日記代わりの随想
2001年下半期

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だごん亭日乗

 23:45 01/12/24
「60枚くらいの短編です。ウィアード・テールズ風の小ネタで」
 と説明した頃には確かにその積りであった。それが書き始めたら瞬く間に登場人物が増え、あんなイメージこんなイメージも入れなければならないと、まるで強迫神経症のよう。だってそうではないか、居並ぶ作家は名にし負う曲者揃い。こんなところで力の抜いたものなど書けば、フランス料理のフルコースにお茶漬けを出してしまったごとき有様、自分の「伝奇ホラー作家」としての足場が危ない。ここはこってりと工夫を凝らした作品を、と考えるのが人情というものだろう。そんな訳で書いてくうちに、気がつけば、80枚を超えていた。
「すみません。100枚くらいでひとつ…」
 編集者に弁解する口調は、四杯目のおかわりを出しかけた居候である。当然、それで済むなどとは思っていない。まだまだ枚数はかかりそうなのだ。下痢は止まらず、苛々は嵩じて、(成る程、ゴッホもこんな夜に耳を削いだのか)などと思っていた。いや。こちらはゴッホなどと大した芸術をものしているのではない。単なるエンターティンメント。いわば束の間の気晴らしである。それなのに、どうして宮本武蔵の挑戦を受けた吉岡京十郎のような気分に追い込まれてしまうのか。
 などと七転八倒するうちに、135枚を数え、担当編集者に「150枚で完成です」と言える状況となっていた。今回も家族に当り散らすことはなく、やけ酒・タバコはもとより受け付ける体ではなく、同業者にたいした迷惑もかけず、風俗な遊びも不倫もなく、雨にもマケズ風邪にもマケズ、あと2日ほどで完成なのだと、朝松健は自分に言い聞かせるのだった。

(野坂昭如風。うーん。結構うまくいったので次は椎名誠風でもやってみるか)

不可思議日記2

 23:02 01/12/23
 今日は午前10時に起床。
 たっぷり眠ったはずなのだが、調子が悪い。
 なんとなくグズグズと過ごしてしまった。朝食と一緒にコーヒーを飲んでしまったせいかもしれない。
 昼頃より長女・次女・妻・長男の順で外出。絶好の執筆チャンスなのに書けないのは、ラストのひねりに自信がないせいか。考えてみると、今月は、ずっと「この短編」に懸かりきりである。一人になると、書いた分の原稿を破り捨てたい衝動に駆られる。
 結局、「ミスター・フロスト」を最後まで見てしまった。主役のジェフ・ゴールドプラムがなかなか良かった。「フライ」の博士より、ずっと、ドスが利いていた。惜しむらくは女医役のキャシー・ベイカーが、登場人物(三人もの男)が言うほど美しくも若くもないこと。
 夕方、家族の忘年会。何処にいっても満員だった。本当に不況なのか。それとも12月23日くらい、ウサを晴らそうというのか。池袋で会食。食事のあと、ぼくだけ帰宅。疲れると明日の追い込みに響くので。他はカラオケへ。帰りのタクシーの中から立教大学を見る。でかいクリスマス・ツリーがふたつ輝いていた。校門の周りにはロマンチックな雰囲気のアベックがいっぱい。心の底から、「いいなあ」と思う。昔は石をぶっつけたくなったものだが。人間が素直になってきたのかもしれない。
 ウチに帰ったら、じわじわと、腹の調子が悪くなってくる。
 締め切りが迫ると下痢してくるのは毎度のこと。ストレス性のものだ。この間までは胃が痛み、主治医に薬を出してもらっていた。
 のち、ぼーっとしている。
 今日は休む日と決めたのは、午後10時。風呂の湯を入れ、パソコンと将棋をする。苦戦40分。かろうじて勝つ。
 突然、二つのことを思い出す。
 @ 藤原ヨウコウさんに室町時代の映像資料を送ること。
 A ネコ七さんにまだ「踊る狸御殿」が届いていないというので、彼が、海外から帰ってきたら、確かめ、しかるべき対応をすること。
 おや、子供たちが帰ってきた。
 歯を磨いて寝よう。

ヒーローの黄金率(承前)

 22:58 01/12/20
 この「随想」を読んだ久留氏・三田氏より、「5」は「白波五人男」。「ゴレンジャー」。…いわゆる「秘密戦隊」モノとのご指摘を賜った。ご指摘に感謝しつつ、オカルトと象徴学とバカ知識で遊んでみよう。
 さて、「2」は、「月影兵庫と焼津の半次」という指摘があったが、このルーツは「弥次・喜太」だろう。ボケと突っ込み。漫才の基本パターンである。
 ただし、「2」は、男と女・陰と陽・西と東・黒と白…というように、相対立するエレメントとなり易い。それゆえ、ヒーロー造形には、あまり向かないのではないだろうか。確かウルトラマン・シリーズで男と女の合体で変身するのがあったが、不評のせいか、シリーズ途中で単性生殖(?)になってしまった。どうも「2」は笑いやエロティックな象徴に向かうので、やっぱりヒーローには不向きと思われる。
「3」は「三人吉三」。the good , the bad and the ugly 、父と子と聖霊である。意志と創造と行為である。三船敏郎と大出俊と坂上二郎である。石原裕次郎と渡哲也と舘ひろしである(←本当か)
「4」は、東西南北、四方位の象徴である。ゆえに「4」は世界の象徴とされた。四人となれば「赤子」「少女」「夫人」「老婆」の女性の四つの時期をあらわす。四季なら春夏秋冬。ヒーローなら、能力を秘めたる者・知恵のない能力者・完全な能力者・能力を失った老賢者の四人となる。この四人の力が合わさると世界の改革はたやすく行われる。
 かくして、「5」が浮上するのだが、ドンキーカルテットと横山ホットブラザースのことが筆者の表層意識に観念固着としてつきまとう。眼の中を夜とロートレアモンと真崎守が彷徨っている。どうやら、脳が疲れているらしい。
 そこの人、こんな思いつき、まじめに読まないように。

「小説における主人公の黄金率」

 23:24 01/12/14
 黒澤明の「七人の侍」と「隠し砦の三悪人」を観てたら、妙なことを考えた。
時代劇のヒーロー(いや、時代劇に限らないのだが)は、「1・3・5・7」の法則に従っているのではないか。
 1とは、読んで字のごとく「一匹狼」である。
 眠狂四郎、机竜之介、木枯らし紋次郎、無用之介、名張の四貫目、みなこれに当たる。
 時代物以外なら、ゴルゴ13、伊達邦彦、情無用のジャンゴ、スネーク・ブレスケンといったところか。
 つまりパートナーをもたないヒーローだ。特徴としては、「寡黙、タフ、ストイック、圧倒的に強い、出生が暗いか、謎めいている。あとは女にもてる癖にどこか孤独の影がつきまとう」なんていうのもある。
 エンターティンメントのヒーローの代表が、この「1」のパターンであろう。
 では、「3」となると、どうなるか。
 代表的なのは、影狩り、三匹の侍、水戸黄門と助さん・格さん、中村主水と念仏の鉄・棺桶の丈、近藤勇・土方歳三・沖田総司。
 時代物以外ならクリント・イーストウッドとイーライ・ウォーラックとリー・バン・クリーフ、ワンダースリー、悟空・八戒・悟浄、ルパン三世と次元と五右衛門、横山ノック・フック・パンチ(…はちと違うか)、ええと今ちょっと思いつかないが「3」は基本形である。
 こちらは、[リーダー・副将・三枚目]の三人で構成される。リーダーは指導力に溢れた人格者で、副将はニヒルで寡黙なハードボイルド・ガイ、三枚目はお調子者で多弁で好色である。
 たとえるなら、石原裕次郎と成田三樹夫と内田良平である。志村喬と宮口精二と三船敏郎である。先に挙げた悟空・悟浄・八戒の例えなど、まんま、当てはまる。「桃太郎」のイヌ・サル・キジ…はちと苦しいか。三船は、木村功でもいい。
 さて、「5」だが、いま、時代物で五人ものメンバーを揃えたものがあったか、ちと不安になってきた。加山雄三の同心物かな、「必殺」シリーズの映画版だろうか。
 マカロニ・ウエスタンなら、「五人の軍隊」「五匹の用心棒」「野獣、暁に死す」あたりが思いつくのだが。
 とにかく、こちらは、「3」のバリエーションである。ウス・蜂・栗・牛の糞・蟹(←これで正しいんだよな)あたりが、ユング的にいう「アーキタイプ」ではなかろうか。
 我が「私闘学園」を例にとってみよう。リーダー(西城めぐみ)、副将(ブレーン・赤城小夜子)、中堅(マッチョ・浜口倉之介)、美人(読者サービス・一条直子)、バカ(笑いをとる役・翔星)という構成だった。
 これは、「5」人の主人公を描く時、とても座りがいいのである。
 最後に「7」だが、これは、「七人の侍」、その西部劇版「荒野の7人」、そのスペオペ版「宇宙の七人」と。
 神が一週間の単位とした数だけあって七人揃うと、人間の大抵のパターンが集まるのである。
 非常に多い。
(未完・この項、後日に続く)

CAN SUCH THINGS BE ?

 22:14 01/12/08
 これを単なる「偶然の一致」と呼んでも、わたしは、構わない。
「虫の知らせ」と呼ぶ人もいるだろう。よろしい。わたしはそうした事象を否定する者ではない。
 とにかく、聴いてもらいたい。
 あなたはこの「日記代わりの随想」2001年12月3日付の記載内容(『なんだか不思議な電話の話』または『お前は誰だ』)を覚えているだろうか。
 わたしが体験した奇妙な電話の混乱と偶然の一致の事実である。
 これは、その後日談である。と同時に、より一層わけの分からない偶然に、わたしが巻き込まれたという話なのだ。
 いきさつは極めて単純であった。
 電話の相手が親友そっくりで、しかもその名も親友と同じ平沢、番号は僅かに一番違い。こんな出来事に、わたしは、なにか引っかかるものを感じてしまった。そして、「こんな不思議は是非とも平沢本人に聞いてもらわなくては」と考えたのであった。平沢はホラー小説の大ファンだったのだ。
 12月3日以降、わたしは毎日電話しつづけた。もちろん、今回は正しい番号である。
 ところが…。
 つながらない。
 何回、電話しても、つながらないのだ。
(どうしたのだろう)
 わたしは首をひねった。
 さらに電話を掛け続けた。
 普通なら、いいかげんに、諦めるところだろう。だが、わたしは諦めなかった。例の奇妙な偶然が引っかかっていたからである。
 そして、今日。
 つい先ほど──40分ばかり前のことである。
 わたしは、また、平沢のところに電話をいれてみた。
 呼び出し音。 呼び出し音。 呼び出し音。
 カチャッと回線の繋がる音がして──
「は、はい。平沢です」
 親友の声がした。
 柔らかい声。優しい感じの声だ。わたしの良く知る声であった。
「やあ、元気か。朝松だけど」
「よ、よお」
 少しどもった、どこか困惑したような話し方である。
 わたしの高校時代からの親友の平沢に間違いなかった。
「いやあ、つながって良かった。何べん電話しても、ちっとも繋がらないんだものなあ」
「あ、ああ。おれ、今日、退院してきたところなんだよ。この二週間、入院していてさ」
「ええっ」
 と叫ぶなり、わたしは絶句してしまった。
「脳梗塞で倒れたんだ」
「いつ、それは」
「11月23日だ」
「いやあ…。こうやって話が出来て良かった。実は、こないださ──」
 と、わたしは12月3日の出来事を口早に話した。
「それはおかしな偶然だな。3日なら、おれは、病院のなかだよ。それに…。聞いて分かるように、後遺症が、言語にきちまって。…今もうまく話せないんだ」
 わたしは夜、突然に電話した無礼を詫び、介護にきているという彼のお母さんによろしく、と続けた。
「また、電話する。高校の同窓会には俺から連絡しておくよ」
「ありがとう。じゃ…」
「おやすみ」
 電話を切ってから、わたしは、不思議な感覚に捕らわれた。なんだろう。この表現しがたい思いは。もし、12月3日にあんなことがなければ、わたしは、平沢への電話に執着しなかっただろう。そうすれば、結果、親友の大病も、知ることなどなかったわけだ。
(しかし、どうして彼が倒れた11月23日に、偶然の一致は起こらなかったのだろう)
(どうして、10日後の12月3日に、起こったのだろう)
 そのように考えかけた時、
「そうか」
 と、思い至った。23日ならば、倒れた当日だ。おそらく電話など一日通じる筈もあるまい。彼の母親が、倒れたという知らせを聞いて、北海道から駆けつけるだけでも、二日は掛かる。それから、母親はずっと病院に張り付いていただろう。だから、電話など、通じる筈はない。わたしが平沢の発病を知る可能性は皆無であった訳だ。
 また、あんな事件がなくて、単に電話が通じなかったり、「番号違いだ」と怒鳴られていたら、わたしは絶対に平沢のところに何度も電話などしなかっただろう。だから、今日に至るも、わたしは平沢の発病は知らなかったことになる。
 つまり、12月3日に、アレがあったから、わたしは本当の平沢の声に接したくなり、5日間、ほぼ毎日藤沢に電話し続けて、今日、退院した平沢の声を聞けたのであった。
 かなり回りくどい言い方だが、わたしの結論は、こうである。
 わたしは12月3日に不思議な目に遭って良かった。お陰で親友が無事に退院した日に、彼と話すことが出来た。
 
 間違いなく、わたしは、不思議な波に乗っている。
 今日、わたしは、それを体感した。

「真・コワ袋」(『超イケブクロな話』でも可)

 22:43 01/12/07
 十二月六日(木)──。
 つい先ほどまでコートの下の服まで濡らすような雨がふっていたのだが、それが不意に止んだ。
 かといって気持ちよく晴れた訳ではない。力無い夕陽に赤黒く染まった空は、まだ煙雨を降らせたそうだった。
 師走もそろそろ一週間を数えようというのに、外は、生暖かかった。
 その癖、1町も歩かぬうちに、吐く息が鉛色に曇ってくる。
 ワイシャツが汗でべったりと肌に貼りついてきた。
 寒いのか暑いのか、はっきりしない午後五時三十分であった。
 わたしは池袋に向かっていた。
 西口のちゃんこ屋で開かれる仲間うちの集まりに参加するためである。
「仲間うちの」などと秘密めかしても早い話が「忘年会」、わたしはその幹事なのであった。
 ちゃんこ屋には午後五時四十五分に着いた。
 わたしが最初である。幹事としては合格点であった。
 次にあらわれたのは元東宝プロデューサーで現在は作家の田中文雄先生。
「池袋の駅で古書展をやっていてな。ずっと探していた戦記物を見つけたよ」
 田中先生が座った途端、まるで、それを待っていたように、次々と参加者が現れた。やはり、みんな「ホラー界のお父さん」が座らなければ、席に着く訳にはいかないのだ。
 続いて登場した伏見健二氏は成り立ての「お父さんの顔」である。
 それから、夜生奇久氏。氏はわたしの三十年来の友人で、現在は角雨和八という別名で活躍する官能劇画家である。夜生氏と一緒にやって来たのは、元夜生氏の担当で、今はフリー編集者(『へら』という釣り雑誌をやられている)本業は郵便局員という変り種ワタピキ氏であった。
「ややや、どうも。朝松君と会うのも二十年ぶりですねえ」
 と、夜生氏は、五十近いことを自らバラしてしまった。
 どうも、すでに、この「場」には気取りや衒いを吹き飛ばす「磁場」が形成されつつあるらしい。
 と思ったら、「どうも、××××。イーノです」などと、トランセンデンツ(超俗)の詩人飯野文彦氏が現れたではないか。
 ここで格言。
「人はイーノの前に男も女もなく平等である」
 さてそれから、高橋葉介先生がK社の編集ワタナペ氏と共にやって来た。その後は平山夢明氏。奥田哲也氏。少し遅れて外薗昌也氏が、木原「新耳袋」浩勝氏を伴って登場した。木原氏はしばらく会わないうちにお髭を伸ばしていらして誰か解らなかった。
 さらに伏見氏のナビで、ゲーム作家の秦野啓氏が、ずーっと後に高橋先生のナビでA社の女性編集者エスさんが参加。
 これで全部とおもったら大間違い。
 井上雅彦氏が悠然と登場。
「ぼくはもっと早くから来てましたよ。いいかげんなこと言わないでください」
 わりい。わりい。といいつつ朝松は忘年会の開始を告げたのだった。
 今回の最大の眼目は、「新耳袋」の木原氏と、「超こわい話」の平山氏との顔合わせだったのだが、意外(というか当然ながら)お二人は楽しげに御酒を飲みながら、都市伝説談義に花を咲かせたのであった。(←ま、ケンカなんてする訳、ないんだけどね)
 一方その頃、飯野源蔵略してイイカゲンは、
「へっへっへっ、そろそろ、こいつを含みたくなってきたんじゃねえのかい」
伏見「あっ、こんなところにサワーの素があったんですか。まったく飯野さんたら壜ごと抱えこんで。これにはアルコール成分はないんですよ」
イーノ「そんなこと言いながら、こんなに濡れてるじゃねえか」
ワタナペ「ああっ、ズボンにビールなんてこぼさないでくださいよ。染みになるじゃないですか」
イーノ「くくく…。今日の客はノリが悪いわ」
井上「お客かよ、お前の!?」
田中「飯野は最近キャラクターで売ってるな。ああいう行きかたは純文学だな。エンターティンメントじゃないな」
イーノ「痛い。痛いわ、パパの言葉がとても痛いっ」
夜生「いやあ。ぼくの世界ですね」
朝松「夜生さんはあまりにカゲキな劇画で東京都に目を付けられたんですよ」
夜生「いやいや。何度か雑誌を潰したり、発禁にしちゃったりしただけで」
奥田「凄いですねえ」
エス「ウチの雑誌に夜生先生が描かれたらかなり変わるでしょうね」
高橋「潰れたり、発禁になったり?」
イーノ「お願い。潰して。ウフーン」
平山「へえ、土星のほうじゃそれが気持ちいい訳だ」
木原「ホラー作家の中に土星人がまじっている…と。これで一本取材できた」 
 結局、「納涼会」をより大人数に、よりクレージーにしただけの忘年会なのであった。あああ、どんどんクレージーになっていく。
(いかん。このままではしらけてしまう。何かしなければ)
 二次会であせった余り、朝松は、軽い痙攣発作に襲われ、飲み屋の店員に呼んでもらった救急車で日大病院へと運ばれていった。
店員「良かった。急性アルコール中毒とか食中毒とかでなくて」
朝松「(痙攣しながら)あううう」
救急隊員「どうしました。ポケットですか」
朝松「あうあう」
井上「大丈夫です。ぼ、ぼくが手を入れて中のものを…」
飯野「何がほしいんですか。診察カードですか」
(と、井上・飯野、二人で朝松のポケットに手をいれると、なかから、鳩とテープと花吹雪とともにプリンセス・テンコーが出てくる)
救急隊員「かくし芸かよっ」

    (来年の納涼会に続く)
井上「続きません」
飯野「ぼくは……パスだな、やっぱし」

「なんだか不思議な電話の話」または
「誰だ、お前!?」

 23:30 01/12/03
 これは、ほんの一時間半ほど前に、ぼくが体験した奇妙な話である。
 ことの起こりは「同窓会」だった。
 ぼくが卒業した札幌月寒高校から「同窓会名簿」が送られてきたのであった。それを見てみると、ぼくのクラスの同級生たちが多数、行方不明になっていた。同窓会本部からの通信には、「行方不明者の消息を知っている方はご一報ください」とある。ぼくは、そのなかに、平沢の名を見つけて苦笑した。
 平沢は高校時代からの親友である。二年の時の同級生だから、かれこれ三十年近い付き合いであった。大学の頃には三ヶ月に一度は会い、会えば何日も飲み明かした仲だった。
 ぼくは彼の優しい顔と困ったような表情を、次いで、少しどもった柔らかい声を思い出した。その名が行方不明者のなかにあるとは、たちの悪い冗談である。
(いくらクラスで目立たない奴だといえ…。どうしてみんな知らないんだ)
 ぼくは、彼が卒業後、札幌の家具屋に就職したこと、それからメガネの量販店に転職したこと、今は沼津支店の店長をしてることなど、すべて知っていた。
(電話してやろう。そして、お前行方不明なんだって、とからかってやろう)
 と、ぼくは、沼津に電話した。
 これが土曜日の夜のことである。
 呼び出し音。のち、機械で作った声が、『おかけになった0559−××ー××83は移りました。現在の番号は0466−××ー××45です』と教えてくれた。
 ぼくは片手が不自由である。だから電話しながらメモすることが出来ない。仕方ないので長女を呼んで、向こうの言う番号を復唱して、それをメモしてもらうことにした。
 長女は電話帖にメモしてくれた。
 ぼくは平沢の帰りが十時三十分以降なのを知っていたから、それまで待っておもむろに電話を入れた。
 呼び出し音。  呼び出し音。  呼び出し音。
 誰も出なかった。
「おかしいな。今日はもっと遅いのかな」
 と、ぼくは、翌日に回すことにした。
 日曜日の午後十時半。
 また、電話した。
 呼び出し音。呼び出し音。呼び出し音。呼び出し音。呼び出し音。
 平沢は全然電話に出てこない。
 十一時すぎ、またかけた。
 彼は、やっぱり、電話にでなかった。
 そして、つい先ほどである。すなわち、月曜日の午後十時三十分のことだ。
 ぼくは三度目の正直とばかりに、平沢に電話した。
 呼び出し音。 呼び出し音。 呼び出しお…
「もしもし」
 懐かしい声がした。柔らかい声で、少し困ったような調子だった。しかも、ちょっぴりどもっていた。
「あ、平沢さんですか」
 確かにぼくは訊いた。
「はい」
 向こうも答えた。
「どうも、俺だけど。東京の、朝松─」
「あ、あの…。どちら様ですか」
 彼はほんの少し苦笑を含んだ口調で尋ねてきた。
「いや、誰って…。札幌月寒高校の松井だけどさ。…」とぼくは口篭もった。
「お間違いではないですか。ぼくは神奈川出身ですが…」
「えええっ─」
 と、ぼくは、絶句してしまった。(間違い電話してしまったかな)と思った。しかし、声は、まごうかたなき平沢のものだった。一瞬、ぼくは、平沢はきっと札幌の記憶の一切と縁を切ることにしたんだろう。─そんな考えに襲われた。そうか、だから、同窓会の名簿も「行方不明者」のままで放っておいているんだ。
 ちょっと哀しい気持ちで、ぼくは、平沢に合わせることにした。
「そうですか。どうも、違う平沢さんに間違ってお電話してしまったみたいですね。すみませんでした」
「いいえ。どういたしまして」
 そう答えた優しい調子は、やはり、平沢その人にほかならなかった。
 電話を切った。すぐに妻が訊いて来た。
「どうしたの」
「いや、平沢にかけたんだけど、間違いだった」
 ぼくは寂しく笑った。
「もう一度、沼津に掛けて確かめてみたら」
「えっ…。いや、それは」
「なんなら、あたしが、してあげようか」
「いや。いい」
 と、ぼくは受話器を取った。なんとなく沼津の番号を押してみた。
 すぐに機械の声がした。
『おかけになった0559−××ー××83は……現在の番号は0466−××ー××45です』
 電話帖の娘の字を目で追っていった。
 ××44
「あっ」
 ぼくは小さく叫んだ。
 一番下の数字を書き間違えていたのだ。
「なあんだ」と言いかけてから、ぼくは、ゾッとした。

 それでは、たったいま、「平沢さんですか」と訊かれて、「はい」と答えたあの声の主は何者なのだ。あの…柔らかい声に、少し困ったような話し方、ちょっとどもっていた「あの平沢」は、一体、誰なのだ。

 ぼくは平沢とは三十年来の親友である。
 その声は、彼の顔と同じくらい、間違えようがないのだ。
 第一、向こうは、「平沢」と答えたではないか。
 
 ぼくと妻と、近くで一部始終を聞いていた二女の三人は、しばらく、呆然としていた。
 やがて、ぼくは、電話のボタンを押し始めた。誰か─同業者に今の出来事を聞いてもらいたかったのだ。
 飯野文彦氏に電話した。
「コワイ偶然ですね」
 と、彼は、言った。
「それで、沼津から、どこに電話したんでしたっけ」と彼は続けた。
「解らない。市外番号は、0466だけど、それがどこなのかも─」
「0466ですね。今、手元に一覧があるから、わかります。ええと…それは、藤沢の番号ですね」
「ふじさわ」
 と、ぼくは、呟いたきり、絶句してしまった。
 平沢そっくりの人物が「ぼくは神奈川出身ですが」と言っていたことを思い出したのだ。

 もちろん、これは、偶然にほかならない。
 しかし、ぼくの友人の平沢が沼津から藤沢に引っ越したとして、その移転番号の一番下の番号が一番違いの人物の名前が同じ「平沢」。しかも、この「平沢」氏も、柔らかくて困ったような口調で、少しどもっているなんて──。
 こんな偶然が実際にあるならば、今後のぼくの人生においては、どんな偶然も在りうるのではないだろうか。
 ぼくは、今、不思議な波に乗り始めているような気がしてならない。

ハシモト12月の奇蹟

 21:26 01/12/01
 本日は世話になった編集者の結婚式だった。
 結婚したのは、学×書房のハシモト氏。松尾未来と一緒にお祝いに行って来た。気持ちのいい快晴。とても今日から十二月とは思えない。結婚式の会場は四谷のレストランMであった。
 「四谷ってどうしてノーブルな雰囲気があるのかな。飯田橋とたいして離れていないのに」と未来。
 「何といっても四谷には迎賓館がある。対して飯田橋には双葉社くらいしかない」
 「なによ、それ」
 「飯田橋はクレヨン新ちゃんだ。対して四谷は雅子様。どっちが高貴かは比べるべくもない」
 などとアホなことを言いつつ、Mに向かう。なんと学習院初等科の校舎裏にあるではないか。いよいよ「やんごとなき」気配である。
 会場に入ればすでに本日の司会者が入っていた。なんと志生野温男氏。全日本女子プロレスの実況で知られるアナウンサー界の長老である。ハシモト氏が国学院の後輩なのと、彼に最近、「超話術」という本を作ってもらった関係で司会を頼まれたという。慌てて名刺交換した。(有名人に弱いネ、まったく)
 
              Ψ
         
 ところで、ぼくとハシモト氏とがどういう関係かというと、彼は「月刊小説」(桃園書房)の編集長だったのだ。桃園書房の中堅社員がドッと辞めた時、辞め損ねた(ボーッとしている人なのだ)彼は、突然現れた社長と目が合ってしまった(重ねて言うがボーッとしている人である)ので、「月刊小説」の編集長を命じられた。
 ぼくはここで二つの連載を持っている。
 一つは、「比良坂ファイル」シリーズ、いま一つは「踊る狸御殿」である。
 ともに思い出深い作品だ。
 さて。
 このハシモト氏だが、奇妙なセンスの持ち主である。
「月刊小説」の編集長になった彼は、官能小説雑誌の仮面を被りながらすき放題やり始めた。なにを?  コラムの充実である。
 まず、元読売新聞社会部記者で、硬派ジャーナリストとして知られる黒田清氏の「思い出の記」を連載しだした。それから、まだ、まったく無名だった三谷幸喜氏の「いいたい放題」を始めた。さらに「わたしの名勝負」と題して、各界の喧嘩っ早い人たちのエッセイを連載開始した。(ハードボイルド作家の稲見一良氏の、某先輩作家に〈ライフル決闘〉を申し込んだ話など、えらくスリリングだった)
 また、イラストレーターに、いろんな人を起用して、大胆な実験を開始した。良い意味ではない。勿論、ヤバい意味である。女子高生とオヤシの絡む官能小説に少女漫画家をカップリングさせ、ヒヒオヤジのオスケベ物語にアブストラクト・アートをくっつけた。
 我が「比良坂ファイル」に、三月由布子さんのイラストを配したのも、彼のアイデアである。
 驚いたぼくは、(そっちがそう出るなら…)と、「狸御殿」のイラストに高橋葉介氏の起用をお願いした。
 で、驚くべきことだが、ハシモト氏はラッキーマンである。
 先の三谷氏の話もそうだが、彼が「これぞ」と目をつけた人物は必ず出世する。その個々の例をこの場で挙げていくのも面倒なほどだ。
 一番端的な例は、「月刊小説」の真中あたりで、いつもフーゾク記事を書いていたラッシャーみよし氏だろう。なんと彼はいまやゲテモノAV界では知らぬものとてない人物になってしまった。
 しかし、なにより面白いのは、ハシモト氏ご本人は自分に先見の明があることもしらず、ボーッとしていることなのである。

                Ψ

 セレモニーはつつがなく進行していった。
 少ない人数だが、きわめて暖かく、料理と会話を楽しむことに重点の置かれた集まりであった。
 ぼくはこんな雰囲気のなか、奇蹟を心の中で待っていた。
(昔、彼から原稿の催促があった日には必ずめでたいことがあった。たとえば、ずいぶん前に出した本が再版したり、新刊が書店のベストテンに入ったり、ながいこと検討中のまま保留されてた新作が企画会議で通ったり、のちのちとても大切になる人物と知り合ったり…)
 そうだ。今回も、彼から久し振りに「今度結婚することになりまして」という電話があった直後に、「踊る狸御殿」が東京創元社から出ることが決まったではないか。
(ハシモト君のラッキーマン・パワーと狸のパワーが合体するんだ。今回、どんな凄い〈目出度い事〉が起こるか。もはや予想もつかないぞ)
 彼の友人代表がスピーチしている最中であった。
 突然、携帯の着メロが鳴った。
 「続・荒野の用心棒」──「ジャンゴのテーマ」だった。
 あわわ、ぼくではないか。
 慌てて取った。
「朝松さん、『一休』の原稿、進んでますか」
 ……光文社の編集者だった。
 トホホな思いで、みんなの白い目を気にしながら電話を終えた。

 やがて、式は終わった。
 ぼくは妻と四谷の町を歩き始めた。四谷見附公園の銀杏の木がとても綺麗だった。なんとなく、「妖臣蔵」の成功を祈ってお岩稲荷にお参りに行った時のことを思い出した。
 JR四谷駅の前に出たら、駅の入り口左右にでかい日の丸が飾ってあった。
「今日は祝日だっけ」
「四谷だから日の丸を飾っているんでしょう。迎賓館も近いし」
「……」
 地下鉄の四谷駅に降りた時、駅員が、ポスターを貼っていた。
「皇孫殿下ご誕生のご慶賀に行かれる方のため、電車を増発いたします」
 と書かれてあった。
 ぼくと妻は呆然とポスターを見つめていた。
 ラッキーマン・ハシモトは、その人生最高の日において、とんでもない「ハッピーな偶然の一致」を呼んだのだ。
 
 このハシモトがかつて連載を依頼した「踊る狸御殿」は、いよいよ12月5日に見本が出来上がる。
 はたして、ぼくにも、「雅子様ショック」級のハッピーな奇蹟が起こるだろうか。
 ぼくは、いま、息を潜めて「その日」を待っている。                 

「ジキルとハイド」、十九世紀末、1888年

 23:14 01/11/30 
 一昨日、日生劇場へ観劇に行った。演目は「ジキルとハイド」。東宝とホリプロとフジテレビの共同制作。原作はスティーブンソン。それをイギリス人の脚本家レスリー・ブリッカスがミュージカル用に書いたもの。時折、「レ・ミゼラブル」を観ているような錯覚に襲われた。でもフランク・ワイルドホーンの音楽はホラーとメロドラマのツボをよく押さえていた。
 ジキルがハイドに変わるのはノーメイクアップ。あくまでも鹿賀丈史の演技に任せられる。彼に赤いスポットが当たるのがハイド変身のサインである。
 全体の印象は、映画版のよう。スペンサー・トレーシー版か。マルシア扮する哀れな娼婦がストーリーに絡むところのせいかもしれない。
 プロローグでロンドンの精神病院(ベツレヘム)に収容されている父を見舞うジキル。ここで、まず、「フランケンシュタインと地獄の怪物」を思い出した。同映画ではフランケン博士は世間から隠れるためにベツレヘムに隠れていたのだった。ハマーフィルム版のフランケンシュタインは19世紀末を舞台にしていたので、これが1888年前後でも平仄は合う。
 また、「1888年」というナレーター、アターソン弁護士(段田安則)の説明(原作の「ジキル〜」は年代が特定されていない)で、まずピンときたのは、「切り裂きジャック」事件であった。おそらくブリッカスの意識にも「ジャック」の事件があったのだろう。ちなみにジャックの第一の犯行は8月31日に起こっている。
 ところで、この1888年という年は、魔術結社「黄金の夜明け」団の創立の年である。メイザースやウエストコットが「秘密の首領」アンナ・シュプレンゲルよりG∴D∴の設立許可を得て、設立したのが、3月のこと。
 ちなみに1888年11月18日午後6時、当時ケンブリッジ大学の4年生だったアレイスター・クロウリーは、ユーストン・ロードのマーク・メーソン・ホールで、G∴D∴に入信している。
 さて、この頃は、吾らがシャーロック・ホームズの活躍期ではなかったか。ホームズの記念すべき第一作『緋色の研究』が新聞連載されたのは1887年、単行本になったのが1888年だから、まず間違いなかろう。
 すると、ジキル博士を脅迫するハイドの事件をアターソン弁護士がベイカーストリートに持ち込んだ可能性もあったことになる。また、ハイドの凶行跡に霊的に邪悪なものを感じ取った魔術師メイザースと大学生クロウリーが歩き回った可能性もある訳だ。
 山田風太郎的にここに日本人を絡ませることはできないかと思ったが、夏目漱石がロンドンに滞在していたのは1901年ごろなのでちと苦しい。
 しかし、「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」という小説があったのを思い出した。
 火星人のロンドン襲来はいつだったか。
 また、チャレンジャー教授が、ロスト・ワールドに旅立ったのはいつだったか。
 さらに、潜水艦ノーチラス号が、イギリス近海を荒らしまわったのはいつだったか。ドラキュラがロンドンに現れたのはいつだったか。
 この辺がうまくかさなると、たとえば──
 若き日のクロウリーは、マグヌス伯爵なる署名の残された古文書(前の持ち主はアメリカ人でジョゼフ・カーウィンといった)を使い、火星の召喚儀式を行ない、知的生命体と意識を交感させる。ところが、この実験に成功した夜、ロンドンのベツレヘム(精神病院)では、患者が大騒ぎし始めた。ことの起こりは、レンフィールドなる元不動産屋の患者が「旦那様が来る」と騒ぎだしたことだった。このパニックの鎮圧を精神科医セワード博士に頼まれたジキル博士は、(今夜こそ例の薬を我が身で実験しよう)と決心した。その頃、ロンドンにはトランシルヴァニアよりドラキュラが上陸し、切り裂きジャックが知られざる犯行を行い、ネモ船長は憎むべき大英帝国攻撃に着手し、「黄金の夜明け」の魔術師たちは「怒りの惑星」より「恐怖の大王」が舞い降りるという予言を守護天使より得て戦いていた。この予言を学識者に知らせようとしたウェストコットは、チャレンジャー教授のパンチを食らって失神。路上にあった彼を助けたのがワトスン博士だった。「おや、あなたはスコットランドヤードの検死官ウエストコット博士では」というワトスンの後ろの廃屋から、眼鏡をかけた男とのっぺりした顔の男が現れ、「それじゃ、今夜、あいつはここにお泊りという訳か」などと話しながら去っていく。廃屋の中には腹に真っ赤に熾った石炭を乗せられた男の死体があったのだが、火星よりシリンダーの第一陣が飛来するのを見ては、さしものアーサー・マッケンも、M・R・ジェイムズもどうしようもなかった。
 …いや、これは、冗談だが、1888年に限定して、史実・ホラー・ミステリー・SF・劇作・純文学などの登場人物を集めると面白いのではないか。
「ドラキュラ紀元」とは違ったアプローチのほうがよほど面白い。(パラレルワールドはご都合主義の別名ではあるまい)
 田中芳樹氏の「カルパチア奇想曲」のようなタッチが楽しくていいだろう。主人公はやはり誰でも知っている実在の人物。たとえば、バーナード・ショーとオスカー・ワイルドのコンビというのはどうか。
 火星人とハイドと切り裂きジャックとノーチラス号とドラキュラに襲われてアタフタする世界という設定は面白い。これに狂言回しに「我が秘密の生涯」の主人公が美人でヌードのお姉さんたちと絡んで何度も出てくればかなりイケると思われる。
 誰か書かないだろうか。
 ペインキラーさん、どうですか。

手ごたえのこと

 0:08 01/11/30
 今日は20枚まで書いたところで気に入らなくて破って捨てた。
 よく「夜に手紙を書くものではない」という。夜は気分が変に高揚するので冷静な文章が書けないという意味である。
 言葉が浮き上がる。文章がやけに上滑りになってしまう。緊張感が保てない。──ぼくの場合、こんな状態になるようだ。今回破った分は夜になって書いたところだった。
 かつて「私闘学園」を書いてたときには、絶対に昼間、必ずシラフで書くことを心がけていた。ギャグは冷静な状態でなければ面白くならないからだ。逆にアクション物の時はスピード感がほしいので、ノリを最重要と考え、ときには酒を飲んで書いていた。…しかし、今日、読み返すと、こうして書いたものはことごとく失敗に思えてくる。読んでいるぼくが年をとったせいだろうか。
 時としてぼくは「編集」や「校閲」の目で自作を読んでいる。

               Ψ

「手ごたえ」の感じられない時、ぼくは、原稿を破り捨てる。
「手ごたえ」とは何か。ひとことでは説明できない。
 作品と真剣に向かい合った時に感じる、あの、ひりひりした感覚だ。緊張。陶酔。「もっと書ける」という自覚。そして、幻視。そうだ。ぼくはしばしば作品の世界が「見える」のだ。細部まではっきりと。時代物でも現代物でも。ホラーでもファンタジーでもナンセンスでも、うまく書けた作品は細部まで幻視できた作品である。
 今回、アタマの十五枚は、確かに幻視できた。三人の主人公の性格も把握できた。しかし、それ以外がまだである。
「手ごたえ」は、ときに、岩山のようにこの手に感じられる。文字通りの「手ごたえ」だ。そんな時は幻視なしでも筆は進む。人物が勝手に動いてくれる。ストーリーは思わぬ方向に展開し、伏線も次々にはられていく。
「手ごたえ」か、幻視か。
 いずれかが現れるまで、ぼくは、書き、破り、また書きついでいく。
 本日はこれまで。原稿の進行は諦める。

               Ψ

 気になること。
 @ ネコ七氏の頭痛は大丈夫だろうか。
 A そろそろ「本当にあった愉快な話」の購読をやめるべきだろうか。
 B この半年で自分はバカになっているのではないだろうか。
 C 少なくとも小説が下手になっているのではなかろうか。
 D ラヴクラフトが十四歳の時に頭をつよく打って癲癇状の発作をもったという記述。この外傷と彼のリアルな夢とは関係あるのだろうか。(ぼくも脳手術後、超リアルな夢を見るようになったので)

ぶつぶつの記

 23:49 01/11/25
 実は現在、長編一本と短編一本を大至急書かなければならない。
 ところがこの一週間というもの、ぼーーーっとしてしまっている。何も出来ない。いや、書こうとはしてみたのだ。ところが長編も短編も五枚も書かないうちに、
「ダメだ駄目だだめだ」
 と、自己嫌悪に駆られてしまう。そのまま原稿を破って捨ててしまうのだ。
 どうやら、「旋風(レラ=シウ)伝」の改稿部分を完成させた疲れが、どっときているらしい。なにしろ、ぼくも四十五歳。若さなんて五十光年の彼方にいってしまった年齢である。1千枚を越える改稿作業をすれば、アゴも出ようというものだ。しかも全部「手書き」である。(原本コピーに朱字で訂正し、ところどころ原稿を追加していくのだから当たり前だ)やっていることは司馬遷の作業と変わらない。まあ、彼の時代は、誤字があったら、竹を削らなければならなかったそうだから、その分、楽なのかもしれない。
 で、新作も、手書きでやっている。
 ワープロで打つより手書きのほうが早いからだ。
 いや。
 もうひとつ理由がある。
 文章の「呼吸」が、ワープロでは掴みにくいせいである。
 この「呼吸」という奴は説明が難しい。
 時代劇にはとても大切な要素なのだが、それではどこがどうとは、簡単に言えないのだ。まるで陶磁器の職人が、「この色と艶を出すには、どんな上薬をどのように配分し、これこれの時間、何度の窯で焼くんですよ」と説明できないようなものである。
             Ψ
 今日、ようやく、長編と短編の全体像が見えた。
 ぼくは、次のような条件がないと書き出せない。@最後の最後まで決まった時(マジカル・シティ・ナイト、『一休暗夜行』など)A「絵」や「詩」が浮かんだ時(逆宇宙シリーズ、ネクロノームなど)、B心の底から「これを書きたい」と思った時(室町ホラー、『夜の果ての街』、『妖臣蔵』など)C締め切りがあって何がなんでも書かなければならない時(『背徳の召喚歌』、ナチ・クトゥルー物、ショートショートなど)、D電波に書かされた時(『黒衣伝説』、『魔界召喚』、『魔障』、『星の乱れる夜』、いくつかの雑誌投稿)E編集に泣きつかれた時(どの作品かは秘密です)
 で。──今回、五十枚くらい書き潰して、ようやく、「これだ」をつかむことが出来た。
 長編は「エピローグ」の文章が浮かんだのだ。
 短編は、B.G.M.が決まったのである。…これはキャブ・キャロウェイの十八番で、淺川マキも歌っていた「聖ジェームズ病院」。と、言っても、ピンとくるのはジャズメンのホラー作家田中啓文氏くらいだろう。
 恋人を亡くした男が貧しい人間のための病院、セント・ジェームズ病院までやってきて、しみじみ歌うブルースである。淺川マキ版では、「でも、あの娘はこんなきれいな病院に収容されたし、こんな嫌な世の中に早くおさらばしたから、運がいい」という内容になっていた。
 昔、カラオケに行った時、これを探してもなくて、菊地秀行氏が「どんな歌なの」と尋ねたところ、すかさず竹河聖氏が「死にたくなるような歌よ」と説明したものだった。(菊地氏によると、ぼくは暗い歌・哀しい歌が好きだそうだ)
 それはともかく、「聖ジェームズ病院」のメロディが口笛で流れる、真夜中の病院。果て知れぬ廊下。数え切れないドア。人の気配のない病室。くすくす笑いの聞こえる手術室。割れたガラス窓から漏れ入る青白い霧。進む三人。待っている二人。悪意と冷笑の気配が広がり、影が長く伸びていく。
 これで行くことに決めた。
 明日から迷うことなく筆が進むぞ。しめしめ。
            Ψ
 ここに至るまでに接した本とビデオ。
 「雨月物語」「ドグラ・マグラ」「大殺陣」「魔界世紀ハリウッド」「鬼の棲む家」「20世紀SF映画」「20世紀ホラー映画」「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」「ベルゼブブ」「呪禁官」「中世の遊女と乞食」「馬琴の食卓」「M.R.ジェイムズ怪談全集@A」「足利将軍暗殺」「中世の罪と罰」「宮本武蔵 第一部〜第五部(ビデオ)」「碁娘伝」「星の国のアリス」「惑わしの森」「黄金の輝きを!」その他沢山。
 書き出せたのは、みなさんのお陰です。

昔のことなど

 23:03 01/11/11
 朝松メーリングリストに「オカルト時代」に出入りしていた頃の話をちょこっと書いたら、なんだか急に当時のことが思い出されてきた。
 当時、ぼくは一浪して、大学に入ったばかりだった。
 荒俣宏さんの紹介で、みのり書房に、ライター仕事をもらいに行ったのだ。初代編集長は時事通信か共同通信を辞めて「オカルト時代」を立ち上げたという人物だった。その名は、きれいさっぱり忘れてしまった。ただ、「これからの時代を動かすタームは、オカルトだよ」と、自信満々に語っていたのを覚えている。確かに時代は、「科学」から「オカルト」へ流れようとしていた。
 しかし、ぼくの目的は、ホラー小説を書くことだった。
 だから、回してもらった仕事も、おざなりに流してしまい、あとは読み物の仕事をしたがっていた友人を紹介して、ゆっくりと遠ざかっていったのである。
 ただ、この編集長が、「キミ、ちょっと、付き合って、記事にまとめてみんかね」といった企画だけは、やってみたかった。
 それは「降霊会」の企画だった。
 実は編集長は、通信社時代から、官能作家の団鬼六先生と懇意で、団先生は霊的世界に興味を持っており、降霊会をやりたがっているというのだ。
 この降霊会に招待しようとしたメンバーが面白い。
 団先生は当然として、先生の親友の渥美〈寅さん〉清。三輪明宏。石原〈太陽の季節〉慎太郎。…まだいたような気がするが、これだけでいいだろう。
 とにかく実現していたら、絶対に記録に残ったはずである。
 あいにく各氏のスケジュールが合わなくて企画は流れた。…流れて良かったような気がしないでもない。
「オカルト時代」は、のち、平凡出版からやって来たMなる男が編集の主権を握り、読み物雑誌からサブカル雑誌へ、そして誌名を変えてメンズ・マガジンへと変容していった。誌名変わった「オカルト時代」の後身は「OUT」。のちのアニメおたくの殿堂である。
 
 今、思い出したが、ぼくには、このテの──あれに参加してたら人生変わっていたかも──という体験が異様に多い。
 ロズウェルからホワイトサンズまでUFO探求一年間アメリカの旅とか(語学力に自信がないのと、遠出するのが面倒なので断った)、フリーメーソンのバーベキューパーティーとか(なんとなく話が合わないような気がして断った)、魔術結社の入信式(ウチの御宗旨に合わないのでやめた)、UFOの観測会、交霊会、幽霊屋敷ツアー、魔術儀式…。
 早い話が臆病なのかもしれない。
 そういえば、若い頃、年上のお姉さんに、「わたし、寂しいのよ。今夜、一緒に御酒でも飲まない」と誘われて、友達三人連れて押しかけ、「これだけいたら、寂しくないっす」と言ったことがある。
 単なる鈍感なのかもしれない。
 まあ、この性格のお陰で、今日に至るも犯罪者にも狂信者にもカルトな人にも火宅の人にもならずに済んでいるのだろう。
 
 昔語りは、また、面白い出来事を思い出したら、することにしよう。

映画・エレメント・「中世異説」

 23:15 01/10/28  
 まことに遅まきながら、中村錦之助(のちに萬屋)の「宮本武蔵」を借りてきた。全五部。借りたのは第四部までで、見たのは、まだ第一部だけである。
 面白かった。流石、時代劇の神と呼ばれた内田吐夢監督、暴れ者のタケゾーが人生と向き合うまでを見事に描いていた。「バガボンド」の井上雄彦も参考にしたのではあるまいか。ショットの中にコミックとダブるものがあった。
 しかし、コミックにも原作にもないシーンがあって、さらに興味深かった。白鷺城の天守閣に幽閉された武蔵の前に、彼の先祖たる赤松一族の亡霊が出てきて、「一族の恨みを晴らしてくれ」というシーンがそれだ。いやあ、宮本武蔵が、赤松一族の末裔とは知らなかった。
 それから床や壁や柱から、天守閣で死んだ人間の血が、じわじわと滲んでくるシーン。これも、ゴシック風で、嬉しかった。
 惜しむらくは、その血の量があまりに少なかったことで、ぼくなら、床一面がひたひたになるくらい血で一杯にするところ。そして、能の舞台よろしく、床に武蔵の姿が反射するのだ。これが彼の未来を暗示するという訳である。
 こんなことを思ったのは、何日か前、三種類の「マクベス」を見比べたせいだろう。
 三種類とは、オーソン・ウェルズの「マクベス」、ロマン・ポランスキーの「マクベス」、そして吾らが黒澤明の「蜘蛛巣城」である。
 この中でプロローグが印象深いのは、ポランスキー版だ。三人の魔女は濡れた広い砂浜(干潟か?)に集っているのである。そして、彼らの姿が、濡れた砂の表面に映っている。これが、磨き上げた舞台の上に立っているような効果を齎すのだ。ウェルズ版では、三人の集まっているのは、乾いた荒野の片隅。おそらく岩山の上だ。しかし、ここに水は縁がないかというと、さに在らず。大釜がぐつぐついっている。そして、その中から、泥の塊を取り出し、よく拭うとマクペスの胸像が現れるのだ。黒澤版は、霧と土砂降りで、これまた水と関わっていた。
 魔性のものと「水」気とは縁があるのだろうか。
 ここで、ぼくは罰あたりにも、山本ひろ子「中世神話」(岩波新書)の一説を思い出していた。

 …「水大の元始」は、まず「そもそも、水は道の源で、流れて万物の父母となる。それゆえ森羅万象を育む」とテーゼをかかげる。そして続く神話の内容は、『雑譬喩経』の記述と記紀神話を擦り合わせたものになっている。

  1. 天地開闢の昔、水が変化して天地となって以降、高天海原に独り化生した「霊物」があった。その形は「アシカビ」(引用者注・葦の若い芽のこと)のようであった。名前は知られていない。
  2. そのとき、霊物の中から神が化生した。これを天の神とも「大梵天王」とも名づける。
  3. 天帝の御代になって、この霊物の名を「天のヌホコ」とも「金剛宝杵」とも名づける。

        (以上、同書40頁)
 
 山本ひろ子氏の記述は、一面の浅瀬とそこに伸びた葦の芽という、どこか大石凝真澄の神道霊学めいたイメージへとひろがっていく。
 しかし、ぼくは、まず自作「水虎論」にイメージを繋ぎ、それからさらに和製クトゥルー神話や中世伝奇時代劇に広げていきたいのだ。

「校閲」の重要性

 23:55 01/10/18
 昨日の「日記代わりの随想」で、「フェイス・オフ」とあるのは、「フェイド・トゥ・ブラック」の誤り。
 と、こういうことを指摘するのも「校閲」(こうえつ)の仕事である。
 今日の朝、東京創元社のM原氏から、「狸御殿」の最後の、最後のチェックがはいった。電話で受けて答える。これで完璧にゲラは作者と編集の手を離れて、印刷に回されるのだ。
 ところで、十六日(火)はM原氏と三時間あまり、ゲラに入れられた「校閲」のチェックを検討し、照らし合わせ、訂正していた。
 作家にとって、この「校閲」チェックほどスリリングなものはない。しかし、校閲を省いた本ほどインチキで、当てにならないものはないのだ。
 あなたは海外の小説をよんでいて、「あれっ」と呟いたことはないだろうか。──たとえば、アタマのほうで毒ガスを吸って玄関で倒れた筈の執事が、庭で「わたしは一体…」とか言いながら起き上がる。あるいは、クルマのダッシュボードに入れた筈の拳銃を、主人公がダッシュボードの上から取り上げる。また、トンネルに入った時にはポルシェだったクルマが、トンネルから出た時にはベンツになっている。さらに二軒並んだモーテルの、右と左、それぞれに泊まってしまった追うものと追われるもの、翌朝、彼らが出てくるモーテルが左右逆になっている。
 こんなおかしな現象は、すべて、海外(特に英米)の出版社に「校閲」がないせいである。
 わが国の(ちゃんとした)出版社には、「校閲部」あるいは「校閲者」がいてくれて、こうした作家の間違い・勘違い・無知・矛盾を指摘してくれるのだ。ことはカミソリ一枚の矛盾も許されないミステリに限らない。たとえば、時代小説では、「この小道具は天保のもの。寛永には在りえない」とか、「この人物は源氏系にあらず」とか、指摘してくれる。魔術書なら、「ヘブライ語は右から左に書くものなり。ここでは英語と同じ左から右に記されている」とか、「名状しがたきものをあらわすラテン語の綴りが間違い。ルウェリン版やワイザー版と付け合せてみるべし」とかチェックを入れたりするのだ。
 校閲者は、だから、下手な学者より物知りである。バカな作家より言葉の使い方にこだわる。愚かな編集者のミス・知ったかぶり・アタマの悪さをびしばし指摘する。しかし、優れた校閲者は、単なる「揚げ足取り屋」ではない。たとえば時代小説なら、「堂宇という表現では大きな感じがしすぎる。せめて御堂(みどう)としては」とか、魔術書なら、「上智大の神学科に問い合わせたところ、クロウリーのギリシア語はデタラメと判明。ただしくは以下の通り。『愚昧なる批評は反論の気持ちさえ萎えさせる──ホラティウス』…」さらにミステリならば、「ペインキラーが三田主水と会っている時間に久留の犯行を可能にするのは、彼が八時ちょうどの〈あずさ2号〉に乗って、上野を出れば良い」などと作者に代替案のひとつも提供してくれるのである。だから、講談社では毎年、校閲者は厳しい試験を受けて、その地位を更新させるのだそうだ。
 これまで出会った「校閲」で最高は、光文社の校閲であった。ここは常に作家の意図を汲み取る立場で校閲してくれた。
「昔の中央公論社」の校閲もなかなか鋭いツッコミがためになった。
 ソノラマは、朝日新聞の校閲部を辞めたヒトが校閲をしてくれていた。
 早川の校閲も、東京創元社の校閲も、細かくも厳しくて、ためになった。
 ところが、である。
 この「校閲」を内部・外部を問わず、まったく通さずに、原稿を本にしてしまう出版社が、じわじわと増えているという。
 もらった原稿をそのままゲラにして、校閲も通さず、編集がチェックもせずに本にするのなら、それは、同人誌である。
 ぼくがネット配信のEーノベルスに後ろ向きなのは、電子出版と違い、これらが「編集」の目も、「校閲」のチェックも通していないからだ。
 また、一部の出版社と付き合わないのも、マトモな校閲が入らないことが、大きな原因である。
 しかるに…。
 某大手新聞社は、経費削減のため、校閲部を廃止する方向だという。
 おお、出版のみならず、新聞の同人誌時代がやってくるのであろうか。
 
 いやな時代だなあ。──勝新太郎。

不可思議日記・邪神史観・信長

 22:23 01/10/17
 今日は第三水曜日。定期検診のため、日大板橋病院へ行く。
 外は雨。
 雨の中を駐車場まで歩いていく途中、突然、閃く。
(もし、『中世異説』が、戦国時代初期においても「活きて」いたとしたなら…)
 先日の「『太平記』と『中世異説』とクトゥルー神話の関連性」についての続きである。つまり、第六天魔王が、仏法より逃れるため、天照大神に(半ば騙されて)この日本国を委譲したという説のハナシだ。
(織田信長が自らを〈第六天魔王〉と称し、〈世界の王〉を気取ったのは、この国を本来の持ち主に戻そうと、企図してのことではなかったのか)
 つまり、信長の行った大虐殺は、この世を本来の持ち主(旧支配者という呼び名がこれほどマッチする存在はあるまい)に返還するための儀式であり、ムーブメントだったのではないだろうか。
 この見地から見た場合、彼の「仏門嫌い」「朝廷軽視」の説明がつくのではあるまいか。
          
                 Ψ
 
 病院でリハビリを受けながら、さらに考える。
 実は信長の祖先は神官で、「古事記」に登場する妖物゛井光゛イヒカ(地底に住む有尾人。尾が光り、井の底に住むので゛井光゛という)を退治したという家伝を持つという。ならば、織田家に「中世異説」のかなり異端的なものが口伝として残っていた可能性は大きいのではないか。

                 Ψ

 脳外科の外来で受診を待つ。どこかで歌う声。神経科の患者さんらしい。きれいな歌声である。
(『中世異説」で興味深いのは─)
 と、考えた。
(《日本書紀に曰く》と言いながら、古伝を開陳するのに、調べてみるとそのような記述が日本書紀に存在しないことだ。
 これを単に、中世神道家の捏造としたのでは、面白くない。むしろ、そのような古伝─怪異な古代伝承を記した日本書紀が本当に存在した、と考えたほうが、伝奇的である。
 現在の日本書紀は朝廷がその存在意義をアピールするために編集したものだ。これは間違いない。ならば、朝廷が切り捨てた日本書紀があった筈ではないか。そんな日本書紀は、中世まで文書として残っていたのではあるまいか)
 そこまで思いを巡らせたところで呼ばれた。
「打撲のあとはどう。じつは打撲によく効く漢方があってね」
 主治医は漢方が好きなのだ。
「いいのがあったら、紹介してください」
 と、答えて、処方箋を書いてもらった。
 帰りのクルマの中で、ぼくは想像を膨らます。
(信長の天台や本願寺に対する攻撃はとても仏教を信奉する人間の手法ではなかった。考えてもみろ。斎藤道三や武田信玄や上杉謙信は、その行動に相当残忍なものがあったにも関わらず、いずれも仏教に拘泥し、出家さえしているではないか。だが、信長は違った。かの松永弾正でさえ彼には恐怖を覚えていた。なぜだ。信長は仏を信じていなかったからだ)
(もし、織田家に、『影の日本書紀』とでも呼ぶべき文書が伝わっていたとしたらどうだろう。そこには、この国の真の所有者(やはり旧支配者という呼び名がフィットする)に関する情報や、蝿声なす邪しきこの国に住まう妖物の情報・呼び方・退治方や、さらにヒトが神になる方法が書かれていたとしたならば…)
               Ψ

 ライフに寄って、秋モノの買出し。土鍋のでかいのも買う。
 家に戻って昼食。
 のち、『ポップコーン』と『スピーシーズ 2』、二本のビデオを見た。
『ポップコーン』は期待したほどではなかった。なんとなく『フェイス・オフ』(だったっけ)、映画狂の男がいろんな映画の名場面を真似て殺人を繰り返す映画を思い出す。1980年代半ば、ビデオの普及期に出回ったチープなホラーの味。『スピーシーズ 2』はポルノチックな(というほどの刺激でもないなあ)SFホラー。エイリアン・シリーズの真似か。パート@はきっと面白かったのだろうな。今度、借りてみよう。ストーリーが、エイリアン化する男・エイリアンのクローンオンナ・エイリアンを追うはーどぼいるどガイの三方向に分散したので、面白くなくなったように思う。ぼくなら、どう料理するかな。
 夕方、ひと眠りしてから、散歩。
 家に帰って、急に、今日思いついたことを誰かに聞いてもらいたくなる。
 友達に電話しても、偶然、みんな留守。仕方ないので「SFマガジン」の塩澤編集長に電話する。塩澤さんは一所懸命聴いてくれた。
 話したりなくて田中啓文氏に電話。だが、電話が遠い。とても残念であった。

              Ψ

 本日の思いつきは、必ず、今後の「室町伝奇ホラー」「ミ=ゴウ秘帖」「一休シリーズ」その他でいかそう。
 「© 朝松健」だからね。
 みんな覚えていてね。

人生は楽しいね

 23:08 01/10/15
 今日はすこぶる気分がいい。
「レラ=シウ」の執筆が進んだため。これは大きな要因である。
 パソコンの「こいこい」で、12ヶ月五十八文というかつてない(私のだよ)記録を打ち立てたため。いやあ、そんなので幸せになってたら、小六の長男と同レベルですよ。
 かねてより欲しかった「木綿口伝」が安く手に入ったため。そいつは昨日の出来事だ。
 コーヒーが美味いのは毎日だし、何を食べても美味いし、二本の入れ歯の調子もいい。子どもたちとの会話は最高にたのしい。
 まるで「多幸症」になってしまったかと思われるほど、気分がいいのは何故か。……残念ながら、ここでは書けないのだ。今後の仕事に関わるので、それが実現するまでは、ないしょ・ないしょ・ノンたんにはないしょ・なのである。しかし、やっぱり、「ホラー」は人間関係を豊かにするし、ついでに懐も暖かくしてくれるものなんだなあ。
 わたしは、ホラーファンやってて良かった。また、ホラーを啓蒙し続けて、本当に良かった。ホラーを書きつづけて良かった。
 人生は楽しい。
 人と知り合うことは楽しい。素晴らしい。
 ホラーを通じて、明日は、またどんな才能ある人たちと知り合えるだろう。
 この文章を読んで、「????」になってる貴方に、とりあえず、ハッピー光線をお送りします。その時がきたら、すべてお教えしますので、待っててくださいね。その代わり、はっぴー光線、しゅわっち!!

陰謀論なんてこわくない

 23:33 01/10/08
「レラ=シウ」の執筆が煮詰まってきたので、この何日か、ビデオを見ている。
「真田風雲録」(1963・東映)、「二人の武蔵」(1960・大映)、「花の乱」(NHK)──。気がつけば、古いものばかりではないか。このままでは、前向きに「後ろ向き」な、昔は良かったぞ爺になってしまうように感じ、雨の中、新作を借りに行ってきた。
 レンタル・ビデオ店で一番多くならんでいる新作を借りる。
「ハンニバル」。アンソニー・ホプキンスのレクター博士の第二作だ。生憎と日本語版しかなかった。が、そのお陰で、字幕を読む作業から解放され、作品の中に隠されたあれやこれに目を向けることができた。

             Ψ

 実は、先日の「パンクな夜」に友成純一氏から、奇妙なことを聞かされた。
「今のハリウッド映画ってのは、その時々の政界とか政策なんてものと密接に絡んでいるんだよ」
「と、いうと」
「つまり、これからのアメリカの政策がどうなるかは、ハリウッド映画を見れば、すぐ分かる」
「……」
「右傾化するなら、ランボーとかダーティー・ハリーみたいなのが。左傾化するなら、「ソルジャー・ブルー」や「いちご白書」のようなのが、もてはやされてヒットするんだ。いわば、映画は、もはや単なる政治プロパガンダにすぎないのさ」
「まさか、そんな…」
「最近の話題作っていったら、『猿の惑星』か。あれなんか、バートン監督の意向よりプロパガンダのほうが強かったんじゃないかな」
「……」

             Ψ

 さて、「ハンニバル」は、2001年公開のばりばりの新作である。
 と、いうことは、撮影はその半年から一年前には終わっていた筈だ。
 まず、この点を頭の倉庫にしっかりと入れておいてもらいたい。
 作中──フィレンツェ警察の刑事が、FBIのサイトを覗くシーンがある。古文書図書館の司書候補フェル博士が、あるいはアメリカで手配されている指名手配犯ではないかと、彼は思ったのだ。そして、自分のパスワードを入れて、FBI指定の「10大凶悪犯」というデータを出してみる。すると、10人の人間の肖像が、現れる。
 その次なのだ。問題のシーンは。
 一人のアラブ人の顔がアップになる。その下には、「ビンラディン」と記されている。そう、現在、ダース・ベイダー以上に悪名を全世界に轟かせている男の顔と名前である。
 ぼくは、「おい」と、独りごちた。
 ビンラディンが、ハンニバル・レクターとならぶ凶悪犯だって。
 いかにも才人リドリー・スコットのやりそうな悪戯ではないか…などと感心しているヒマではない。これはあの事件のずっと前に作られた映画ではなかったのか。

[どうしてビンラディンがあのシーンに出てこなければならなかったのだ]

 ロードショー公開版を見ていない自分をもどかしく思った。だが、考え直した。もし、公開時に、あのシーンがあったとしても、きっと、まったく意識に残さなかっただろう。それくらい短い、しかし、しっかりと名前を読めるくらいの時間だけ、一人の人物をアップにする。これは尋常なことではない。少なくとも、ぼくはそう思う。
 最初に浮かんだのは、「謀略」と「シナリオ」という言葉であった。
 友成さんのプロパガンダ説を受け入れるなら、アメリカは、「ハンニバル」を完成した時点において、すでにビンラディンを凶悪犯としてアピールする必要があったのではないのだろうか。それも生半可な犯人ではない。かの「人食い」ハンニバル・レクターと並ぶほどの凶悪犯である。
 次に浮かんだのは、「サブリミナル」の一語だ
 全世界的にヒットが約束されている作品にワンショットだけ名前と顔が入るのである。その宣伝効果は絶大なものがあるだろう。映画の中で、クラリスのテーブルの上に置かれた雑誌を覚えているだろうか。意味ありげに開かれたそのページには、大きく「グッチ」と印刷されていた。何故か。グッチが、この映画の制作費の何パーセントかを負担しているからである。…ならば、あの事件以前において、おそらく世界の99.999999パーセントの人間が名も知らなかったアラブ人の顔と名前を入れたのは何故か。まさかアラブ人が制作費の何パーセントかを負担して売名に使った訳ではあるまい。では、何故か。全世界の一般大衆の潜在意識に、アラブ人の名をレクターと同列の存在として刷り込む必要があったのではないだろうか。
 もし、これが、ぼくの妄想でなかったとしたならば……
 
[国際貿易センタービルは、一体、いつから゛崩れること゛が決まっていたのだろうか]

パンクな再会

 0:02 01/10/07 
 十月一日は午後六時より、角川春樹事務所の創立五周年パーティー。
 パーティーの一時間前まで、長男の買い物に付き合っていたので、会場に着いたらへばっていた。
 会場に入るなり、まず、角川春樹前社長のもとへご挨拶に。
「やあ、来てくれて有難う」
 とにこやかな前社長はお痩せになっていたものの、かなり血色がよく、薔薇色の肌をしていた。「お招き有難うございます」と挨拶後、席を確保して座る。隣に松尾未来。テーブルの向こうには知らない人たち。先日のパーティーのようなこと(気安く話し掛けようとして大先生と知ってビックリ)のないよう目を合わせないようにする。これは後に正解と知った。なんと今年の推理作家協会賞を受賞した東直己氏だったのだ。(アブねー)開会の辞あたりから、ようやく知ってる顔がみえてきた。井上雅彦氏、飯野文彦氏、秋山真人氏、そして──
「どもどもども。遅れちまってさ」
 と現れましたトモナリ名人こと友成純一氏。実は、この日は、友成さんと会うのが楽しみの一つだったのだ。
「まだ始まったばかりですよ」
 などと話していたら、大森望氏が友成名人を見つけてやってきた。
「子どもが生まれたんだって」と、名人。
「ええ、まあ」
「それでナンだよ。名前はあるのかよ」(すごい言い方)
「名前くらいありますよ」
「へええっ」(切って捨てる言い方)
 と、名人は少しずつパンクな調子のボルテージを上げていく。
 これ以上いては名人の毒気に当てられると思ったか、大森氏は消えてしまった。やがて、代わりに現れたのが、飯野先生と井上氏。飯野氏は、にこやかな笑顔を浮かべていた。(会場に着くや否や、水割り三杯、イッキに開けたためと、後に知った)尊敬する先輩友成氏に会えて、飯野氏はご満悦。ここに天性のパンク作家と、アルコホル・ノヰズ作家のぱんくな夜の幕は切って落とされたのだった。
 一方、こちらは、山田正紀氏や永井豪氏にご挨拶。さらに、南山宏氏と秋山真人氏の間に割り込んだ。例の「神秘大博物館」のことを、お二人とも知らなかったのが、意外であった。一方、稲川淳二氏監修で、「心霊写真4枚セット」というのが、ガシャポンで売っていると聞かされ、なんだか、病んでいるな、と感じられたのだった。
 パーティーでは、恒例の「社長賞」の表彰も行われ、ぼくの担当編集者の斎Tくんが精勤賞に輝いていたのが目出度くも嬉しかった。
 ところで角川春樹事務所のパーティーは、前社長の性格が反映してか、作家以外の招待客が多いのが楽しみなのだ。書店関係、広告代理店関係、俳句関係、映画関係、「ポップティーン」のモデル、そしてオカルト関係や前社長の友人関係という人たちもいる。初めて招待された一昨年は、デビュー直前の小柳ゆきが現れ、「あなたのキスを数えましょう」を歌った。去年は、某大物政治家付きの占い師とか、三遊亭円窓師匠と知り合えた。今年は、とにかく角川前社長にお会いできたのが、収穫であった。…とはいえ、衆議院議長がSPに守られてスピーチしたり、NTTの世話役が挨拶したり、と例によって驚かされてばかりいたのだが。
 二時間あまりでパーティーはお開き。
 ぼくは、友成さん、飯野さん、井上さんに、「どっかでお茶でも」と誘う。
 帰りに「金子みすず」の詩集と映画「みすず」の招待券をもらって、外へ、出た。友成さん、飯野さん、と出てきたが、井上さんが出てこない。松尾未来が探しに行ったが、見つからなかった。
 仕方ないので、ぼく・松尾・友成さん・飯野さんの四人で、近くのビルの地下にあるライオンへ。行き場に困った時にはライオンに限る。
 さて。ここからが、実にパンクな夜となった。
 友成名人と飯野さんは、ギネスビールを飲みながら、次第に、ボルテージを上げていく。
 以下はその一部。ただし、差しさわりのある個所は伏字とする。
「バカが多いよな、本当に」
「大体、作家がみんなキチンとスーツを着ているのに、なんで書評家がラフな格好してんのよ。おまけに、こっちが丁寧に名刺を出しているのに、手前はふんぞり返って、名刺は返さないわ、そのままポケットに入れちゃうわ。一体、どんな社会人生活送ってきてんだか」
「そういうのに限って、アタマいい振りするんだ。やれ、バルトがどうの、レクリチュールがどうの。しかも自分の言いたいことがないから、花田清輝あたりのコトバを引用して締めくくり、頭いい振りする」
「作家もバカが多いよな。特にミステリ作家で、35歳過ぎてんのに学生気分が抜けてないバカ」
「大学ミステリ研系のバカですね」
「そうよ、出版界にゃいっぱいいるよ。一社に一人いたら、その三十倍はいる」
「ゴキブリですか」
「おんなじようなモンだろう。セコい賞もらって天狗になって、釣り舟に乗ってまで、本格ミステリのハナシしてやんの。周りはみんな釣りビトだぜ。誰がそんなコト、聞く耳持ってんだ。釣りに来たら、サカナのハナシをしろってんだ、バカが」
「ぼくは同業者の悪口なんていえませんよ」
「ああっ、Aさん、裏切る気でしょう」
「そういうI、手前、オレが東京にいた頃、殊能と一緒にオレのボトル、飲みまくりやがって」
「ち、違いますよ、Tさん。あれは全部、山下とか仙波さんがやったことで…」
「ちょい待ち。差しさわりのある個所は伏字にするって言いながら、伏字になってるのは、この場にいるヒトの名前だけじゃない」
「流石、奥さん。鋭いご指摘」
「だから、よせって言ってるだろ、この酔っ払い」
「じゃあ、ぼくは、友Nりさんと、もう少し飲みますので」
「おごらねえぞ、オレは。ったく、大学の後輩だと思って甘えやがって。同窓のよしみだけで、この業界、渡っていけたら、あいつもこいつも、みんなもっと早くメジャーになってるってんだ。バカヤロー」
 そうして、T××名人とイー×君は、そぼ降る雨の中に消えていったのだった。

(ここまで書くのに四日もかかってしまった。なにしろ、二人が酔って話してくれるコトが、『噂の真相』や『裏モノマガジン』より面白くてスゴイもので、編集に手間どってしまったのだ。ふう…。やっぱり、出版界は化け物とバカモノの渦巻きだよ。やだやだ)

長老たちの宵

 23:06 01/09/26
 今日は午後六時より峯島正行氏の「評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭」出版記念会だった。
 どうしてぼくが峯島氏のパーティーに呼ばれたかというと、同氏は有楽出版社の前社長で、ぼくに初めて大人向けの小説を依頼してくれた人だからだ。
 その時書いたのが「凶獣幻野」で、意気揚揚、原稿を見せたぼくを峯島氏は、
「なんだい、これは。ありきたりなバイオレンスじゃないか。わたしは君にホラーを依頼したんだ。まったく新しいホラーを」
 と、一喝したのだった。これは驚くと同時に嬉しかった。
(この人はオレにホラーを期待してくれているんだ)
 と、なんだか不良中学生が自分を理解してる先生と出会ったような気がしたものである。
 そうしてリキを入れて書いたのが、「魔犬召喚」だった。
 この本は全然売れなかったが、峯島さんは、またチャンスをくれた。それも作品のヒントと一緒にくれたのだった。
「君のウリは魔術なんだから、ひとつ、魔術小説をたのむよ」
 と彼は言い、
「昔、『漫画サンデー』の編集長をしている時に、ある時代小説の大家に、『いま売り出し中の山田風太郎という作家をどう思われますか』と尋ねたんだ。そしたら、先生、『キミ、山田君は、天才だよ。忍法帖を十冊書いたら、大天才だ』と絶賛した。それを聞いて、ぼくは、その日のうちに山風先生に連載をお願いしに行ったんだ。朝松君、キミも、ひとつ〈召喚〉小説をウチで十冊書いて、大天才と呼ばれたまえ」
 と、励ましてくれたのだった。
 彼の言葉をヒントに、ぼくは、「魔術戦士」を書いた。
 これを読んだ時の、嬉しそうな顔は今でも覚えている。峯島さんは言った。
「こいつは新しい。全く、新しい」
 だから、有楽出版社の親会社が「しばらく有楽は官能専門でいくこと」と決定した時には、本当に悔しそうだった。
「あいつら、何も分からないんだ」と吐き捨てたのち、彼は言った。
「依頼したのはウチだから、せめて気持ちとして、これだけ受け取ってくれたまえ」
 そうして、彼は、三十万円もくれた。
「こんな……」
 とは言ったが、ぼくは、「受け取れません」とは言えなかった。間もなく、ウチには二人目の子どもが誕生しようとしていたからである。峯島氏も、それを知っていて、こんな大金を本にもならないのにくれたのだった。それ以前もそれ以後も、作家生活十五年、このような形で「版元の誠意」を見せてくれたのは、峯島氏ただ一人であった。この件以来、ぼくは、いつか必ず何らかの形で峯島氏にご恩返ししようと思い、今日になるも果たせずにいる。
 今日のパーティーは、そんな彼に相応しく、日本の漫画界・小説界・挿絵界の巨匠たちが集ったものだった。
 早乙女貢氏と佐野洋氏の祝辞、杉浦幸雄先生(御年九十歳だという!?)の乾杯の音頭、さらに栗本薫氏・眉村卓氏・小島功氏・秋竜山氏らのお祝いが続く。ぼくはただただ端のテーブルでウーロン茶をなめ続けるばかりだった。そして、ちょっと立ってはクマのごとくウロウロし、また、隅のテーブルに座ってウーロン茶を啜っていた。
 そんなぼくを追いかけるように、六十前後くらいの男性が、やはり行き場がなさそうに水割り片手に、端のテーブルから隅のテーブルへと移動していた。
 あんまり行く先々に、また、やってくるので、なんとなく親近感を持ってしまい、「お互い、枯れ木も山の賑わいの゛枯れ木゛ですね」と話しかけそうになった。どこか若い時の風太郎先生に似た「おじさん」であった。
 と。──その時である。司会者がマイクでこう言ったのだ。
「伴野朗先生、おひとつ、お言葉をお願いします」
 すると、傍らの「おじさん」が立ち上がり、そのまま、壇上へと進んでいったのだ。
(あの人、伴野朗さんだったのか。よ、良かったあ。なれなれしい口きかなくて〜)
 ぼくは、そっと椅子の中でへなっていったのであった。
 ひょっとして、本日の「枯れ木も山」の「枯れ木」は、ぼくだけだったのでは……。そんなことを思いつつ、帰ってきたのだった。

「太平記」読みの「クトゥルー」知らず

 23:10 01/09/22
 昨日の夜のこと、「太平記の時代」新田一郎著(講談社)を読んでいたら、とても気になる記述にぶつかった。以下、引用する。
「…『太平記』はそもそも一個人の作になるものではない。特定の集団の一貫した意匠に帰せられるものでもない。その祖型が形づくられ世人の目に触れてから後にもなお、繰り返し手を入れられ、それぞれの現在との不断の応答の中で、多くの相異なる意図が介在することによって、長い時間をかけて成立したものなのである」
 三年ほど前から、室町時代を舞台に、伝奇時代小説にホラーのテイストを入れたものを書きはじめた。この仕事は、(苦しいことは苦しいが)かつてない楽しさをぼくに齎してくれたのだが、さてそれは何故なのだろう。また、どうしてぼくは、しばしば、この室町伝奇ホラーに、「クトゥルー」の影を忍ばせたのだろう。と、ずっと自分でも不思議に思っていた。
 そして、「ネクロノーム」の制作メモを見て、自分が、神と神とが存亡を賭けて戦いあうクトゥルーの「世界」に、日本中が相争う太平記の「世界」を重ね合わせていたことを思い出したのだが、事態は、もっと根が深かった。
 つまり、太平記の成立が、非常に、「クトゥルー的」だったのである。
 クトゥルー神話はそもそもラヴクラフト一個人の作になるものではない。最初こそ彼と同時代を生きた作家群の意匠であったのだが、彼の死後、ダーレスによって本来とは異なる意図が介在した。しかし、その意図も、ダーレスの死後、世界的な営為に発展する中で、より多くの意図が介在することとなって、今日あるようなかたちで成立を見るのである。
 だが、「太平記」の「クトゥルー」的側面は、その成立や外見上の類似に留まらない。
「そんな馬鹿な」という前に、まず、以下の引用文をお読みいただきたい。
「この『太平記』という書物は、単に南北朝時代の歴史過程を叙述したというにとどまるものではない。(中略)その叙述の過程には、しばしば物語全体の流れを犠牲にしてまで、さまざまな言説群が取り込まれている。たとえば巻十六、(中略)「皇統ヲ立テル」事をキイとして「日本朝敵ノ事」という挿話が呼び出され、「日本開闢ノ始」にさかのぼって「朝敵ト成テ滅シ者」の物語が、「中世日本紀」(朝松注・『日本書紀』『神代巻』についての中世独特の異説群)の代表的な説の一つである「第六天ノ魔王」の説話(日本はもともと魔王の所領であったが、天照大神が本心を隠して魔王と約諾し国を建てた、とする説)を交えて語られている。」(「太平記の時代」16ページ)
 日本が魔王の所領であった!
 天照大神と魔王との約諾!!
なんとラヴクラフト的、コスミック・ホラー的、すなわちクトゥルー的「異説」であろう。だが、どうして中世異説に裏打ちされた「太平記」が、かくも「クトゥルー的」なのであろうか。それは、どうやら「中世異説」を確立した当時の神学者の思考のベクトルに原因があるらしい。
 宗教思想史学者の山本ひろ子は「中世神話」(岩波新書)の中で、次のように語っている。
「思うに神学者たちが開闢神話の神々に惹きつけられたのは、これらの神々がそのあと神話の世界から消失してしまったからにちがいない。たしかに、はなばなしく活躍する英雄的な神々に負けず劣らず、「隠退神」には魅了してやまぬものがある。隠退するほど創造の事業をして疲労したわけでもないのに、神は忽然と姿を消した。なぜか。中世神話はその謎を、現象学によって解決しようとしている。」(同書30ページ)
 わたしがクトゥルー神話(コスミック・ホラー)と中世を舞台にした伝奇時代小説の「世界」(ここでいう世界は歌舞伎におけるそれと同義である)とを融合させようとした理由の一端がここにある。
 同時に、クトゥルーと太平記には、さらなる共通性がある。それは、殺戮と魔術と怪異である。そして、神々と超自然と宇宙に対する「畏怖(horror)」である。
 ホラーとは単純に「恐怖」と訳すべき概念ではない。英語圏の人間が「horror」という時、そこには必ず「畏怖」の念が流れていた。それゆえラヴクラフトは「文学と超自然的恐怖」において神話を語り、アーサー王伝説に言及したのである。
 もし彼が、身体が傷つけられることへの恐怖、グロテスクな形状への恐怖(強い嫌悪)、不条理な出来事や狂気の世界、死霊の祟りや他者の呪いなどといったモチーフ──まさにこれらこそ現代日本の「ホラー」小説をいろどっているものである──そのようなものにこそ「ホラー」の本質があると信じていたなら、彼はけっして神話にも神秘主義にも目を向けなかったはずだ。
「恐怖」は動物でも感じることが出来る。襲われる恐怖。傷つけられる恐怖。飢える恐怖。殺される恐怖。食べられる恐怖。これらの「恐怖」は、感覚である。
 「畏怖」は人間にしか感じ取ることは出来ない。それは無限なるものへの虞れである。未知なるものへの恐れである。自分を超越する存在への怖れである。そして、なにより、自らの出自への畏れである。己が何処より来たり何処にあり何処へと行くのか。それを考える時、人は恐れを感じずにはおられない。
 ここに「畏怖」が生じる。
 ここに生じた「畏怖」こそ、「実存」に他ならない。
 日本では、中世期こそが、ようやく民衆の心理に「畏怖」=「実存」が芽生えた時期なのであった。
 殺戮は止まず、神仏の救済は現れず、かつて秩序と同義語であった朝廷はただただ貨幣価値経済に翻弄されるのみ──そんな状況を目の当たりにした時、ようやく民衆は、「実存」に目覚めたのではなかったか。そして、「畏怖」を覚えたのではなかったか。頭上に広がる星空に、闇の濃さに、魂魄の来し方に、人の意識の行方に、…神々の行方や真の由来に。
 中世異説の世界とは、「日本のオカルティズム」の世界である。
               §
「太平記」に関する考究のなかに、「中世異説」というモチーフを見つけ出して、わたしの意識は、しばし超時間を揺揺としてしまったようだ。
 記したいことは山のようにあるのに、どうも、まだうまくまとめられない。
「太平記」と「クトゥルー神話」、「中世異説」と「クトゥルー神話」については機会を改めてまた──より深く考えてみたい。 

今週日記

 0:24 01/09/22
 九月十七日(月) あちこちに電話。来年だす一休モノの新作(ノベルズ、文庫ともに)のために調べ物。日曜の夜、本棚の一番上にある日本史の専門書が落ちると危ない、と思い、ずらしていたら、椅子が倒れた。妻の、岩波の児童書の上に落ち、右のうなじをぶつけてしまった。それが、今日は思い出したように痛くなる。気をつけよう。
 九月十八日(火) 「レラ=シウ」書く。ブック・オフで『真田剣流』の@を100円で手に入れる。一揆もとい一気に読む。痛烈にAが読みたくなる。
 九月十九日(水) 今日は外来とリハビリの日。主治医にうなじを強打したと言ったら、「硬膜下血腫」は打ってから一ヶ月しなければ症状がでない、と脅かされる。ひょっとしたら、一ヵ月後には倒れているかも…なんて気がしてきた。その癖、帰宅後、池袋へ。白土三平のコミックと、中世史の資料をゴッソリ買って来る。帰ったら、流石に疲れた。昼寝ののち、コミックを一気読みする。やっと「忍者武芸帖」も最後まで読めた。「忍者旋風」も「真田剣流」のAも、「風魔」も、「無風伝」も、「忍法秘話」も読めた。ついでにウチにあった「狼小僧」も読んだ。どれも「忍者武芸帖」の外伝に思われてきた。いつかこの辺のことを三田主水氏や久留氏と話してみたいと思う。
 九月二十日(木) 池袋で光文社のお二人(ノベルスと文庫)と打ち合わせをした。一休の文庫のほうは、西国(北九州)編にしよう、と決める。資料を求めて、編集さんと芳林堂へ。一階で文庫の編集長と会い、媚を売る。(単に挨拶しただけなのだが)のち、担当と別れ、コミック・プラザへ。探した本は見つからず、仕方なく白土三平を二冊買って、バスで帰宅。疲れた。
 九月二十一日(金) 思い立って一週間分の日記を書く。疲れる。

君は「大神秘博物館」をみたか

 13:23 01/09/16
 本日、牧野修氏から、小包が届いた。
 なかを開けてみれば、なんと、あの有名なDou Bledonque Museum の神秘コレクションのレプリカではないか。
 しかも、五個もある。
 神秘と怪異と超自然を愛し、常に探求する伝奇ホラー作家として、わたしが狂喜したことは言うまでもない。
 なんちゃって。
 本当は、オモチャなのである。
 牧野氏からのメールによれば、

「大神秘博物館7月発売
 メディコム・トイ
 メディコム・トイは七月、謎に満ちた世界の物品をフィギュア化した「大神秘博物館PART1」をクローズドボックス仕様で発売する。
 「大神秘博物館」はメディコム・トイが作り上げた架空の博物館で、正式名称をドゥブルダン博物館 という。そこには、鑑定の仕様が無い物や人々に知 られては困る物が所蔵されており、一般に公開されることは決してないが、今回は、四百五十周年を祝って特別にレプリカを披露した、という背景を作り出した。エストリンネ・ドゥブルダンという館長も仕立て上げ、サイン付きメッセージを寄せるなど、真偽の境をさまよわせる演出も楽しい。このような本格的な背景づくりは、コアなユーザーに対するアピールとして充分な効果を発揮するだろう。
 十一月にはPART2の発売も予定しており、ユーザーの反応が注目される。
 PART1のラインナップは、黄金ジェット、三メートルの宇宙人、人魚のミイラ、水晶ドクロ、ネッシー、恐竜土偶、ビックフット、スカイフィッシュ、モスマン、ヴァン湖の怪物、ジェニーハニバー、チュパカブラの全十二種類。各高(長)約六十ミリ。対象年齢十三歳以上。」

世界神秘大博物館 で、今回届いたのは、「三メートルの宇宙人」「水晶ドクロ」「スカイフィ ッシュ」「ジェニーハニーバー」「チュバカブラ」の全五点。
 全長7センチの「三メートルの宇宙人」は、南山宏氏の「空飛ぶ円盤ミステリー」(秋田書店)以来お馴染みのもの。確か林正之の「極楽りんご」(朝日ソノラマ)では大暴れしていた。しかし、7センチの「三メートルの宇宙人」とは…。「ネーミング、悪いよ」(長男・小6談)
 プラスチック製の「水晶ドクロ」は、高校一年生の長女に、「プラスチック製なら、すでに水晶ドクロとは呼べないのでは」というツッコミを入れられ哀しげであった。
 また、「スカイフィッシュ」は、「葉っぱがついたトンボがこれそっくりになる」と、元山岳部員の妻に指摘されて、空中に冷や汗を散らしていた。
「ジェニーハニーバー」は、みんなが「これは魚のヒラキに間違いない」と言われていじけ果てた。
 最後の頼みの「チュバカブラ」にいたっては、「ポケモン」のゴルダックのなりそこないじゃないか。という感想によって、神秘のベールを剥ぎ取られてしまったのだった。
 しかし…。
 これを喜ぶ「コアなユーザー」ってどんな人種だ?
  ちょっと前に、秋山真人氏が、
「いまの『ムー』の編集は、ビリーバーばかりで困ったものです」と言っていたけど(やりやすいとは言わなかった)おなじ困惑を感じてしまった。
 このままいけば、電車の中で若いサラリーマンが、
「二日酔いか、チュバカブラみたいな顔して」とか言い合ったり、スーパーで主婦が、
「なによ、そのアジの開き、まるでジェニーハニーバーじゃない。活きが悪いんじゃないの」とか言うようになるのだろうか。
 それでなくても、ニューヨークのテロ事件について高校生が、
「実はフリーメーソンの陰謀だったりして」
 などと話しているのを聴いてるのだ。
 
 ああ。いやだ。いやだ。
「オカルトとかホラーとか、そういう読者を選ぶネタはやめてください」
 などと編集がクギを刺していた「正気な時代」「理性の時代」「オトナの時代」が懐かしいネ。

「レラ=シウ」進行状況

 0:24 01/09/15
 本日午後三時、「旋風(レラ=シウ)伝」の第二章の最後まで、朝日ソノラマの石井編集長に渡す。最後の10枚は、編集長を前に置いて、その場で書いた。
 久し振りのスリルとサスペンス。
 いや、別に急ぎじゃないのだが、このところ、少し自分に甘いような気がしてたので、喝を入れようと思ってのこと。
「序章・第1章・第2章で、278枚ですか。完成したら、いったい何枚になるのでしょうね」と、石井氏。
「1300枚くらいで抑えたいものです」と、ぼくは力なく笑った。
「凄いですね」石井氏は嬉しげな悲鳴をあげた。
「ライフワークです」
 きっぱり答えてから、心の中で続けた。
(ええと、『妖臣蔵』と『夜の果ての街』と『室町伝奇』シリーズと『一休』シリーズと……。アレやコレと、同じくらいの、ライフワークです)
「じゃ。次回の原稿を楽しみにしています」
 と、編集長は去っていった。
 
 ウチに帰ったら、立原とうや氏から「中国のあやしい薬」(立原氏談)が送られていた。さっそく、自分の体で試した。丸いパッドにスプレーして、そのパッドを患部に当て、バンドで止める。この手間が、いかにも中国であった。
効き目も凄いが、においもすごかった。

 今日はなんだか幸せな気分だった。
 ニュースを見なかったせいかもしれない。

歴史は繰り返すか?

 23:49 01/09/12
 サイトの掲示板にも少し書いたが、改めてここに記しておきたい。
「踊る狸御殿」が「月刊小説」に連載されたのは、1992年春から1993年夏までのこと。この間、バブル経済の崩壊が誰の目にも明らかとなり、大陸書房が倒産し、カタカナ・ファンタジーのブームが終わり、狂乱のノベルス天国が幕を閉じた。各出版社は守りに入り、多くの社員がリストラされ、海外では湾岸戦争が始まった。
 ほんの十年前のことだ。
 どうしてこんなに詳しく覚えているかと言えば訳がある。「黄金鬼の城」からずっと担当をしてくれた「りょんさん」がソノラマを辞めたのが、ちょうどこの頃だったからだ。彼女の壮行会をどうするか、竹河先生と電話で話している時、ニュース・ステーションでバグダッド空爆の様子を映していたからである。
 なんだか、今回のテロ映像と、日本の対応を見ているうちに、ぼくはデ・ジャ・ヴィユを感じてしまった。
 もし、歴史が繰り返すのなら、不況はいっそう深刻になるだろう。中堅の出版社が二つ以上倒産し、ホラーと新本格というジャンルを誰も振り返らなくなるだろう。装丁に贅を凝らし部数を抑え定価の高い単行本はまったく売れなくなるだろう。各出版社はさらなる守りに入り、信じられない数の社員がリストラされ、それに倍する数の作家が路頭に迷うだろう。
 そんな悲観的な予感に襲われる。
 これが疲れている伝奇ホラー作家の一場の悪夢でありますように。
 けっして、93年から95年に起きた様々な凶事が繰り返されませんように。
 ホラーとオカルトと伝奇の守り神よ、
 吾らに救いを。

寝る前の覚書

 0:08 01/09/04
「レラ=シウ」は、「魔犬街道」を二つの章に分割すること。
 9月4日午後3時に東京創元社のM原氏に、「踊る狸御殿」の書き直し原稿と「あとがき」を渡すこと。(←11月発売)
 「レラ=シウ」を早く完成させて、年内に出したい。
 
 テレビで「タイタニック」を見た。パニック映画ファンの琴線に触れたらしい。今日はビデオで「タワーリング・インフェルノ」を見た。非情なストーリーに驚く。今なら、フレッド・アステアの恋人役は、絶対、死なないだろう。しかし、「タイタニック」じゃ、(ハリウッドの掟破りな)赤ん坊の死体を写してたから、おあいこかもしれない。

 新聞の記事。「国保料を払えなくて、保険証が発行されず、ために通院・治療が受けられない人(家族)がふえている」
 同コラム。「すでにわれわれは『弱肉弱食』の時代を生きている」
 暗澹たる思いに駆られる。
 果たしてどれくらいの作家が「専業」で食えているのだろう。危機意識のない作家連中のなんと多いことか。
 小部数・高価格が定着した出版界を見ていると、17、8年前の国書の姿がダブってくる。全ての出版社が国書化したなら、この国から「職業作家」は絶滅するに相違ない。
 
 マンガ。「ギャートルズ第1巻」園山俊二(中公文庫)
 初めて読むエピソードが多い。「2001年宇宙の旅」が公開された年の作品があった。時空を飛び越えたギャグ・マンガ。面白い。現代の作品なら、〈SFマガジン〉のアンケートで、一位に推すのだが。(←もっとも、そんな真似をすると、またぞろ一部のSFファンから嫌われるだろうな)

だごん日記

 22:08 01/08/30
「レラ=シウ」をちょっとお休みして「踊る狸御殿」の改稿作業。27・28・29日で本文は終わる。予定よりもずっと早い。29日は、「狸御殿」の成功を長崎神社にお参りに行った。ここは今でこそスサノオノミコトとクシナダヒメノミコトを祭っているが、江戸時代は、十羅刹女を祭っていたそうだ。
 30日は、午前中、「狸御殿」の「あとがき」の資料をインターネットで集める。1992・1993年の記録。さらに当時のメモを出してくる。
 92年の2月は──、
 @「魔術戦士E冥府召喚」A「比良坂ファイル 幻の女」B「大菩薩峠の要塞 U」C「哀愁の私闘学園」と、4点も、ほとんど同じ時期に出されていた。
 狂気の沙汰である。しかも、4月1日エイプリル・フールには「宇宙からの性服者」。約2ヶ月で、5冊。現在のベストセラー作家並である。
 こんな状態では、読者も息切れしてしまうに決まっている。一体、各社は何を考えていたのだろう。食い合いを考慮に入れないで出していたのであろうか。
 そんなことを置いていても、色々と面白い発見があった。
 たとえば、古さとはなにか。
 92年の流行・世相・話題・流行のタームを列記する。

 ナイキのスニーカー・Gショックの時計・ジュリアナ東京・冬彦さん・ミンボー・もつ鍋・国際貢献・「ほめ殺し」・「それいけ×ココロジー」・「ストリート・ファイターU」・美少女戦士セーラームーン・「うまいんだな、これが」

 上記のタームの古くさい語感はどうだろう。たとえば、こんな描写を小説でしてみよう─。

「重蔵はジュリアナ東京のお立ち台に向かいながらポケットの拳銃を握りなおした。曲がホイットニー・ヒューストンの『I will always love you』から、米米CLUBの『君がいるだけで』に変わった」

 この古び方はハンパではない。なにも、大月みやこの『白い海峡』を持ち出した訳ではないのに、古さは目を覆うばかりだ。
 小説で「いま」を描写する時は慎重にやらなければならない。(古臭い)と思っているものが、突然新しくなり、(新しい)と思ってたことが1年も経たぬうちに古びてしまうからである。
『狸御殿』で、ぼくは、あえて古い世相・流行・風俗をいれることにした。
 カバラの秘法にいう。「一度終わってしまったものは二度と終わることがない」と。
 だから、昔(10年前)でも十分古かった描写は、今日読めば、十分新しい。
 これは真理である。
 ウチの子どもたちが、ちょうどいま、「買い物ブギ」を歌っている。別に笠置シズ子のファンではない。「ちびまる子ちゃん」の挿入歌だったからだ。彼女たちにとって「買い物ブギ」は、新作映画「ちびまる子ちゃん 」の中で歌われていたから、新曲だったのだ。
 いや。こんな話を書くつもりではなかった。
 1992年を回顧しながら、『狸御殿』が如何に先見性のあるファンタジーだったか、自画自賛しようと思っていたのだが。
 それは、また、いつかにしよう。 

怪雑誌「玉葱効」が悪運を呼んだ

 23:55 01/08/25
 八月二十四日は久し振りにひでえ一日だった。振り返ってみるに、全ては、普段よりずっと早い郵便で、あの雑誌が届けられたせいに違いない。少なくとも、ぼくは、そう信じている。
 早川書房から、封筒が届いた。なかをあければ、開封されていない冊子郵便と封書が一通ずつ。まず、封書を開いてみた。ファンレターだと思ったのだ。
 封書から出てきたのは、一枚の便箋であった。
「訂正」と前置いて、訳の分からない文章が一行書かれていた。
(やばい)
 と、ぼくは直感した。電波を感じたのだ。
 おそるおそる冊子郵便を開いた。
 結構暑い四六の本がでてきた。同人誌とも自費出版物ともつかない冊子だった。タイトルは「玉葱効」─。下のほうには『次元階層』とある。
(ひょっとして現代詩か前衛俳句の同人誌かも)
 と、一瞬、ぼくは思った。
 ゆっくりと表紙を開いた。おかしな図形が印刷されて、下に「摩尼宝珠」、さらに「哲学数字」「自然数字」とある。
 電波が飛んできた。
 文章を期待して、ページを繰ってみた。
「  見ない・虚──像──実・見る 
  見えない・       ・見れる」
「ピク・ピクッ・ピクリ・ピクン
 ひくひく・ぴくぴく・くちゅくちゅ・ちゅくちゅく・クチュクチュ」
 文章なんてどこにも無かった。一時が万事この調子である。きっと本人には一つ一つの単語やオノマトペに深遠な意味があり、それは宇宙の真理を説明してあまりあるのだろう。
 ことによると、「本体次元」と「お堀のアンテナ鰐」との関係も、この書によって明らかになるのかもしれない。なんたって、表Cには「護符」という字が印刷されているのだ。
 ぼくは笑った。
「たっはっはっ」
 そして早川に電話した。
「あのー、牧野さんや田中啓文さんには来ないかもしれませんが。ぼくのとこには、よく電波文書が来るんですよ。以後は、ぼく宛の封書は全部開封してください。そして、アブなかったら、シュレッダーの刑にしてください」
「分かりました」
 と、あべ氏は答えた。空手二段らしいリキの入った返事であった。
 さて。
 それからが、ひどかった。
 用事で椎名町の薬局に行こうとしたのだ。
 途中、急に、小便がしたくなってきた。仕方ないので、「ツタヤ」の地下のトイレに行くことにした。
 椎名町の「ツタヤ」は、もと「東急ストア」だったビルで、今、地下は99円ショップになっている。で、きっと、「ツタヤ」と99円ショップとで責任を押し付けあっているのだろう。ここのトイレはすさまじく汚いのであった。しかし、背に腹は変えられない、ぼくは、地下に行った。ドアを開けた。と同時に鼻の曲がりそうな悪臭がした。ゴマみたいな羽虫がわんわん飛び交っていた。コバエであった。そして、一歩踏み込んで、震え上がった。なんと、床が血まみれなのだ。
 ぼくは、コバエを避け、血の染みから目を逸らして小用を足した。ふと悪魔が心で囁いた。「大のほうを見てみろよ。ほら、ドアが開けっ放しだぜ」
 ぼくは、思わずちら、と、左に視線を流してしまった。名状しがたき光景が
飛び込んできた。何を目撃したのかは、死ぬまで言いたくない。とにかく、ぼくは、
「大で無くてよかったあ」
 と、独りごちたのだった。
 そして、大急ぎで、コバエの飛び交う場所から脱出し、近所の公園で手を洗ったのである。(手洗い場の前は血まみれだったからだ)
「まさか、不良が、あのトイレにいたホームレスをリンチにした訳じゃないよなあ」
 ぼくは自然にそう呟いていた。
 きっと電波な雑誌に触れたせいに違いない。だから、こんな恐ろしいものを見たりするのだ。ぼくはお払いのため、神社にむかった。そして、間違って、お賽銭を箱の外に落とし、階段で転びそうになったのだった。
 気を取り直して古本屋に向かえば……。
 オー、マイガッド!!
 買おうと思っていた資料は、誰かに根こそぎ買われていたのだった。
 いや、まったく、電波文書はコワイ。
 こんな本は、田中啓文氏か牧野氏か、と学会に寄付することにしよう。
 厄払いに、ぼくは、サンデーサンでケーキとコーヒーを食してしまった。
 たっはっはっ……おしまい。

狸囃子が聞こえるか

 23:00 01/08/20
 今日は午後三時に、高橋葉介氏および東京創元社のM原氏と待ち合わせ。
 そろそろ発売三ヶ月前なので明かすのだが、十一月に、創元から、ソフトカバーの単行本で、「踊る狸御殿」が出ることになっているのだ。
 表紙・挿絵は、雑誌掲載時と同じ、高橋葉介氏である。
 初出は「月刊小説」(桃園書房)だ。この雑誌は「比良坂ファイル」を発表させてくれたところである。
「狸御殿」は、全七話構成で、内容は、ノスタルジー・ユーモアとか、ほのぼのファンタジーとかいう分類になるのだろう。なにしろ、「癒し系」などという便利な言葉がなかった頃の作品だ。バブル時代の暗い影がはっきりと見え始めた頃に、「今の日本にはこういう小説が必要だ」と、ある日、電波を感じて書き始めたのであった。
 基本設定は、こうである。
 埼玉県の片田舎にある森林、通称「狸の森」は、今、鼓土地開発株式会社によって、数万年もの間はぐくんできた自然を根底から破壊されようとしていた。これに危機をかんじた森の精──特に狸たちは、狸の王を中心に、遂に立ち上がった。すなわち、住民運動である。
 しかし、せちがらい人間どもに正攻法で訴えても、聴いてくれる筈もない。
 一計を案じた狸たちは、署名に協力してくれた人間には、「赤い羽根」の代わりに「ちっぽけな幸せ」をあげることにした。そして、狸たちは、人間界に開かれた門『狸小路』から、住民運動を開始する。
『狸小路』は古臭いアーケード付きの飲み屋横丁だ。地面は土の道で、左右に、木造の一杯飲み屋や、小料理屋、さらに質屋や下駄屋なんかが並んでいる。そして、突き当たりには、キャバレー(風俗ではない。歌や踊りが楽しめて可愛い女の子が相手をしてくれるところである)『狸御殿』がある。
 この『狸小路』に、次々と、人間の男女が、傷ついた心を抱えてやって来る。
 たとえば、落ちぶれたアクション俳優。たとえば、オトコ社会な職場に疲れた女性編集者。たとえば、リストラされたミシン会社の営業マン。たとえば、夫との間に隙間を感じはじめた同人誌主婦。たとえば、親に同棲を禁じられた高校生カップル。たとえば、気の弱くて善良な民自党の代議士。
 そんな人々が皆、『狸小路』に足を踏み入れ、『狸御殿』に招かれて、署名簿に名前を記し、小さな幸せを手にしていく。

「どう売っていいか分からない」「分類不可能」「ユーモア物はちょっと」
 いろいろと言われて本にするのを断られてきたが、要するに、これを書いた頃にも、売り込んだ頃にも、まだ世間は「癒し」や「ほのぼの」を求めていなかったのだろう。
 上の設定を読んで、「おや」と思った人は、アニメ・ファンだろう。
 そうなのである。
 この話、高畑勲監督のアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」によく似ているのだ。
 もちろん、『狸御殿』のほうがずっと古いことは言うまでもない。(久留氏のサイトにある、朝松健作品リストを御覧あれ)そのせいか、「月刊小説」の編集長は、「パクられた」と怒っていたが、それは考え過ぎ、偶然の一致であろう。わたしの言いたいのは、別のことだ。つまり、「踊る狸御殿」は、ジブリ・アニメと同じくらいのポピュラリティーを持っている、そう考えられるではないか。わたしは、これだけでも、嬉しいのである。少なくとも、『魔術戦士』よりは、一般読者にも理解してもらえそうだ。
 しかも、今回は、高橋葉介氏の書き下ろしの挿絵が十四枚も入る予定だという。
 瞬間的に世界が薔薇色に輝いたが、すぐに、ネガティブ思考がわたしを場外へ突き落とし、額にセンヌキ攻撃を繰り込んできた。
 わたしは、おそるおそる尋ねた。
「どう売るんですか」
 東京創元社のM原氏はきっぱり答えた。
「ファンタジー、と銘打って売れば、いいのです」
「え゛っ」と、わたし。
 彼は胸を張って続けた。
「ファンタジーというのが、オンナ子ども向けの、フワフワチャラチャラしたものだと思ってる人には、考えを改めてもらいましょう。ファンタジーとは、本来、優れた幻想小説のことであり、大人が読むべきものなのですから」
「……」
 わたしは『狸御殿』に招かれた気分になっていった。
  
 東京創元社のM原さん。
 あなたは、きっと出世するだろう。…でなかったら、俺は、世の中なんて、二度と信じねえぞ。

「ほんとにあった呪いのビデオ」またはイベントとしての恐怖

 19:32 01/08/17
 このビデオの製造元は、本来、ホラーやオカルトとは縁もゆかりもなかったのだと思う。なぜなら、シリーズの1巻の頃には「投稿者」として出てくる おにいちゃん・おねえちゃんが明らかに「AV系」の顔をしているからだ。それもかなりジャンクな類のビデオに出てくる顔である。ことによると、製造元は「素人投稿ビデオ」とか「本物覗きビデオ」なんていうヤラセ物を作っていたレーベルではないだろうか。さいしょの3巻くらいまでは、なんとなくそんな雰囲気をかんじてしまった。
 シリーズの1巻は、はっきり言って、インチキ・デタラメ・ウソ・誤認の嵐である。単なる光学的なミスやカメラの写りこみの連続だ。一番ひどいのは、撮影中のスタッフの後ろから、仲間が手を伸ばしているシーンであろう。
 それが、2巻・3巻と数をこなすうちに、次第に怖がらせ方を覚えてくる。
 そして、ウムを言わせなくなっていき、遂には、テレビのスタッフも驚くほどの映像を(極めて本当っぽい演出のもとに)提出するようになってくるのだ。
 それでも、失笑モノの映像もある。良い例が、「おばあちゃんの葬式を写した8mmフィルムに現れたおばあちゃんの顔」であろう。これは、延々と葬式のシーンが写って、途中、映像がフアーッと明るくなって、ホワイト・アウトし、その次の瞬間、死んだおばあちゃんの顔が現れるというものだ。なに、怖がるまでもない。これは、ダブル8のフィルムのせいである。8mmフィルムには、シングルとダブルの二種類があった。カセット式になっていて、最初から最後までフィルムをいじる必要のないシングルと、オープン式のため、片面全てを写し終えたなら、一度、フィルムを取り出し、ひっくり返す必要があったダブルの二種である。そして、問題の映像は、ダブルなのだ。途中、ホワイト・アウトするのが、その証拠である。で、おばあちゃんの顔は、まごうかたなき「遺影」である。フィルムをひっくり返した撮影者がダブル8mmの作動具合を調べるため、遺影を何秒か写してみた、これが真相であろう。
 さて、お立会い。
 ところが、この「ほんとにあった呪いのビデオ7巻」は、一味違っている。
 演出がうまいのだ。
 まず、シリーズBを借りた客が死んでしまった、と話すレンタル・ショップのオヤジが登場する。素晴らしいツカミである。それから、四人焼死した火事のシーンで、一瞬、炎が泣き叫ぶ人の顔になるという凄い映像をかましてくれる。以後、湯船の底に揺れていた女の長い髪、釣り場で水面から現れた白い手、窓の無い風呂場の天井に現れた人の顔、母親からの伝言テープに入り込んでいた唸り声(投稿者も知らなかった祖父・曽祖父・その父親の名前を呼んでいる)、子どもの誕生日に現れた白い影と謎の声と続く。このあたり、畳み掛けがすばらしい。
(火事場は炎をCG処理したのだろうとか、湯船の底の髪は奥さんのヘアピースだろうとか、白い手は誰かの捨てたビニール手袋、風呂の顔は光の加減、先祖の名を呼ぶ唸りはタダのウソ。誕生日の白い影は残像、怪しい声は後から吹き込んだもの…なんて突っ込んでるヒマがない)
 そして、今回の白眉は、K大学オカルト研に封印されていた「呪いのビデオ」である。
 1986年に撮影されたコックリさんの実験の様子だが、これを撮影した先輩は死んだことの、ビデオを見て眼が潰れた人がいるだことの、耳が聞こえなくなった人がいるだことの、と、お馴染みの因縁話が語られる。が、ここから先が新機軸だ。なんと、ビデオをつけると、ケダモノの悪臭がしてきて、誰でも鳥肌が立ってくるというのである。そして、ご丁寧にも、「もし、以後のシーンを見ている時に、異臭がしてきたら、即座にビデオを止めて換気してください」という(ご注意)が出てくるのだ。
 ここまでやられると、そろそろ、少女の感性に響いてくる。
 なんだかヘンな臭いを感じはじめる。ビデオの大学生は悪臭にむせているがこちらも鼻が痛くなってくる。とても怖くなってくる。ぞわぞわしてくる。なんかコワいことが起こるような気がしてきて、「もうやめよう」と言ってしまう。
 事実、ウチの娘たちがそうだった。
 そして、彼女たちの怯えは、しっかりと、ぼくにも伝わってきた。
 怖いから続きをみるのを止めるなんて、何年振りだろう。
 ビデオを止めて、その夜、ぼくは寝床で思った。
(こういう手が流通してしまうと、こっちは遣りにくいよな)

 つまり、ぼくが「世界」だの「背景」だの「人物」だの「リアリティ」だのにこだわっているいるうちに、世間では、てっとり早く、怖がれるものを求めるようになっていた訳だ。まるでポルノがストーリー性を捨てて、情緒を切り、ひたすら刺激・生々しさ・即物性に走っていったように。ホラーもその場のショック・場当たり的気持ち悪さ・生理的嫌悪を掻き立てる、つまり「感覚的」なるを良しとする傾向になっていたのだ。なるほど、死体の写真もホラー、心霊ビデオもホラー、サイコキラーもホラー、とする世間の風潮はこんなあたりから起こっていた訳だ。

 しかし、もっと考えてみれば、それらしい能書きを提示して怖がらせたり、「実は制作に携わった人が祟られて」なんて因縁話を週刊誌や夕刊紙に流したり、「専門家」の「警告」をオカルト専門誌に出したりなんて、全部、編集者時代にぼくがやっていたことじゃないか。つまり、17,8年前に、マニアな編集者がやっていたことが、今では、誰でもやる「手法」になったと、それだけの話なのである。
 だったら…
 と、ぼくは、ほくそえむ。
 ぼくが「向こう側」を舐めきって、商売のネタにして、やがて、しっぺ返しを食らったように、「感覚」に訴えるだけのホラーやオカルトに邁進している人たちも、きっと…
 あんな目に遭うに違いない。

仕事・ビデオ・ぼんやり考えたこと

 0:10 01/08/16
「旋風(レラ=シウ)伝」、今日は夕方から書き出して、七枚進む。焦らず、農耕的に進めると決めたら調子が出てきた。
 田中啓文氏より、「鬼の探偵小説」、届く。みんな凄いなあ、と感心する。
 昔なら、この辺で、石川啄木の[友がみな われより偉くみゆる日よ…]なんて歌を思い出して焦ったりしたのだが、この頃は、全然そんなこと、感じない。歳のせいでボケてきたのだろうか。
 そういえば、昨日、ビデオで借りてきた「バトル・ロワイヤル」を見た。
 感想@ 永井豪の学園バイオレンス物みたい。
 感想A 転校生のキャラは、菊地秀行氏の「魔人学園」を思い出した。なにもおんなじようにガクラン着せなくともよかろうに。
 感想B 人間が簡単にバタバタ死んでいく。そのリアリティの無さがハナについた。ついでに、紅ショウガ汁のような真っ赤な血のり。「人は斬ってもそんなに血は出ないよ」という元プロ・ヤクザ、ハマコーでも考証係に雇うべきだったと思う。
 感想C けっきょく、「どうして彼らは殺しあわねばならないのか」が見えてこない。上からの命令だから? 殺さなければ自分たちが殺されるから? こんなことが許されている社会はどうなっているのか。初めにゲームを生き延びた少女が多くのインタビュアーに囲まれるシーンがあった。と、いうことは、少なくともワイドショーで報じられている筈だ。だったら、少年たちが一人もゲームのことを知らない訳はない。
 感想D いや、少年が殺しあうなら、それでもいいのだ。そういうマンガはぼくだって中学時代に描いてクラスメートに大人気だったのだから。しかし、納得いかないのは、作品のベクトルである。どうして少年たちの怒りは、自分らを追い込んだ大人に向けられないのだろう。クラスの人数が半分くらいになったあたりで、子どもたちが大人への復讐を目論み、自衛官を皆殺しにして、教師を人質に、ヘリでトンズラする。そういうベクトルに話をもっていかなければ、少年の視点にした意味がない。この作品は、まるで、教師キタノの「クソ生意気なガキどもは、互いに殺しあえばいいんだ」という妄想の世界ではないか。キタノが「週刊文春」と「週刊新潮」を傍らに置いて、新宿の小便横丁で、ホッピー飲みながらオダあげている姿が、幻視できた。
 感想E 少年を強引に一つところに集め、武器と食料を渡して、殺し合わせるというのは、「戦争」のアナロジーであろうか。だったら、この作品の作者にも監督にも、どうしようもなく古臭いニヒリズムがある。それは、「どうせお上の決めたこと、殺すしかないのよ。さもなきゃ俺たちが殺されるんだ」という視点である。これは、前回の戦争を生き延びてきた元兵士が言ってたセリフである。ぼくの、死んだ父も、よく酒を飲んでそう言っていた。つまり、80近いジジイと同じ発想ではないか。ひょっとして、これは、青少年にそんな観念を刷り込むために作られたのか。
 感想F 小学生の倅は、この映画の予告編を見ただけで、「殺しあうのはいやだ」と拒否した。中学生の次女は、「フジワラ君がでてる」と、出演者に惹かれて見たがった。高校1年の長女は、[16歳未満禁止]に引かれて「借りてきて」とぼくに頼んだ。見終わった時、「ウチで『バト・ロワ』借りたんだよ、みんなで見ようよ」という次女の電話する声が残った。
 この映画は、イベント感覚で接するべきなのか。
 ところで、この作品の原作者の名前を、ぼくは覚えられなかったが、この作品をヨイショした書評家たちの名、また、この作品を「ポスト『えばんげりおん』」として仕掛けた男の名前は、しっかり覚えている。
 「あだると・ちるどれん」な連中として、ずっと忘れないでおこう。

大急ぎで「ハレ」から「ケ」に戻ること

 23:37 01/08/10
 たった一泊の旅行ではあったが、久し振りに心身ともにリラックスできた。
 普段ストレスにどっぷり浸かっている身としては、こういう時が一番危険である。休み癖がついて容易にいつもの「ものを創る生活」に戻れなくなってしまうのだ。そこで、今回は、かなり強引に「いつも」に戻ることにした。
 必死で「旋風(レラ=シウ)伝」を書く。夕方までに六枚。うん、休み明けにしては上々だ。
 この間、沖縄の神野オキナ君から電話。ジェス・フランコ監督の「ドラキュラ」のこと。業界の情報。オモシロビデオとオモシロ本のこと。その他。

 こないだ仕入れたビデオで、ガッカリしたのは、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド〈最終版〉」→プロローグとエピローグが全く不要。公開時にロメロが切ったのも当たり前。というか、これ、最近、撮って付け加えたものではないの。なんて、勘ぐってしまうほど、いらないシーンだった。
 それから、「死魂」ウェス・クレイブン監督は、名作「恐怖の足跡」のリメイクだが、クレイブンらしからぬモタついた演出だった。ところどころに光るものがあるだけに惜しい。ちょうど、「東海道四谷怪談」と「地獄」の中川信夫が、東映で「怪談・蛇女」をつくったよう。編集がまずいばかりじゃなかろうね。

 で、フランコの「ドラキュラ」の話を振られて、「死魂」と「怪談・蛇女」を思い出した。もっとも、フランコは、クレイブンや中川と比べることさえ出来ないクソ監督なのだが。
 一方、最近の拾い物は、「ゴッドand モンスター」。監督は、「キャンディマン2」のビル・コンドン。死期の迫った元映画監督ジェームズ・ホェール(『フランケンシュタイン』の監督です)が、マッチョな庭師に、死を見取ってもらいたい、出来れば自分を殺すフランケン・モンスターになってもらいたい、と願う話。ホモだったというホェールの幻想がとても美しく描かれていた。ホラー版「ヴェニスに死す」という感じ。…なんていうと、友成純一氏に、「だめだよ。朝松さん。あれはゲイの世界を描いたものなんだから」などと言われそうだな。なんたって、ゲイ・アクション「X-メン」も、バーカーがゲイ趣味丸出しにした「ミディアン」も、大好きなのだ。
 ぼくには、ゲイ的な要素があるのだろうか。
(こんなこと書くと、男性ファンが、ドワーッと引いてしまいそうだ)

 神野君との電話の後、「小説宝石」のI 坂氏より電話。いくつかの点をチェックして、校了。今月下旬の同誌に掲載されることが決まった。
 題名は、「画霊(がりょう)」。
 一休モノの短編で、絵から、変化が抜け出て連歌師を食う話。ただし、怪異よりも、伝奇性と、人間ドラマに力点を置いている。時代が、正長元年というところがミソ。(この年は色々あって面白い)
 はっきり言って、今のぼくは、一休モノと南北朝モノの短編なら、いくらでも書けるような気がする。もっとも、こういう時に限って、注文が来ないのだが。
 「旋風伝」の原稿が進んだので、少しだけ、世界陸上を見る。オーストラリアのマカロフを応援している間に11時をすぎていた。
 明日も「旋風伝」を五枚以上書くぞっと。

「神の死」─もしくは山田風太郎先生を送る

 20:10 01/08/01
 これは何度も様々な媒体に書いていることである。
 しかし、ここに重複することをお許し願いたい。
 小学五年か六年の時だ。長い入院から、ようやく家に帰ってきた父は、急に何を思ったのか、押し入れのなかから大きなダンボール箱を引っ張り出してきた。
 そして、「お前も、そろそろ、こんな本が読めるだろう」と、いろいろな本を出してくれた。それらは、みな、「大人向き」の本ばかりだった。…澁澤龍彦の「秘密結社の手帳」、大藪春彦の「野獣死すべし」「凶銃ワルサーP-38」「みなごろしの歌」、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」…。
 神の書かれた本は、そのなかにあった。
「信玄忍法帖」がそれだった。
 その、エロティシズムと奇想と怪異と伝奇の世界──。
 眩暈を覚えた。巨大化して武田信玄の影武者を圧死させる雛人形。女性の秘所に蛾の卵を産み付ける秘法。着脱自在な男根。鐘のなかで抱き合ったまま溶けてしまった男女。言葉を発する梟。テレビのごとく遠隔地を映し出す眼球。…そんな魔術とも呼ぶべき忍法の数々は、今でも覚えている。
 中学に入ったぼくは山田風太郎と大藪春彦の本を買いあさった。
(これと並行して、刊行はじまった江戸川乱歩全集・澁澤龍彦集成・世界SF全集が中学時代の魔術の源泉である)
 山田風太郎の本は、けっして片時も、ぼくの手元になかった。
 あまりに面白かったので、友達に貸し、そのまま、無くされてしまったのだ。
 それでも、ぼくは、風太郎作品を追いつづけた。
 ずっと──。
 今、思い出した。ぼくは、何度か、山田風太郎に接触を試みたのだった。
 最初は、「超科学シリーズ」の推薦文をお願いするため。
「生憎、小生は、現実の不思議なことには興味がないのでお断りします」
 と、これが、ハガキでいただいた返事だった。
 次は、「ウィアード・テールズ」の推薦文──、
「なにかね、それは。えっ、アメリカの怪奇雑誌? いやあ、読んだこともない雑誌の翻訳に推薦はかけないなあ。すまんね」
 電話の向こうで、伝奇の神は、丁寧に詫びてくださった。
 それから、時代は下って、作家になった後──、
 刊行してすぐの「大菩薩峠の要塞」に[乞う御笑読]と記して、(あとさき考えず)お送りした。それも第1巻のみか、第2巻まで。(幸いシリーズは中断し、3巻は送られなかったが)
 当然、ご返事など頂ける筈もなかった。
 だから、JETさんや、菊地秀行さんが、山田風太郎先生と対談した、と電話してくると、無性に羨ましかった。
 その癖、光文社の編集に、「山田先生と対談してみませんか」と言われると、「いや。山田先生はご病気だから。お疲れになってはいけないし」なんて、格好つけて断っていたのだ。
 今回の訃報に接し、ぼくは、のたうちまわるほど、悔やんだ。
 人生四十五年、後悔と恥の連続だったが、これほど、悔やんだことはない。
 会いたかった。
 でも、会えたとしたなら、一体、何を話せただろう。
 考えてもみてほしい。
 相手は、「神」なのである。
 そして、ぼくは、その「神」をただ崇拝するだけの、一伝奇ホラー作家なのだ。
 おそらく、「神」の前に座った瞬間に、異次元の彼方へ、消し飛んでいたにちがいない。
 
 今、ぼくは、三月の「日本ミステリー文学大賞」の受賞式で、「神」とすれ違った思い出を噛み締めている。

 いつか、「神」に近づくために──。

伝奇な時代

 0:11 01/07/30
「忍者武芸帖」をひさしぶりに読んだ。
 前回、読んだのは、今から20年近く前ではなかったか。
 忘れもしない。
 原稿を取りに阿佐ヶ谷へ行って、そこで訳者と酒を飲み、中野の駅で、階段から落ちて足を折った。仕方なく転がりこんだ東久留米の伯母の家で、ギプスに右足を固めた状態で、「忍者武芸帖」をまとめて読んだのだった。
 この時、仕事を同僚に持ってきてもらい、伯母の家で原稿の赤入れをした。そうして出来上がった本が「真ク・リトル・リトル神話大系」である。また、この時、いっしょに酒を飲んだ訳者というのが、当時フリーライターだった松村三生。のちに「グッバイ、ロリポップ」なる作品で評判をとることになる、松村光生であった。
 今回、発作の後の安静のなかだったせいか、昔のことが、ことさらに思い出されてきた。ギプスをした状態で会社に行き、社長にからかわれながら、せっせと、広告部の殺人的業務(広告の原稿作成・広告料の交渉・広告費の概算・パブリシティの依頼など)と、編集部の仕事(『真ク・リトル・リトル神話大系』の制作)とを並行してやっていたものだ。そのようなことが出来たのも、なんか神がかりのパワーが、当時のぼくを動かしていたからだろう。つまり、ラヴクラフトとその神話作品を世に紹介したい、この企画を成功させて、以後続々とアメリカのホラー小説を紹介したい、そんな思いのパワーが。
 いま──。
 かまびすしい「ホラー・ブーム」の中で、ぼくは思う。
 
 [現在の、こんな状況を、ぼくは、望んでいたのだろうか。] 

発作的日記

 21:22 01/07/27
 七月二十四日、午後四時すぎ、痙攣発作はじまる。
 長女と妻が外出中。長男はキャンプ。次女は友達と遊びに行っていた。
 まず、自分で、119番。
 痙攣する口で状態を説明。救急車の出動を要請する。
 一方、次女に携帯で連絡する。
 日大病院の診療カード・保険証を用意。
 次女が戻るのと前後して、救急車、到着。
 救急隊員に、回らぬ舌で病歴を説明した。血圧149。脈拍早し。
 次女と次女の友達が同行してくれる。
 約10分で日大へ。
 点滴を打たれるまで意識あり。
 薬の作用で少し眠る。その間に次女が妻にエッジで連絡。
 目が覚めると、足だけが痙攣し始めた。古い捻挫の跡にとても響く。痛い。
 薬が足されて、また少し眠る。
 今回は、夢、無し。
 早めに病院に運ばれたお陰で、音声と映像が混濁する痙攣発作時特有の病状はなかった。
 七時頃、妻が迎えに来る。
 この日ほど、「車と携帯を買っていて良かった」と思ったことはなかった。
 家に戻ったのちも、項(うなじ)の右と、後頭部がとても痛かった。
 早めに眠る。この日の最高気温38.1度。

 七月二十五日、定期診断の日。
 なにも定期診断の前日に発作を起こさなくともいいのに。と、思う。
 妻の運転する車で病院へ。
 午前10時30分よりリハビリ。のち、外来へ。物凄く混んでいた。やはり暑さのせいだろう。
 かなり待って順番になった。
 ストレスと暑さが原因だったらしい。
 しかし、そんなに、今の仕事がストレスになっていたのだろうか。
 ちっとも自覚がなかった。
 なにしろ、作品で苦しむのも、作家の喜びのうちだと思っているもので。
 むしろストレスとは、「書いても売れない」とか「書いても本にならない」とか「書いても評価されない」とか、そういうところに生ずるのだ。
 そして、幸い、現在のぼくは、そこそこ売れているし、書けば本になるし、評価されたい人たちからは高く評価されている。
 現状にストレスの入るスキもないのだが。
 
 七月二十六日、発作のあったことを松尾未来がサイトに書いたところ、あちこちから、体調を気遣う書き込みやメール。
 昼過ぎには、外薗昌也氏より電話。とても心配してくれて、かえって恐縮する。
 すぐのち、今度は、伏見健二氏からも電話。有難い。しばし雑談。伏見氏のところは、男の子が生まれたとのこと。
 
 午後三時、朝日ソノラマ編集長I井さんに会う。
 二ヶ月掛けて直しに直した「旋風(レラ=シウ)伝」のプロローグを渡す。128枚。自信作なり。
 かつて「ノーザン・トレイル」のタイトルで「獅子王」に連載した作品である。
 連載中は、獏さんの「キマイラ」にも迫る人気を示したのだが、ソノラマ・ノベルズなるレーベルで出され、ついでにバブル崩壊の大騒ぎに巻き込まれた。
 とにかく不運に不運が重なり、三巻の予定が二巻で中断させられた作品である。
 これについては言いたいことが、ヤマとあるが、読者の夢を壊すので言わない。ただ、この作品の(版元発表)失敗によって、「朝松の作品は売れない」というおかしな定評が一部でついてしまい、ぼくはいっとき、仕事をなくした。
 もし、作品に「レイプされた作品」があるとしたら、まさしく、「ノーザン・トレイル」こそは、版元と(当時の)担当編集者によって「レイプされた」作品である。
 ぼくは、一時期、この作品を著作リストから抹消することを真剣に考えていた。
 今回、ソノラマのI編集長が、きわめて前向きに話してくれなければ、ぼくは、一生ソノラマを軽蔑しつづけ、二度と、ここで小説を書こうとは思わなかっただろう。
 しかし、過去は過去。
 新しい志波新之介の物語は、彼がどうして旅をするのか、そこから始まる。
 書いているうちに思い出した。
 ぼくは、かつてないファンタジー小説を書こうとしていたのだ。
 王子様もお姫様もでない、インチキな中世ヨーロッパ風俗とも、カタカナの名前とも無縁な、日本独自のファンタジーを。
 それから、神話世界の黄昏を描きたかった。幻想の死滅を。機械と銃器と「近代」が、ファンタジーを押しつぶしていく様子を。
 それが、ぼくにとっての、「明治」であり、「開化」だった。
 きっとこんな発想を、ぼくは、セルジオ・レオーネとサム・ペキンパーから学んだのだろう。
「ワイルド・バンチ」と「続・夕陽のガンマン」と「夕陽のギャングたち」から。
 
 七月二十七日、たっぷり、睡眠。
 昨日は、ソノラマ編集長との打ち合わせから帰ると、「小説宝石」のI坂さんから電話が入っていた。
 一休モノの短編、60枚の依頼。久し振り。嬉しかった。こんな時の用意に、一休モノの短編のアイデアを貯めていたのだ。
 それで、今日は朝から執筆準備。河鍋暁斎の画集を出してくる。
 昼寝ののち、長女が買い物から帰ってくる。額縁を買ってきた。何日か前に藤原ヨウコウ氏からいただいたポスターを入れるため。
 娘と一緒に額を玄関に飾る。杉本一文画伯の銅板画や角川春樹氏の書や荒巻義雄先生からいただいたお札などと並んだ。美しい。
 「玄関が画廊になったみたい」
 と、親子で喜ぶ。
 見ているうちに、頭痛が治まってきた。ヒーリング効果かもしれない。
 高橋葉介先生より手紙。
 「発作を起こされたと聞きましたが、大丈夫ですか」
 有難い心遣い。そういえば、高橋先生の「KUROKO」は完結したのだった。うーむ。発作騒ぎのドサクサで読めなかった。
 自分の友達甲斐のなさを、反省。
 本屋に行って、「本当にあった笑っちゃう話」を買う。店頭にハードカバー本がごろごろしているのが、昔のノベルスがヤマ積みしていた頃とオーバーラップしてくる。
 少し、頭が痛くなってくるので、急いで帰る。

暑い。電波が飛んでくる。

 23:52 01/07/21
 長男と、午後、椎名町へ散歩に行く。
 途中、長崎神社に寄って、お参り。のち、サンロード商店街に出て、珈琲館で一服。ぼくは炭火珈琲。息子はアイスココアと、アップルパイ。しばし、二人は放心する。のち、ぶらぶら帰ってきた。
「レラ=シウ伝」、土方歳三の死を描きたくないので、ぼくは、もたもたしているようだ。
 ウチに帰って、いろんな本を斜め読みする。昨日買った「電波系」は、一部、ジョン・キールを連想させた。
 しかし、電波な人の書いた文書をコレクトする人の気持ちが、ぼくには理解できない。いや、よく、貰ったからなのだが。
 今でも覚えている「電波文書」のベスト3は、以下の通りだ。

 第一位 皇居のお堀にはアンテナを持った白いワニが沢山潜んでいる。ワニどもは毒電波を発して、国会を混乱させているのだ。彼らの毒電波から身を守るには、歯を外した電気ヒゲソリのスイッチをいれ、口に思い切り入れて、ガジガジとかめば良い。と、この手紙を朝松先生にしたためていたら、隣の部屋(注・アパートに住んでるらしい)から屁の音がした。「やつら」が妨害工作を開始したらしい。急ぎ、手紙を書き終えよう。
〈寸評・白いワニというあたり、江口寿士を想起させるが、全体を覆っているオリジナリティ溢れる狂気が素晴らしい。おそらく、理系の人なのだろう、大量の数式が、『どうして電気カミソリがじがしなのか』という説明の補足として付されていた。「ハード・電波」派ではないぼくにもひしひしとハクリキがつたわってきたので、文句なくいっちゃってる人と認め、第一位とする〉

 第二位 「魔教の幻影」で描かれた立川流の妖術は、北朝一派が南朝の余党に施した〈ツガル縛り〉のことと拝察いたします。などと、突然申し上げても、きっと先生は「純粋な想像の産物です」とおとぼけになられるでしょう。しかし、どうか安心してください。わたくしは先生の「仲間」です。実は、この四十年余り、南朝の呪術的側面の研究をして参りました。そして、いわゆる〈ツガル縛り〉〈エゾ縛り〉〈出雲縛り〉の実在を確信いたした次第です。友人の某氏─もと公爵で、御作の淡島家は彼の家をモデルになさいましたね。いや、わたくしは「味方」ですからご安心を─彼の屋敷では現在もポルターガイストをはじめとするフェノメナがたえません。また、コノハナサクヤヒメの霊統にある某家では、実際に「天津忌みの司」の儀式が行われており……。
〈寸評・思わず、「どうか安心してください」だと、オメーが一番安心できねえんでごぜえますよ。と、突っ込んでしまった。筆者は一介の商業作家にすぎないので、こういう難解な話題を振られても困るのである。ことによると、稗田礼二郎か、タイタス・クロウに宛てた手紙かもしれない。これで、難解な概念や用語がもう少し少なかったなら、堂々、第一位に輝いたであろう。この次は、自分のためだけでなく、読者のために書くことを心に銘じてほしい。今後の精進に期待する。
第三位 わたしたちはこの10年ある霊能者のもとで修行をしてきました。先日、祖先の霊の指示で入った書店で先生の『崑央の女王』を見つけ、早速、拝読いたしました。そして、これほど〈怪理の訓〉につうじた小説家がいらっしゃったことに驚嘆いたしました。妹の霊査によりますと、先生とわたしたちは〈本体次元〉においてガームアデンと戦う使命を帯びたメイスウ式なのだそうです。どうか艫に綱をかけて船を漕ぎ出しましょう。けふは特にナマの芳香が弐里自適なのです。
〈寸評・頼むから、貴方たち姉妹のレムけらんかをわほよぅった言動はどうもないので連休です。丸大ハムの受信してください〉
 番外 わたしは朝松のファンなんだよう。(←これだけの内容の手紙が米粒みたいな文字でハガキにびっしり書かれて毎日来る。これを二ヶ月やられると、結構こたえます)

「私闘学園」について(そのA)

 23:59 01/07/17
 昨日の書き込みを読み返して、驚いた。
 なんと、言いたいことが、ハッキリしないうえに、ひどく話題が飛び、おまけに尻切れだったからだ。
 あのメールに如何に動揺したか、自分で、一日おいてみて、少しずつ分かってきた。ぼくの心には、もう一度だけ、「私闘学園」を書いてみたい気持ちが渦巻いている。これは否定できない事実だ。だが、その一方で、「男が一度言ったことを簡単に覆せるか」という気持ちもある。それは、「ここで『私闘学園』をまた書いたら、あんな奴やこんな奴(ぼくが大嫌いな奴ら)が、〔そら見ろ、やっぱり朝松は公言したことを守らないじゃないか、カッコ笑いカッコトジル〕と言って笑いものにするにきまっている」という恐れに裏打ちされている。
 それだけじゃない。
 あの作品は、ぼくの作家生活と、分かちがたく結び合っているのだ。
「逆宇宙ハンターズ」が大好評で受け入れられて鼻高々だった思い・「俺はホラー以外でも最高のものがかけるんだ。それをこいつで証明してやる」なんて意気込み・2人目、3人目の子どもの父親になった不安・何ヶ月もかけて書いた作品を「面白くない」と突っ返された時の悔しさ・文章がどうの、なんて知ったようなことを、文章もマトモに書けないバカどもに指摘された怒り・そして、なによりも、この作品執筆中に亡くなっていった親友や父親への思い出・みじめさ・やけくそ・うぬぼれ・それから、読者へのメッセージ。
「私闘学園」には長い年月のぼくのナマの思いが、笑いのオブラートにくるんで、しっかりと込められている。
 それを再び書くことができるだろうか。
 今、思い出した。
 ぼくは、「私闘学園」を書きながら、声をあげて泣いたことが一度ある。
 それは…
 翔星が荒川に「出ていけったら、出て行け」と追い出した後、しんみりするシーンだ。この時、(あ。こいつは、ただのツクリモノじゃない。生きているんだ)と感じた。そして、このバカばかり言ってる生首情痴男が大好きになった。同じように西城めぐみも、浜口倉之介も、赤城小夜子も、一条直子も、みんな生きていることを実感した。彼らの笑い声が聞こえた。彼らの姿が見えた。ぼくは、彼らの同級性であり、担任の先生であり、彼らの父親だった。
 再び、ぼくは、あんな思いを抱くことができるだろうか。
 そして、「いま」を生きる中学生・高校生に、「いま」の言葉で語りかけることが出来るだろうか。
 そうだ。
 ぼくが恐れているのは、つまらない連中の揶揄や嘲笑ではない。
「私闘学園」を書いていた時と同じ気持ちで・テンションで・純粋さで…。
「燃えて」書くことができるかどうか。
 それだけなのだ。
 まだ、ぼくは、揺れている。

「私闘学園」のこと。

 23:54 01/07/16
 昨夜遅く、メールをもらった。神奈川の、現役の中学の先生(国語)からだった。
 大意は以下のとおりである。

 最近、子どもの活字離れ対策として、幾つかの学校で『朝読書』なるものが推奨されている。しかし、子どもの興味を呼び起こすような本は、大人には選べるものではない。それは、子ども自身が選ぶべきなのだが、もはや子どもには自分の読むべき本なんて自分では探せない。特に男子生徒には『朝読書』は苦痛でしかなく、ますます本嫌いを増やしている。そんな彼らが一番興味を持っているのが、格闘技である。これは思春期男子の二大願望『モテたい』
『強くなりたい』という今も昔も変わらない心が、少年たちの心にあるからであり、その欲求の未消化が、心のねじれをおこしているのではないか。「私闘学園」はある種アニメのノベライズ的であり、視覚的文章表現とそのギャグで本嫌いの男子にとても勧めやすく、シリーズ全体を通して主人公たちの人間的成長が読み取れる。(直接にかかれていないことが重要)ハリー・ポッター読むよりこっち読め! といえる作品である。また、最近の格闘技をネタに学園ものの新作を発表しないだろうか。

 ぼくがギャグを捨てたのには理由がある。
「私闘学園」の完結前後と、バブル崩壊による仕事ひでりが重なって、もう誰もぼくのスラップスティックなんて読みたがらないだろう、と思ったからである。いや。もうひとつあった。ホラーの隆盛のために全力を傾けようと考えたのだ。
 しかし、時代は変わった。
 ことによると、そろそろ、封印を解いてもいい頃なのかもしれない。
 どこかの会社が「私闘学園」のような作品をやりましょう、今の子どもにはあれが必要なのです、と言ってきたら、ぼくは前向きに考えよう。
 21世紀の「私闘学園」を。
 もちろん、読者が望み、版元が強く望んだら、の話だが。
 
 あまり期待されても困るので、はっきり、「87.6パーセント(小社比)無理だろう」と、先に言っておこう。

カレーなる昼食

 23:54 01/07/12
 今日は、午後1時30分、立原透耶さんと、T社のM原氏と一緒に要町で昼食。
 場所はタイ・レストラン。
 春雨のスープ・赤カレー・青カレー・タイ式さつま揚げ・タイ米・サラダ・ココナッツジュース・デザート。
 暑さをぶっ飛ばすには、エスニックに限る。
 立原さんとは、1年振りか。中国留学が彼女をまた一回り大きくしていた。
 いろいろ雑談。オフレコ話に花が咲き、後、コーヒーを飲みに場所を移す。
 立原さんのことを外見でしか判断出来ない「お馬鹿」は、きっと彼女を「チャイナなおじゃうさん」としか見ないだろうな。しかし、とても苦労人で、硬派で、激しい性格なのである。まあ、昔、ひかわ玲子氏のことを、その文体から判断して、「女子高生の大きくなったの」としか思わず、彼女の新しさが全然理解出来なかった「お馬鹿」が多かったからな。あれと同じ現象かもしれない。
 まあ、立原さんに限らず、作家は激しい。いつも喧嘩してる。いつも怒っている。いつも自分が一番だと思っている。いつも嫉妬している。そして、いつも自己嫌悪のどん底にいる。こうした「激しさ」が作家の原動力なのである。
 これのない作家は、長くない。
 いわゆる「賞味期限五年作家」は、大抵、激しさのないヒトである。
 この道、十五年のぼくが言うのだから、間違いない。
 その「激しい」立原さんは、終始にこやかだったが、時折、「そう。そうなんだよ」と、こちらが膝を打つ意見を口にしたのだった。「三国志」より「水滸伝」が好き、という立原さんにエールを送りつつ、熱波渦巻く要町でわかれたのだった。

昨日・今日

 23:59 01/07/11
 昨日は、本来なら、小林泰三氏・牧野修・田中啓文氏らと会うはずだったのだが、いろいろなすれ違いから会えなかった。もとはと言えば、角川書店のホラー小説大賞の受賞式の招待状が、届かなかったのが原因である。話をきけば、出席するかどうか回答する締め切り後に届いた人、古い住所当てに届けられた人、いろいろだったらしい。ぼくのところには、担当ではない編集から、前日に電話があった。
 で、招待状のないパーティーには行かない主義だし、当然あってしかるべき「ぼくの」担当者からの電話もなかったので行かなかった。「視野狭窄」と「偏屈」と「頑固」は、伝奇の始祖たる馬琴以来の伝統である。伝奇作家を舐めるな、だ。
 二次会の連絡を受けて、合流の約束だったが、肝心の小林氏が「歴代受賞者のための一席」に参加のため、十時まで連絡なし。電話を頂いたのは、午後
十時二十分ころだった。
「いま、銀座ですが、来られますか」と小林氏。
「行けません」とキッパリ答える。
 すると、次から次へと、知ってる人たちが電話口に現われる。なんだか、入院してたら、沢山の友達が見舞いに来たような気分になる。しかし、酔っ払いの声はでかい。耳が痛くなる。バーにいるそうで、ホステスの笑い声や関係ないオヤジのバカ声も聞こえてくる。
 こういうのは、その場にいれば、耐えられるが、音声のみは耐えがたい。
「視野狭窄」と「偏屈」と「頑固」を発揮して、「もう切る」と言う。
 最後の電話の相手は大森望氏ではなかったか。
 どうか、わたしの「偏屈」と「頑固」と「視野狭窄」をお許しあれ。
 
 7月11日は、午前中、「レラ=シウ」の覚え書き。昼、早くかえってきた長女とカツカレーを食べる。途中、井上氏から電話。「昨夜は遅くに電話してすみません」と。やはり、人間、育ちの良さがこういうところに出るものである。
 世の中の「恩知らず」「義理知らず」連中に彼の爪のアカでも飲ませたいものである。
 のち、友達にメールをだす。
 午後1時過ぎ、メディアワークスのS藤氏より電話。難しい単語のルビなどをチェック。これで、確実に、八月十日に、「ネクロノームV」が出ることが決まった。めでたし。めでたし。
 のち、昼寝。
 午後5時頃、目覚める。ドトールでキリマンジャロ。〔いさみや〕でみんなのお菓子。ブック・オフで「青いきつね火」わたなべまさこ・「大内氏の興亡」・山口椿の中国残酷モノを買う。
 夜になって、原稿。今日は、なんだか、2、3枚しか書けなかった。
 寝る前にメールをチェックしたら、小林泰三氏から、「昨日は申し訳ありませんでした」というお詫びの言葉が届いていた。井上氏といい、小林氏といい、作家の礼節をよく心得ていらっしゃる。世の山猿どもに二人の足の爪を400グラム食わせてやりたいものである。
 明日は、立原透耶氏と会う予定。 

おかしな納涼会

 23:49 01/07/10
 7月9日午後7時から、池袋で納涼会。
 メンバーは、朝松と松尾の他、高橋葉介氏・外薗昌也氏・井上雅彦氏・飯野文彦氏・平山夢明氏・田中文雄氏そしてT社のM原氏。
 乾杯のあと、外薗氏のツッコミに平山氏の暴走という構図になっていき、飯野氏お得意の4文字言葉の連呼も不発気味。M原氏退場のあとは、田中氏の東宝時代の思い出など、貴重な証言も出てきて、非常に楽しい一夜となった。
 以下は、その発言の抜粋。
 平山「マンガ家さんのアシスタントで足の臭い奴なんていませんか」
 外薗「いますっ(チカラをこめる)」
 高橋「だいたい、こちらは気を使って、消臭剤を置いたり、スプレーを吹いたりしますね。いよいよとなったら、そっと電話で注意してやります」
 朝松「飯野さん、あんた、煙草くさいね」
 飯野「誰も栗の花の匂いなんてたててませんよ。これはお父さん(田中氏のこと)の煙草です」
 平山「くさいといえば、友達に、カエルの尻にストロー突っ込んだ奴がいまして、みんなは吹くのに、そいつは思い切り吸っちゃった」
 一同「おげえええ」
 平山「そいつは、『ドブ臭いよ』とか言ってたけど、カエルは生きていて、そのまま、逃げていきました。で、なんかこう悟ったような顔してたから、カエルの野郎、ぼくの友達に煩悩とか穢れとか、全部、吸われたんでしょうね」
 朝松「気持ちわりい」
 平山「穢れといえば、終電車で、自分が吐きそうな時って、周りの吐きそうな人の気配が妙に分かっちゃったりして。で、お互いけん制してるうちに、自分の駅についたりすると、互いに目で合図したり、そっと健闘をたたえあって、降りる時に思わずブイサイン出し合ったり…」
 井上「出しません」
 松尾「西武線では、吐きそうになると、周りからサッとビニール袋がいくつも差し出されますね」
 朝松「ぼくは、学生時代、電車のドアが開くと同時に、1メートルくらい吹き上げたことが…」
 飯野「学生時代なら、ぼくも、自分の顔にかかってしまったことが…」
 高橋「それ違う。それ違う」
 平山「朝松さんの相手は避けましたか」
 朝松「ええ。立ってた人たちがパアッと散りました」
 平山「あれ、掛けられた人って、不思議に怒らないんですよね。『あ〜あ』とか言って笑ってる」
 外薗「頭に掛かったら、シャイニングのお化けですね」
 平山「シャイニングのお化け、あれ、髪がペタペタで、あんな姿してたら、〔もずく〕に悪いですよね」
 井上「なんですか、その、もずくに悪いっていうのは」

 平山氏の話の面白さと「話芸」の素晴らしさは、とても、文章ではあらわせない。できれば、竹内義和氏あたりとライブで対談をやってほしいと思った。
 しかし、この人、やはり只者ではない。作品の面白さ(特に都市伝説モノ)を考えるに、絶対、21世紀のホラー・シーンを塗り替えるだろう。
 その意味で、なんだか歴史に立ち会ったような気がした納涼会であった。
 みなさん、お疲れ様。
 また、よろしくね。

不可思議日記1

 22:57 01/07/02 
 暑い。
 暑いと脳の血行が良くなるのだろうか。
 仕事は音をたててはかどりはじめた。
 またまたまた、「旋風伝」、アタマから書き直し。
 志波新之介と仙頭左馬之介の因縁を描く。
 五稜郭陥落前夜。
 スペンサー・カービンを、榎本武揚から受け取る新之介。
 あらしの予感。
 白い波から湧き起こるあやかしたち。ウサギのかたちをした透明なもの。
 甲鉄の上で、仙頭は、憎しみを滾らせる。兄が新撰組に虐殺された記憶。その憎しみを吸い取って凶まがしいものになっていく黒田清隆。
 午前四時から、新政府軍の砲撃。
 次次と倒れていく少年兵。オレンジの爆炎。崩れる城壁。阿鼻叫喚のなか、駆け回る透明なウサギ。死の使い。
 午前八時、城門を開いて、土方・伊庭・その他、突撃開始。
 馬車に積んだガトリング砲。因縁の対決。すべての始まり。戦闘シーン。
 …と。ここまでで100枚か。
 とてつもなく長くなる予感。なんとか抑えなければ。
 全体で、600枚〜700枚で仕上げたい。
 時間がない。
 友人から"Flesh and Blood"というハマー・ホラーの名場面集をもらったのだが、観るヒマがない。せっかくクリストファー・リーとピーター・カッシングがナレーターをしている珍しビデオなのに。
 立原とうや氏より連絡。
 来週、お会いできそう。一緒にタイ料理を食べられたらいいな、と思う。
 来週は9日にもホラー仲間との納涼会があるので、仕事に精をださなければいけない。
 まあ、それでも、昼寝は欠かせないのだが。


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