日記代わりの随想
2000年

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うれし恥ずかし10大ニュース

 0:20 00/12/31
 今年も残すところ、あと1日。
 本当に今年はいろいろあったのだ。
 そこで、今年の10大ニュースを、思いつくままに記してみたい。

 第1位 「魔術戦士(マジカル・ウォーリアー)」完結。
 大陸で中断して、小学館でまた中断した「魔術戦士」が、角川春樹事務所で、完結できた。12年ぶりの快挙である。第7巻のしまいのほうでは、1日50枚という神がかり状態になった。いろいろ言う人はいたようだが、自分に「よくやったな」と言い、ずっと待っていてくれたファンの皆さんに心から「ありがとう」を言いたい。完結したのが、まだ信じられない。

 第2位 ホームページの立ち上げ。
 業界屈指の機械オンチなのに、3月にとうとうやってしまった。
 お陰で、沢山のファン(というより年下の、沢山の友達)と知り合うことが出来た。昔、ファン・レターをくれたファンたちとも、ネットを通じて再会出来た。元気な兄ちゃんはサラリーマンになっていた。女子高生はキャリアな奥さんやお母さんになっていた。ぼくは人間嫌いになりかけていたのが、この再会でかなり直った。

 第3位 「百怪祭」の発行。
 少しずつやってきた室町伝奇ホラーが、一冊にまとまった。
 なにか新しいことをやろうと思って始めた室町物だが、始めはあんまり理解されなかった。(ま、今でも理解されてるのか疑わしいが)
 かえすがえすも残念だったのは、「グランド・ホテル」「GOD」「宇宙生物ゾーン」などで、井上氏が誘ってくれなかったこと。室町物のアイデアはあったのだが。もう一つは「帰還」「ロボット」に誘われながら時間がなくて書けなかったこと。<小説宝石>に発表した「うたかたに還る」は実は異形の「帰還」でやろうとしてたネタだったのです。
 なんとか室町伝奇といえば朝松、といわれるまで頑張りたいね。

 第4位 痙攣発作、あいだが1年弱あく。
 これまで2週間に一度〜3ヶ月に一度だった痙攣発作が、漢方の導入で昨年11月28日から、ずっと起らなかった。あと7日で一年目、そしたら薬は1レベル軽くなり、主治医はぼくの症例を学会で報告、というさころだったのに、11月21日、発作が起こる。うまくいきそうでいかない、売れそうでイマイチどかんといかない、というぼくの体質は、こんなところにも出てしまったのであった。

 第5位 5年ぶりに札幌へ。
 それでも1995年以来、実に5年ぶりに、故郷の地、札幌に家族といけたのは、嬉しかったのであった。
 へへへ、ちょっぴり健常者に近づいたみたいでね。旅行中、発作はなかった。

 第6位 田外竜介・稲村虹子の復刊。
 これも嬉しかった。一人でも多くの読者に、かつてホラーがミステリーやSFや伝奇バイオレンスのサブ・ジャンルだと思われていた時代に、こんなことやって足掻いていたアホのいたことを知ってもらえる(かもしれない)と思って。
 なんかの雑誌のホラー小説総括じゃ、まるでぼくなんて存在しておらず、日本のホラーは鈴木光司と瀬名君と京極さんが起こした、みたいな論調だったもんね。
 ここだけの話だけど、ホラーがおいしいジャンルに見えるのは、あと半年〜1年だと思う。だって、いいかげんバブルが膨らみすぎて、かつての伝奇バイオレンス・片仮名ファンタジー・軍事シミュレーションなんかとおなじ轍を踏みつつあるんだもの。くわえて、かなり杜撰な、大急ぎで作ったようなホラー本が出回りだしている.読者をないがしろにしはじめたジャンルに明日なんてあるものか。

 7〜10位は思いつかん。
 では、この辺で。


本当にあった苦笑しちゃう話。

 12:32 00/12/18
 一月ほど前のことだ。
 何年ぶりかで、角川書店の編集者と会った。それもホラー文庫ではない。ジュヴィナイルである。何の用かとおもったら、「コミックのノヴェライズをやってくれませんか」と来た。「は?」とか答えれば、「大塚E志先生原作のホラー・コミックのノヴェライズなのですが。朝松さんの<魔障>を読んだ大塚先生が、是非ともお願いしたい、と」なんて持ち上げられた。
「……」という気分で、とりあえず、そのコミックを見せてもらった。
 好きな絵でも、面白そうなストーリーでもなかった。
 その場で、やんわりとお断り申し上げた。
 いや、別に、ノヴェライゼーションだから断った訳じゃない。
 近頃、朝松はエラぶっているとか、天狗になっているとか言う声があるらしいが、それはデマ、「ためにするウソ」である。
 そもそも、わたしはノヴェライズの仕事は嫌いじゃない。だから、何年か前、同じ角川書店から、「ウェス・クレイブンの<スクリーム2>って映画のノヴェライズやりませんか。カップリングは、荒俣さんが書く<始皇帝暗殺>のノヴェライズなんですけど」という話が来た時は、「ワーイ」と喜んだほどなのだ。
(残念ながら、この話は、ウェス・クレイブンが<スクリーム>シリーズの小説化を許してくれなかったので実現しなかったんだけど)
 お金になるとか、やってみて楽しいとか、勉強になるとかいうのなら、こちらから営業したいくらいだ。
 事実、「刑事コロンボ」や「マウス・オブ・マッドネス」や「小説ネクロノミコン」はそうしてやってきた仕事なのだ。
 でもねえ。……
 お金にはなりそうにない。やってみても楽しそうじゃない。勉強にもなりそうにない。そんな仕事、したくないよお。
 ちなみに、この話を各社の担当さんにはなしてみた。
 光文社文庫「わははは、久しぶりに、面白い冗談を聞かせてもらいました」
 春樹事務所「ったくもう、なにを考えているんだ。けしからん」
 某某ィア・某ー某ス「いやあ、困ったものです」
 早川書房「↑こう書くと、火事か、藪か、毛がいっぱいはえてるようですね」
 カッパ・ノベルス「まさか、引き受けたのではなかろうな。なに、断った? ならば良し。お主、くれぐれも自分の置かれている立場を忘れぬように」

 言われなくても、他人の作品を小説化する余裕も体力も、今のオレにはなーいよっと。
 悪しからずね,O塚英志先生。


今週の既ケジュール

 23:09 00/12/08
 月曜日(12月4日)
 原稿の立ち上がりが悪くて、1日休む。本当は今日原稿を渡す約束の日なのに。午後1時45分、井上雅彦氏から電話。角川ホラー文庫の異形タロット・アンソロジーに、正式に「超自然におけるラヴクラフト」が収録されるとのこと。井上氏に感謝。この一文は会社員時代に「ユリイカ」に発表した、フィクションと論文のボーダーにあるもの。午後5時30分、池袋のサルビアで藤原ヨウコウ氏と会う。松尾未来と3人で「台湾小調」へ。9時頃、「ライオン」に移動。わたしも藤原氏もアルコールを飲まないのに、盛り上がる。エダマメは12月に食べるものではない、と痛感する。家に帰ったら、あちこちから電話とのこと。「そりゃあ、大変だ」(©水木しげる)とか言ってるところにSFMのS澤編集長から電話。ひたすら謝る。
 火曜日(12月5日)
 午前11時50分頃、メディア・ワークスの佐T氏から電話。週末の忘年会にはきっと行くこと、および来週、打ち合わせすることを約束。以後、ずっと仕事。夜、出来たとこまでファックスで送る。
 水曜日(12月6日)
 日大へリハビリへ。しばらく振りで疲れる。家に帰って仕事をする。午後2時30分頃、早川書房のA部氏から電話。来年のことを話して鬼を笑わせる。来週会う約束。これで来週の打ち合わせは2本になった。午後5時20分頃、広島の原田実氏に電話。SFMの作品に彼の論文を使う許可を得る。原田氏はいつ話しても博学で面白い。午後8時55分、SFMのS澤編集長から電話。昨日の倍、謝る。
 木曜日(12月7日)
 家で仕事をしていると、田中文雄先生より電話。いろいろ話す。「最近のホラー界って、なんだか面白くなくなる直前のSF界と似た空気をかんじます」と言ったら、「朝松さんもか。実はオレも、そう感じてたんだよな」との答え。よ、よかったー。こんなこと、感じてるのはわたしひとりで、ひょっとしたら、こっちがジジイになったせいか、と悩んでいたのだ。かくして二人で、ホラーをつまんなくした原因の悪口を言って盛り上がる。田中先生は飯野君の「お父さん」だけでなく、わたしの「担任の先生」なのだ。
 金曜日(12月8日)
 朝から仕事。午後1時43分、光文社のM川氏より電話。「一休暗夜行」のゲラが上がったのでバイク便で送る、来週の火曜に戻せ、とのこと。「面白かった?」と聞く。「面白かったと言ってるでしょう」との答え。なんだか、一日に何回も「愛してる?」と訊ねる猜疑心の強い奴のよう。自己嫌悪のうちにSFMの仕事、完成。ファックスで早川に送る。この短編も自信はまったく無い。世の自信過剰な諸氏が羨ましい。苦しくなってきたので、「本当にあった愉快な話」田島みるく著を読みながら、少し、寝る。
 夕方、メディア・ワークスの忘年会。久しぶりに御茶ノ水に行く。会場は知らない人ばかり。田島みるくを読んで寝ようか、と思っていたら、中北氏に会う。スケッチブックを見せてもらい、感動。「ネクロノーム3」を今月末から書くぞ。書いたら、とっくに出来てる「2」も本になるぞ、と自分に言い聞かせる。のち、伏見健二氏に会う。久しぶり。「セレファイス」の続編「ハストール」は文庫でもうすぐ発売とか。楽しい気分で帰宅。春樹事務所とSFMに電話。かくして、今週の業務の大半は終了していったのだった。
 疲れた。日記をまとめて書くもんじゃないね。


「彌猴秘帖(みごう・ひちょう)」について。

 23:54 00/12/02
 SFマガジンのための短編、書き出しが決まらず、苦しみまくる。
 結局、脳が疲れて、ねむる。ひどい悪夢。夕方、起きだして、倅とブック・オフに出かける。倅が「ドカベン」を立ち読みしてるうちに、織田信長関係の文庫資料を買いあさる。
 ブック・オフを出て、ドトールで、カフェ・オレを買って帰る。
 カフェ・オレのお陰で、書き出し、決まる。
 琵琶湖を監視している「十兵衛」と二人のくノ一。舞台は1567〜1568年頃。
 彼らは、信長の命令で、天空(ないしは星の世界)から来た人間の実在を調べているのだ。何のためか。@外人宣教師が「世界は広い。多くの未知なる人間がいる」と言ったのにたいして、信長は「では、星の世界には、この世界よりもはるかに多くの人間がおるだろう」と反論したため。A十兵衛は「人間と外見上は同じなのに霊性の皆無な人間」が、越前・近江に少しずつ蔓延っているのを諸国行脚で知っていた。そして、これこそ、聖徳太子の秘密の石碑にいう彌猴に他ならないと悟ったのだ。
 やがて、彼は、この世が、異なる幾つもの次元世界の合戦場である、と知っていく。
 時代伝奇クトゥールー小説。
 全体、決まったので、倅と「エスケープ・フロム・L.A.」を見る。
 今日もアット・ホームな伝奇ホラー作家であった。


昨日・今日にあったこと。

 23:11 00/12/01
 11月30日、「一休暗夜行」のラストまで原稿を担当に渡す。
 これで1月発売に間に合った。家に戻ってから、「あとがき」をワープロで書いてみた。芯が疲れる。のち、原稿をネットを通じて送ってみた。初めての体験。ナビが良かったのか、思ったより簡単に出来た。自信を得た。
 どっと疲れて寝る。
 夕方、倅とココアを買いにいくついでに、本屋に行って、「本当にあった愉快な話」を買う。のち、倅とドトールに行く道で「自己嫌悪について」有意義な会話をかわす。家に帰り、買った本をよんで、しばし下品なネタに笑う。
 いやあ、このところずっと中世の史料と首っ引きだったので、日常に帰った気がする。
(ってやんでえ。朝から晩までユルスナールだカルペンティエールだ、なんて言い続けて健康な生活と家庭を営む、健全な中年作家で居つづけられるかってんだ)

 12月1日。仕事に集中しすぎたせいであろう。腰が痛い。近所の整体に行き、低周波とマッサージをしてもらう。hpあがる。(こんなこと、今時、小学生でも言うまい)
 のち、椎名町に行き、古本屋を覗く。明石散人の「二人の天魔王」を買う。
 長崎神社に寄って、「百怪祭」が売れますように、といのる。
 家に12時少し前に帰る。昼食。ぼーっと買ってきた本を読んでたら眠くなってきた。少し眠る。電話のベルで目がさめる。藤原ヨウコウ氏より。
 のち、光文社に電話。
 ココアを買いにドトールに行く。
 帰ってきたら、エンターブレインより電話。来年から、えんため大賞の審査委員をしなくてもいい、とのこと。
「ラッキー」
 喜んで下ろさせてもらう。とても気分がいいので、家族で「イエローサブマリン」のアニメを36分だけ見る。
 のち、倅の宿題をみる。ドリルブックに「こうしてこうやって」と書いたら、「書かないでよ」と強く言われる。「なんだ、その言い方は」と殴る。正拳がはいったと、倅、おお泣きする。「大げさに泣くな」と、また怒る。しかし、家族の誰も倅に同情しないのを見て、反省。昨日の「自己嫌悪」の話を思い出しつつ、謝る。のち、一緒に宿題をして、ともに風呂にはいる。
 倅のギャグ、「おれは、ひこうしてやる。ぶるるるん(飛行機の真似)」……
 ちょっと面白かったかもしれない。倅、小5.いつまで、こうしていられるだろう。明日から、また、ハードに年末進行がはじまる。


いよいよ〆切7日前

 22:35 00/11/18
 10月25日から書き始め、ようやく残り110枚を切った新作、ぎりぎりの〆切も、とうとう残り7日となった。もはや、アレコレ迷っている余裕はない。兎に角書き上げるのみ。
 題名は、「一休暗夜行」(仮題)。
 四代将軍義持によって人質を取られ、命令に従わされた一休が、それが反対勢力の手に渡ると天下が引っくり返るという「ほしみる」なるものを探しに行く話。担当は「室町インディー・ジョーンズですか」と言ってたが、さて、あれくらい面白いのか、まったく分からない。
 仕事中、友成純一氏から電話があった。
「最近、凄いね」と言われたが、こっちは過去の作品で食わせてもらっているだけ、という意識(負い目と、この状態など長く続くまい、という思いが底辺にある)なので、「とても、そんな」としか応えられない。
 早い話が44歳になっても、まったく自信がないのだ。
「俊寛抄」の世阿弥の言葉、「あたしは舞台にでるのが恐ろしい」とは、この1〜2年、室町物を始めたぼくの心境である。
 せめて、目に見える手ごたえのような物が掴めるといいのだが。
 まあ、読者には好評で、これだけが幸いである。

 応永15年の出来事で、どえらい発見をする。しめしめ。まさか××××の××がこの頃、日本に来ていたとは。山田風太郎先生もご存知あるまい。


観念連合的な雑文 または逃避行動1号

 22:43 00/11/02
 ペインキラー氏の日記に、本にあーだこーだといらん推薦文が多すぎる。いっそ誰も褒めない野村監督でも連れて来い、というような一文があった。
 賛成である。推薦者というのは、そもそも何らかの権威があり、彼ないし彼女が推薦してくれたお陰で、売上げがぐんと伸びなければならないのだ。それなのに、なかには25年のキャリアの先生の小説に、フリーライターとも編集者とも評論家ともつかないヌエ的生命体が、偉そうに推薦文を書いていたりする。
 たとえば、腰巻に、「今年度オレなんかゲラおくってもらってるぜい文学賞受賞!!」、その下に、「猫が文学者を観察する!?」なんて惹句があって、「かつてここまでのナンセンスの高みに達した作家がいただろうか。夏目漱石こそ、今世紀末に登場した日本一のナンセンス王である。(ゲラの雑誌12月号・何喪白根胃氏評)」とか書いてある。いい加減このパターンはやめたらどうだ。大体、推薦文っていうのは、作家本人じゃなくて編集者が「あ゛あ゛、塚井英雄や種澤季太郎に会う絶好のチャンス」なんて言って頼みに行くパターンが一番多いのだ。そして平身低頭して、「華麗なる猫の贅言に期待するのである」とかいう原稿貰ったら、会社に戻って、「いや、実際会って話したけど、あの塚澤英太郎ってのも大した奴じゃないね。オレが推薦文頼んだくらいでよろこんでやんの」なあんて、自分がいっぱしの人間になったようなこと、言っている。
 だから、野村監督級の意外性がないのだ。
 じゃあ、お前はどうするんだ、と言われたら──。
友成純一著「魔界のはらわた」・佐川一成推薦「ミノはよく焼いたほうがいい」
小林よしのり「男尊論」・西尾幹二推薦「第三国人の女はすべて慰安婦である」
飯野文彦「溶解」・五十嵐美由紀推薦「せんせー、飯野君がやらしいんですよ」
牧野修「狂の時代」・少年A(13)「ぼくじゃないマブゼがやらせたんだ。電波のせいなんだ」
綺羅光「紅いしたたりの凌辱教室」・伊藤晴雨推薦「女は騙して縛って吊るすものでございます」
B`Z「ORETACHI」・ひかわ玲子推薦「えーっいきなりかれらのことはなせっていわれたってこまっちゃうわけだってわたしほんこんえいがにも……(字数足らず)」
ラヴクラフト「クトゥルーの呼び声」・吾妻ひでお推薦「にょるにょるもにょもにょ楽しいな」
 あー、こんなんいくらでも出来るわい。


バトル・フィールド・アースおよびL・ロン・ハバードのこと

 8:33 00/10/27
 テレビで派手に宣伝しているSF映画がある。
「バトル・フィールド・アース」。エイリアンに支配された地球を舞台にしたSFアクションだ。原作はL・ロン・ハバード。おそらく日本の一般人は全然知らない人物であろう。それもそのはず、SF作家として活躍したのは1940〜50年代で,その後は新興宗教の教祖になってしまったからである。彼の教団の名前は「サイエントロジー」という。その名を聞けば「あれか」と思い当たる人物もいる筈だ。
 よく「あなたの性格を無料で診断します」などという投げ込みチラシを郵便受けや新聞に入れているアレである。
 実は、ハバードは、魔術研究家の間では悪評高い人物なのである。彼は1940年代に、アメリカで魔術結社O.T.O.に加盟していた。そして、アレイスター・クロウリーの弟子と性魔術の実践を繰り返していた。さらにその弟子の妻と不倫関係になると、ヨットで駆け落ちする、という行動をとっている。怒った弟子はハバードに呪いをかけ、ヨットは遭難。危うく命を落とすところだった。この辺のいきさつはケネス・グラント「魔術の復活」に詳しい。だが、問題にしたいのはハバードの人間性ではない。彼の教団の体質である。
 1970年代の「リーダーズ・ダイジェスト」によれば、サイエントロジーの信者数は全世界に1500万人。その強引な入信勧誘、みぐるみ剥ぐような集金体質、信者への洗脳などはアメリカで大問題になっているのだ。
 のち、教団はソフト路線に転換。ハリウッド・スターを多く入信させて広告塔に使う方法をとりはじめた。
 今回の映画の資本金やプロデュースもそうした信者のハリウッド人によるものらしい。
 折りしも、幸福の科学のPRアニメ「太陽の法」も、同時期に公開されている。
 みんな、たかがSF、たかがアニメと軽くみるな。
 洗脳者の第一歩が映画であることはナチスの前例でも明らかだ。
だまされるな。


「あとがき」大全(壱乃巻)

 22:10 00/10/11
「魔犬召喚」のこと。
 この作品はソノラマ以外から貰った最初の小説の仕事である。有楽出版社の峯島社長が、菊地秀行氏から紹介された、と言って、連絡をくれた。
 いやあ、嬉しかった。なんたって大人向けの小説が書けるのだ。(当時はまだまだジュブナイルの地位が低かったから、意気込みはひとしおだった)このチャンスに、世間にホラー小説を認知させられるかもしれない。そう思って、一気に書いた。──「凶獣幻野」を。そしたら、「なんだね、これは。わたしが欲しいのは、まったく新しいホラー小説だ。これは、ありきたりなバイオレンス小説じゃないか」と叱られた。…後で知ったことだが、峯島氏は、誰に対しても、最初はキツいことを作家にぶつけて、奮起を促す性癖があったのだ。
 しかし、こっちは、そんなこと露とも知らないデビューしたて作家だった。
「違うのを書けばいいんでしょう」と言い返し、2ヵ月かけて、「凶獣幻野」の前日談を書いてやった。書き上げた時にはカミさんに「顔色が緑になっているわよ」と言われた。つまり、全精力を使い果たしていたのだ。自信作だった。峯島氏も絶賛してくれた。
 本になるまで、待ち遠しかった。
 作中、主人公の村松は、自分がモデルである。
 オカルト屋から足を洗いたいのに、いろんなシガラミで容易に洗えない苛立ちや、とっくに自分は小説家の意識なのに世間からは未だに魔術師扱いされる遣り切れなさみたいなものが、村松になったのだと思う。
 副主人公の神波は、大学の後輩がモデルだった。身長182センチ、体重95キロの巨漢で、硬派な体育会系の男だった。声がでかくて、ケンカが強くて、わたしは彼が羨ましかった。(後に知ったが、あっちは、わたしが羨ましかったそうだ。よのなかは分からない)
 しかし、まだ世間は伝奇バイオレンスの時代であった。美形のスーパーヒーローが出なくては、ノベルスの一番の客である女性読者が支持しなかった。
 かくして、「魔犬召喚」はさんざんな売れ行きに終わった。
 だけど、作者は今でも思っている。
「魔犬召喚」は朝松健の単発作品ではベスト3に入る作品だ、と。
 これが受け入れられるようになった時、その時こそ、日本の一般読者も欧米並みに、ホラーを娯楽として楽しめるのだ、と。
(次回は、「凶獣幻野」。ただし、気の向いた時のみ、書き継がれる。これの続きでなくとも、あしからず)


出来たぞ。わーい。

 22:15 00/09/30
 出来た。ついに出来た。9月18日から、毎日コツコツ書きつづけてきた短編がとうとう出来上がった。
 風狂夜行シリーズ第2弾「けふ鳥」。64枚。主人公は諸国放浪中の一休宗純。
 という訳で、舞台は室町時代。基本はこうだ。ある理由から日本中を放浪する一休が、行く先々で怪奇な現象や妖怪・怪物に遭遇し、これを解決・退治していく、と言うもの。一休が旅をする理由も、怪異と出会わねばならない理由も旅を邪魔されない理由も、すべてかんがえているのだ。
 昨日が春樹事務所のパーティーで、とても疲れていたにも関わらず、今日は18枚書けた。なんか自信が出てきたぞ。
 10月からは、同じ室町を舞台にした、ノンストップ伝奇アクションを書きはじめるのだ。仮題は「風狂伝奇」。こちらは長編です。
(久しぶりに菊地さんや竹河さんと会って話したせいかな)
(そういえば、山田正紀さんともはじめて話せた。いやいや。このテンションの高さは、三遊亭圓窓師匠に会えたお陰にちがいない)


祝! 10ヵ月!!

 22:30 00/09/28
 めでたいことに、今日は10ヵ月記念である。
 で、なんの10ヵ月かといえば、これが痙攣発作がとまってから、ちょうど10ヵ月なのだ。
 はっきり言おう。痙攣発作は苦しい。どう表現したら、分かってもらえるだろう。
 低周波マッサージ機、あれを最大レベルにしたら、少しは近いだろうか。あるいは、高圧電流を左半身だけに流された感覚。これも近い。
 なにしろ左半身の筋肉が、レベル・マックスで痙攣するのだ。この間、左の手足胴すべての皮膚になにかが触れると、激痛に感じられる。ちょうど足がひどくしびれた状態、あれを100倍にしたものと思えば良い。手足が意思と関係なく痙攣している間、当然、呼吸も困難になる。そして、この時、泡を吹く。激しい変則的呼吸によって、口のなかに大量の唾液が分泌され、かつ、それらが、細かく泡立つのである。
 これが「癲癇」症状である。
 むかしは癲癇は笑い話のタネだった。「ひっくり返って泡を吹き、全身を痙攣させる姿が「面白くて」落語や喜劇で真似されたものだ。ワラジを乗せたらいい、などとも言われた。この辺、ぼくも、覚えている。
 この発作に襲われている時、まず、光に異常なまでに過敏になる。瞼の痙攣によって普通の光さえ、ポケモン効果を誘発する透過光となる。音にも過敏になる。その状態は、寝起き直前の、どんな小さい音さえ夢に干渉してくる、あの状態と同じである。音は光や映像さしても認識される。まるでアルチュール・ランボオの詩そのままである。
 そして、発作中の当人が感じ続けるのは、恐怖。このまま、自分は呼吸が止まってしまうのではないか、この苦痛にまみれた状態で死んでしまうのではないか、という恐怖である。
 この辺のことは「夜の果ての街」でもちょっぴり書いた。
 ぼくはこんな状態が2時間も続いた。
 そして、意識が、飛ぶのである。超リアルな夢の世界へ。
 エレベーターが町のいたる所にあり、道には高く土嚢が積まれた世界。
 どこかと戦争中の世界だ。
 呼吸さえままならぬ病。触れるもの全てが激痛を齎す発作。孤独と不安と恐怖が死に直結した持病。
 なんというブンガク的持病だろう。世の全ての文学青年にお分けしてあげたいくらいである。虚無も実存も幻想も、一回の痙攣発作に如かず、である。
(ぼくが、どうしてコケオドシな狂気だの不条理だのを謳ったホラーを認めないのか、少しは、お分かり頂けるだろう)
 さて。
 こんなけったくその悪い発作と、もう10ヵ月も御目にかかっていないのだ。
 どうか、ぼくの嬉しさを察していただきたい。日大の脳外科と、漢方医学に心から礼が言いたいのである。


し、失礼な!

 23:45 00/09/26
 インターネットで自分のことを検索していたら、「朝松健は大抵初版で消えるので、見つけたらすぐ買おう」とあった。
 ええい、この無礼者め。「妖臣蔵」は5版いっておるし、「小説ネクロノミコン」は1000円のハードカバーなのに3版の21000部。「私闘学園」も「魔教の幻影」も6版以上いっておる。
「暗黒の夜明け」など、発売前に再版しているのだ。小説以外でも、「高等魔術実践マニュアル」の12版という数値もある。「崑央の女王」だって3版、31000部いっている。万年初版作家じゃないのだ。
 ぼくは、いつも「あとがき」やエッセーで、自分は売れない、と言ってるが、それはあくまでも謙遜なのである。
 まさか、世の中に大学まで行っていながら、作家の謙遜や含羞を字義通りに読む人間がいるとは思わなかった。(阿呆な書評屋じゃあるまいし)
 ぼくの本で売れなかったのは、ノベルスだけ。しかも、大陸ノベルスは部数や重版分を隠していた。それ以外は、営業が情けなかったり、売り方を間違えたり、金輪際 伝奇時代劇が受け入れられないレーベルだったり。まあ、時代も運も悪かったんだ。
 で、どうして今頃、こんなことをうだうだ言ってるかというと、現在のノベルスの一般的な部数を知ってしまったからである。
 たまげたね。
 ごく一部の売れっ子を除いて、普通、初版一万部だと。それが営業の情けないとこじゃなくて、一流会社の数字だって。官能系になると8000部までダウンしているとか。
 それで商売がなりたっているんですと。
 嫌な気分になった。複雑な気持ちといってもいいだろう。
 だって8年前、ぼくは、「あんた、ノベルスの部数が、たった10000部じゃない。うちは、そういう人、いらないんだよね」と言われて、「幻獣戦記」の続編をきられたのだ。「ノーザン・トレイル」も「函館拳銃無宿」もシリーズをまっとう出来なかったのである。
 確か、同じ頃、某書評ボスKあえて名を秘すJが、
「ノベルス初版10000部ではとても商売として成り立つまい」
 と言っていた。
 どっこい、そんな商売しか成り立たない時代になったのだ。
 だったら、嫌な思いをして、自分の作家としてのアイデンティティーまで傷つけられて、仕事を失い、「未完の帝王」なんて揶揄だけが残った俺はどうなるんだ。
 と、そんな訳で、今、10000部でも頑張ってノベルスという形態を守っているみんなに言いたい。
「がんばれ。イヤミを言うクソみたいな編集は、いずれ会社にいられなくなって、×××になって、君の前からきえちまう。本文にイラストがあって、エンターティメントしている本を読みたがっている人間は、それをバカにする奴等の倍はいる。ぼくは勝てなかったけど、君ならきっと勝てる」


皆さん 有難う。

 21:46 00/09/21  
 気がつくと、「アンクル・だごんテンプル」の参拝者が1万人をこえていた。
 機械オンチのぼくがHPを開設したのが3月だから、ちょうど半年。この人数が多いのか、少ないのか、それはわからないけど、まずは来てくれた皆さんに、感謝! 本当は9999人か、10000人ちょうどの時、お礼を言ったり、餅撒きしたり、立教通りをオープンカーでパレードしたりするべきだったんだろうけど、このところ、仕事が忙しくて「ディープ・ワンズ・ノート」も書けなかったのだ。ごめんなさい。
 で、思い出すのは、1994年だったか、50冊目の本を出した時のこと。
 あの時は、ひかわ玲子氏が幹事になってくれて、10人前後が祝ってくれた。花束持って、「ファンゴリア」の営業部長と二次会会場めざして、池袋の飲み屋街を歩いてたら、客引きのホステスさんたちに「演歌の人ですか」と聞かれたのであった。ただし、ぼくと営業部長のどちらが歌手でどちらがマネージャーに間違われたのかは、定かではない。(どっちにしても、うらぶれて見えたのだろう)
 今日は、日本に帰ってきている立原とうや氏から、お茶と新刊「闇の皇子」を送ってもらった。立原さん、有難う。末弥さんに電話して、奥さんの声を聞いた。末弥さんの奥さん、有難う。(なんだか、マラソンの円谷の遺書みたいだな)
 作家の身辺雑記なんて、面白いものじゃないよね。田中啓文氏のように「よっしゃ、笑いをとるでっ」とリキが入っているのや、永井荷風や稲垣足穂みたいに他の作家のゴシップとか悪口とか書いてるのだったら、みんな読みたいだろうけど。
 ぼくは原稿料抜きで人を笑わせる文章を書くのはご免だし、基本的に同業者の悪口は言わない。ゴシップは知らない。編集者や評論家のことは知ってるけど、そんなの、一般の人に言ったって通じる訳ないから、言わない。
 だから、くそ面白くもないことを書く。
 今後の予定です。
9月 「凶獣幻野」(田外竜介シリーズ1)
10月 「天外魔艦」(田外竜介シリーズ2)
11月 「屍食回廊」(田外竜介シリーズ3)、
    「百怪祭─室町伝奇集─」(短編集」
12月 「神蝕地帯」(仮題)
 ↑これは、かつて「碧い眼の封印」という題で出されたもの。ぼくはこの題が嫌いだ。大嫌いだ。なんと言っても、ぼくが付けた題じゃないから。そして、この題を付けたのが、当時の某央某論社の編集部長だから。この男は、中某公某社のヘッポコ権威を嵩に着てるバカだった。クジ引きに負けて、純文学からエンターティンメントの部門の担当になったという噂のある奴だった。こいつは、「田外シリーズは一遍やめて」なんて言って、「碧い眼の封印」などというセンスのないタイトルをつけたのだ。お陰で、「屍食回廊」と同じタイムテーブルで進行する意欲作は気の抜けたサイダーと化してしまった。中某の某某の某鹿野郎。
1月 お休み
2月 「白死面と赤い魔女」(稲村虹子シリーズ1)
3月「妖霧街の影男」(稲村虹子シリーズ2)
4月 お休み
5月「無気味な物語・その他の狂気と幻想」(短編集)

 以上。
 ね、面白くなかったでしょう。悪口もなかったし…。 


執筆・身辺・マレーシア

8:50 00/09/05
 8月1日から、(あいだに「凶獣幻野」の改稿をはさんで)、ずっと書き続けている「魔蟲傳」はようやく先が見えてきた。
 ファウスト伝説と中世武士物語の融合は、やはり楽しい。ついつい筆が、走ってしまう。6年くらい前なら、必死でストーリーだけ追いかける薄っぺらな作品になっていたところだ。
 いつかチャンスが出来たら、ハルキ文庫版の「魔術戦士」みたいに、過去の作品も片っ端から、書き直していこう。とくに「暗黒の夜明け」は絶対書き直すぞ。
 しかし、作品の緊張感を維持するのは、しんどい。5枚も書くと、くたくたになって寝てしまう。まあ、これは病気のせいだ。仕方あるまい。
 それより、もう9ヵ月も痙攣発作が起きていないことを感謝すべきだろう。漢方薬が身体にあったようだ。
 頑固に西洋医学に頼らず、柔軟に漢方も受け入れる──この姿勢を大事にしたい。
 同じように、いつまでも手書きにこだわらず、そろそろワープロ執筆を導入すべきかもしれない。

 仙台のネコ七氏は、マレーシアに行っている。
 楽しいメールを送ってくれた。
 こういうのを見ると、パソコンやインターネットといった文明の利器の有難さがつくづく感じられる。
 結局、不毛な論争に使うのも、犯罪に使うのも、人助けや有意義な情報交換に使うのも、使用者の人間性であろう。
 それにしても、目が開けられないほど眩しいマレーシアの陽光とは…。
 雪原に乱反射する札幌の陽光と、どちらが眩しいだろうか。


「魔障」見本出来

 21:54 00/08/08
 今日は俺の「魔障」とカミさんの「ばね足男が夜来る」の見本が送られてきた。
「魔障」は200枚の書き下ろしに、「忌の血族」と「追ってくる」という中短編を収録した。中短編は全ページ加筆・訂正。ほとんど別作品である。
 ハルキ・ホラー文庫の謳い文句は「全部書き下ろし」だが、朝松の物だけ、そうじゃないじゃん、とか言う奴がきっと出てくるだろうから、ここに記しておく。俺はいつでも新作書き下ろしのつもりだ。
 かかってこい、コノヤロー。
「ばね足男〜」はタイトルが怖そうと、ウチの子たちには評判がいい。売れるといいな、と真剣に思う。自分のカミさんの本をこんなふうに思うのは、初めてである。「じゃこ〜」の時も思わなかった。
「魔障」を読み返して、強烈なデ・ジャ・ヴィユに襲われる。実体験を基にしているせいか。なんだか、「これ、映画かTVで見たような」強烈な感覚。あるいは映像化された「魔障」が、一瞬見えた。こんなことも初めてなのでとりあえずここに書いておく。


今の私

 22:31 00/08/02
 やっと「ネクロノーム」が終わって、一服出来ると思ったのもつかの間、11月発売の伝奇時代短編集の為の書き下ろし(150〜200枚予定)の催促がきた。「凶獣幻野」のゲラ(8・17戻し。9月13日発売予定)もきた。まったく有難いことである。わたしを必要としてくれる読者の皆さんに感謝しつつ、時代伝奇に着手。ついでにゲラも手をつけ始める。
 それにしても「ネクロノーム」はかなり、やった、という自身がある。こいつは絶対面白い。こんなに自信があるのは久しぶりだ。
 同じく、これから書こうとしている中篇、こいつも自信作である。「異形コレクション」と同じ室町モノだが、異形では枚数やスケールの点で出来なかった大ネタなのである。テーマは「ファウスト」と「斎藤道三」隠し味に立川流。この三題噺をどのようにホラー味溢れる時代伝奇にしたてるか。その辺りが眼目である。あー、早く書きたい。キャラが心の中で暴れている。早く自分を読者の皆さんに合わせろ、と叫んでいる。こんな感じは、「赫い妖霊星」以来のことだ。
 頭をクール・ダウンさせようと(勢いだけでは筆が滑るのだ)してると、角川春樹事務所の斎T氏より連絡。「こわがらないで…」の出足が、今まで出した朝松作品で一番いい、と言われる。
 うーむ。一気にクール・ダウン。大衆は、わたしの何を求めているのだろうか? またしても、ここ一月余り、考えてきたテーマに直面させられてしまうのだった。


暑い日はウワゴトみたいにぶつぶつと…

 10:35 00/07/23
1.「デジモン」の「ダゴモンの呼び声」の巻をやっと見た。いつもの「デジモン」とは全然違ってた。でも、面白かった。なんと言っても、暗黒光を放射する灯台のアイデアが秀逸である。ぼくなら、これだけで一本短編にしちゃうところだ。ぢゅるふさんだったか、あの女の子にDEEP ONESの血が流れていて…という展開だったら、という意見があったが、確かにこれが単独作品なら、そのほうがずっと良くなっただろう。ぼくも賛成だ。しかし、いかんせん、シリーズ物。いろんな縛りが多すぎた。ラストのダゴモンが迫ってくる辺りは駆け足に感じられた。しかし、このエピソードに小中氏を起用した角銅氏の大英断に拍手を送りたい。角銅さん、有難う。
2.もう何年も前から思っていたんだ。その…「書評と一般の読者との乖離」について、だな。書評でほめる本がちっとも面白くない。確か、これがロコツになったのは、「本の雑誌」でクーンツを異様に持ち上げだした時だった。「悪魔は夜はばたく」しかよんでいない者としては「ほんとかよ」と、思った。そして、折りも折り、各社からゾロゾロ出始めてたクーンツをみんな買った。…面白くなかった。あんまりな家計へのしわ寄せに怒った妻は「本の雑誌」に投書した。「クーンツって味の素だけで料理するコックみたいですね」これに怒ったのか、某関係者Kあえて名を秘すJ氏は、以後、新聞といわずラジオといわずクーンツを推薦しまくった。その甲斐あってクーンツはアカデミー出版が出すところとなった。まこと、ご同慶のいたりである。それにしても呆れたのは、書評ボスが一言ほめると、あっちの雑誌、こっちの新聞、みんな揃っておんなじ物を褒めちぎる、この大政翼賛会体質だ。「ネムキ」から「朝日新聞」から「週間新潮」までおんなじ本をおんなじ論調でほめてるんだぜ。(いや、すでにクーンツの話からは外れてるんだけどさ)気持ち悪いと思わない?
 で、乖離の話。このところ、ポツポツと一般の本好きの人からも「とかく書評家のいうことは」って声があがっている。ぼくのみた中じゃ、ペイン・キラーさんの「推薦者の名を見て棚にもどした」というのが、この乖離現象にイラつく一般読者の代表的意見だろう。あと、ゲームライターについてイラついてるTAGEさんの意見も、まんま書評の世界にあてはまるんだよね。
 東京新聞である俳優が、「キューブリックの遺作をみんながケナしているんで観なかったが、実際観てみたら大傑作だった」と言い置いて、「一体、評論って誰のためにあるのだろう」と問い掛けていた。本当だよ。こうなったら、信じられる評論家と、金輪際信じねえぞ騙されるものか的クソヤロウとを区別するしか、我々のサイフ防衛は有り得ないのである。
 とりあえず、俺は、「わーい、わーい。今日は周英社と深長社と軟談社から、再来月発売の本のゲラ、もらっちゃったぜい。おれってビッグだぜい」なんて浮かれているアホの薦める本には近づかないことにした。
3.あ、暑い。あまりの暑さでじぶんでもなにをかいてるかわからなくなってきた。ちゃんどらーはかせ、オハヨウございます デイジー、デイジー、きみがすきだ……


ぼくのしてきたこと

 23:39 00/07/13
 この15日に再刊される「こわがらないで…」はケイブン社のために書き下ろした、短めの長編である。
 ケイブン社はソノラマでデビューしたぼくにとって有楽出版社の次にホラーを依頼にきた会社であった。依頼にきたのは、坂東という入社間もない青年だった。クロぶちの眼鏡をかけ、よれたジーパンをはいていた。バーボンとアメリカン・ポップスのレコードがお土産だった。沢田研二と、ものまねのコロッケを足したかおをしていた。話が抜群に面白くて、彼と話しているといくつもいくつもアイデアがわいてきた。最初は男の子向けのホラーを、という依頼だったが、後に編集長のせいで少女向けに変更となった。
 ぼくと彼は馬鹿な編集長の悪口を肴に池袋でのんだくれた。いざ、書く段になったら、また編集長から、1行あたりの字数を少なめにして、改行を多くしろ、という命令がきた。ぼくと彼は、また悪口を肴に飲んだくれた。そしてぼくはぼくなりに、彼は彼なりに上に抵抗した。「こわがらないで…」はそんな時代の作品である。担当のフルネームは坂東齢人。後の馳星周である。
 また、お馬鹿な「評論家」が「フレディみたいな怪人の出てくる少女向けホラー」なんて言ってた頃、「このミス」に「モダン・ホラーの傑作」と一票入れてくれた書店員がいた。彼の名はM原氏。後の東京創元社のホラー担当者M氏である。
 ……あれから11年。みんな出世した。ぼくは…。まだホラーにこだわり、若い担当とホラー本を出している。


作家が仕事を断るとき

23:07 00/06/28
 作家は基本的に、頂ける仕事はすべて頂く、というのが基本である。
 ぼくも御多分に漏れず、相手からふられた仕事は必ず受ける、これが原則的立場である。
 しかし、あらゆる事に例外があるように、ぼくにも例外がある。
 以下のような場合は頑として断る。たとえ、それがハードカバー本の文庫化で、こっちにはタナボタな話でも、絶対お断りなのである。たとえば、それは……
1.文庫版の発行部数がアイマイなとき。
2.印税等の条件がアイマイなとき。
3.支払い日(清算日)がイイカゲンなとき。
4.過去にその出版社に不利益を蒙ったとき。
5.担当にせよ、出版社にせよ、縁起が悪いとき。
6.担当する編集者にとかくの噂があり、自分も不快な思いをしていて、大嫌いか、さもなきゃとにかく同じ惑星の大気も吸いたくないと、そのように最近思いはじめてきたとき。

 実は3週間ほど前に、某社のタナボタ的な文庫化の話をことわった。アンソロジーの文庫化だから、ぼくの主張できる権利は収録人数ぶんの1にすぎない。しかし、どんなに貧乏だろうが、不況にあえいでいようが、自分の短編小説は自分で守りたい。今回の話は、ぼくのルールに鑑みて納得できるものではなかったのだ。読者の皆さんは、秋になって、昔ハードカバーで出されたホラー・アンソロジーの文庫版を見かけて、ぼくの短編が入ってなくても、「朝松はホサれたのか」とか「また世間を狭くしたのか」などと、誤解しないでいただきたい。
 さて、ここで問題です。わたしが今回仕事を断った原因は?
 1〜6のなかから3つ以上選びなさい。


たまには暁斎でも…

 22:22 00/06/27
 昨日、担当に「ネクロノーム」の原稿を全体の5分の1、渡した。頑張ったな、と自分を誉める意味で、今日は午前中、東武美術館へ行った。
 同行者はカミさんと、長女(今日は代休だった)である。目的は河鍋暁斎(きょうさい、とよむ)暁翠(きょうすい)展だ。
 このあいだ、電話で藤原ヨウコウ氏が「芳年もいいけど、暁斎もいいですね」と仰っていたのを思い出した。
 東武美術館は初めてだったが、きれいなうえ、ゆったりしているのが気に入った。
 暁斎といえば「百鬼夜行」が有名だが、本物は屏風(かなりでかい)で、しかもモノトーンの印象。絵よりも、むしろ、一緒にかざっていた懐刀の柄と鞘に彫りこまれた妖怪たちに目を奪われてしまった。
 他に印象にのこったのは、一休宗純と地獄太夫、高尾太夫、お多福、七福神など。いずれも、小説のアイデアを得た。
 暁翠の「百福図」は、なんか怖かった。女性(暁翠は暁斎の娘である)が描いたお多福は、ドスが利いてて怖い。噂の暁斎の「幽霊」は、全生庵の円朝コレクションほどではない。
 本当は買ってきたパンフ片手に、暁斎の狂気と幻想について、ここで一席ぶったらブンガク的にかっこいいのだろうけど、なにしろパンフは重くて片腕ではしんどい。それにこっちは作品のネタが閃いたもので、それどころじゃない。
 それよりも、今、気がついたのだが、HPで日記を書いてるヒトの行動に全然奥さんが出てこないのは何故なんだろう。まさか「妻はじっと家を守っておればいいのじゃ。その間わしは7人の敵と酒飲んで騒いで楽しいウラシマ」なんて森首相的「頑迷固陋クソオヤジ」なことを考え実践してるんじゃないだろうな。……いや、自分の日記読み返すと、ニョウボ子どもがレギュラー出演してるもんで。ひょっとして、俺は異常なのか、と思って。
 話題がずれてしまった。暁斎については改めてまじに書きます。


紀田先生が教えてくれたこと

 21:29 00/06/21 
 学生時代のある日、紀田順一郎先生は仰った。
「大好きな物はね、それが本だろうが映画だろうが食い物だろうが、身銭をきって味あわなければ駄目だな」
「それは何故ですか」と、わたし。
「評論家なんて商売をしてると、誘惑が多い。出版社は本を送ってくるし、映画会社は招待状を送ってくる。大手のレストランやホテルは食事の接待をしてくる。君は若いから知らないだろうが、一昔前の試写会なんて、行ったら必ず茶封筒をくれたものだ」
「封筒って…」
「中にお札がはいってるんだ。で、なにとぞお手柔らかに、とか言いながら押し付けてくる」
「つまり、鼻薬ですか」
「そう。それで下らない映画でもベタ誉めする。なかには試写中は鼾をかいて寝入ってて、終わると茶封筒もらって帰ってく。そうして翌月の映画雑誌では、必見の娯楽大作とほめちぎる。そんな映画評論家もいた」
「………」
「でもね。観客はバカじゃない。最初こそ騙されて映画館にいくけれど、次第に評論家の言う事に耳を貸さなくなる。それどころか、映画も見なくなる。日本の映画の衰退の原因はこんなところにもあったんだな」
「本もそうだと仰るのですか」
「さあ。それは俺は知らんよ。でもね。少なくとも面白そうな本は自分で探している。その金は身銭からだす。なんたって尊い労働で得た金で読んだいい本は一生の宝だ。また、つまらんものなら、その腹立ちはけっして忘れない。……」
 そこで紀田先生は皮肉に笑い、声をひそめた。
「……で、誰が、読みもしないで褒めちぎるヤツなのか、よく分かるよな」
「そんなヤツの書くものは読まない…とか」
「いやあ。それはなんとも。……たださあ、俺は新聞なんかで偉そうに論評してるセンセイのナニより、少ない小遣いをやりくりして、一所懸命、本を買って読んでる君らの意見のほうが面白いし、参考になるよ」
 好きな物は身銭をきってたのしみたい。自分に対してだけは潔癖でありたい。──この紀田先生の教えをぼくは今でも守っているのだろうか。
 ときどき自問せずにはいられない。


同人雑誌は楽しいよね

 22:00 00/06/20
 あなたは「スケアード」っていうホラー映画雑誌を知っているだろうか? ぼくはつい最近知ったばかりだ。フリーライターの神無月マキナ氏が編集長を勤める高級ゲテモノ雑誌だ。神無月氏は、かの友成純一名人の日本で唯一のお弟子さんで、しかも女性なのである。女だてらに友成名人に弟子入りするだけあって、雑誌の内容はスプラッタ系の…おっと、ただしヨーロピアンなセンスが溢れている。つまりどこかエロティックなのだ。このセンス、なんと表現したら良いんだろう。「ファンゴリア」の流れは間違いないんだけれど、アメリカ風のチカラで押す感じじゃない。も少し知的で…しかしスノッブに堕してない。フリークス特集なんてやってるのだが、差別意識を後ろ手で隠し屁理屈で誤魔化すスノッブさが無い。実にアッケラカンとしていて、その姿勢、正々堂々としてアッパレである。
 ご当人は「同人誌的で」と謙遜してるが、なに、疲弊した小説誌や悪ヅレした書評誌なんかよりは、パワフルかつバガヤロな同人誌のほうが、遥かに未来があるというものだ。
 ぼくは同人誌が好きである。
 同人誌には熱気がある。可能性がある。ドロドロ煮えたぎる「好きなモノ」への思いがある。純粋性がある。愛がある。
 …愛を失った瞬間から同人誌は下手糞な商業誌になってしまう。
「スケアード」がずっと好感の持てる同人誌でいてくれるか、映画会社の思惑に操られる映画情報誌に堕していくのか。それとも洗練された外見にホネの一本通ったアナーキーさを発揮していくのか。じっと見守りたい。(もっともぼくは、友成名人の名にかけ、全然心配していないのだが)
 がんばれ、「スケアード」! 負けるな神無月!!


心に染みた言葉

 22:57 00/06/12
 8月に刊行される「ラヴクラフト遺産」の解説を書くため、ゲラを読んだ。
 全部読み終わっても、ロバート・ブロックの文章が、いつまでも心に残りつづけた。それは今も変わらない。

 友よ、あなたが読者を打ちのめせたのには理由があった。冷徹な論理こそが冷たい戦慄をもたらせるとご存知だった。壁のなかの鼠も、魔女の家の夢にも、闇に囁くものにも、ちゃんと理屈がととのえてあった。
(中略)
 われわれの多くは各々のやりかたで、あなたの真の才能は、過剰な形容詞句や、不気味な事態に関連する邪神たちの叙述や、イタリック体で示された強調箇所にあるのではないと悟った。良質のラヴクラフト物語の真の醍醐味は、読む者に一時も違和感をいだかせぬ語りの能力にあったのだと。途方もない内容を信じさせることで、作品は今日にも耐えうる文学的生命をもったのだと。
  ──ロバート・ブロック「序─H.P.ラヴクラフトへの公開書簡」(尾之上浩司訳)

このブロックの言葉が、ぼくの萎えかけていたホラーへの思いを再び掻きたててくれたようだ。


絵画グループ展二題

22:16 00/06/04
 今日は家族と銀座へ行く。と、言ったって別にクルーザーを注文に行ったのではない。偶然、別方向から招待状を頂いた作品展に行ったのだ。
 はじめは「ギャラリー・ロイヤル・サロン・ギンザ」へ。「日本出版美術家連盟原画展」(ふう…なんて長いんだ)を鑑賞する。こちらは藤原ヨウコウ氏のご招待だった。藤原氏は同連盟の新人賞を受賞されたのであった。ヨウコウさん、おめでとうございます。藤原氏の力作以外にも新聞・雑誌・書籍でお馴染みの方たちの原画が。おおお……堂昌一が、レオ澤鬼が、中一弥が、星恵美子が、小妻要が、みんな原画で。俺のだ、全部おれのだ。と、一瞬我を忘れる。
 なかでも、最大の収穫は小松崎茂先生の「戦艦大和」の原画を鑑賞できたことであった。先生の大和は生きている海のなかにあった。連合艦隊の大和だった。深く感動した。
 続いて、近くの「すどう美術館」へ。「銅夢版画展」を鑑賞に行く。こちらは「魔術戦士」でお世話になった杉本一文画伯の版画が出品されているのであった。杉本氏の銅版画は象徴主義的で、デーモニッシュなのだ。別の所に飾っていた蔵書票のモチーフが「牧神召喚」だったので、ひとりで、にやついていた。
 残念ながら、藤原氏にも杉本画伯にも、お会いできず。ワーナーブラザースの直営ショップによったり、街頭パフォーマンスを見たりした後、帰宅。夕方7時まで寝ていた。

6月の端物仕事
1.「絶望の挑戦者」大藪春彦(光文社文庫)解説
2.「ダ・ヴィンチ」7月号(異形対談 井上雅彦氏と)

2は、自作を語った部分はカットされて、地底人デロの話で盛り上がってます。真面目にホラーの未来を考えてる人が読んだら、俺って許しがたい外道と、まじで怒るかも。対談を書いてるのは、編集者とライターなのにねえ。(でも、地底人デロ、俺、けっこ好きです)


月初めから頭が痛い

8:49 00/06/03
 6月はハルキ文庫の朝松本はお休みだというのに忙しい。
 なぜなら、7月からまた月刊ペースで新刊・復刊が続くからだ。
 えーと……
7月  「こわがらないで……」(短めの長編プラス「樹妖の恋唄」。後者は虹子さん唯一の短編)
8月  「魔障」(書き下ろし中篇・「忌の血族」・「追ってくる」オカルトホラー作品集)
9月  「凶獣幻野」

10月には「ネクロノーム」2巻も出ると思う。
 
 ……こんなこと書いてるバヤイではない。し、仕事しなくては…
 わあっ、ドップラーの刺客がっ、窓に、窓に


暑い日にはマカロニが美味い

00/05/30
神無月マキナ氏へのメール。

お忙しいなか、ご丁寧な連絡、有難うございます。
実は、最近、マカロニ・ウェスタンのすっごいサイトを発見しました。100人のガンマンと1000人の用心棒が集っています。すでに映画関係の方には有名かもしれませんが、ご紹介します。下は、BBSのページですが、ここからでぃーぷワールドに滑りこめます。
ではまた。

マカロニ・ウェスタン
http://www.freedom.jp.org/cbbs/djangokill/

というわけで、みんなにも紹介します。


雨の降る日に京劇を観る。

22:06 00/05/27
「魔障」がなかなか進まない。きっと私小説ふうにオカルト・ホラーを書くという新趣向に筆が慣れていないせいだろう。
こういう時には、きっぱり頭を切り替えるのが大切だ。
と、そんな訳で池袋の東京芸術劇場へ京劇を観にいく。当然、妻・3人の子どもも一緒。つまり一家5人揃ってである。
上海京劇院の公演だ。ぼくは逆宇宙レイザースの取材で観てから京劇のファンになってしまったのだ。
今日の演目は3つ。「錘馗嫁妹(しょうきかまい)」「三岔口(さんちゃこう)」「昭君出塞(しょうくんしゅっさい)」であった。1番目は妖怪に醜くされた
錘馗が皇帝に嫌われ(醜さのため)、悲憤のあまり自害する。そして自分の死体を手厚く葬ってくれた親友に、妹を嫁がせようと、天界よりやってくる。彼は死後、天帝に召され高い官位についていたのだった。鬼たちを従えあらわれる錘馗はいきなり火の粉を吹いてみせてくれる。ここで思い出した。これは「
錘馗さま」だ。ほら、端午の節句に金太郎の人形なんかと一緒に飾った、ヒゲもじゃの閻魔大王みたいなヒト。時代劇には出てくるけど、きっと実物を知ってる世代はぼくらが最後だろう。
で、そーか。あのヒトもこんな苦労をしたのか、なんて急に親しみを覚えると共に、中国のロマンの基本はやっぱり伝奇だなあ。と、今年、時代伝奇にリキを入れようと考えてたASAはしみじみ感じ入るのであった。
2番目と3番目の話もしたいのだが、すまん、風呂に入る時間だ。
続きはまたいずれ。(って、こんなの待ってるヒト、いるわきゃねーだろ)


したいこと、しなきゃいけないこと。

2000年5月21日
 今日は長女の剣道昇段試験と長男(3人目)の運動会がかさなって、えらく慌ただしかった。
仕事のほうも、「魔障」と「ネクロノーム」が重なって、えらく慌ただしい。
「魔障」というのは、8月に創刊されるハルキ・ホラー文庫のための書き下ろし分。(200枚予定)である。この作品に、12年くらい前に「獅子王」に発表した「忌の血族」(150〜180枚)と「小説コットン」に発表した「追ってくる」(60枚位)を併せた作品集にする予定。
この作品集のコンセプトは、恐怖。
とくに「魔障」は、「KENとJETの魔界召喚」を読んだ角川春樹氏から、「これを小説にしなさい」と進められた作品である。私小説的オカルト・ホラーか。
10年前には「短編集を作りたい」なんて言えば、「気は確かか」とか「いつからそんなに偉い作家になった」といわれた。7年前には短編集を鼻先にぶら下げて、長編の書き下ろしをやらせようとする編集者にも、じっと耐えなくてはならなかった。
それに比べれば夢のような時代である。これも短編の妙味を世間に知らしめた井上雅彦氏のお陰であろう。
しかし、世間はホラー・ブームなんて相変わらず言ってるけど、本当にホラーは売れてるのだろうか。
外見は派手に見えるが、内実は実はお寒いのではないだろうか。
なにしろこちとら、ジュヴィナイル黄金時代も伝奇バイオレンス全盛期も、カタカナ・ファンタジーの嵐も、少女小説の大洪水も、軍事シミュレーションの津波も、みんな経験しているんだよね。
んでもって、「お前も流行モノ、かけ」と無神経な編集に言われつづけて、「やだ。ホラーが書きたい」と戦ってきた身なの。
だから、今の状況はかなり末期的に感じるんだよ。
いや、どこがどうとはいえないけど。ただ1994年頃、角川書店のS戸氏から「今度、ウチでホラー専門の文庫を出すことになりまして」と、コンセプト作成の相談を受けた朝松としては、当時「日本作家のホラーなんて」と言ってた方が角川ホラーの提灯持ちを偉そうなツラでしてるのを見ると、長くないような気がする。あいつら、みんな、どっか読者をなめてるんだよね。で、読者をなめてる奴がでかいツラしてるジャンルは長くない。これは14年の作家生活と5年の編集者生活そして1年のライター生活で身に染みて分かってるつもりです。
なら、お前は何をするんだ、って突っ込まれると、「いいものを書くしかない」としか答えられないのが悲しいよね。
とほほ。いま書いてる作品のPRしようと思ったのに。
また、ジジイのぶつぶつになっちまったい。


6月の発表予定

2000年5月17日 水曜日
「うたかたの帰還」   「小説宝石」7月号    時代伝奇。
 「異形対談」      「ダ・ヴィンチ」7月号  井上雅彦氏と対談。
 ハルキ文庫は6月は一回休みです。


日々是茫洋

 2000年5月16日 火曜日
 午前中は椎名町駅前の古本屋へ。目的は例のごとく室町時代の資料集めである。
 ──と。いきなり「足利時代史」と「中世文学の世界」を各100円でゲット。もう殆ど今日のツキはこれで使い果たしたようなものだな、などと思いつつ「軍記物語の世界」も手に入れる。
「元禄霊異伝」「元禄百足盗」「妖臣蔵」の美本(バラ売り可)を見つけ、行き擦りのおばちゃんに、(買え。早く買え)と念波をおくる。信心が足りないのか、おばちゃんは池波正太郎を買っていった。
のち、要町のブックオフに行く。こと、古本のためなら、東長崎だろうが池袋だろうが新井薬師だろうが歩きますよ、あたしは。
で、「風の呪殺陣」「家光謀殺」店……そして。そして。南條範夫先生の「室町抄」だあっ。
こんないい本、出してたこと、ずっと今まで隠してるんだから。んっっとに講談社のお茶目さん。
わたし、時代物では一に山田風太郎、ニに南條範夫。三が国枝史郎で、四は柴田錬三郎が好きなんだよね。
家にかえってハルキ・ホラー文庫の原稿と「ネクロノーム」の下書きをちょっとする。
つかれたので仮眠。のち、神野オキナ君から電話。1時間近く馬鹿話をする。
最近、ウチに出版社から昼間に電話が来ないのは、いんたーねっとと長電話のせいではないだろうか。
メールなら一発で繋がるのだが。


今日の獲物から

2000年4月29日 土曜日
今日は午前中、ブック・オフにいっていた。
「小説宝石」に書く短編の資料漁りだったのだが、結局いつもの室町時代の資料漁りだった。
獲物1.「南北朝」日本歴史シリーズ7(世界文化社)
     写真資料集。本文や収録写真は同社からでている「太平記」と大同小異だが、南北朝時代の日本各地の物産早や分かりが嬉しい。能登の釜といい、阿波の胡麻油といい、初めて知った。
中には上総の゛しりがい゛なんて何だか分からないものもある。(牛や馬の尻につける綱のことだそうな)
獲物2.「室町幕府」日本歴史シリーズ8(世界文化社)
    獲物1と同じシリーズ。こっちは15世紀頃の京都およびその周辺の地図や図版が嬉しい。付録は「応仁の乱の両軍勢力分布図」と「中世の都市と交通」。とくに海路の早見図が、シメシメであった。そうそう、名古屋の地蔵院蔵の足利義尚像は、思っていたよりずっと男前で感心しました。
獲物3「悪人列伝 ニ」海音寺潮五郎(文春文庫)
    足利義満に関する記事が読みたかった。井沢元彦氏の「天皇になろうとした将軍」に言及されていたので、ずっとさがしてたのだ。それがこんなに早く手に入るとは。こないだは、永井路子の「太平記」が100円で手に入ったし、ことしのぼくはついてるぞ。
獲物4.「中世を推理する」邦光史郎(集英社文庫)
    こちらは゛中世の生活゛という章が読みたかった。庶民の主食が粟飯と栃粥。公家が、米を甑でむした強飯(こわいい)。武家は釜で炊いた飯(今と同じ物)。……なんて記述は本当に勉強になって楽しい。
獲物5.「虚無戦史MIROKU」1〜3 石川賢(メディア・ワークス)
    コレは、二人の人にすすめられたんだよな。一人は「SFマガジン」の前編集長阿部氏。もう一人は「妖妖日本史」の三田主水さん。いや、三田さんは直接ぼくに勧めてくれたんじゃなくて、楽しそうに紹介してたもので……。
実はいままで何人かの編集さんと打ち合わせしていて、イラストをお願いする候補として石川氏の名があがってるんだよね。一番古いのは「大菩薩峠の要塞」かな。この時は「合いすぎる」という理由で富士見書房の会議で却下されたのでした。次は「妖臣蔵」を発表した時、某SQ文庫の担当君が「この話、石川さんの絵でアニメで見たいですね」と言ったとき。それから早川の阿部氏が「妖戦十勇士」とか「妖臣蔵」のイラストは石川賢がいい、と言ったとき。そして、「ネクロノーム」のイラストレーター選定の打ち合わせで「石川先生のスケジュールは一杯だそうでして。残念です」と言われた時。──ねっ。随分あるでしょう。
で、今回、「虚無戦史MIROKU」を読んで、その理由が分かったような、分からないような……。
まず思ったのは、こいつは石川版「魔界転生」の姉妹篇だな、ってこと。それから石川氏のなかには、超古代から超未来にいたる叙事詩があってすべての氏の作品はその一部分なんだろうな、ってこと。
そして、ここがいっちゃん大事なんだけど、石川氏も、また石森章太郎の「サイボーグ009」の天使編と永井豪の「デビルマン」に、そして平井・石森コンビの「幻魔大戦」に魅せられたひとの一人なんだろうな、ってこと。この辺に思い至って、なるほど、一部の編集者がぼくと石川氏を組ませたがるのか、と納得した。
いかにも、ぼくの作品世界の根っこには石川氏と通底したものが存在するからだ。
それはともかく石川氏のすさまじい勉強振りと伝奇なるものへの愛には感動いたしました。資質的には、石川氏は国枝史郎に近いとおもったのですが、あなたはどう思いますか。  


「CTHULHUな話」を
書こうと思ってるんですが……。
民谷伊右衛門の謎

2000年4月24日 月曜日
「四谷怪談」を歌舞伎でみていたら、不意に「まてよ」という気持ちが湧いてきた。クライマックス「蛇山庵室」のシーンだ。……念仏百万遍の「講」を受けながら伊右衛門はお岩様に憑り殺される。これは何故なのだろうか。お岩様の恨みが念仏講さえ突きとおしてしまった。成る程、そう考えられないことは無い。が、ちょっと待ってほしい。この芝居が上演されたのは文化・文政期なのである。すなわち、儒教と仏教があらゆる倫理の基底にあった時代なのだ。そのような時代にあっていかに奇抜が売りの南北といえど、正面から大衆の倫理観を刺激したり、挑発したりするとはかんがえられない。これは現代の文学作品ではないのである。ならば、きっととうじの観客が「うん。あれなら念仏がきかないのも無理はない」と納得した理由があった筈である。
 さんざん考えてぼくなりの解答をみつけた。
 あなたはどうしてだ、とおもいますか。
 答えは「妖臣蔵」にかいておきました。……あんまり注目されなかったので悔しいから、ここにかきました。


アイデア

2000年4月19日 水曜日
 山本ひろ子「異神」(平凡社)を読んでいたらアイデアが湧いてきた。
 日本中世て゜は神道系の神々と土俗系の神々、仏教系の諸菩薩、さらに朝鮮系、道教系の神々がそれぞれ信ずる集団を従えて鬩ぎ会っていた──と、ここまでくればクトゥルー神話まではもう一歩です。
 朝廷・幕府・諸侯・商人・庶民、これらの対立はそのまま彼らの信ずる神々の対立でもあった。
 と、こんな世界観を背景にしたら、ずっと作品に奥行きが生れるのではないでしょうか。
 いずれにせよ、自分流の神話体系が出来かかってます。


10年越しの思い

2000年4月15日 土曜日
とうとうと言うべきか、当然と言うべきか。「魔術戦士」は完結した。
1992年の大陸沈没から、8年目である。
やはり感慨はひとしおである。
どんな逆境にいても、ぼくは諦めなかった。
格好悪いと知りつつ、あがきつづけた。
知ってる版元に片っ端から声をかけまわった。
信じていたのだ。何年経っても何年経ってもこんなに「続きがよみたい」と言われ続けるからには、発表できる時がきっとくる。
理解してくれる版元が現れる、と。
そして、本当に現れた。これは偶然ではない。必然である。版元の社長は「運命的なものを感じる」といっていた。
必然といい運命といい、言いたいことは同じである。読者の思いが現実を改変したのだ。
今回、脱稿前の2日間で、ぼくは110枚近く書いていた。こんなこと、健康な時にもできなかった。
読者の思いにかかされていたのだ。
この場でそっとお礼を言っておきたい。
あなたのお陰です。
ありがとう。


昔の話なんかしてみたりして

4月2日
やはりキーボードに慣れていないせいだろう。
読み返してみたら、商業作家のものとは思えないほど読みづらかった。
なんだか電車の中で一人ブツブツ言ってる人の言葉を録音したみたい。しかし、そう感じるのは、ぼくだけなのだろうか。
これまで、何度か神経をやみかけた事がある。
そのせいに違いない。神経症を衒った小説は大嫌いなのだ。
誤解のないよう申し添えておくが、我が家系にそうした遺伝子がある訳ではない。
いずれも、外的要因によるものである。
たとえば、いけ図々しい友人(の一種)に3ヶ月も居候された。
大学1年のときだ。
「オカルト時代」という雑誌が゛みのり書房から発行され、アルバイト・ライターとして出入りしていた。
だけどこっちは20歳の青二才。手にしたコネの使い方を知らなかった。
そこで京都にくすぶっていた男に「オカルト時代」を紹介したのである。この男、大阪で「ロック・マガジン」というミニコミに関わっていたからなのだが……。
連絡してやったら、飛んできた。
早速むこうの編集長に会うや、「オカルト詳しいです。占いも出来ます。ホラー系ロックのレビューでもやりましょうか。デザインも割り付けも……」と、いくら世間知らずのこちらでも、眉に唾を付けてしまうほどの口からデマカセぶりだった。
ところが、編集長、コロリと騙されて、こいつをメイン・ライターとしてつかいはじめた。
と、ここまでなら、世渡り上手の出世物語、横で見てる分には面白いかもしれない。いや、事実面白かった。問題はこれからである。
こいつめ、あろうことか、活動の拠点をぼくの4畳半にしやがったのだ。「アパート見つけるまで半月ほど」という話がズルズルといすわりつづけた。
そして、その間ガールフレンドは泊める(ぼくは台所にねることとなった)。こっちが見も知らぬ京阪神の怪獣おたくホラーおたくは勝手に呼んで勝手にとめる。(ついにぼくは日大のともだちのアパートに逃げ出した)この間こいつは、まったく家賃を入れなかった。それどころか、こつちの金にたかってくる。断り無くテレコや本をもちだしていく。こんな生活が3ヶ月つづいて、ぼくの神経はあやしくなってきた。それでも一抹の人間の良心をしんじて酒を飲んで耐えていた。
こんなぼくが爆発したのは、酔っ払ったぼくが了承したとして、習作にすぎないホラー短編を、「オカルト時代」を刷新してメンズ・マガジンとした「アウト」の夏の怪談小特集に持っていったせいである。ぼくは、男の荷物もろとも、おとこを追い出した。ちなみに掲載された作品の原稿料は男にパクられて遂に取りそびれた。
以後ぼくは絶対にただ働きはしない、と誓い、不名誉なこの作品を永遠にリストから抹消した。
その男は、のちに菊地秀行氏の稿料もパクることになる。


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