼鏡の底で、じっと彼女を見つめる眼は、尋常ではなかった。
 茂子は、高校時代の同級生で、いまは杉並の営業所に勤める橋口芳江に、こういったことがあった。
 「いまのバイト先に〈へび男〉がいるよ」と。
 いかにも、堀内の、茂子を見る眼は、獲物に狙いを定めた蛇そっくりだった。
 そして、この日も、堀内は、彼女のことをあの「蛇の眼」で見つめていたのだった。ただし、今夜は、店の陰からではなく、女子店員のロッカー・ルームの奥から、着替えをしようとした茂子のことを。
 男の視線に気づいた彼女は、その源と思われるカーテンに、いきなり近寄って、勢い良く引いた。
 そこに堀内はいた。手にはビデオ・カメラを持っていた。
 「こんな真似、いつもしてたのね」
 と、彼女は言った。相手は薄い唇を尖らせて何か言おうとしていた。しかし、あまりに咄嗟のことだったので、言い訳の言葉もでないようだった。
 「明日、店長が出張から帰ったら、全部、話します。警察にも訴えます」 
 「待って」ようやく堀内は呟いた。「どうかママと叔父さんには内緒にして。頼むから。100万円あげるから」
 そして、彼は、そんなことをいいながら、何を考えたのか、突然、茂子に抱きつこうとしたのだった。
 茂子は、男を押しのけた。ロッカールームを飛び出した。ちょうど、遅番で朝までのバイト君たちがやって来た。彼らとすれ違いに、茂子は店内に戻り、カードを押して、外に出たのであった。
 外は、真っ暗だった。
 駅前だというのに、闇の中であった。
(暴走族が街灯を全部こわしたから)
 やむなく、茂子は、アパートまで自転車で急ぐことにした。
 漕ぎ始めて、気がついた。
 自転車のライトが壊れているではないか。おまけに、駐輪中に倒されたのか、漕ぐたびに、ひどく軋んだ。
(まるで大きな歯軋りみたいだわ)
 彼女は思った。が、今更、止める訳にもいかない。仕方なく、漕ぎつづけることにした。
 キイ キイ キイ キイ
 どこか、陰険な笑い声めいた音であった。
 まさかそんな音のせいではあるまい。
 しかし、音で、神経が敏感になっていたためであろう。
 視線を感じ始めた。
 それは、椎名町に抜ける途中、不動尊の前あたりだった。
(つづく)

 …と、ここまで書いたところで、身辺雑記がホラー小説に成りかかっているのに気がついた。いかん。いかん。

黒い町(その1)

 0:20 01/05/05
 何がこの街で起こったのだろう。
 あるいは、何が、この街に起こりつつあるのだろう。
 4月の末にまず高松の郵便局に強盗が入った。それから2時間を経ずして今度は郵便局から200メートルと離れていないマンションで強盗事件が起こった。二つの事件の犯人は別人で、両方とも、すぐに捕まった。
 次の週、今度は、先の事件からやはり500メートルと離れていない場所で、パチンコ店の店員が強盗に遭い、売上金3000万円が、奪われた。こちらは路上であったという。
 今日、床屋で聞いた話では、同じ日、床屋のまん前の路上で引ったくりがあり、老女のバッグが奪われたという。バッグには彼女の通帳とカードと実印が入っていたと言う話である。
 この事件の現場は、先の路上強盗の現場から、約1キロ弱離れている。しかし、同じ町内である事には変わりない。
 注目したいのは、個々の事件の被害者も、犯人も、まったく関係がないこと。犯人は衝動的ではなかったらしいこと。つまり、この2日は、要町では強盗が流行っていたのだ。
 (この項、もう少し考察したいことあり。続く)

お見通しでしたか。

 22:49 01/05/01
 昨日、家族で夕飯に行って帰ってきたら、留守電が入っていた。
 SFマガジンのS澤編集長からだった。
「そういえば、SFMの短編の締め切りが4月30日だった。『ネクロノーム』が予想以上に長引いてしまって、まだ何もやっていない。どうしよう」
 と、焦ったが、夜も更けていたし、ひょっとすると、寝ているあいだに小人さんがやっていてくれるかもしれない、などとプラス思考して、寝ることにした。ぐっすり、眠れた。
 翌朝、起きて、一番に、机の上を見てみた。わあっ、何も出来ていない。
「小人さんのバカバカ」とか言いながら、子どもと朝食をとった。そーっと仕事部屋にいってみた。机を見た。何も出来ていなかった。仕方ないので、妻とコーヒーを飲んだ。飲んでるうちに、(そろそろ小人さんも心を入れ替えて仕事してるかもしれない)という気がしてきた。
 それで、「ちょっと寝る」と断って寝ることにした。疲れていたらしい。午後1時近くまで、ぐっすり眠った。起きて、まず、机を見た。
(いくら怠け者の小人さんでも、もうやっているだろう)
 そう思ったのだ。
 しかし、原稿は、出来ていなかった。
 散歩がてらに神社にいった。「小人さんがちゃんと仕事しますように」と神さまに祈った。ウチに帰った。机を見た。原稿は全然出来ていなかった。
「よーし。S澤編集長に言いつけてやろう」
 と、早川書房に電話した。
「もしもし、朝松ですが」
「ちょうど良かった。お話したいことがありまして」
「わ、わたしじゃない。悪いのは、小人さんです。あと、マブゼです。ぜんぶマブゼの仕業なんです」
 編集長は、わたしの言うことを無視して言った。
「お願いしていた短編ですが、紙面の都合で、来月売りの号に回したいのですが」
「え゛…。あの、その、じつは、小人さんが…」
「朝松さんのHPの『日記代わりの随想』を拝見したら、『ネクロノーム』がやっと完成したそうで、だったら、ウチの仕事は、ちとキビシイかな。と、そう思ったんですが」
「は、はア…」
「じゃ、改めて、締め切りは5月末でお願いします。では」
 電話は切られてしまった。
「ふ…」
 わたしは含み笑いを漏らした。
「まさか、編集者がわたしのサイトを見ていたとはね。ふっふっふっ…。今度ばかりは、わたしの負けのようだね、S澤くん。ふっふっふっ……はっはっはっはっ」
 悪役特有の無意味な哄笑を発しかけたら、また、電話のベルが鳴った。
「言い忘れましたが、5月末、落としたら、もう2度と、短編のお願いはしませんからね。小人さん、なんて言っても駄目ですよ」
 
 わたしの心に古い歌謡曲が響きわたった。
 ♪あら、みてたのねー♪

長い戦いを終えて

 0:13 01/04/30
 4月29日午後10時過ぎ、ようやく「ネクロノームV」完成。
 正味3ヶ月の執筆期間。ただし、この間、異形コレクション用短編を2本。「完本・黒衣伝説」の加筆・訂正と、同ゲラのチェック。さらに、来年の企画のアレコレをこなして来たから、そんなに遅いペースではないと思う。
 「ネクロノーム」については、最初から、全3巻という「縛り」があって苦しんだ。ぼくのジュヴナイルは、大体、全5〜6巻で、3巻目あたりから、いよいよ凄くなってくるからだ。
 しかし、出版不況の昨今、四の五の言ってもいられない。仕事があるだけでも幸せなことなのだ。
 今回の「ネクロノーム」のエンディングを、「納得いかん」とか「これからでしょう」とか色々言われるのは分かっている。だけど、限られた条件の中ではこれしかなかった、いや、こうして完結したのが奇跡に近いのだと、納得していただきたい。
 ひょっとすると、ぼくには、もうジュヴナイルを書くことが限界なのかもしれない。
 次は「ノーザン・トレイル」を完結させるため、全面改稿し、完結篇を書き下ろす。
 こうして少しずつ、過去の積み残しを清算していけるのは、作家として幸せなことなのだろう。
 これも、あなたのご支援の賜物です。
 ありがとう。
 明日から、また、戦いはじめます。

要町ほよほよ日記

 23:38 01/04/24
 今日は一日、原稿を書いていた。「ネクロノームV」は、あと20枚。いよいよ大詰めである。
 スケジュールでは3月末から4月初旬に完成していたはず。なんてこった。予定よりちょうど2週間遅れているではないか。
 昼食後、福岡の友成純一氏より電話。いやあ、久しぶり。「この3ヶ月、いろいろあってね」とのこと。
 そういえば、こちらも、なんだかこの3ヶ月でいろんなことがあり、また人生の舞台がグルリと回ったような気がする。約30分、「いろいろ」「いろいろ」と話し込む。「東京に来たら、連絡してね」と言って、電話を終えた。やはり友達から電話をもらうのは、嬉しい。それが同じホラーを志向する仲間なら、また格別である。午後遅く、平山夢明氏から手紙。しみじみする。ここにもホラー仲間がいた。
 
 4月23日は、ずっと原稿を書いていた。高橋葉介氏から手紙をもらう。しみじみする。昼寝のあと、ブック・オフに行く。店のなかで、突然、マカロニ・ウェスタン「続・荒野の用心棒」゛ジャンゴのテーマ ゛が鳴り響く。「あっ、俺の携帯だ」と焦る。携帯を買って、初めて、家の外でコールされた。アセアセアセとジャケットのポケットからひっぱり出してるうちに切れてしまう。片手の不自由な身分を忘れて、真中からパッチンと蓋を開く最新型を買ってしまった。なかなか開けない。悔しい。ぼくに携帯をくれる皆さん、呼び出し音を少なくとも20秒は続けてください。…「女には向かない職業」「同 2」いしいひさいち、「ヨシボーの犯罪」つげ義春、「アイヌ・ユーカラ」山本多助などを買う。
 そういえば、この日は、千川で銀行強盗があったとかで、長男が集団下校してきた。(ふーん。強盗事件があったりすると集団下校になるのか)と、納得。作品の役に立つような気がした。
 妹尾ゆふ子氏と外薗昌也氏からメール。妹尾氏は水疱瘡で倒れていたとのこと。気の毒に。

 4月22日は、末弥純氏の個展のため、数奇屋橋の阪急デパート(銀座なのか、正式には)へ。
 大盛況。末弥さんには会えなかったが、奥さんに会えた。奥さんに長男を紹介する。奥さんが美人なので、長男はしっかり挨拶できた。(こいつ、『うる星やつら』のテンちゃんそっくりなんだ)
 そののち、赤坂へうつる。杉本一文先生の銅版画展を見に行く。銅版画は凄くデーモニッシュなイメージの乱舞。実際、これを見たら、読者も杉本画伯の評価が一変するだろう。惜しい。チャンスがあったら、紹介したい。

 こうして時間を遡って日記をつけるのは、魔術師のいい修行になるそうだ。
 しかし、こちらはこれ以上遡ると、昨日と一昨日を間違えそうだ。
 もう遅いから、ここまでにしよう。
 ほよほよ。

23の神秘に池袋の夜は暮れた。

 23:27 01/04/15
 4月14日(土曜)とうとう一大決心をする。決心の@ 松尾未来が免許を取ったので、車を買うことにした。
 決心のA 車のために駐車場を借りることにした。
 不動産屋に行って、仮抑えした。ぼくには車を入れるのが難しそうに見えたが、未来が「平気、平気」と言うので、決めた。
 決心のB 必要に駆られて遂に携帯電話を買うことにした。
 池袋の「ビック・カメラ」に行った。最新機の前に見覚えのあるコギャルがいた。ためしに突付いてみたら、二女だった。
(悪いことは出来ないでしょう、とお説教しようとしてるうちに消えてしまった)
 いまどきの中学生はうっかりできんな、とか考えつつ、ドコモのを買う。色は紫。
(身分証明が無いので、未来の運転免許証を提示して、彼女の名義とする)
その後、「サルビア」へ行った。この日は、伏見健二氏の紹介で、マンガ家の外薗昌也(ほかぞの・まさや)氏とお会いする約束になっていたのだ。外薗氏の長編マンガ「犬神」は「コミック・アフタヌーン」連載中。クロウリーがキーワードになったオカルト・ホラー・コミックである。現在11巻まで出ているが、巻を追うごとにボルテージがアップ、10巻・11巻は、圧巻の展開なのだ。
 ぼくは、「スプリガン」以来、久しぶりに長いコミックを一気読みした。
 やがて、伏見氏とみえられた外薗氏は、40歳の温厚な紳士であった。大体、面白いホラーを書かれる人は温厚な紳士が多い。ホラー作家には純文学作家のようなハッタリやギミックが必要ないからだ。だが、一たび口を開けば、ホラーへの愛や情熱が迸ってくる。
 クロウリーのこと、ラヴクラフトのこと、クトゥルー神話のこと、マンガのこと、そしてぼくの作品(なんと読んで下さっていた。感謝)と、喫茶店で、早くも話題は一気に盛り上がった。
 ついで、喫茶店の並びの「蔵ノ助」へ。
 ここでも、生ビールとちゃんこ鍋(ぼくはウーロン茶)を前に話は盛り上がっていった。外薗氏は、割と狂気の世界を描いたものがお好きだそうで、
「牧野修さん、おもしろいですよね」
 と、スルドイ趣味を明らかにされたのだった。
 そのうち、未来が気が付いた。
「外薗さんのオーラは誰かに似ているわ」
 誰だろう? やがて、彼女は言った。
「そうよ。高橋葉介さんにそっくりなのよ」
 うーむ。言われてみると、どこか雰囲気が似ていらっしゃる。
 そんな訳で、今度は、高橋氏を是非交えて会いましょう,出来れば、その他にも愉快なホラー仲間を集めて是非ともに、などと話は次の回に膨らんでいた。
 その一方で、「一角犬23はどうなるのですか。ミニ23は? あのハルマゲドン的世界の展開は?」と畳みかけたが、「単行本で読んでください」とかわされてしまった。むむむ。さすがプロ。引っ張るところは、思い切り引っ張るな。
 こうして楽しい時間はあっという間にすぎてしまった。
 素晴らしい出会いをセッティングしてくれた伏見健二氏に感謝。
「犬神」のこれからに期待しつつ、ぼくは、決心した。
 決心のC 必ず近日中にホラー作家とホラー漫画家の懇親会を開くぞっ!!

「ネクロノーム V」

 23:46 01/04/09
 今日は早めに昼寝(午前11時〜午後1時)したお陰で、仕事がはかどった。
 嬉しいことに20枚。散歩しようと、ブック・オフにいったら、「ホラー映画サントラ集」と「セブン」のサントラを手に入れた。「俺たちに墓はない・横浜BJブルース」とか「バンド・ワゴン」とか「狼の紋章」のサントラもあったが、無駄遣いを控えて帰ってきた。
「ネクロノーム」はいよいよ、地のネクロノーム対火のネクロノームの戦いのシーン。明日、本格的に書き始める。
 今から楽しみ。
「セブン」のサントラ、「ネクロノーム」によく合う。

「うひゃどひゃー」を食べた話

 23:34 01/04/08
 近所のタイ・レストランに行った。これで3回目だが、依然として勝手が分からん。
 でも、タイ料理を食べに来たからには、近頃噂のトムヤンクンをたべなくては、と思ったのだ。
 で、やってきたスープ状の、なんだか薄緑のもの。竹の子と肉がめだつ。TVで紹介されていたトムヤンクンとは、微妙に違っている…ような気がした。
 しかし、なにしろ、こっちはタイ料理に関しては、まったくのチェリーボーイである。(きっとこういう物なのであろう)と、お碗によそって、持って来た。レンゲで大きく掬って、ぐいっと口に入れた。─なんたって敵はスープ。 ぐっとやるのが武士道というもの、そう考えたのである。
 口を閉じた。
 一呼吸。
 沈黙。


 ガンッときた。開頭手術の後に移植した人工頭蓋骨(アパタイト製)と天然の頭蓋骨(カルシウム製)との接合部、そこをメル・ギブソン(ペイバック)にズギュンとやられた感じだった。
「ぐはっ」
 と、ぼくは洩らした。
 隣で、同じように、レンゲで「あむ」と口に入れた二女(中2)が、顔をしかめていた。
「これがトムヤンクンなのか」とぼくは呟いた。(だったら、神様。おら、一生、トムヤンクンなんて知らずにいたかっただよ)と、心の中で続けた。
 でも、食べたい、と言ったのはぼくだ。ここは子どもたちの手前、我慢して食べるしかない。でも、辛い。とても辛い。凄く辛い。
 とほほ…。
 その時であった。
 救いの手が差し延べられた。
「すみません。グリーン・カレーはあっちのテーブルでした」
 慣れていないタイ人のウェイトレスが飛んできた。
(良かった。俺たちは救われた)
 ぼくと二女は顔を見合わせた。
 そして、おろおろしているウェイトレスに、微笑んだ。
「いや。もう手を付けてしまったから,いただく。それより、ライスを持ってきてくれたまえ」
 運ばれてきたライスをガツガツ食べた。隣で2女は冷たいお茶をがぶ飲みしていた。
「トムヤンクンじゃなくてカレーだったね。道理で辛い筈だ」と、ぼく。
「一目見た時に、これはトムヤンクンって感じじゃない、と思ったよ」
「じゃ、どんな感じだった?」
「バンジャラギータって感じだったね」
「でも、食べてみたら、ごめんなさい、って感じだったろう」
「食べてみたら、ウヒャドヒャーって感じだったよ」
「ほんとだ」
「本当だよ」

 そんな訳で、我家では、以後、タイのグリーン・カレーのことは、ウヒャドヒャーと呼び、人生が嫌になった時にこれを食べて、(世の中にはもっともっとつらいこと・苦しいことがあるのだ)と実感しよう。と、二女と話しながら帰ってきたのだった。

煮詰まった時に他の作家は…

 22:26 01/04/07
 4月10日で満45歳になる。完璧な中年男だ。そのせいだろうか。
 作品を「勢い」で書くことが、まったく出来なくなってしまった。
 昔は(僅か6,7年前までは)多少行き詰まったら、ウィスキーをダブルで、2、3杯も呷れば,なんとか書き出せたものだ。しかし、今は、とてもじゃないが、そんな乱暴な真似など絶対に出来ない。
 だから、書き直す。
 自分が納得いくまで、書き直す。
 雑誌に発表する短編なら、まず1回。400字詰原稿用紙で10枚は書き直す。これが、異形コレクションに発表する作品になると、その回数は、さらに増えることとなる。なんといっても、異形では、常に他作家と比較されるからである。
 6月に発売が延びた「夢魔」テーマ・アンソロジー用に書いた「妖霊星(ようれぼし)」は、遂に、書き直し3回、潰した原稿は30枚以上に達した。費やした時間は約10日。完成稿は63枚。これは非常に効率が悪く、かつ儲からない労働である。
 そして、作品を編集者に渡した後に、悔やむ。(なんてひどい作品を書いてしまったんだろう)(自分の才能や実力はあんなものだったのだろうか)─そんなことを考えて、のたうちまわる。
 長編は、納期(締め切りともいう)が決められているから、まだ、良い。
 何度も書き直したり、悩んだりしている暇もないからだ。とにかく、発売予定日から逆算して出された締め切りに向かって、ひたすら書きまくることが出来る。自分で自分を追い詰められる。そのうち、脳内物質が出てきて、神がかりになることだってある。そう、ぼくだって、そんな精神状態になることが出来る。…ただし、いつもではない。いつもは、短編の時の50倍(当社比)の自己嫌悪がべったり背中にへばりついている。
 そこで、不思議に思うこと。──他の作家は、どうなんだろう。
 どうやって、あの自己嫌悪を引っぺがし、神がかって、書き直さずにいられるのだろう。
 かつて自分のやったことといえば、大酒を飲む。(二日酔いの精神状態は、「こんなことろをしている場合じゃない。立ち直らなければ…」という気分にさせてくれた。少なくともそんな錯覚を与えてくれた)友達と会う。(スゴイ作品を書く友人と話すのは、相当な刺激だった)家族に当り散らす(これは、自己嫌悪を悪化させるだけで、なんの役にも立たなかった)あとは……病気になる。(ここまで書いて思ったが、まるで、心に傷を負った人間の不定愁訴のパターンのようだ)
 昔、聞いた噂じゃ、高級車を次から次に買い換えるとかクルーザで太平洋横断しようとするとか、ブランデーをラッパ飲みしながら時速150キロで東名高速をぶっとばすとか、どんどん豪邸を建てましてモーテルみたいな家にしてしまうとか、女性ファンに片端から手をだすとか、男のファンに手をだすとか、怪しい宗教にかぶれるとか、偽札を作るとか、人を殺すとか、自分の作ったキャラで同人誌をつくるとか、売春宿を貸し切りにしちゃうとか、担当編集者を半殺しにするとか、湯船に漬かったままウ○コをするとか、男女問わず担当編集者と寝るとか、猟銃で風呂屋の煙突を穴だらけにするとか、……まだまだ、編集者から聞いた「本当にあったコワい作家」の噂はあるが、書いてて気持ち悪くなってきたのでやめるけど。
 とにかく、みんな、自己嫌悪を克服して、神がかりになるため、一般からみれば完全に「き ビー───ッ い」としか思えない真似をしているらしい。
 ところが、こちらは、常軌を逸した真似をすると、痙攣発作に襲われる。
 だから、せいぜいコーヒーを飲んだり、甘いものを食べたり、本やビデオを買い込んだり、と。このくらいしか出来ないのである。
 そして、後は、とにかく「あれ」がくるまで──「書くことが気持ち良いと感じる物質」が湧いてくるまで、待つしかない。なんたって、こちらはいつもシラフ。シラフであり続ける薬を常用しているのだ。滅多に「あれ」はこない。
 そして、今日みたいに、進行中の作品で煮詰まりまくり、気分転換に書き始めた雑文でも、(もっと他に気の利いたこと、書けないのか)と、自己嫌悪になる夜は、つくづく思うのである。

「他の作家は、どうしているのだろう」と。

「ネクロノーム」、クトゥルー、その他のわたしのアレコレについて。

 23:12 01/03/25
 本日、「ネクロノーム」の進行は、全体の約42パーセント。3月末日はムリでも4月アタマには完成の見込み。巨大ロボット物と逆宇宙とクトゥルー神話の融合は、おそらく世界でも類例を見ない試みであろう。と、自分ひとりで悦に入っていよう。(何人かのファンの人たちが絶賛してくれている。やはり分かる人は分かってくれるのだ)
「ネクロノーム」を書いてて思うのは、やはり自分は「クトゥルー神話」が大好きなのだ、ということである。人類以上の存在。人類以前の知的生命体。人間世界など簡単に吹き飛ばしてしまうような邪神。ああ、こう書いてるだけでもワクワクしてくる。ぼくには、やはり、強烈な破壊願望があるのに相違ない。そういえば、怪獣映画では「ゴジラ」と「ラドン」と「キングコング」、あとは「放射能X」が好きだった。リアルで怖くて大破壊が描かれる─これが、ぼくのハマる怪獣映画のツボのようだ。最近では、「ガメラ」三部作が、きっちりハマった。
 だから、クトゥルー物も、細部までリアルでいてほしい。誰にでも大金持ちの伯父さんがいたり、古本屋をちょっと歩いただけで禁断の魔術書が手に入ったり,主人公が都合良く失神したり、涎を垂らして四つん這いでのたのた歩く(三文芝居に出てくるような)狂人とか、そんなの、1940年代の設定だ。いや。1940年代だってダーレス以外の作家が使えば、失笑しか呼ばなかった筈だ。
 リアルで、怖い怪獣物。細部までリアルなクトゥルー物。そんな作品をぼくはいつか書きたい。これは渇きにも似た感覚だ。
 でも、新しい作品を書くたびに、現実の小説は理想から遥かに遠ざかっている。そして、苦い自己嫌悪が胸を焼く。夜郎自大な人が羨ましい。
 いや。やっと42パーセント。自己嫌悪には早すぎる。頑張ろう。

・執筆予定(変更かなり有り)
4月 「ネクロノーム V」、月末 SFマガジン「妖変墨俣城(仮題)」
4〜6月 「ノーザン・トレイル」 完結篇書下ろしを含めて全面改稿。タイトル変更もあり。
夏 室町物長編書き下ろし。
秋 南北朝物、長編書き下ろし
冬〜年末 一休宗純シリーズ書き下ろし

・発売予定
5月 「完本・黒衣伝説」(早川書房)
7月 「ネクロノームU」(メディア・ワークス)
8月 「ネクロノームV」(メディア・ワークス)
 これ以降、「あっ」と驚く展開あり。
 詳細は後日コマギレ・あさやん方式にて発表。

さようなら、山田風太郎先生

 21:13 01/03/15
 今日は光文社の主催する「日本ミステリー文学大賞」「鶴屋南北戯曲賞」の受賞式に行ってきた。いつもなら、健康を理由に欠席するこの種の式典だが、今日ばかりは話は別である。なんといっても、「あの人」が受賞されるのだ。
「あの人」──山田風太郎先生である。
 通路側の席を選んだのは、単に、トイレに行きやすいからだった。
 そうして開会を待っている間、(きっと来ない)と思っていた。だって、もう糖尿病が大層悪化しており、ご自分でも「アル中ハイマー」などと洒落ていたからだ。それに、(山田風太郎には受賞式なんて似合わない)と勝手に思い込んでいたからである。
 式が始まる直前、何人かの人たちに押されて、車椅子の老人が、通路を進んでいった。静かに。さりげなく。まるで今夜の客の1人のように。
 老人を見た時、すぐに、分かった。
(山田風太郎だ。山田先生だ)
 やせこけた老人だった。すでに顔の筋肉が弛緩してしまっているらしい。口がぱっかりと開いていた。それを自分でさりげなく──まるでタバコでも運んでいるかのように手で抑えていた。
 しかし、懸念していた惚けの兆候は、ほとんど見られなかった。司会者や表彰者、あるいは五木寛之氏の言葉に、ときにうなずき、ときに軽く会釈しておられた。
 表彰状も記念品も、奥様が代理で受け取られておいでだったが、記念撮影の時はしっかりとご自分でトロフィーを持っていらっしゃった。
 そして、式の半ばで、健康上の理由で、山田風太郎は席をたった。
 居並ぶ新人賞作家や戯曲家や劇団主宰者を尻目に。
 悠々と、奥様たちに押されて、車椅子で去っていったのである。
 やせこけた老人だった。すでに病で目の光も失っていた。得意の皮肉な表情もそこにはなかった。
 だが、彼は、まごうかたなき山田風太郎であった。
 通路を進み、ぼくの真横に来た時、拍手する手が自然に合掌に変わっていた。
 2001年3月15日。
 ぼくは「伝奇小説の神」とすれ違ったのだ。

朝松伝奇日記

 18:57 01/03/10
 ここ三日ばかりの収穫。
「鬼丸大将」手塚治虫(ローマ人戦士の息子が、平将門やだいだらぼっちと共に大暴れ)
「婆娑羅大名」徳永真一郎(佐々木道誉もの。未読)
「古城物語」南條範夫(城をテーマに全9編の短編がならんでいる。
「安土城の鬼門櫓」が作品の参考になるかと思った)
「桔梗の旗風」南條範夫(南條版明智光秀。これも作品の参考のため)
「織田信長ものしり読本」桑田忠親(これも資料)
「江戸の怪」中江克己(暇つぶし用)
 最近、南北朝時代と室町時代の資料が一通り揃ったので、じわじわと戦国に広げている。
「彌猴秘帖」のため、こつこつ信長と光秀の資料を集めているが、信長モノはスカだらけだ。どうしてビジネスに信長の生き方が役立つなんて思っているオッサンが多いのだろう。まさか、簡単にリストラに走る、己が経営手腕の不味さを、信長のジェノサイドに重ね合わせているんじゃないだろうな。
 光秀モノの最高傑作は、歌舞伎の「桔梗の旗揚げ」だと思う。やはり南北はスゴイ。ここに描かれる信長は、サディズムの権化だ。まだ観たことの無い人は是非見て欲しい。
 しかし、今回は、三田主水さんのサイトみたくなってしまった。

誰も知らない話

 23:22 01/02/22
 たとえば、ナパローニというイタリア人作家がいたとする。
 彼はホラーを志向している。尊敬する作家はラヴクラフトとブライアン・ラムレイだ。イタリアのキヨスク売り専門雑誌「猟奇天国」によく作品を発表しており、代表作は「怪奇ローマの化け烏」「熟女を眠らせる死棺」「フィレンツェを食べた茄子の化け物」など。
さて。このナパローニに、日本の出版社が目を付けた。それも複数の、まったくカラーの違う会社である。
@ 観覧社 大手出版社。1000万部も売れてるコミック誌で儲けている。
A 人力社 中堅出版社。実は子会社にエロ本屋があり、これで儲けている。
B オートマ社 テレビ局と芸能プロダクションの共同出資で作った会社。
C 祇園精社 創業80年。元・泉鏡花番だったという社長が売り。

 まず、人力社が「熟女を眠らせる死棺」を文庫で出す。エッチな表紙と500ページで600円という値段にも関わらず、まったく売れず。
 次にオートマ社が、おりからダリオ・アルジェントが映画化した「怪奇ローマの化け烏」を「スメグマ」(映画化タイトル/配給会社の人間が「エニグマ」と間違えたらしい)と題してスチール満載の新書版、785円(本体価格)で出す。これも売れず。
 それから、観覧社が「フィレンツェを食べた茄子の化け物」をハードカバーで出す。タイトルは「悪魔の茄子」。2900円(税込み)。評判にもならず。担当者は群馬営業所に左遷。
 ……それから5年後、祇園精社が「ナパローニ幻想ブンガク傑作集成」全3巻を刊行。第1巻「ローマ/烏」(原題・怪奇ローマの化け烏) 第2巻「ジーナ・カレンツァーノの美しき棺」(原題・熟女を眠らせる死棺)第3巻「なすがままのフィレンツェ」(原題・フィレンツェを食べた茄子の化け物)。ハードカバー・箱入り・杉浦信義装丁・松平右京乃介忠光監修。定価9680円。腰巻の言葉「フモールなファンタシーとボケルスに大絶賛されたイタリア最大の四畳半派が描く魔術的レアリスモの幻惑」。こっそり、担当者が飲み屋で手を回し、「妖異と思想」で小特集、「怪奇衒学」で全面特集、愛知新聞夕刊コラム「藪から棒」で「イタリアの未知なる巨人がまとめて紹介された。これは僥倖であり事件である」と激賞。これを読んだ(自分でコトの真偽を確かめようとしない)書評家は「遅れちゃいかん」と褒めちぎるわ、パッケージに弱い作家はアンケートで絶賛するわ、インターネットのとうちゃんネルでは「ナパローニ・板」ができるわ、ネットの話題を鵜呑みにする雑誌編集者は慌てて「小説恍惚・ナパローニ特集」を組むわ。……
 で、次の作品の内容も確かめないで、観覧社が単行本で出すことを決めた。
 そうして、送られてきたナパローニの新作は──
「人妻の旦那を眠らせる妖術」だったとさ。
 どっとはらい。

Oさんの思い出に大雪が降る。

 22:20 01/01/21
 昨日、1月20日、練馬に行ってきた。
 ぼくの担当だった富士見書房のOさんの遺影に手をあわせるためだった。
 Oさんはクリエィティヴな編集者だった。担当した作品を作家と一緒にこしらえていくタイプだった。だから、彼と仕事するのはとても楽しかった。
「マジカル・ハイスクール」「大菩薩峠の要塞」はいずれもOさんとともに……
 いや、違う。彼は「魔術戦士」をやりたかったのだ。ところが、彼がやって来たのは、「魔術戦士」を大陸書房から出したあとのことだった。
「どうしてもっと早く来てくれなかったの」と、ぼくは無理なことを言った。
「すみません」と彼は大きな体を折り曲げた。「まったくもう…。シリアスはやらないよ」とぼくはワガママなことを言った。悔しかったのだ。「魔術戦士」を富士見で、彼の担当でやれたらどんなに良かったか、それを痛いほど知っていたからだ。
 彼は本来、編集志望ではなかった。「アウト」でライターをしていたのだった。それが、いつのまにか先輩に誘われるまま富士見に出入りすることになり、気がつけばデスクがあてがわれ、健康保険証をもらって社員になっていたのだそうだ。
 そんな彼が、ぼくと親しくしてくれたのは、ぼくも創刊前後の「アウト」に出入りしていたせいなのかもしれない。
 気がつけば、彼は、夜10時頃、「どーも」と言って一升瓶を提げて仕事場にくるようになっていた。そして、彼と、ときには女房も交えて、ぼくらは夜遅くまで酒を飲みながら語り合った。
 楽しかった。アイデアがあとからあとから湧いてきた。
 いつしかぼくは彼の来訪を心待ちにするようになっていた。
 こんな思いを抱かせてくれた編集者は、Oさんと、剄文社の坂東氏(のちの馳星周)だけであった。
 だけど、ぼくの作品は会社の希望売上にみたず、「大菩薩峠の要塞」はシリーズ中断となった。「力が足りなくて…すみません」と言いに来た時の彼の顔を思い出すと、今も心が痛む。(力が足りなかったのは編集じゃないよ、Oさん、作者のほうだったんだ)
 そして何年か、ぼくたちは会わなかった。
 ぼくは大病を患い、頭蓋骨の一部を切除された。
 彼が、ひょっこり仕事場にやって来た時、ぼくはヘッドギアを被りステッキをついていた。
「あがってよ」と、ぼくは言った。
「いいえ。仕事で近くに寄ったものでして」
 そう言うと、彼はカレーパンとドーナッツの入った袋をくれた。
「これ、よかったら、召し上がって下さい」
 そして、ぺこりとお辞儀すると、去っていった。
 それが彼との永遠の別れとなった。
 しばらくして、彼の結婚の案内が来たが、当時、痙攣発作がいつ起るともしれず、残念に思いながら辞退した。
 結婚後、彼は肺ガンが見つかり、新婚生活を楽しむ暇も無く、入院した。
 ……彼が亡くなったと、竹河氏より連絡をもらったのは、1999年の1月15日のことである。15日、突然病状が悪化したのだ。
 死因は肺炎だが、肺ガンとの戦いの結果なのは明らかだった。
 香典と花を送り、お返しに奥さんからお手紙をもらった。
「わたしのダンナは友達に恵まれていて幸せでした」という一行を読んだ時、ぼくは女房が傍にいることも忘れて、声をあげて泣いた。

 病気のために彼の葬式に行けなかった。まだ、爆発的な悲しみを体験すると、痙攣を起こす恐れがあったのだ。
 福島の実家で行われた1周忌にもいけなかった。旅行に耐えられる体調ではなかったからである。
 そして今回、ようやく、3回忌にあたり、練馬のお宅に女房と伺うことが出来た。
 行くまでは、きっと泣いてしまうと、思っていた。人目も憚らずわんわんと声をあげて号泣してしまうだろうと。
 しかし、いざ行ってみると、自分でもびっくりするほど淡々としていた。
 微笑むことさえ出来た。
 静かに彼の思い出を話せたのは、きっと奥さんの明るさ、ポジティヴさのお陰だろう。 そういえば、彼はどんなこともポジティヴに考え、全力投球する男だった。
 話を終えて、夕方、お宅を辞した。
 外に出たら、雪が降っていた。
 雪は、そのまま降りつづけ、椎名町で電車を下りた時には街が真っ白だった。

寒中日記その他の身辺雑記

 22:13 01/01/18
 1月18日 本日、角川書店ホラー文庫編集長より、「タロット・ボックス2 魔術師」について、「正式な依頼の挨拶のなかったこと、及びゲラを出さなかったこと」 に関して正式に謝罪がある。
 ぼくは一部の評論家から「武闘派」などと呼ばれて怖がられているようだが、ヤクザや狂犬じゃあるまいし、ちゃんと筋を通して謝罪してくれば、何も言わない。「それなら話は分かる」と、納得するし、引くところは引くのだ。
 だから、今回の一件は、謝罪を受けたということで、これでお終い。

「完本・黒衣伝説」の原稿は遅々として進まず。全体を取り囲むフレームの部分だが、「ドグラ・マグラ」というか、グスタフ・マイリンクの「ゴーレム」の仕掛けのようにしたいと思っている。

 ナイト・メアな話、2題
1.脳外科に入院中のことなのだが、冷酒が滅法美味い居酒屋に行った。白木のカウンターに、清潔な店内。気立てのいい禿げた主人。磨き上げたコップを親父が、升に置いて、なみなみと冷酒を注いだ。ぷーんと、すわってるほうに木の香りが漂ってきた。そっとコップを取って口に運んでいく。一口啜った。
 木の匂いと酒の香りとが、口中に広がっていった。美味い。くいーっと一息に空けてしまった。口を拭いて、「いやあ、美味い酒だねえ」と、わたし。「そいつはどうも」と、親父は微笑んだ。もう一杯いきたいところを我慢して、親父に尋ねた。「で、いくら」すると、親父は手を拭きながら,「いいえ。これは夢ですから、御代は結構で」…と。そこで、目が覚めた。わたしは脳外科の六人部屋のベッドにいた。
 本当の話である。医師によれば、わたしの脳の傷が海馬にまで達しているので超リアルな味や匂いを体感したのではないか、とのこと。

2.田島みるく氏の「本当にあった愉快な話」(竹書房)でみつけた話。ある女性が夢を見た。お父さんの会社から「××さんが大怪我をしまして」と連絡があった。女性は「お父さんが大変」と会社に飛んでいく。だが、怪我は大したことなくて、ホッとする。そして会社の近くの電話ボックスで、「お父さんは大丈夫でした」とウチに電話する。と、電話している最中に、向こうから白い自動車がやってきた。ボックスの前に止まる。と、なかから男が出てきて、話してる彼女を捕まえ、車に強引に乗せてさらってしまった。…と、そこで目が覚めた。ここまではよくある話。ところが、何日かして、本当に父上の会社から「××さんが大怪我をしまして」と電話。驚いて、彼女は父親の会社へ飛んでいった。行ってみれば、父の怪我はそれほどではない。安心して、会社の近くの電話ボックスに。ウチに電話している時に気がついた。(これって夢とおんなじじゃない)…と。そこに、向こうから白いクルマがやってくる。(さらわれる!)と思って、彼女は電話ボックスから逃げ出した。すると、白い自動車のウインドウが開けられて、中から男の怒鳴り声─「バカヤロウ、夢と違うことをするんじゃねえ」…この話は竹書房文庫「本当にあった愉快な話〜お手紙そのまま載せます〜」田島みるく著にのっていた。とてもよく出来たホラーだと感じた。一読をお薦めする。

 昨夜、久しぶりに、超リアルな夢を見た。機関車と飛行船で北海道の宗谷に行くというもの。寂しい駅の夜明けの光景とか、通学時の学生ラッシュ、両手に持った荷物の重みなど、目が覚めても強烈に残っていたため、つい書いてしまった。

正月な日々

 21:55 01/01/09
 1月1日 午前0時ちょいすぎ、家族5人で、近くの椎名町そば長崎神社へ初詣に行く。暖かい。参道にはそこそこの人が集まっていた。多分、今世紀200番目くらいで拝む。考えてみると、家族で真夜中の初詣にくるのは初めてだった。
 家にかえると、今年(2001年2月に東京創元からでるブライアン・ラムレイの短編集の解説を書かねばと、思いつつ寝る。
 1月2日 昨日は昼も初詣に行った。「行きがけの駄賃」という言葉(全然関係なし)を思い出しつつ、初詣のリベンジに行く。お屠蘇を飲む妻を横目に「ラムレイの解説だけじゃなかった。『黒衣伝説』の追加原稿を1月末日までに
 早川書房に渡す約束だった」と思い出す。なんか疲れて寝る。
 1月3日「二度あることは三度」という諺が引っかかったので、初詣の復活戦にのぞむ。お雑煮を食べながら、「そういや、『ネクロノーム』の3巻は12月から書き始めます、なんて言いつつナニもできなかったなあ」と思い至る。自分がイヤになってきて、子どもたちとモノポリーをする。
 1月4日「毒くらわば皿まで」と用法を間違えつつ、初詣のリターンマッチに挑戦する。そうだ。ソノラマにも『ノーザン・トレイル』の完結にいたるプロットをださなければ、と思ったが、明日にして休む。
 1月5日 「ひょっとして自分は初詣の中毒なのではないか」という漠然たる不安にかられる。それはそれとして、「異形」のナニをアレしなくてはいけない。だんだん自分がダメになっていくような気がしてきたので、友達に電話する。メディア・ワークスから電話。新年の挨拶と「真面目に仕事しろよ」というプレッシャー。良かった。まだ、見捨てられてなかった。
 1月6日、7日。 初詣IWGP選手権王者めざして、強化トレーニングする。しかし、こんなことしてるヒマに、あんなことやこんなことをしなければならない。自己嫌悪にかられ、田島みるくを読む。いやいやいや、時間を無駄にできないんだってば。
 1月8日 井上雅彦氏より電話。角川のアンソロジー「タロット・ボックス」の二巻「魔術師」で、朝松の作品のゲラが出なかったとは、全然知らなかった、と謝られたので「いやあ、ウカツな編集者が悪いんですよ」と答えた。世の中には、本の腰巻の惹句から、新聞広告のキャッチコピー、フェアの看板の文句まで作者が書いているような論調で「書評」して、鬼の首でも取ったみたいにはしゃぐウスラバカ(自称・評論家)もいるが、ここではっきり書いとくべきだろう。ゲラを作者に出さなかったのは、編集が悪い。さらに編集をきちんと指導しない上司が悪い。また、拙速な出版計画を強要する営業も悪いと思う。
 今度のことをネタに知ったような口きく奴は、なにも知らないくせに横から口をだすアホだ。みんなで「ヤカン」(横から口を出しているでしょう)と呼んであげよう。

2001年夢中の足袋

 21:15 01/01/01
 今年はとうとう「あれ」が発行される。
 わたしが二度と世に出すまいと誓った「悪書」が出てしまう。
 読んだ人間は必ず精神に異常をきたすか、さもなければ、出版した周囲で恐ろしいことがある、と言われている書が。
「法の書」でも「空の書」でもない。
 わたしの妄想でもない。
 あれ──。
 そう、田中啓文氏が、ヤフー・オークションで100000円で競り落とした(主催者側発表)という噂を聞いたこともなくはない、あの本が。

 ええい、発表しよう。
「黒衣伝説」が5月に、早川書房から単行本で出されてしまうのである。

 大丈夫か、日本は。
 どうなる、朝松健は。
 果たして、正気なのか。


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